第9話 コレでカタを付けるわ

 ついに、本物のサーペンダーの召喚。

 魔法陣を塗りつぶすように現れた水の渦。その中央にできた穴を、ドキドキしながら見守る。

 さぞかしドッパーン、ズモモモォーッ、みたいな感じで現れるのだろうとワクワクしてたんだけど。


 実際は、全然違った。濃い紫の頭部に黒い鬣を生やした蛇が、無言でにょきっと顔を出しただけ。

 顔だけでも十分大きい。直径3メートルぐらいで描いた魔法陣、いっぱいいっぱいだ。迫力満点……ではあるのだけど。


 えーと、何か登場の仕方、間違えてない? 何でこんなモグラ叩きゲームみたいな感じになってんの? 思ってたのと違う……。

 いや、微かに漂う魔精力オーラは確かに異質だけどね。


(ふぅん? お前か、フェルが言っていた小娘は)


 私の右手首にある銀の腕輪を見たサーペンダーが、小声でボソボソと言う。


(そうですが、なぜそんな隠れるようにしているんですか?)

(我は巨大ぞ。他の者に見つかるとまずいであろう)


 さすが穏健派。人間界を脅かさないよう、配慮してくれたらしい。溢れる魔精力を極力抑えているのもそのためか。

 そういえばスコルが言ってたわね。高位の魔の者ほど魔精力オーラを隠すのが上手い、と。

 いや、だけど、今はめいいっぱい脅かしてほしかったんだけどな。


(我ははぐれたスクォリスティミを引き取りにきただけぞ。さっさと寄越せ)

(あの、すみません。大変申し訳ありませんが、その前にアレをどうにかしてもらえませんか?)


 ツンツン、とサーペンダーの背後を指差す。

(ん?)

とだけ呟いたサーペンダーがぐるりと振り返る。途端に、ブワッとねっとりとした魔精力オーラが辺りに放たれた。


『何をしている、お前等は――!』


 サーペンダーの怒号と共に、水の渦がとぐろを巻いて上空に昇る。ビュオオオ、と穴から長い長い体が天に昇っていく。


「ひえええええ!」


 急に水が溢れてきて足を取られ、ひっくり返ってしまった。どんどん水が沸いてきて、あやうく溺れそうになる。慌ててやってきたハティとスコルにどうにか引きずり上げてもらい、難を逃れた。


 サーペンダーが現れた衝撃で、私たちが身を隠していた目の前の樹々がバキバキと音を立てて倒れていく。

 視界が開け、ミーア、アンディ、ベン、シャルル様の四人が一斉にこちらを見た。


「マリアンセイユ様!?」

「あ……」


 どうもー、とか愛想笑いしてる場合じゃないわよね。


『げぇっ、ペントゥー!?』


 ガンボのガシャガシャした奇声が空から降ってきて、慌てて上空を見上げる。

 戦うのを止めた赤い鷹と紫の蛇が、ピキーンと固まっていた。


『ガンボ、さっさと退け!』

『ギシャ、ギシャシャシャシャー!!』


 謎の悲鳴を上げたガンボがバタバタと忙しなく羽ばたいていき、パッとその姿が消える。


『貴様、我を愚弄するかー!』


 サーペンダーがグワッと口を開け、大きく息を吸い込む。


『ひぃ、いやああああ――!』


 ニセモノのサーペンダーが悲鳴を上げながらグルグルと身をよじらせた。よく見るとニセモノには黒い鬣がない。

 気が付けば、その姿はすっかり影も形もなくなり、人型ぐらいの大きさに変わっていた。

 蒼い髪を靡かせた銀の瞳のやけに蠱惑的な女性。その背中には、黒い蝶の羽。赤、青、緑などの様々な色が放射状に散りばめられた、大きくて鮮やかな羽をパタパタとはためかせている。


 ブハーッと吐き出されたサーペンダーの真っ白な息が、辺り一帯に広がる。

 蝶の女性型魔物はくるくると回転し、かろうじてその攻撃を躱した。

 そして、

『ひいぃ!』

と悲鳴を上げると、

『も、もう、無理ー! バイバーイ!』

と金切り声で叫び、あっという間に姿を消した。


 その瞬間、ガラスが割れるような破裂音が鳴り響き、

「きゃあああああー!」

という甲高い悲鳴が辺りを切り裂く。


 驚いて地上に視線を落とすと、ミーアが驚愕の表情で身をのけぞらせているところだった。

 ミーアの右耳についていた桃水晶のイヤリングが、粉々に砕け散っている。

 その音に驚いたのかそれとも本物のサーペンダーの登場に恐れたのかは分からないが、ミーアはその水色の瞳をカッと見開き、瞬きもせずに虚空を見つめていた。


「いやぁ、サルサ――!!」

「ミーア!?」


 泣き喚くように叫び、その悲痛に満ちた表情のままゆっくりと後ろに倒れていく。私の声にも全く反応しない。

 何も見えないし何も聞こえない、とでもいうように。


 そしてその足元は、サーペンダーの氷の息によって凍り始めていた。足が抜けないまま後ろに倒れそうになっているミーアに駆け寄り、かろうじて背中を受け止める。

 ギュッと抱きとめて顔を覗き込むが、ミーアの水色の瞳には私が映っていない。


「ミーア、しっかりしなさい!」


 左腕で体を支えながら、パーンと右手で頬を叩くと、ミーアがハッと我に返って私の顔を見つめた。

 ガチッと視線が合い、私の頭の奥で何かが弾ける。


 ――マユ……!


 ミーアの驚いたような顔に重なるように、別の映像が映し出された。

 私に向かって手を伸ばす、黒い髪の見知らぬ少女。


 え、何これ? 頭の奥がハウリングを起こしたようにウァンウァン音が鳴り響いていて、全然頭が回らない。目がチカチカする。


「ミーア、しっかりしろ!」


 シャルル様の声で、目の前の映像がパチンと消えた。一気に現実に引き戻され、我に返る。

 ベンがミーアの足元の氷を炎で溶かし、シャルル様が私から奪い取るようにミーアを抱き寄せたところだった。少し遅れてやってきたアンディはポカンと口を開けてサーペンダーを見上げている。


 そうだった、ミーアに気を取られてサーペンダーを放置してしまった。

 慌てて立ち上がりサーペンダーの傍に駆け寄ると、サーペンダーはその龍とも見まごう長い体躯をグニャリと曲げ、私のすぐ目の前まで顔を近づけた。

 さきほどまでの怒りは治まったようだが、まだ目つきがおっかないし、かなり不機嫌そうだ。


「あの、ありがとう、ございました……」


 お願いしたくせに放り出してしまったのは確かに無礼過ぎた、と少しビビりながら頭を下げる。


『ふん、サルサめ。少し遊ばせすぎたようだな』

「サルサ?」

『あの、魔獣モドキのことだ。……まぁいい、小娘には関係ない』

「そ、そうですか……」


 あんまりツッコまない方がよさそう。魔の者に深く関わって

『余計なことに首をツッコむ危険人物だ! ズバーン!』

という結末も、あり得ない訳じゃないし。


『ほら、スクォリスティミを寄越せ』

「あ、はい」


 私の首にへばりついていたクォンをべりっと引き剥がす。クォンは涙をポロポロ零してキュンキュン鳴いている。手足をジタバタさせて、まるで「帰りたくないよー」とでも言っているかのようだ。


「クォン。今まで、ありがとうね」

『キュン、キューン!』

「大丈夫、これでサヨナラじゃないから」

『……キュン?』

「もし私が、聖女になれたら――きっと、また会えるから」

『……キュン』


 どうにか納得したのか、クォンがおとなしくなった。ヌッとサーペンダーが頭を差し出したので、頭頂部にそっとクォンを乗せる。

 

『小娘が聖女か。……笑えるのう』

が笑える世界にしたいので、間違ってはいないです」

『……フン』


 ズオオ、と一度天に向かって伸ばされたサーペンダーの身体は、ヒュルヒュルヒュルと魔法陣の水の渦に引き込まれていった。

 スポン、と穴に入って見えなくなり、あれだけ溢れていた水もすべて消え失せる。

 後に残ったのは、水流で模様がグジャグジャになった魔法陣だけだった。



   * * *



『これでいいかなー』


 ベンが描いたガンボの魔法陣と私が描いたサーペンダーの魔法陣は、スコルとハティが跡形もなく消してくれた。

 元の荒れた大地に戻った地面を見て、スコルがやれやれとでも言うように息をつく。


「ありがとう。……それでハティ、お願いがあるの」


 私はリュックを下ろすと、中から初代フォンティーヌ公爵の日記を取り出した。

 このリュックは聖者学院からの支給品。返さないといけないので、このままコレを中に入れたままにしておく訳にはいかない。


「ハティの魔界棚に、これを大事に保管しておいてくれる?」

『本?』

「そう。まだ表に出せないの。だけど……すごく大事な本。いつか、必要になるかもしれないから」

『ウン、わかった』


 ハティはコクリと頷くと、パクッと日記を咥えた。

 そのとき、東の方からかなりの人数の足音が聞こえてきた。恐らくここで起こった異変に気付いた、学院の先生たちだ。


 スコルとハティが軽く頷き、森の奥へと走って行った。そろそろ召喚時間が切れるから、ハティは魔界へ、スコルはフォンティーヌの森へと帰って行ったんだと思う。



 二人と入れ替わるように、試験官と思われるローブ姿の魔導士数人と――武装した五人の近衛武官が現れた。

 何人か、見知った顔がいる。私の護衛をやってくれていた人達だ。

 魔導士の一人が、私たちの顔を見回し、すっと前に出る。


「ミーア・レグナンド。アンディ・カルム。ベン・ヘイマー。マリアンセイユ・フォンティーヌ。あなた達の『野外探索』は、これで終了となります」

「えっ!」


 それは困る、というようにベンが声を上げた。恐らく、課題をクリアできていないんだろう。

 ベンは何か言いかけようとしたが

「異論は認めません」

とピシャリと跳ねのけられた。

 反抗して暴れかねない勢いだったので、ベンは近衛武官に拘束され、なかば罪人のように連行されていった。


 憔悴し切ったミーアをずっと抱きしめていたシャルル様は、近衛武官に促されて名残惜しそうにその身体を離した。そばにいたアンディが後を引き継ぐように、そっとミーアの肩を抱く。


 その様子を憂いを帯びた表情で眺めていたシャルル様は

「じゃあな」

とだけ言うと、アンディに軽く頷き、私にもチラと視線を寄越しておとなしく近衛武官と共に去って行った。

 試験官に促され、ミーアとアンディがゆっくりと歩き始めた。その後ろを、私も黙ってついてゆく。


 ふと、後ろを振り返る。ロワーネの森は、さっきまでの喧騒が嘘のように静まり返っている。



 こうして――『聖なる者』の最終選考『野外対策』は、三日目を待たずに強引に終了となってしまった。


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