第3話 やっと辿り着いたわ
「はぁ、はぁ、はぁ……」
旧フォンティーヌ邸の深緑色の扉に手をついて、息を整える。
最初は勢いよく走り出したものの、意外に距離があったから途中でバテちゃった。決まらないなあ、もう。
太陽はすっかり西の空に傾いていた。私の影が石造りの床から階段へと長く伸びている。
そうだ、記録水晶。ここから先は旧フォンティーヌ邸の秘密だもん、録画する訳にはいかない。
確かリュックのサイドポケットに穴を開けて忍ばせてあったはず、と思い出して背中から下ろす。取り出してみると、魔道具は機能しておらず、何の力も感じられなかった。
慌てて中から記録水晶を取り出すと、ちゃんと温かみがある。どうやらこっちは無事らしい。
そうか、ヴァンクの魔精力に当てられて壊れちゃったのかもしれない。とにかくこれはクリスが私を殺そうとしたという貴重な証拠。大事に持っていないと。
記録水晶を制服の左ポケットに入れて、きっちりと蓋をする。再びリュックを背負い直すと、古い厳めしい扉をゆっくりと開けた。
高い天井の玄関ホール。その脇にはアイーダ女史が書き物をしていた使い古した木の机がある。私がここに来るときは、いつもこの机で仕事をしながら私を見守ってくれてたっけ。
右の廊下を進むと、左手にひときわ大きい黒塗りの両開きの扉が現れた。
開かずの図書室だ。なぜか私が開けれちゃったやつ。
最初はやや偏った魔精力が漂っていたこの部屋も、開放されて私が何度も出入りしているうちにすっかり他の場所と同じ空間になっていた。今ならアイーダ女史もこの部屋に入れるに違いないわ。
中に入り、一番手前の本棚を見る。この部屋に唯一残されていた、初代フォンティーヌ公爵の日記。
あのときは持ち出せないから中身を書き写したんだったわね。写した紙は確か
でもよく考えれば、どうしてこの一冊だけ残されてたんだろう。しかも一番手前の手に取りやすいところに。
まるで、扉を開けた人間に教えたかったみたい。初代フォンティーヌ公爵と、その祖母である聖女シュルヴィアフェスのやりとり。魔王と聖女の真実を。
誰でも出入りできるとなると、このままこの本を置いておくのはよくないわね。
魔王が蘇る、と噂されている今なら、この日記の中身は重要な意味を持つ。だからいつかは必要になるかもしれないけど……でもそれは、今じゃない。
背中からリュックサックを下ろすと、口を開けて奥の方に日記をしまい込んだ。部屋同様、この本にももう変な魔精力は宿っていないので持ち出しても大丈夫だ。
ついでに
さて、と覚悟を決めて、以前はどうしても行けなかった謎の空間に面する壁に向かう。ポツンと一つだけ真ん中に置いてあった本棚、押しても引いてもビクともしなかったっけ。
「……ここだ」
その本棚の二メートルほど左。ただの白い壁だけど、何か歪んでいるというか、その存在自体があやふやなものになっているというか。
触った感覚は確かに壁なんだけど、違和感がある。
これはいよいよ、RPGに付き物の通り抜けられる壁なんじゃないかしら!?
わーい!と喜び勇んで体当たりしてみたけど、バーンとそのまま跳ね返された。
イタタ、このゲームはそういうゲームじゃないのね、やっぱり。乙女ゲーだったもんね、確か。
とにかくこの部屋からは行けないんだわ。外に回ってみよう。
廊下に出て玄関ホールに戻り、突き当たりの大広間に入る。左手奥には厨房へと続く扉。
草刈りのときはヘレンが美味しいお菓子を焼いてくれて、あの奥でお茶の準備をしてくれたっけ。
スコルと契約したのは私だけど、結局はヘレンがスコルの胃袋を掴んだようなものよね。
「ふふふ」
思わず笑みがこぼれて、その声がむなしく響くのに気づいて我に返る。
このパルシアンでは囚われの日々だったはずだけど、私は本当に自由に笑えていて楽しかったわね。
でも、戻りたいのは
アイーダ女史がいて、ヘレンがいて、ハティがいて、スコルがいて――そしてセルフィスがこっそり会いに来てくれる、そんな場所。私の大切な居場所。
一人でここに居ても、意味はないの。
私はみんなの元に帰らなくちゃ。
ヴァンクのせいでここから出れないというのは、本当に困るのよ!
フン、と気合を入れ直してバルコニーへ行き、庭へと降りる。
夏にきれいに草刈りを終えたから、まだそんなには伸びていない。秋になり、あちこちに茶色い草が目立つ寒々とした庭になっている。
もうすぐ冬。その後春を迎えたら、また青々とするのかな。
さて、目標はあの塀の向こうだったわよね。
庭に出て右手、あの開かずの図書室の裏手に当たる場所に視線を寄越す。わたしの身長ぐらいの高さの石でできた塀。そしてその奥には背の高い樹木が立ち並んでいて全く見えない。
「……“
ブンと死神メイスを振るうと、宙から水分を含んだ土が現れ、塀のすぐそばに小高い山を作る。再度メイスを振るって、ゆるやかな階段状に。
ポケットから魔燈を取り出し、一本だけ擦る。揺らぐ炎を感じ、視線をその向こうの土の階段へ。
「“
炎が舞い、一瞬だけ目の前の土の山が火に包まれる。ビシッという粒が固まる音がし、庭から塀の上へと続く堅い土の階段が出来上がった。試しに足をかけてみると、ボロボロと崩れることは無くしっかりと私の体重を支えてくれる。
ふふ、“天国への階段”、なんてカッコつけちゃったわね。だけど他に手掛かりは無いんだもの、一発逆転の何かがここにあってくれないと。
……間違って昇天、なんてことにならないといいんだけど。
「行くわよ、クォン」
「キュン」
炎魔法に驚いて引っ込んでいたクォンに声をかけ、ゆっくりと土の階段を昇る。
塀の上から向こう側へと降りると、かなり狭い間隔で樹がびっしりと生えた林になっていて、わずかな太陽の光も届かないぐらい真っ暗だった。手の平に炎を灯し、辺りをキョロキョロと見回してみる。
うーん、前に書いたマップの感じだと、右側十メートルぐらい先に例の部屋の裏側が見えるはずなのに、全く見当たらない。何かまやかしの魔法でもかけられてるのかしら、と思いながらとりあえず右に曲がって真っすぐ進んでみる。
フワン、と風が漂って一瞬だけ何かに包まれたような気配がした。気が付くとあれだけ鬱蒼と生えていた樹々はすべて消えていて、柔らかい光に包まれたパーっと開けた場所が目に入る。小学校の運動場ぐらいの空き地と、その奥には白い壁。壁の前には木でできた茶色いロッキングチェアがポツンと置かれていて、そのすぐ傍に赤い扉が見える。
あれっ、ここがフォンティーヌ邸の東の裏側? にしてはおかしい。
すでに必要なくなった炎の明かりを消し、上を見上げる。
普通なら夜空が見えるはずなのに、なぜかドーム状の淡いベージュの天井が目に入った。
いつの間に屋内に?と思ったけど、視線を下ろしていくとベージュは夜の帳に溶け込むように消えていき、普通の外の風景に。
そうだ、リンドブロム闘技場のシールドに似てるんだ。外なのに何かの中に閉じ込められているような、そんな感じ。
『マユ、見つけた!』
そんなベージュと藍色の隙間から、ハティがポーンと現れた。宙でくるりと一回転し、荒れ地にシュタッと降り立つ。
「ハティ!」
『マユ、ここ入れたの? すごーい!』
タタタッと駆け寄ってきてびょーんと飛び掛かってくる。ボフッと両腕で抱きとめると、ハティがすりすりと胸元に頬を寄せた。
「ハティ、体は大丈夫?」
『ン。疲れた』
「そうよね、まだそんなに時間が経ってないものね。回復できないわよね」
『でも、ここなら安全。少し、ゆっくりできるの』
ハティと並び、ゆっくりと赤い扉に向かって歩く。
本当に不思議な空間だわ。何かにそっと守られているような。
「ここどこ? フォンティーヌ邸の裏側よね?」
『んー、そう。おじーさんの、秘密の場所』
「おじーさん? アッシメニア?」
『違う。えーと……』
だいぶん言葉が上達したものの、上手く表現できないハティが焦れて私の周りをグルグル回る。
『白いお髭の、おじーさん。ここに、住んでたの』
「……初代フォンティーヌ公爵!?」
まさか、会ったの!? いったいハティ達って、何をどこまで知ってるの!?
これはきちんと腰を落ち着けて話を聞かないと、と私はロッキングチェアの前まで来た。
白い壁は、間違いなく旧フォンティーヌ邸の壁。この赤い扉から中に入れるんだろうけど、どう考えても情報収集が先だわ。
ハティが椅子に座っても大丈夫と言うので、ロッキングチェアに腰かけた。ゆっくりと背中を持たれかけさせると、周りの緑の木々が藍色の空に溶け込み、そしてその藍色の空からやがて淡いベージュの天井へと繋がる不思議な光景が目に映る。
足元に座ったハティは、思念と言葉を交えながらたどたどしく話し始めた。
この場所は、初代フォンティーヌ公爵が作った魔法の実験場。でも正確に言うと、フォンティーヌ公爵が切り開いた場所に、聖女シュルヴィアフェスが手助けして空間を広げ、
初代魔王の元へ赴き、その恩恵を授かり非常に長寿だった彼女も、人間としての死から逃れることはできなかった。
目をかけていた孫に知っていることをすべて託そうとこの地にたびたび訪れる。この赤い扉の向こうには、そうやって聖女シュルヴィアフェスが初代フォンティーヌ公爵に授けた、あらゆる叡智がつまっているのだ。
やがて聖女が亡くなり、ほぼ時を同じくして初代フォンティーヌ公爵も亡くなってしまった。生前、初代フォンティーヌ公爵は自分の孫娘にこの魔法の遺産を継がせたいと言っていたのだが、その遺志が孫娘に伝わることはなかった。
この素晴らしい聖女の叡智は行き場を失った。同時に、聖女シュルヴィアフェスの想いもこの地に取り残された。
独り残された魔王は彼女の想いを守るために、良からぬものに侵されることのないように、とこの地を封じ、自らは長き眠りについた。
聖女を愛した魔王は、この日を境に、完全に地上を放棄した。
* * *
「ふうん、そんなことがねぇ……」
とにかく、魔王が聖女シュルヴィアフェスを溺愛していた、ということだけはよーく分かったわ。
まさかジャスリー王子に『聖女を寄越せ』って言ったの、戦いで顔を合わせるうちに横恋慕したから、とか言わないわよね。
いや、どうもそれっぽいなー。聖女を手に入れた途端、魔獣を引き上げさせて完全に地上から手を引いたんでしょ?
世界に安寧がもたらされたのは魔王が略奪愛を決行したから、とか、他の人が聞いたらひっくり返るだろうなあー。
私ですら、ちょっと半目だもの。
歴史は女が作る、とかどこかで聞いた気がするけど、いろいろな意味で聖女シュルヴィアフェスはすごかったのね。それこそ手練手管に長けていたのかしら。
……と、古の魔王の行動力と聖女の魅力に感心して唸るばかりだった。
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