第8話「喰らう悪魔と醜い王様」

 城内は、期待していたような空間はなかった。どこまでも無機質な石の群れ、としか形容できない光景。装飾やカーペットや芸術作品といった、城内によく置いてある物は一切ない。

 壁伝いには螺旋階段が続いており、上を見上げても途中に部屋などはない。階段を昇りきった先にだけ、フロアがあるようだ。


 その唯一ある螺旋階段を昇っていく。無機質な空間であるがゆえに、階段を昇る二人が発する音は、大袈裟なくらい響き渡る。

 決心して昇り始めたアンナであったが、一段足を踏み入れる度、緊張の面持ちが広がっていく。


 やがて螺旋階段を昇りきり、頂上にある唯一のフロアにたどり着いた。フロアと説明したが、要は屋上である。城内には螺旋階段しかないことになるため、かなり不自然な構造である。


 確か地球とやらの学校前では屋上には金網が張ってあるのが相場らしいが、金網では無く王冠のような形をした石回りが囲っているだけである。

 更に不自然なのは、屋上のスペースには横並びの椅子が二つしかなく、そこには二人の男が座っている。


「城主様、生け贄を連れて参りました。今回は少し熟成度を備えた男となります」


 アンナが淡々とした声で、城主に報告する。かなり緊張しているはずなので、平常通りの姿に徹していることについて感謝をするしかない。


「おお、そうか。ここ最近はなかなかに若い男や女ばかりであったからな。新鮮さも捨てがたいが、たまにはこうして趣向を変えた一品も必要であるな」


 城主と呼ばれた男は、こちらから向かって右側の男。事前情報ではアンナとは同い年と聞いているが、そうは見えない。もちろん悪い意味である。

 後退が進んだ頭皮に、贅肉がついた顔、欲望を蓄積した腹回り。椅子のサイズは合っておらず、腹回りから逃げ出した贅肉が椅子の両脇に引っ掛かっている。極め付きは明らかに木で出来た王冠を被り、ふんぞり返っていることである。


 醜い、私が初対面で抱いた印象はその一言である。


「さて生け贄よ、挨拶が遅れたな。私はこの雄大な国となる予定であるポーヴェロの王、ラニエロ・アバーテである。まあまあ、畏まるでない、貴様はすぐに喰われるのだからな」


 ラニエロと名乗る木冠の王は、嫌らしい笑顔を一切絶やすこと無く、哀れな生け贄であるイブキにそう告げる。


「ラニエロよ、今回はアンナに感謝せねばならん。この男、一見すると何もなさそうだが、悪魔である私が見ると、とんでもない絶望を秘めている。ここまでの美食など、数十年、いや数百年あってもありつけるかどうか分からんぞ」


 こちらから向かって左側の男が嬉しそうに話す。

 どうやら人間ではないようであり、異様な見た目をしている。悪魔である私から見れば、特にどうという訳ではないのだが。


 基本的な造形は人間ではあるが、全身は緑色、スキンヘッドの登頂部からは一本の長い角が生えており、身体中の至るところに拳大の脈打つ瘤が付いている。

 これだけでも人間ではないことが分かるが、最も異質なのは一つしかない目である。

 その目は顔面の半分程にもなり、見開いた目は相手に恐怖を植え付けるには十分な大きさである。


「おお、そうかそうか。アペティートが喜んでいるのであれば、アンナには私からも感謝を述べねばな」


 木冠の王は、俗にいう便乗という方法で権威を上乗せしてくる。暗にアペティートと呼んだ悪魔には頭が上がらないと言っているようなものである。

 どこまでも醜く、器の小さい男である。


「身に余る光栄です、城主様。それと、城主様、私より、一つだけ、望みを、申し上げても、よろしいでしょうか?」


 アンナは生け贄を連れてくることともう一つ、ラニエロに伝えねばならない本題に入る。緊張がピークに達したのか、アンナの言葉が小刻みになっている。


「構わん、申すがよい」

「その、非常に申し上げにくいことなのですが……アペティート様が食べるお姿を見るのも……光栄なことなのですが、もし出来るのであれば、本日は私と一緒に、すぐにでも町中の宿に……その……あの……」

「泊まれということか? 確かに、最近はアンナとは一緒に一夜を過ごしてやれなかったな。そうかそうか、アンナも私がそばにいなくて身も心も寂しかったということか。良かろう、今からお前と町中にでも行くとするか。アペティート、良いか?」

「ああ、好きにしろ。私はこの男さえ喰えるならどうでもよい」


 城主ラニエロと悪魔アペティート、お互いの欲望は大層高まっているようで、自身の欲望を満たすことしか考えていない。

 種族は違うはずなのであるが、本能的に嫌悪感を覚える嫌らしい笑顔は両方ともソックリである。

 ラニエロは椅子から立ち上がり、アンナの腰に手を回しながら螺旋階段を降りていく。


 ラニエロとアンナが去った後、アペティートもおもむろに椅子から立ち上がり、こちらまで歩いて近付いてくる。身長はかなり高く、二メートル三十センチくらいはありそうだ。


「さてと、人間よ。いや、お前をただの人間と呼ぶには相応しくないな。名前は何と言う?」


 暴力的な見た目とは裏腹に、紳士的な態度で生け贄に接してくる。


「神月伊吹だ」

「コウヅキイブキ……良い名前だな。ラニエロが言っていたが、私はアペティート、悪魔だ。主な役割分担としては、奴が権力欲と色欲を担当し、私が食欲を担当している。睡眠欲はどちらもあるから分担はできないがな。これから喰われるとはいえ、どこの誰に喰われるかくらいは教えてやるのが流儀でな」


 態度は先程から紳士的ではあるが、顔付きは獲物を見つけて喜んでいる捕食者そのものである。小言を喋っているが、目はイブキから一切逸らしておらず、獲物以外何も見えていないようだ。

 一方のイブキも顔を見上げながら、アペティートの目をじっと見据える。そこに恐怖の感情は浮かんでこない。ここからだとイブキの顔がよく見える。


「ほう、泣かないのか。大抵の人間は私がここまで紹介すると、泣いて命乞いするか、気絶して失禁するかのどちらかであったのだがな」

「意外か? 俺はお前の部下に殺されかけたから、ここにいる。泣く理由も無ければ気絶する理由も無い。ついでに言えば、お前に喰われるつもりもない」

「そうか、貴様には冷静なる恐怖は意味を為さないのだな。大抵の人間はここで絶望し、この上なく甘美な反応を見せてくれるのだがな。では、遠慮なく喰わせてもらおうか」


 最後の一言で、アペティートは豹変する。


 表情も雰囲気も、捕食者としての本能が剥き出しになる。剥いた牙の先端からは思わず涎がこぼれ落ち、息も荒くなる。目付きも先程より鋭くなる。

 ようやく本性を表したか。人間の絶望がどうしようもないくらい好きで、己の喰らいたい物や者をどこまでも追い求める、欲望にどこまでも忠実な生き物、それが悪魔。

 モンドレアーレの闇を背負いし生き物。


 私は、アペティートがイブキを喰らおうとする様を冷静に見つめている。それは興奮仕切った化け物が目の前の餌である人間を捕食しようとする、人間側から見れば異様な光景である。


 しかし、私自身もこの化け物と全く同じ存在であることを、改めて認識せざるを得ない。

 イブキの絶望にはこれ以上ないくらい興奮しているし、この絶望の全てを知りたいし独占したい。どれだけ御託を並べようとも、結局の所、アペティートも私もどうしようもないケダモノなのである。


「その絶望を、よこせぇ!」


 イブキへ飛び掛かるアペティート。


「ヴェローチェ【veloce:速】」


 刹那、もう一人の悪魔の右腕が、その体を貫いた。

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