第41話「嘘を悪魔になぞらえて」

 イブキを除いた人物達が、次々にリミタツィオーネ教会から出てくる。


 全てを手に入れたメノッティ夫妻と協力者達。その足取りと表情は軽やかである。

 一方で全てを失ったロレンツォ。それにデ・パルマ家とクリスタンテ家。顔は俯いたまま歩いており、表情は暗く沈んでいる。

 まさに天国と地獄である。


 しばらくその集団が歩いていると、他の村人達が集まっていた。

 どうやら祈りの終わりを見計らっていたようである。

 村人達は、教会から出てきた面々を見るなり、その異様な光景に目を疑っていた。いつもは最前線に出てきて快活な姿を見せるロレンツォが、後方に埋もれている。教会の中での出来事を把握していない者にとっては、そもそも何故ジュストが祈りに参加しているのか理解できないであろう。


 その空気を感じ取ったのか、ジュストは胸に手をあてながら高らかに宣言する。


「俺の名前はぁ、ジュスト・メノッティ。新たな司教となる人間だぁ」

「私の名前は、レベッカ・メノッティです。村長として司教である夫を支える立場となります」


 村人達は、目を丸くして驚いている。これまでは、自分達を率いていたのは村長のロレンツォではなかったか――。

 そう思っても誰も口に出さないのは、後方で俯いているロレンツォの姿が事態を物語っているからである。更に、司教という役職の意味を理解していることもある。

 仮にロレンツォが村長のままだとしてもジュストが司教である以上、この村の全ての決定権はこのジュストにある。


「それではぁ、これからのクレメンツァについてを――」

「た、た、大変です!」


 ジュストが説明しようとしているところに、汗まみれで息を切らした一人の男が乱入してくる。

 天才的に間が悪い上にデ・パルマ家特有の乱入芸を持つ、ウンベルトである。ジュストは思わず顔をしかめる。


「ウンベルトかぁ。デ・パルマ家のくせに祈りに参加してなかったなぁ」

「それは、外部者の案内人を務める必要があったので仕方ありません。それよりも――」

「ケケケ。村の皆様お揃いってか。ぶっ殺すには丁度良いお日柄だな」


 ウンベルトの背後から、怪しげなハスキー声の男が姿を表す。

 まず目立つのは、べっとりとして、それでいてテカテカと光る長い黒髪。前髪が唇辺りまで伸びているせいで、肝心の表情は確認できない。

 小柄で猫背の外見は、どこか陰湿さを漂わせてくる。物騒な発言を踏まえると、決して友好的では無さそうな印象を抱く。


「お前はぁ、誰だぁ!」

「世界を渡り歩くのに名前なんざいらねえよ。あ、でも、強いて言うならよ、ブジーアってあだ名でよく言われたな」

 

 ブジーアと名乗る男は、心底どうでも良さそうに答える。

 まるで信用ならない、とばかりにジュストは臍を噛む。ブジーアとは、訳すれば嘘である。つまり、この男の本名がそんははずはない。

 その正体に気付いたレベッカは、額から一筋の冷や汗を流す。

 

「旦那様、気を付けてください。あれは純粋な悪魔かと」

「ありがとう。それにしてもぉ、どうして悪魔がこんなところにぃ」


 ジュストはそう疑問に思っているが、隣に立つレベッカには一つ心当たりがあった。

 昨日、そういえばウンベルトが厄介な旅人を担当していると話していた。ロレンツォ宅へと行った時にも乱入してきて、言いかけていた。恐らくその人物こそが、目の前のブジーアのことであろう。悪魔であることに気付けなかったのは、直接この目で確かめることができなかったからだ。


 それにしても、厄介な旅人が紛れ込んだものだ――。


「ケケケ。そこのお嬢さんが言うとおり、俺は悪魔さ。でもよ、そんなことはこの際どうでもいいだろ?」

「何が言いたいんだぁ?」

「クレメンツァの皆様は、ここでもれなく死ぬ。どうやら俺に良い感情は抱いてねえみたいだしな。だからよ、俺が悪魔だろうが人間だろうが、どうだっていいだろうがよ」

「お前は一体何が目的で――」

「そんなに感情を剥き出しにするなよ」


 その瞬間、ジュストの視界からブジーアが消えた。


「なぁっ」


 直後、ジュストの左肩に激痛が襲う。

 見れば、金色に輝くナイフが左肩に突き刺さっていた。いつの間にか背後に回っていたブジーアが、笑っているのか肩を震わせている。


「ケケケ。挨拶は大事だって言うからよ。おはようございます」

「ああっ……」


 そう言いながら、ブジーアは金色のナイフを思いきり引き抜く。

 苦痛に顔を歪めるジュストの突き刺された部位から、血が溢れ出す。その痛みから思わず庇うように右手で押さえる。


「そ、その武器はぁ……」

「ケケケ。信じられないみたいだな。面白えくらいに驚いてくれるな。何でもかんでも攻撃手段がマジーアだと思ったら大間違いだぜ」


 ようやく後ろを振り向いたジュストは、起きた出来事を信じられないのか、反撃をすることもなくブジーアを見続けている。

 それが面白くて仕方ないのか、血の付着したナイフをひと舐めしながら鼻で笑う。


「近距離でマジーアと物理攻撃を防ぐ盾を作ってるみてえだが、俺には無駄だぜ。そもそも、守ろうって気持ちは結構だがよ、俺を殺す気持ちになれなきゃ勝てねえぞ」

「な、なにを……」

「――ボサッとしてんなよ。新しい司教様らしいじゃねえかよ」


 問答を終える前に、再び視界から一瞬でブジーアが消える。


「うっ」


 ジュストが気付いた時には、体に激痛が走る。

 今度は正面から、右脇腹に容赦ないひと突き。ブジーアは鼻先が少し触れるくらいの所まで顔を近付けながら、狂気に満ちた笑みを見せつける。


「おいおい。俺に恐怖は抱いちゃ駄目だぜ。早めに天使様に祈っといた方がいいと思うぜ。いくらやっても誰も出てこないけどなあ」

「ジュスト!」


ようやく到着したのか、メノッティ夫妻がジュストの姿を見て思わず叫んでいる。ブジーアはその声を聞くと、髪の隙間からのぞく唇の口角がニヤリと動く。


「おやおや、パパとママの登場ってか。あんなに心配したら、バレバレだぜ。こりゃあ、死体同士で感動の再開を果たさないとよ」


 ブジーアは脇腹に突き刺したナイフを適当に引き抜くと、標的を変える。

 ジュストはその台詞から標的が自分から両親に変わったことを悟ったのか、血反吐が出るのもなりふり構わず叫ぶ。


「やめろぉ!」

「って言ってやめるやつがいるはずねえよ。ケケケ」


 ブジーアは心底楽しそうに笑いながら、メノッティ夫妻へ向かって歩き始めた。さっきの瞬間移動のような技を使えばすぐに近づけるはずなのに、あえてなのかゆっくりと歩いている。

ジュストは自身へのダメージ量が多かったのか、刺された箇所を手で押さえながらうずくまっている。


「おい! 誰かぁ」


 ジュストが叫ぶが、誰も反応しない。

 いや、できないのだ。この場はブジーアという異常者によって支配され、誰も声を発そうとはしない。この場で存在を主張することがいかに危険なことか、理解しているからだ。

 いつもは不適な態度を取るテーアでも、この場において自己の主張はしなかった。

 妻であるはずのレベッカも、恐怖のあまり足がすくんで動かない。


 そうして遂にブジーアがボニートとベルティーナの前に立つ。

 恐怖に怯える二人は、身動き一つ取れない。その姿を確認するとブジーアが口を開く。


「おい、司教様のご両親様よ。お前らの感情を汲んで、悪魔の俺から一つ、提案をしよう」


 人差し指ではなく中指を立てながら、二人に顔を近づける。


「俺と契約を結ぶ、なんてのはどうだ? お前らが納得するんならよ、契約内容を教えてやってもいいぜ」


 それはまさに、悪魔の囁き。

 命までは取らないとは決して言っていないし、こちら側に利益があるとも言っていない。それでも、この場で恐怖に張り付けられている者からすれば、内容くらいは聞きたいと思っても罪ではないだろう。


「それは、悪魔と人間との契約、ということだな?」

「何を当たり前のことを言ってんだよ。お前、人間のくせに言葉も分からねえのか?」

「ああ、分からないさ。残念ながら、その提案に乗ることはできない」


 ボニートは唇を噛み締めながら無念そうに俯く。

 ブジーアは首を横に振りながら長髪を揺らす。その上で、ナイフをボニートの胸元へと向ける。


「そうかよ。なら、命を失うという答えは変わらねえな」

「やっぱり、私は恵まれた人なんかではなかったんだ」


 ボニートは己の人生に絶望したのか、そう言いながら膝をガックリと落とし項垂れる。

 それはブジーアにとっては、首を切り落とすには格好の姿勢であった。


「ケケケ。まずは哀れな親父からだなあ!」

「――私は、ケルビのマリアと申します」


 場違いな程に聖なる声が、クレメンツァに響き渡った。

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