4・アッシメニア(後編)

 沼の底から現れた宝物は、聖女シュルヴィアフェスがハティとスコルに与え、アッシメニア様の記憶にも残っている、みんなにとっての大事な鞠。

 持っていってやれ、と言われたはいいのだけど。


「……でも、まだ二人に会えていないんですよね」


 思わず、恨み言めいた言葉が漏れてしまった。


 私が魔界にきたとき、入口で降ろされた二人はその後フェルワンドに引きずられるようにして連れて行かれたという。

 しばらくこちらで預かるから呼ぶな、とセルフィス経由で言われて、それきりになってるんだけど。


 そもそも『聖女の匣迷宮』は魔王の力によって完全に隔離された領域だから、聖獣召喚も使えないのよね。

 指輪に念じても阻まれてしまう。私の『聖女』としての力は、聖女シュルヴィアフェスとは比べ物にならないから。

 それもあって「ちゃんと魔獣達と話をしないと」と思ったのよ。


『こんな腑抜けで聖獣が務まるか、鍛え直してやるわ、とか意気込んでおったらしいからのう』


 ハッハッハッとアッシメニア様が高らかに笑う。ひねくれ者のフェルらしいのう、と呟きながら。


「ハティとスコルはフェルワンドに会ったことがないと言っていたのですが……」

『そうじゃの。当初フェルは「自分の恥だ」「見つけたら殺す」と息巻いておったのでな』

「えっ……」


 二人を殺す? 自分の息子を? 何で?


 驚いて泥の中に立ち尽くしていると、

『こっちに戻ってこい』

と手招きされた。

 とりあえず泥に足を取られそうになりながらのたのたと水際に戻り、アッシメニア様の隣に座る。

 するとアッシメニア様は

『沼の泥を乾燥させる間は暇じゃからの』

と言い訳のようなものをしつつ、ハティとスコルが生まれた経緯を話してくれた。



   * * *



 ここより南東のフラル火山の麓に、あるダークウルフの群れがあった。

 その中でボス争いが起こり、劣勢だったメスのダークウルフがフェルワンドの寵を得ようとした。フェルワンドの後ろ盾のもと、その群れのボスになろうとしたのだ。


 しかしフェルワンドは、一度応じただけですぐにそのメスを追い払ってしまった。捨てられる形になったメスは群れでも立場を失い、結果として群れから追われる羽目になった。

 しかしこのときメスの胎内には、既に二人が宿っていた。


 二人はフェルワンドの力を色濃く受け継いでいた。到底ただの魔物の身体では二人の魔精力を受け止めきれず、メスのダークウルフは内側から身を裂かれるようにして死亡してしまった。


 その後、聖女シュルヴィアフェスがフォンティーヌの森の奥で彼女の死骸と二人を見つけた。メスのダークウルフは迫害から逃れるため、こんな遠くまで移動してきていたのだ。

 二人はまだ息はあったが、ハティの方が蓄えている魔精力が大きく、魔物の身体では自分の力を収めきれなくなっていた。

 すでに下肢は破損し、そのまま放置すれば、母と同じような運命を辿るところだったという。


 そこで、身体は魔獣並みに丈夫だったスコルの下肢をハティに分け与え、ハティの膨大な魔精力をスコルに分け与え、それぞれブレフェデラに再生を促して、どうにか一命を取り留めた。

 しかしそのような無理矢理な処置ではなかなか良くならず、二人は動くこともままならなかった。


 そのため、聖女は二人に『月の夜をハト=ウァー=縫う狼ド=リングス』『陽の下をスク=リュー=駆く狼ド=リングス』と名を与えて聖女の下僕として縛り、力を分け与えることで、ようやく二人の体と魔精力は安定し、立ち上がることができた。


 こうして、肉体も魔精力も時間も分け合った、二人で一つの聖獣が誕生した。


 やがて自分の死期を悟った聖女は、万が一のことを考えて聖女の叡智を孫に託すことを考える。

 そしてその護り神として二匹の聖獣に使命を言い渡し、パルシアンを護らせることにした。


 一方、メスのダークウルフに出し抜かれた形となったフェルワンドは、大層怒っていた。

 一度は応じたと伝えられているフェルワンドだが、そもそも、そのメスのダークウルフはかなり姑息な真似をしたそうなので……。

 ……って、この辺はフェルワンドのメンツに関わるとかで、詳しくは教えてもらえなかった。

 そのため聖女は二人を守ろうと、火の魔獣では手が出せない水の王獣であるアッシメニア様に、自分が死んだ後のことを頼んだのだった。



   * * *



「二人の属性は火。火の王獣であるフィッサマイヤ様を頼りそうなものですが……」

『マイヤは甘やかしすぎるので駄目だと言っておったのう。その辺は、ルヴィの教育方針といったところか』


 ほっほっほっ、とアッシメニア様が当時を思い出して笑う。


『それに儂には“水通鏡すいづきょう”という、地上を視る技があったからのう。あやつらを見張るのにちょうどいいと思ったのじゃろう』

「“水通鏡すいづきょう”?」

『フェデンのように全てとはゆかぬが、定めた対象の遠見とおみができるのじゃ。多くの魔精力を必要とする技ゆえ、たまにしか使えぬがの』


 そうか……だからハティ達が私と会ったときも、契約を交わしたときも静観し、クォンが逃げたときも、それを私が見つけたときも咎めなかったのか。

 すべての流れを、実際に視て知っていたから。

 ひょっとすると、魔王セルフィスが影で動いていることにもとっくに気づいていたのかもしれない。どの魔獣よりも、早く。


「ということは、例えばわたくしがパルシアンに降りてハティとスコルを召喚したとしても、すぐに見つかってしまいますね」

『そうじゃな。だいたい魔王が許さんだろう』

「ふふふ……そうですね」


 笑いながら、ふと三人でミカヅキバナを見に行ったときのことを思い出す。

 スコルが馬鹿なことを言って、私が叱りつけて。ハティが甘えてきて、スコルが拗ねて。

 そんな、パルシアンでの他愛無いやりとり。


『……何じゃ、パルシアンに帰りたいのか?』


 私の表情から何かを感じ取ったらしいアッシメニア様が、ブフ、と鼻息を漏らしながら言う。


「いいえ」


 私は即座に首を横に振った。

 そういう訳じゃない。今の現状を、後悔している訳ではないけれど。


「ハティやスコルとフォンティーヌの森を駆け回ったことは、とてもいい思い出なんです。こっちに来てからは二人に会えていませんので、ちょっと」


 淋しいな、とは思うんですよね……と思わず愚痴めいたことを言ってしまった。

 こんなこと、セルフィスにはとても言えないけど。


 魔界に行ってから一週間後、一度だけパルシアンに帰った。どうしてもヘレンとアイーダ女史に会いたくて、セルフィスに頼んで頼んで頼み込んで、魔界で見聞きしたことは絶対に話さない、という条件のもとに。

 今にして思うと、それでもかなり私に甘い対応だったのだと思う。


 『魔物の聖女』ならば、まずは魔界を理解すること。魔獣や魔物と意思の疎通を図ること。それ相応の覚悟を決めること。

 いろいろわかってきた今となっては、地上の人間と交流を持つことはかなり躊躇われる。迂闊なことは言えないし、できないし。


 解ってはいるのだけど。

 帰れないと解っているからこそ、あの日々がとてつもない煌めきをもって私の脳裏を幾度となく駆け巡る。


『あやつらも久しく帰ってはおらんし……そろそろ根を上げる頃かもしれんのう』


 だから、ソレを持って会いに行ってやることじゃの、と言って、アッシメニア様が私の両手の中にある薄茶色の鞠を顎でしゃくった。

 王獣への挨拶は、アッシメニア様で最後。これで『聖女マリアンセイユ』は王獣のお墨付きをもらったようなもの。八大魔獣と言えども、聖女を拒絶することはできないらしい。


 地上には戻れずとも二人に会うぐらいなら問題なかろうて、と言い、アッシメニア様はホッホッホッと再び笑った。


『しかし……魔獣は思慮が足りない者も多いからのう。下位の者ほどな。多少は力で捻じ伏せるつもりで接するがよい』

「えーと……どこまでできるか分かりませんが、頑張ってみます」


 八大魔獣にマウントを取りに行くとか、こっちの精神が持つかどうかはわからないけど。

 でもまぁ、こうして聖女の形見にも触れられて、何だか勇気づけられたし。


 ポンポン、と鞠の表面についていた土を払い、両手でゴシゴシと磨く。

 私の手の中の聖女の鞠はいつまでも温かくて――これを見せた時のハティとスコルを想像して、自然と顔が綻ぶのを感じた。





―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


≪設定メモ≫


●水の王獣『アッシメニア』(愛称:アッシュ)

 硬い銀の鱗でおおわれた体長20mはある大鰐。水辺に潜み、ゆっくりとした動きでいつも眼を閉じている。

 真の名は『グラン=アッシュ=メイ』。


 沼にエビやサカナなど小型の水の魔物を棲まわせている。奇跡のカエル『スクォリスティミ』の保護者でもある。

 自分の領域から全く動かず、時折『水通鏡』で地上を視ている。何かあった場合はマデラギガンダに頼ることが多く、両者は比較的仲が良い。


→ゲーム的パラメータ

 ランク:S

 イメージカラー:銀色

 有効領域:水中

 属性:水

 使用効果:塵化(即死)、還元

 元ネタ:グランガチ

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