●ゲーム本編[7]・ミーアは覚悟を決める
魔導士学院の魔法実技場。
一週間後の実技試験を控え、ミーアは額に汗を浮かべて桃水晶の杖を握っていた。瞳を閉じて、口の中で詩を詠唱する。
ミーアと向かい合うようにして立っているのは、アンディ・カルム。子爵子息で、水魔法の最高呪文を極めた優秀な魔導士。
ミーアを最初に庇ってくれた青年で、少なからずミーアに好意を抱いている。
30cmほどしかない短めの杖を右手で持ち、アンディは宙に大きな丸を描いた。続けて中央に八角形と丸、それと古代文字が組み合わさった文様を書き連ねていく。
「……“
ミーアが呪文を発したのとアンディが宙の魔法陣の中央をついたのが同時。
ミーアの杖の先から炎が広がり、燃え盛る大きな狼の形になる。
アンディの魔法陣から水流が螺旋を描きながら立ち昇り、巨大な蛇の姿になった。
炎の大狼と水の大蛇が絡み合う。大狼の鋭い牙が大蛇の身体に、大蛇の身体が大狼に巻き付き、頭は大狼の首の後ろへ。
「……あっ!」
巻き付かれた大狼の炎の身体が大蛇の水によって消され、身体がベコリと凹む。そのまま大狼はボシュン!と姿を消した。
「駄目だよ、ミーア。粘らないと」
カルムが溜息をついて杖をパシッと左手の手の平に打ちつける。それと同時に、水の大蛇も忽然と姿を消した。
「ごめんなさい……」
「体力と精神力が続く限り再生し続けることができるのが模精魔法の利点だ。僕の水で火が消えてしまっても、また補えばいい」
「ええ、そうですね」
実技試験では、下流貴族は下流貴族同士でペアを組むことになった。上流貴族と違って自由に相手を決めることになっていたのだが、ミーアに真っ先に声をかけたのはアンディだった。
ミーアの炎で『魔獣フェルワンド』を、カルムの水で『魔獣サーペンダー』を作り出し、敵対したり共闘したり、在りし日の光景を再現するというのはどうだろう、と提案したのだ。
持続性の高い模精魔法だからこそ可能な演出である。
アンディは詠唱より魔法陣を得意としていて、地面ではなく宙に描くことができる。これができるのは彼以外にいないと言われている、とっておきの技。
ミーアは炎の魔導士としては至らないところも多く、彼についていくのは大変だ。
「……あ、と。こんな時間か」
教室の時計を見上げ、アンディが声を上げる。
「すまない、ミーア。今日は父の代わりにしないといけない仕事が急に入ってしまったんだ」
「あ、そうなんですね」
「一緒に帰るかい? この実技場はあと30分は使えるけど……」
「いえ、もう少し練習していきます。炎魔法は思い切り使える場所が限られるので」
「そうか」
「ありがとうございました」
ミーアは桃水晶の杖をギュッと両腕で抱えると、律義に頭を下げた。アンディはその他人行儀な態度に少し寂しさを覚えたものの、何も言わなかった。右手を上げ、颯爽と魔法実技場を出ていく。
「……さて、と」
ミーアの炎魔法の威力は凄まじいものがあるが、問題は持続力。ちょっと動揺するとすぐに形が揺らいでしまう。
シュッと
火を眺め、体内の魔精力を練る。ミーアは創精魔法でも炎を出せる。本番では
「……“
桃水晶の杖を振るい、横に一回転。ミーアの身体を取り囲むように炎の輪ができる。そのまま輪を広げたり、狭めたり。上に移動させたり下に移動させたり。
集中力が途切れば自らも焼きかねない、危険な練習。だからこそ、精神力が鍛えられる。
「……あっ」
カタンという物音と共に聞こえてきた男性の声に、ミーアがビクリと肩を震わせる。その途端に輪が縮まり、ミーアの細い茶色い巻き毛を焼いた。
「きゃっ!」
「ミーア!」
幸い髪を焦がしただけで炎の輪はすぐに消えた。激しい足音がして振り返ると、大公子ディオンがひどく慌てた表情で座席から実技場に駆け下りてきたところだった。
「ディオン様……」
「すまない、ミーア。修行をしているところに声を出してしまって」
「いえ。……それより、ディオン様はどうしてこちらへ?」
ディオンは聖者学院で各授業の見学をしてはいるが、魔導士学院まで足を延ばしたことは無い。
ましてや今は放課後で、授業すら行われてはいないのだ。
「魔法実技場を借りて練習している学院生がいると聞いて、こっそり様子を見に来たんだ。ちょっと時間が空いたものでね」
「……」
「五月蝿くしては駄目だろう、と供も置いてきたのだが。結局邪魔をしてしまったようで、すまない」
「いえ。……ディオン様にお会いできて、嬉しいです」
言い訳がましく早口で喋るディオンに、ミーアはふんわりと微笑んだ。
自主練習している学院生を見てみたい、と学院長であるディオンが考えてもおかしくはないだろう。
だけど実際にここまで足を運んだのは、それがミーアだったから。
そのことが分かって、ミーアは胸の奥がぎゅうっと鷲掴みにされたようになった。感情が溢れ出るのを堪えるように、キュッと口元を引き締める。
「相手は、アンディ・カルムだね?」
「はい」
「炎魔法と水魔法……相性が悪いように感じるのだが」
「そうですね。アンディ様の魔法に負けないよう、維持するのは難しいです。でもだからこそ、意味があると思っています」
公爵令嬢マリアンセイユ・フォンティーヌは、侯爵令嬢しかも次期侯爵となるクロエ・アルバードとペアを組む。
きっと、他の誰も真似できないような魔法実技を披露するに違いない。
ミーアが『聖なる者』候補として名乗りを上げるには、多少無理をしても、アンディの要求するレベルに応えなければならなかった。
「私には、魔法しかありません……」
「前もそう言っていたが」
「私に魔法の才能が無ければ、お父様に見つけてもらうことも無く、この学院に来ることも無く――ディオン様にお会いすることもありませんでした」
ぎゅっと桃水晶の杖を握ると、ミーアはじっとディオンの黒い瞳を見つめた。
「癒しの力の披露では、試験官の方々に強く印象付けることは難しいでしょう」
「しかし、ミーアにしか使えない魔法なのだろう?」
「はい」
このときばかりは、ミーアはしっかりと頷いた。
自らの身体を強化したり、癒すことのできる魔導士は他にもいる。
しかし他者を癒すことができるのは、ミーアだけ。
かつて聖女シュルヴィアフェスが、人間と魔物の諍いで双方を共に癒したように。
「でも、それだけでは駄目なんです。怪我した人を癒すのではなく、怪我をしないように守ることができなくては」
「……」
「私は、リンドブロム大公国を――ディオン様を、護り、支えたいのです」
ミーアは自分の恋心をしっかりと自覚していた。しかしそれは許されないことだということもわかっていた。
ディオンには、正妃となるべき女性がいるから。
もしミーアが彼女と並び立つとしたら、『聖なる者』になるしかない。
ディオンと出会う前は、父であるレグナンド男爵に言われたから学院に入学したに過ぎなかった。
自分を拾ってくれた父の期待に応えなければ、この世界で生きていけないから。
しかし、今は違う。
ミーアは自分のために、数多のライバルを倒し『聖なる者』になろうとしている。
その覚悟を、ついに決めたのだった。
ミーアのその固い決意は、ディオンにも伝わったようだった。
それでも彼は、学院長として、大公世子として、ミーアに肩入れするわけにはいかない。
ミーアも勿論、ディオンがそんな贔屓をするとは思っていなかった。ただ、自分の気持ちを――今は言葉にするのも憚られるその決意を、ディオンに示したかっただけだった。
言葉にならない何かが、二人の間で交わされた。
ディオンはゆっくりと頷くと、ミーアに右手を差し出した。ミーアはそっと、差し出された手の平に自分の左手を乗せた。
――ただ、それだけ。
ディオンはミーアを引き寄せることも無く、手を握ることも無く。
二人はそのまま、じっと見つめ合っていた。
いま二人に許されている距離は、それが限界。
それ以上縮めることは、お互いの立場上、到底叶わないものだった。
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