1・フェルワンド(後編)

 ムーンの結界内にフェルワンドを閉じ込めてもらい、ハティとスコルの三人きりにしてもらった。

 バスケットを持ってゆっくりと二人に近づくと、イヤイヤ黒イノシシを食べていた二人が気配に気づいて顔を上げた。


『あれ? マユ?』

『父ちゃんは?』


 たたたた、と残骸を置きっぱなしにして私の方へと駆け寄ってくる。

 話を……と思ったけど、黒イノシシの血と肉片が顔中にこびりついていて、吐き気がしそうなほど臭い。ちょっとそれどころじゃないわ。


「ストーップ! そこに並んで!」

『『へ?』』

「まずは顔を洗ってちょうだい!」


 魔界には慣れたけど、まだこんなグロテスクな状態には慣れてません。

 水魔法でシャワーを出し、二人の顔にバシャバシャと浴びせた。


『わー、マユの水ー』

『久しぶりだな!』

「ちゃんとゴシゴシしなさいよ」

『ウン。気持ちイイー』

『おう!』


 二人が水のシャワーの中ではしゃぎながら遊んでいるうちに、汚れが落ちて臭いも無くなった。

 そのあとは温風を出して毛を乾かす。ワシャワシャと頭を撫でてあげると、二人は気持ちよさそうに目を細めていた。


 それにしても、本当に大きくなってるわね。こうしてると相変わらず可愛いのだけど、よく見ると肩や足にかなり筋肉がついてるし、歯も鋭くなっている。

 随分とゴツイ姿になっちゃったわ。


 少し寂しい気持ちになりながら二人が残してきた黒イノシシの方に視線を寄越すと、食事は殆ど進んでいなかった。本当に不味いらしい。

 二人はずっと地上の動物を食べ続けていたから、舌が肥えているのかもしれないわね。


「はい、OKと」

『アリガトー』

『ありがとな、マユ。それより父ちゃんは?』

「ちょっとの間だけ三人きりにしてもらったの。久しぶりだし、気楽にお喋りしたいでしょ」

『したいー!』

『おっぱい揉みたいー!』


 ゴン、と容赦なくスコルの脳天に拳骨をお見舞いする。

 エロ狼は駄目、教育的指導ね。だいたい姿が見えないだけでフェルワンドはそこにいるし。


『うっ、痛ってぇなー』

「もう無理よ。あなたたち、それだけ大きくなっちゃったんだから」

『……へ?』


 ハティとスコルがお互いの身体を見回し、私の方を見る。そしてビックリしたように耳を立て、碧の目を大きく見開いた。


『ほ……ホントだ!』

『父ちゃんがでっけぇから全然わかんなかった!』

「そんな大きな体で飛び掛かられたらこっちが死んじゃうの。力も格段に強くなっているし、胸なんて揉まれたらそれだけで心臓が潰れちゃうわよ」

『ええええ……何だよ、やっぱり魔界の魔物なんか食うんじゃなかったー』

『うー、大きくなりたくなーい』


 フェルワンドを恨むように残骸をチロリと見るスコルと、明らかにガッカリして泣きべそをかくハティ。……ま、これは食べるのが本当に苦痛だった涙なのかもしれないけど。


 私は少しだけ笑うと、

「でも、私が抱きしめてあげることはできるからね」

と言って、スコルの首に腕を回し、ギュッとしてあげた。続けて『ハトもー』と言って擦り寄って来たハティにも。


「それにね、大きくなって強くなったら、それだけ自分も自分の周りも護れるようになるし」

『ハトはマユを護るの』

『オレも!』

「勿論、私も護ってくれたら嬉しい。でもそれだけじゃないのよ。魔精力を取り込んで魔法が上達したら、変身できるようになるんですって」

『変身?』

「そうよ。かつての姿なら取れるといっていたから……それこそもっと小さい狼の姿とか。そこまでできるようになったら私も二人を抱っこできるし、地上に降りるときも便利じゃない?」

『ウン!』

『確かにすげぇな』


 二人が乗り気になったようなので、ポンポンと頭を撫でてあげる。


「普段は目立たないように小さな狼の姿に。いざ護るときは大きく巨大な聖獣に」

『フンフン』

「そっちの方がカッコいいでしょ?」

『ウン!』

『でもなー、アレ本当に不味くて……』


 スコルが恨みがましい目でまた残骸をチロリと見た。

 食べ残しが気にはなっているがどうにも喉を通らない、ということらしい。


「フェルワンドによれば、魔界の魔物をちゃんと食べるようにしないと、体も魔精力も育たないんですって」

『それは前も聞いた。確かにそうなんだよなー』

『コッチの魔物の方が、大きくて強いの』


 ふむ、その必要性は二人もわかっているのね。

 地上の生物を食べるだけじゃこれ以上強くなることができないってこと。それに、今の状態じゃ中途半端だということも。


「私だってね、美味しいものばかり食べてこうなったんじゃないのよ」

『そう、なの?』

「そりゃそうよ。ヘレンとやっていたアレは、あくまでお茶の時間、おやつよ。野菜や魚、体を作るものはちゃんと栄養として取ってたんだから。好き嫌いは絶対によくないのよ」

『フーン』

『マユの嫌いなものって?』

「牛乳がね、どうも苦手で。だけどカルシウムたっぷりで身体の成長には欠かせないし、腸の働きもよくして体の内側から綺麗にしてくれるしね。嫌いなものだってちゃんと食べないと、育たないのよ」

『おっぱいも?』

「勿論よ」


 胸を張ってドーンとふんぞり返ると、ハティとスコルが『おおー』と謎の感嘆の声を上げた。

 まぁ、これは眠りにつく前のマリアンセイユが努力したおかげだと思うけど。

 説得力があったのなら良かったわ。


「さーて、これ、何だと思う?」


 魔法がかかったバスケットを見せると、二人は不思議そうに首を傾げた。


「聖女の領域で作ってもらってる、私が食べている美味しいパン。二人が修行を頑張ってるって言うから、差し入れに持ってきたの」

『おお!』

『やったあ!』

「あくまで“頑張ってる”からよ。食べ物を粗末にするような人にはあげないわよ」


 黒イノシシの方を顎でしゃくってビシッと言うと、二人はビクッと身体を揺らし、飛び上がった。


『おお、食べる、食べる!』

『ガンバる!』


 そしてダダダッと黒イノシシの方へと戻ると、二人はハグハグと苦しそうにしながらも一生懸命に食べ始めた。

 これでよし、と一つ頷き、ムーンとフェルワンドがいるはずの方へと振り返る。


 ムーンの結界が消え、二体の姿が現れた。見ると、ムーンの左足の下でフェルワンドが踏んづけられている。鬣があちこちに飛び跳ねているところを見ると、かなり暴れたらしい。


『ったく、甘っちょろい』


 足を外され、ブルブルと体を震わせながら起き上がったフェルワンドが不満そうにボヤく。


「飴と鞭って言うでしょう。ただ威圧的にやらせてるだけじゃ、伸びるものも伸びないわ」

『フン』

「修業した先にある成果というか、目標が無いと頑張れないわよ」

『目標ならあるだろう。より強く逞しい魔の者になることだ』

「フェルワンドは強さを目指したのよね。それが一番大事だと考えて。でも、二人は違うから」

『何だと?』

「聖女を――聖女が遺したものを、護りたいのよ」

『……』

「どっちが良い悪いじゃないわ。価値観の相違よ」

『……』


 何か思うところがあったらしい。フェルワンドはピタリと口をつぐんだ。


「ただ、辛抱強さというのはあまり無かった気がするの。だからそれが少しは身に付いたのは、フェルワンドのおかげね」


 そうじゃなければいくらご褒美があるからと言ってあんなに頑張れないわよ、と呟きながら二人の方を見る。

 あれだけ進んでいなかった黒イノシシが、あと二、三口で終わろうとしていた。


 視線をフェルワンドに戻すと、プイッと目を逸らされてしまった。褒められると居心地が悪いらしい。困った魔獣だこと。


「甘っちょろかったのは確かだと思う。それは私が悪かったと思うわ」

『地上の人間に魔の者を理解しろというのが無理な話だ』

「でも今は『魔物の聖女』なのだから、理解しなければ」


 そのとき、背後から

『食べたー!』

『頑張ったー!』

と元気にアピールする声が聞こえてきた。

 振り返ると、ハティとスコルが骨だけ残して綺麗に平らげ、ゲフーと息をつきながらボテッと寝そべっている。


 二人の方へと駆け寄ると、また黒イノシシの血と肉片で凄まじいことになっていた。それ以上近づくのは無理だったので、行儀が悪いとは思ったものの

「はい、あーん」

と口を開けさせ、パンを一つずつ宙に放り投げる。

 バクッ、バクッとフリスビー犬のようにそれをキャッチした二人は、まぐまぐと噛みしめ、

『オイシー』

『うめー』

とご満悦だった。


『やっぱりスカスカしてるな。美味いけど』

「そうね。だからこれじゃおやつにしかならないのよ」

『ふーん』

「フェルワンドも食べる?」


 振り返って一応聞いてみると、フェルワンドが

『俺様が食うか、そんなもの』

と、顔を背ける。


『美味しいのにー』

『なー』

『……フン』

“聖女よ。これはどうする?”


 ムーンがバスケットの他に持っていた巾着袋を振って見せる。

 そうだった、それもあったわと思い出し、二人の前にバスケットを置いたまま慌ててムーンのところに引き返した。巾着袋を受け取り、中から革の鞠を取り出す。

 振り返ると、二人はバスケットに顔をつっこみ無我夢中でパンを食べていた。こちらの様子には気づいていないようだ。


『……ルヴィの物か』


 ピクリと鼻をうごめかし、フェルワンドがぽつりと呟いた。鞠に残っていた魔精力に気づいたようだ。

 私がアッシメニア様のところで見つけたときのことを話すと、フェルワンドは何も言わず黙って聞いていた。


 思えば、フィッサマイヤ様から魔法陣を授かり最初に会いに行ったのが魔獣フェルワンドのはず。フェルワンドなりの聖女シュルヴィアフェスの思い出があるのかもしれない。


「二人にはフォンティーヌの森を守るという使命もあるし、一カ月……いえ、二カ月に一度でいいから地上に行かせてあげてほしいの」

『それは、まぁ考えていた。そろそろ二か月になるしな』

「私は……もう、戻れないから」


 革の鞠をギュッと握る。

 今なら少しだけ分かる。聖女シュルヴィアフェスが八十年以上、地上には降りなかった理由が。


『……時々、パルシアンに様子を見に行かせればいいんだろう』

「ええ、ありがとう。よろしくね」


 フェルワンドにお礼を言うと、鞠を手にしたままハティとスコルの元へ戻る。


「ハティ、スコル。これ……」

『あっ!』

『ルヴィの!』


 すっかりパンを食べ終えた二人がガバッと顔を上げる。私が聞く前に、もうそれが何か気づいたようだ。


「沼の底に引っ掛かっていたそうよ」

『わっ、懐かしいな!』

『ウン、ウン』

「遊ぶ?」

『もうオレ達大きくなったしな。どうすっかなー』

『遊びたい!』


 少し大人ぶるスコルに対し、素直に頷くハティ。

 鞠を放り投げてあげると、ハティはポーンとヘディングし、尻尾で再び宙に打ち上げた。

 すると、鞠が落ちてくるのを待っていたハティの上に影が差した。スコルがジャンプし、横取りヘディングをする。


『あ、スク!』

『盗ったゾ……ああっ!』


 さらに二人の頭上に、巨大な影が現れた。フェルワンドだ。

 宙に浮いた毬の間にすかさず尻尾を滑り込ませ、スコルの頭上から攫って行く。そのまま三本の尻尾で巻き込んでしまうと、スタン、と離れた地面に降り立った。


『お父さん!』

『父ちゃん、何すんだよ!』

『ほら、俺様から奪ってみせろ』

『ふぐー』

『うおりゃー!』


 そのまま三体の狼による鞠の争奪戦が始まる。飛んだり跳ねたり、すかさず左右に躱したり。

 どうやらフェルワンドは、この機会に体の使い方やジャンプ力を二人に身につけさせたいらしい。


「……帰りましょうか」

“そうだな”


 ムーンの手の平に乗り、そのまま背中へと運んでもらう。

 フェルワンドの考えもわかったし、ハティとスコルも目標が出来た。

 時折地上にも行かせてもらえるようだし、もう大丈夫でしょ。


 聖女シュルヴィアフェスの鞠を追いかける三体の魔獣の姿はどこか微笑ましくて、私はクスクスと笑いながら、フェルワンドの領域を後にした。





―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


≪設定メモ≫


●火の魔獣『フェルワンド』(愛称:フェル)

 碧色の瞳を持ち、灰色の毛でおおわれた体長5mを超える大狼。三つに分かれた尾を持つ。

 真の名は『フェル=ワーム=ド=リングス』。


 フラル火山の麓に領域を持ち、頻繁に魔界と行き来している。自分の体を隠す術を持たないため地上には殆ど下りず、食事はもっぱら魔界の魔物。聖女シュルヴィアフェス亡き後、ハティとスコルの存在を知りつつ放置していたのもこのため。


 しかしいざ対面するとあまりの不甲斐なさに腹が立ち、自分の手で立派な聖獣として育て上げることを決意したらしい。魔界の入口で二人をとっ掴まえ、強引に自分の領域に連れて行った。


→ゲーム的パラメータ

 ランク:A

 イメージカラー:灰色

 有効領域:地上

 属性:火

 使用効果:炎の息、毒の息

 元ネタ:フェンリル



●地上の動物・魔物と魔界の魔物

 初代魔王が地上から魔獣を引き上げた際、地上に残った魔物と魔界に付き従った魔物に分かれた。

 魔界に付き従った魔物は魔界の風に晒されることでさらに変化を遂げ、全体的にどす黒い毒々しい外見になっている。

 魔物にとっては地上より魔界の方が棲みやすい環境ではあるが、変化を好む行動的な魔物ほど地上に残ったと言える。


 地上の魔物と魔界の魔物を合わせた魔物内では食物連鎖があり、その頂点が八大魔獣となる。魔王から力を分け与えられ、より高位の存在に位置付けられた王獣は魔王同様、原則として食事を必要としておらず、滅多に領域から出ない(マデラギガンダは趣味で色々な物を食べている)。

 しかし八大魔獣はある程度は摂取しなければ死んでしまう(摂取し続ける限り生き続ける)。魔王から名を与えられ力を貰い、最終形態まで進化しきった状態のため、これ以上外見が変わることは無い。


●ハティとスコル

 魔物の身体に魔獣の魔精力を蓄えているような状態だったため、聖女シュルヴィアフェスは彼らの育成には慎重だった。魔界の方が体に負担なく過ごせるが、魔界の風により精神が歪んでしまうのを防ぐため、時間を分けて彼らを地上に降りられるようにした(それが真の名の由来)。


 二人を率いて地上にたびたび降り、獲物の獲り方などを教えた。二人が地上の生物や魔物は知っているものの魔界にはあまり詳しくないのはこのため。

 ルヴィの遺志を継ぎ、アッシメニアも極力魔界には関わらせず、最低限のことしか教えなかった。

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