第9話「その町はポーヴェロ」

 ――城内突入の、一日前のこと。

 イブキと私は無音の街を歩き続けていた。正確には、歩いているのは一人であるが。

 辺りにはイブキの足音が響くばかりで、相変わらず他の音は聞こえてこない。少し先には森が広がっており、もう少しで町中を抜けそうな位置である。


『そういやアンタは、この町のことを知らないのか? いくら力を失ったといっても、理の中から地理の一つくらいは出せないのか?』


 探りを入れるかのように、イブキが質問をしてくる。


『この町は見たことも聞いたこともないのう。というよりも、妾が力を取り戻してもこの町を思い出すことはあり得ないのじゃ。地理であれば、力があった時に訪れたり聞いたりしたような場所であれば、欠片を思い出すのじゃ。しかしそれも無いということは、そもそもどちらもなかったということになるのう』


 なるべく無能感がバレないように言い訳を並べるか、無駄なことである。


『アンタは本当に財宝と富を司ってるのか? アンタが契約内容の三つ目を履行できるのか、甚だ疑問なのだが』

『それについては、すまぬの一言以外に返す言葉がないわい』


 話の流れによっては、クーリングオフをされかねない内容である。

 本来はイブキに対しては全能感を出しておきたいのだが、契約時の彼の態度から嘘を付くことは、とんでもないことになりそうだと考えているので、正直に回答せざるを得ない。


『本当はあの城に入る前に、ここがどこなのかくらいは知って……』


 全てを話す前に、イブキは言葉を止めた。正確には、目標を達成できそうな兆しが見えたため、全てを話す必要がなくなったのである。


『人がおるのう。妾が悪魔ではないと判断しておるが、協力的かどうかまでは分からんぞ』


 森の中に入ったくらいの場所に、人が二人歩いていた。こちらに背を向けているため、城の方面を目指して歩いているのだと思われる。

 どうやらゆっくりと歩いていたようであり、イブキが追い付いてしまった構図だ。


『悪魔じゃないなら、どうだっていい。情報が少しでも引き出せるなら上出来だ』


 イブキはそう判断すると、早足になり前で歩いている二人に追い付く。


「取り込み中のところ申し訳ないが、ちょっと良いか? 俺は旅の者で、いくつか尋ねたいことがある」


 イブキが声をかけると、二人とも振り向きこちらを見た。

 女性と男性であり、向かって右側が女性で、左側が男性である。二人の身長はそう変わらず、どちらもイブキの顔一つ分くらい小さい。


「は、はい! な、何でしょうか…?」


 驚きを込めて質問したのは女性の方である。

 真っ赤なショートボブ、垂れ目のパッチリ二重、スレンダー体系の三拍子が揃っている。服装は薄茶色のワンピースで貧しいのか所々にほつれがあるが、特徴的な容姿と合わさると、どこか健気さを感じる。

 総合的に好きかどうかは、その人次第である。


「まずは三つ質問したい。お前らの名前は何だ? 次にこの町の名前は何でどんなところだ? そして町がやけに静かだが理由を知っているか?」

「私の名前は、アンナ・セラフィーニと申します。隣のお方は、ジェレミア・ペルッツィと申します」


 アンナと名乗る女性は、丁寧にお辞儀をしながら挨拶をした。

 一方でジェレミアという男性は、どこかぎこちない動作で無言のお辞儀をした。よく見ると、身体中からかなり汗が出ているようだ。

 タキシードを着ているにも関わらず、服全体がヨレヨレになっており、何だか頼りない印象を受ける。


「そうか、俺は神月伊吹だ、よろしくな。それと、後の二つの質問はどうだ?」

「この町は、モンドレアーレの西側にありますポーヴェロと言います。どんな町かと言われると、何もない町です、としか表現のしようがありません。最後の質問については……その……それは……」


 最後の質問に対して、アンナの言葉が詰まる。


「俺は先程、町中で悪魔に襲われている。人がいるはずの静かな町に徘徊する悪魔、そして前を歩いているアンナとジェレミア。お前ら二人はこの町中を歩いているはずなのに無事。どうしてだ?」


 イブキの問いかけに対し、アンナとジェレミアは体を震わせ俯いたまま、何も答えない。無言が何らかの答えだと判断したのか、イブキは言葉を続ける。


「更に言えば、普通は旅人といっても、質問なんかされて答える義理はない。無視して進んだっていい。しかし、アンナは俺に対して懇切丁寧に答えてくれた。最後の質問を除いてな。それは、そもそもここにお前ら二人以外の人間がいることそのものが、異常事態だからに他ならない。そうなると、俺という存在を警戒して対応せざるを得ない……違うか?」

「――さすが、旅人様ですね。世界の色々な物を見てきたから、一瞬で見抜いたとでも言いたいのですか。私どもは、今日の自分達の命を生き抜くことに精一杯なのです。私どもの町で起こっていることは、私どもの事情でございます。興味本位でのご質問なのでしたら、どうかこれ以上はご容赦下さい」


 アンナは俯いたまま、小さな声でハッキリと回答を拒否する。

 隣にいるジェレミアは、どうやら涙を流しているようだ。俯いた顔面から土の地面へ、滴が落ちている。


「どうやら、勘違いしているようだな。俺はこの町の事情に首を突っ込みたいとも、解決したいとも、ましてやお前らを助けたいとも思わない。勝手に背負ってくれ。俺は、あそこの城の城主を殺したいだけだ。お前らからは情報だけもらえれば、後はどうだっていい」


 その一言でアンナはハッと顔を上げる。

 どこまでも自己中心的な理由に驚きを隠せなかったのだろうか。もしくは文句の一つでも言いたいところなのだろうか。私も驚きを隠せていないところなので、無理もない。


「イブキ様、それはお辞め下さい。城主様は、強大な悪魔として知られるアペティート様からお力を授かりし存在。いくら経験豊かなあなた様でも敵いません。私どもはともかく、関係の無い方が無闇に命を落とす必要など、どこにもありません」


 怒りでも驚きでもなく、あるのは相手への心配。心の澄みきった綺麗な人間だと素直に思える。自己犠牲心が強そうで、他者への貢献を良しとする、健気な女性。

 それと悪魔としては、聞き逃せない名前が一つあった。アペティートか、懐かしいな。この情報は覚えていたようである。


「安心しろ、さっき会った悪魔は余裕で殺した。今は見せられないし事情は話せないが、俺も悪魔の力は使える」

「いえ、ですからアペティート様はとてもお強くて……」

「アンナ様、もう話してもいいんじゃないんですか?」


 アンナが話している途中で、ジェレミアが顔を上げて話し始める。

 しかし、涙は止まっていないようだ。鼻水も出てきているようで、顔がグシャグシャになっている。本当に何でこいつがタキシードを着ているんだ。


「アンナ様は関係ないかもしれませんが、僕はこれからそのアペティート様に殺されるんですよ? 何で僕がこんな思いをしなきゃならないんですか? 僕は普通の人間だから、死ぬのが怖いんですよ! 嫌なんですよ! この旅人様がアペティート様を殺してくれるって言ってくれてるのに、何で断るんですか! 旅人様、どうかお願いします! アペティート様と城主様を……どうか殺して下さい! お願いしますお願いしますお願いします」


 ジェレミアは土下座をし始め、頭を地面にこすり付けながら、イブキに向かって懇願を続ける。まさに命の叫びってやつだな。


「ジェレミア、旅人であるイブキ様に向かって恥ずかしい行動は謹んで下さい。イブキ様、見苦しいところをお見せしてしまい、誠に申し訳ありませんでした」


 何故かアンナも土下座する。ジェレミアとは全く意味が異なるが。


「土下座とかどうでもいいから、とりあえず顔を上げろ。それぞれの事情を分かりたくもないが、とりあえず城主とアペティートのことと、町のことについて話せ」


 それぞれの土下座をどう受け止めたのかは定かではないが、どうやらイブキには配慮というものがないらしい。淡々とこちら側の要件を話している。

 悪魔の私でも頼みごとをするのであれば、さすがにもう少し柔らかい態度で接するぞ。なんてことは心が裂けても言えない。


「では、私アンナが説明をさせていただきます。始まりは……」


 特にイブキの態度を気にしていなかったのか、アンナも淡々と解説交じりの説明を始めた。

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