聖女の魔獣訪問Ⅱ -魔獣編-

1・フェルワンド(前編)

 この世界の最南端、フラル火山の麓。溶岩が煮えたぎる、フェルワンドの領域。

 その灼熱の地では、まさに地獄の特訓が行われていた。


 ハティがふんむ、と全身の毛を逆立たせ、魔精力を練り上げる。クワッと広げた口から吐き出した火の玉が、ギュウンと火の粉をまき散らしながらフェルワンドの方へと向かっていった。

 しかし、その渾身の火の玉も、フェルワンドの三本の尾のうちの一本でカキーンと軽く打ち返されてしまう。あああ、場外ホームランだ。


『ハト! 何だ、そのへなちょこな炎は!』

『はぐぅぅ……』


 そして残り二本の尾のうちの一本の下にはスコルがいた。四本の足で一生懸命踏ん張っているけど、今にも押し潰されそう。強制腕立て伏せをさせられているような感じだ。


『ほら、スク! しっかり腰を落として跳ね返せ!』

『うぐぅぅ……』


 フェルワンドが檄を飛ばし、ハティとスコルが悔しそうに呻き声を上げている。

 どう見ても、お父さんが息子たちをしごいている図よね。


 ど、どうしよう……。フェルワンドがちゃぶ台ひっくり返すガンコ親父に見えてきたわ。

 スコルったら、そのうち『養成ギプス』とかはめさせられるんじゃないかしら。

 ハティはいつか、『消える火球』とか編み出すんじゃないかしら。

 だとすると、私の立ち位置としては、木の陰かしら。

「ハティ……スコル……」

と呟きながらホロホロと涙をこぼせばいい?



“……いつまでこうしているつもりだ”


 ムーンの焦れたような声が頭の上から振ってくる。

 ハッと我に返って見上げると、ムーンが退屈そうに溜息をついていた。ぶほほほう、と辺りに小さなつむじ風が巻き起こる。


 フェルワンドの領域がただならぬ雰囲気だったため、念のため結界を張ってもらってそうっと近づいたのだけど。

 フェルワンドによるハティ・スコルの地獄の特訓が繰り広げられていたから、木の影ならぬムーンの影から思わず見入っちゃったわ。

 今は彼らからは私達の姿は見えていない……のだけど。


「声、かけていいと思う?」

“どうだろうな。ただ、子狼は限界に近いようだが”


 ムーンに言われて視線を戻すと、スコルが完全にフェルワンドの尻尾に潰されていた。わずかにはみ出たスコルの尻尾がピクピクしている。


『父ちゃん、もう、無理~~』

『情けない声を出すな』

『だって、腹減ったし~~』

『は、ハトも……』


 ハティもその場でペタンと大の字になっている。

 声をかけるなら今かしらね。


「あの……こんにちは」


 結界を解いてもらい、そうっと話しかけると、ハティがビクンと飛び起き、スコルが尻尾の下からズイッと這い出てきた。

 一斉に私の方を見た二人は、ビョン、と一度飛び上がり、ダダダダダーッとすごい勢いで駆け寄ってくる。


『あ、こら……』

『『マユー!』』

「ハティ! スコル!」


 満面の笑みを浮かべ、両手を伸ばして二人を待ち受ける。

 二人がこうやって駆け寄ってくる光景も、本当に久しぶりね。

 ああ、懐かしい……――って、あら?


 二人が近づいてくるについて、その違和感に気づく。


 おかしい、明らかにサイズ感がおかしいわ。

 二人は中型犬ぐらいというか、とにかく私に飛び掛かってきても大丈夫なぐらいだったのよ。

 今は……えっ!? 大型犬ぐらいになってない!? しかも異常に足音が力強いわ!

 ちょっと待って、このままだと私が二人に轢かれちゃう!


「ちょっと、待っ……」

『マユー!』

『会いたかったのー!』


 ダーンと勢いよくジャンプする二人。

 どんな高さから飛びつく気なのよ! 死ぬわ、コレ!!


「きゃ――!」

“フン”


 いつもの鼻息と共にひょいっとムーンが私を摘まみ上げてくれたので、どうにか難を逃れる。

 目標点を見失った二人は着地に失敗し、そのままゴロゴロゴロゴロ……と転がっていった。


「あ、危なかったわ……。ありがとう、ムーン」

“フン”


 冷や汗を流しながらムーンにお礼を言う。

 そしてはるか遠くまで転がったハティとスコルは、『ぐぐ……』とか呻きながらものそのそと起き上がった。どうやら怪我はないみたいね、よかった。


『い、痛いの……』

『マユー! 何で避けるんだよ!』

「私が死ぬからよ! そんなでかい図体で飛び掛かって来ないで!」

『……あん?』

『え?』


 ポカンとする二人。どうやら自分たちの体が大きくなっていることに気づいていないらしい。

 そんな二人の背後に、ぬうっとフェルワンドが現れた。


『それだけ元気なら修行を続けるか』

と言い、二人の首根っこをガフッと咥えてズルズルと引き摺っていく。


『え、ちょっと待って、本当にヘトヘトなんだけど!』

『お父さーん……』

『仕方のない奴らだ。ほら、食え!』


 フェルワンドが二人を連れて行った先には、真っ黒い四本脚の獣が血まみれで横たわっていた。

 一見イノシシかと思ったけれど、顔は毛が無くて皺だらけの肌色。死んだそのときの表情のままらしく、目はギョロリと上を向いた白目になっていて、気味が悪いというか、恐ろしい。

 グワッと大きく裂けた口からはサイみたいな上に反り返った牙が四本ほど突き出ていて、肩から胴体は毛から飛び出るほどボコボコの赤い爛れたイボみたいなものが水玉状に広がっている。


 ハティとスコルは

『ううう、マズい……』

『がふ、クサい……』

とボヤきながら、その不気味な黒イノシシ的な物にかぶりついた。

 その様子をフン、と鼻息一つであしらったフェルワンドが、私の方にぐるりと体を向ける。


『……で、何用だ、小娘。……ああ、もう聖女か』

「お久しぶりです、フェルワンド」


 ムーンに下ろしてもらい、ベールと裾を整えて会釈をする。

 もう王獣に認められた『聖女』なのでそうへりくだる必要はない、とアッシメニア様に言われたからね。

 フェルワンドにこんな態度でいいのかな、と内心ビビりまくりなんだけど。


「その節は、わたくしに契約の銀の環を施して頂き、ありがとうございました」

『別に聖女のためではない。俺様の獲物の印だったんだがな』

「とは言え、地上にいた頃……まだ聖女ではないわたくしの話をアッシメニア様やマデラギガンダ様が聞いてくださったのは、あなたと対話した証であるあの銀の環があったからだと思います」

『魔王に破棄されたがな。おかげで喰い損ねた』

「……ふふふ」


 思わず笑うと、フェルワンドはきまり悪そうにプイッと顔をそむけた。

 アッシメニア様の言う通り、確かにひねくれ者のフェルワンドよね。


「そのお礼と……あとは、ハティとスコルに会いたくて」

『奴らは修行中だ』

「存じております。それで差し入れでも……と思ったのですが」


 ムーンの手の中にある、ウィロー製の四角いバスケットを私の近くまで持ってきてもらう。


『何だ、それは?』

「今は魔王の防腐魔法で封じ込めてありますが、聖女の領域で作ったパンです。地上にいた頃、ハティ達は焼菓子が大好きだったので。きっとこれも喜んで食べるかと思いまして」


 前にマデラが食べたいといっていたし、マイヤ様にも持っていかないとと思って、ハッチー達に頼んで多めに作ってもらったのよね。

 マデラとマイヤ様に届けに行って、そのままこちらに来たのだけど。


 フェルワンドはあからさまに顔を顰め、ケッと唾を飛ばした。


『ならん。そんなものばかり食べているから、あいつらはいつまで経っても成長しないのだ』

「成長……」


 ふと二人の様子を見ると、涙目であの気持ちの悪い生き物をむさぼっている。クサイー、マズイーとブツブツ言いながら飲み込んでいた。


「そう言えば、ハティ達が少し大きくなったようなのですが」

魔界ここの魔物を食べさせたからな』

「ハティ達が子狼のままだったのは、食べ物のせいだったのですか?」

『そうだ。ちゃんと食べて鍛えてさえいれば、今頃は少なくとも俺様の半分ぐらいの体にはなっているし、尾も二本に分かれてより雄々しい魔獣らしい姿になっているはずだ』


 え、フェルワンドの半分って、それでも3mぐらいあるわよ。しかも尾が二本って!

 それは森の狼とは言い張れないわよね。いいのかしら、そんな姿になって。

 いまいち賛同はしかねるのだけど、食べ物の違いがどう魔の者に作用するのかは知りたいわ。


 そんな訳で、ひとまずフェルワンドの話を聞いてみることにした。 

 それによると、魔物が食べるものとしては、地上のイノシシやシカなどの普通の動物、地上に棲む魔物、そして魔界に棲む魔物の3種類があるそうだ。


 地上の動物は味は最高に美味しいのだが、魔物としてはあまり足しにはならない。日々の活動のエネルギーを得られるだけ。

 地上に棲む魔物は味も良く魔精力も豊富。増え過ぎた分を間引きするために、より高位の魔物が喰らうことは何の問題もないのだが、ここ数百年は乱獲が進んでおり、あまり口にできていないらしい。


 そして魔界に棲む魔物は、味は悪いものの魔精力は豊富。何しろつねに魔界の風に晒されている状態だから、エネルギーが凝縮されている。魔物の身体を作り、より高位の魔物にランクアップするには持ってこいなのだ。


 しかしそれらはすべて、魔界由来の魔精力。ハティ達は聖女シュルヴィアフェスによって魔界の魔物を食べることを禁じられていたらしい。

 聖女亡きあと、契約の縛りが無くなった彼らがそれらを主食としてしまうと、魔獣としては強くなるもののどんどん人間を憎むように歪められてしまい、姿も普通の狼からはかけ離れてしまう。

 森の狼として密かにフォンティーヌの森を護るという使命が果たせなくなるからだった。


『それもルヴィが過保護だっただけだ』


 フェルワンドが忌々しい、とばかりに言葉を吐き捨てる。


「しかしかなりの無理をして助けた命。肉体は魔獣と呼べるほど頑丈ではなかったそうですから、あまり無茶もできないと考えたのでは」

『だろうが、結局千年近くこうして生き延びている。……というより、元気過ぎるぐらい元気だろう』

「……」


 まぁ、確かにそうね。

 つまり聖女シュルヴィアフェスの心配は杞憂だった、と言いたいのかな。それか、千年の間で十分に魔獣らしく強くなった、と。

 これだけ丈夫に育ったなら、さらなる上位の魔獣を目指すべきだ、と考えているのかしらね。


『歪みは己の精神力でどれだけでも押さえられる。今は聖女もいることだしな。そして姿は変身魔法でどうとでもなる』

「なるのですか!?」

『ああ』

「フェルワンドも普通の狼の姿になれるのですか?」

『俺様はなれない。なる必要がないからだ』

「……」


 いやそれって、指導者としてどうなの。自分はできないのにハティ達にやれって言うのは。

 私がムッとしたのが分かったのか、フェルワンドはやれやれとでもいうように溜息をついた。


『そもそも魔獣の仔というのが異例な存在なのだ。生まれながらに人語を解し、魔法を使う』

「……」

『ケルンのように人型になる訳ではない。魔法でかつての姿をとるぐらいは造作ないはずだ』


 あれほどの魔法の才があればな、と二人――特にハティの方を見て、こっそりと呟く。


『正直なところを言えば、俺様があのぐらいの頃――ダークウルフだった頃は、多少炎が扱えたぐらいで魔物としてはまだまだだった。それと比べれば、魔法に関してはかなり見込みがある』

「だから鍛えている、と?」

『そうだ。そして強大な魔法を使うなら強靭な体が必要になる。このままでは勿体無いだろう』

「……なるほど」


 それはわかるけど、でもね。

 ただひたすら、ほら食えー、やれ鍛えろー、じゃあね。修行するなら、その意味を教えてあげないと。

 フェルワンドがいくら勿体無いと感じていても、二人が理解できなければ何の意味もない。


「二人と話がしたいわ。ムーン、フェルワンドを抑えてくれる?」

“……まぁ、いいだろう”

『何を……っ!』


 フェルワンドの怒鳴り声が途中でかき消された。二体の姿はムーンの結界の中に閉じ込められ、辺りがシン、と静まり返る。


 さて、と。フェルワンドの考えも分かるけど、今のままじゃ駄目だと思うわ。

 ハティとスコルには、どこから話をすればいいかしらね?

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