第2話 どうか気づかせないで

 クロエからミーアとディオン様の話を聞いた翌日から、ディオン様とシャルル様による聖者学院の授業見学が始まった。

 私とシャルル様で行っていた特別魔法科の魔法学・魔法実技の講義は無くなり、私は模精魔法科の授業で魔法を披露する許可をもらった。


 魔法実技試験では、クロエとペアになった。あの体育の授業のときみたいに『好きな人同士でペアを組んでー』システムだったらきっとぼっちになっちゃうわ、と焦っていたのだけど、講師の方で上流貴族同士でペアを組んでくれたので助かった。これで、クロエと多少一緒にいてもおかしくはないわね。


 ……こういう現実世界のどうでもいいことは思い出せるのに、どうして自分のことは思い出せないのかしら。

 ゲームが好きでハマっていたことは覚えてるわ、女子高生だったことも覚えてる。

 だけど、当時どう過ごしていたのかという具体的なことは何も思い出せない。どんな友達がいたのか、とかどういう会話をしていたのか、とか。


 まぁ、元の世界のことをあれこれ考えても仕方ないわね。今となってはどうしようもないんだもの。

 私はこの世界で生きていくんだから、この世界のこと――とりあえず現状を考えてみよう。


 ミーアとディオン様のことは勿論気になってるわ。二人の会話イベント的なものが発生しているのかしら、と休み時間を利用してあちこちウロウロしてみたのだけど(そして近衛武官に不審がられたのだけど)、全然見かけなかった。

 授業では勿論ミーアを見かけるし、授業見学に来たディオン様とも会う。だけど、二人が一緒のところは全く見ていない。


 二人の仲はどれぐらい進んでいるんだろう。それとも、そんなイベントは発生していないのかしら? ミーアも私と同じくかなりの数の講義を取っていたはずなので、そんなに自由に歩き回れる時間はなさそうだし。


 ――という私の認識は、とても甘いものだった。

 舞踏会から一週間後、私はシャルル様に呼び出された。



   * * *



「マリアンセイユ様。シャルル様が特別魔法科の講義室でお待ちです」


 4時限目が終わり教室を出ると、三人の近衛武官が私を待っていた。今日の日直の近衛武官と、恐らくシャルル様付きの近衛武官が二人。

 こんな大層なお出迎えをしなくても逃げたりしないのに、と思いながらしぶしぶ付いていく。


 講義室に入ると、シャルル様はソファに座って紅茶を飲んでいた。いつもはふんぞり返ってあまり行儀がいいとは言えない格好でいるんだけど、今日だけは前かがみで真剣な面持ちをしていた。私の顔を見ると、さっと左手を上げる。

 それを見た近衛武官とポットを持っていたメイドが、すすすっと足早に講義室を出ていった。完全に二人きりの空間になる。

 その途端、白いベールがサーッと私たち二人を取り囲んだ。


「マリアンセイユ。お前、兄上について知ってるか?」


 ベールが閉じると同時に、シャルル様が話を切り出す。

 白いベールは、恐らくシャルル様のシールド系の魔法。盗聴防止だ。

 人払いの上にコレか……。こんなことは初めてだし、嫌な予感がするわ。


「何がですの?」

「兄上がミーア・レグナンドと時々会っているらしいんだが」

「……え?」


 持っていたテキストを取り落としそうになって、慌てて右手に力を入れる。


「どこでですの?」

「お前も知らないのか。いや、舞踏会で兄上がミーアを助けたという話を最近聞いて……」

 

 それは情報が遅すぎると思うわ、シャルル様。

 まぁ、クロエも大公宮筋の極秘情報と言っていたし、シャルル様がミーアを気に入っていたのは丸分かりだったから隠されていたんでしょうね、きっと。


「どうやらそれ以降、時折顔を合わせているらしい。兄上に聞いたら、会ったのは事実だが待ち合わせた訳じゃない、たまたま何回か遭遇しただけだ、と言っていた」

「なら、そうなのではありませんの?」


 学院長として公平を期す、という考えを持っていたはずよ、ディオン様は。あれだけ頑ななんですもの、ディオン様がミーアに密会を持ち掛けるとは思えないわ。それならさすがに近衛武官が私に情報をくれると思うの。

 ミーアがディオン様のいる場所に現れる、ということでしょう。さすがヒロイン。


「呑気だな。前も言ったが、兄上だって男だぞ」

「存じてますわ。でも、その前に聖者学院の学院長でいらっしゃいます。『聖なる者』の選定において贔屓するとは思えませんわ」

「お前の関心ってそこしかないのか?」


 シャルル様がやや馬鹿にしたように吐息混じりの声を上げる。情報も持ってないし使えねぇ、とでも思ったに違いない。

 私だって気にはなってるわよ。だけど見つけられないんだもの。


 それに最近、クリスが授業後に話しかけてくることが多くてどうしても出遅れるのよね。

 どうやら最後の『野外探索』で私とパーティを組みたい、と考えているみたい。ロワーネの森で行われるらしいんだけど、『聖なる者』と聖女騎士団、それと近衛武官の選定も兼ねているから、貴族相手と言えど生半可な内容じゃないらしいの。


 クリスはいつもコンビを組んでいるベンに見放されたみたいなのよね。「ミーアとパーティを組むから」と言って。

 パーティは何人でもいいんだからクリスも連れて行ってあげればいいのに、と思うけど、ライバルは少しでも減らしておきたいのかしらね。


「大事なことですわ。わたくしは、ディオン様の婚約者としてではなく『聖なる者』になるために来たのです」


 あくまで毅然と、シャルル様に応対する。そんな些細なことで動揺していたとは思われたくない。私なりの矜持よ。

 何があっても婚約者の立場が揺らぐことは無い、とクロエは言っていたわ。だったら、気持ちの問題は後にして婚約者として落ち度のない行動をしなくては。


「俺は、ミーアを正室に迎えたい。兄上にはお前がいるから無理だ。でも、俺ならミーアを正室にできる」

「それは……わたくしからは何とも言えませんが」


 急にそんな告白を私にされても、困るわよ。

 そう言えば、シャルル様は大公位を狙っているのかしら。それとも、公爵位を賜って臣下に下るつもりなのかしら。

 ミーアを正室にしたい、というシャルル様の瞳は、随分とギラギラしている。ディオン様への対抗心も見える。

 大公の位を諦めた訳ではなさそうだわ。……危険な気がする。

 

「大公殿下には仰ったんですの?」


 大公家ではどういう話になっているのかしら、と思いながら聞いてみると、シャルル様は「ああ」と頷いた。しかしその表情は、ひどく悔しそうだ。


「だけど、それは保留になっている。『聖なる者』の選定が終わらないと何とも言えない、と」


 それはつまり、ミーアが『聖なる者』になった場合、シャルル様の正室になると都合が悪いからだわ……。

 かつてのジャスリー王子のように、『聖女の伴侶』が国を治めるべきではないか、と。そういう話になりかねない。

 リンドブロム大公国の初代大公は二人の子であるリンド・リンドブロム。しかし、まだ幼いリンドブロム大公を支えたのは、父であるジャスリー王子。最初の十五年ぐらいは彼の治世だったのだから。


 彼が『聖なる者』となったミーアを正室に迎えられるとしたら、大公位を諦めて公爵位を賜り、臣下へと下った場合だけね。

 でもまだ、そこまでの決意はない、とみた。野望も女も諦められない、と。随分と我儘ですこと。


「だから、お前が『聖なる者』になればいい、と思っている」

「そんな理由で推されたくありませんわ」

「まぁ、聞けよ。俺に考えが……」

「聞きたくありませんわ。わたくしにもプライドはありますのよ」


 シャルル様の自己中心的な考えに、本気でイラっとする。

 ミーアを妃にしたいからミーアを『聖なる者』にしたくない、だから私になってもらいたい、ですって?

 馬鹿にしないでちょうだい。


「よく考えろよ。俺とお前が組めば、思い通りになるんだぞ?」

「悪巧みに乗る気はありませんわ。だいたい、シャルル様はミーアと話をしたんですの?」

「……してない」

「ミーアの気持ちがどこにあるか、確認したんですの?」

「してねぇけど」

「まずはそれが先じゃありませんの?」

「怖いんだよ、それが一番!」


 ダンッと目の前のテーブルを叩く。ガチャンとカップが揺れて、中に残っていた紅茶の雫が辺りに飛び散った。


「もし好きじゃないって言われたらどうすんだよ」

「好きになってもらう努力をすればいいんじゃありませんの?」

「そういうもんじゃねぇだろ! だからお前は分かってねぇって言うんだ! この国のことも、大公家のことも!」


 シャルル様の血走った目に睨まれて、思わず息を呑む。


「自分が好きだと思える相手と出会えること自体が、本当に無いんだぞ!」


 シャルル様は――本気でミーアに恋をしている。

 表情を見て、そう思った。大公の位を狙っているから『聖女の再来』と言われているミーアを手に入れたい、とかじゃなくて。


「好きな相手に拒絶なんてされたら、もう何もできなくなるぞ。気があるかもしれない、そう思えるうちに手に入れる算段を取って何が悪い!」

「努力するのは悪いことではありませんが、裏で画策するのは間違っていますわ」

「綺麗事だな。ふん、その気になれば好きな相手と結婚できる貴族はいいよな。大公家には、それは許されていない」

「……」

「ああ、それは兄上も同じか」


 シャルル様が意地悪な笑みを浮かべた。

 つまりディオン様は私を好きではない、と。大公殿下に言われたから私を婚約者にしているだけで。そう言いたいんでしょう。

 言われなくてもわかっているし、別に傷つきはしないわ。

 私だって――もう相手を選べなくなっているのだから、お互い様よ。


「そうなりますわね」


 それが何か?とばかりに眉一つ動かさず言ってのけると、シャルル様はやや驚いたような顔をした。

 私がショックを受けるところを見たかったのかしら。趣味が悪いったら。


「お前はそれでいいのか? 兄上はお前のことなんて何とも思ってないんだぞ?」

「構いませんわ。ディオン様のお気持ちが無くとも、わたくしが婚約者です。大公殿下のお告げにより定められた正妃です。その事実は覆りませんわ。――私が立ち続ける限り」


 すっと右手を上げて白いベールに触れる。


「これを解除してくださいな。これ以上の話し合いは無意味ですわ」

「お前は恋愛してないもんな。まぁ、できないか」

「……」

「会えなくて淋しい、とか。話ができて嬉しい、とか。そういうの、一生分かんねぇんだろうな」

「……っ」


 黒い家リーベン・ヴィラでの二年間の思い出が蘇って、喉の奥がキュウッと狭まったようになる。


 知ってるわよ、そんな気持ちなら。

 でも、認めないわ。セルフィスを待っていたなんて、私は認めない。


「何と仰ろうが、私は正攻法しか取りません。シャルル様に協力することはできませんわ」

「正攻法……ね。がむしゃらにやれってか」


 シャルル様がふっと息をつき右手を上げる。ブゥンと音がして、白いベールが翻り、跡形もなく消えた。フッと、肩から力が抜ける。


「シャルル様を応援する気持ちはありますわ。真っすぐに向かわれるのなら、協力できることはいたしますわ」

「お前の手なんか借りない」


 さっきは裏工作に協力しろって言ってたくせに!

 ……でもまあ、思い直したのなら良かったわ。


「失礼いたします」


 シャルル様に一礼し、講義室を出る。当番の近衛武官が黙って後をついてきた。


 きっと、いつになく足早の私を、不思議に思っているに違いないわ。

 私自身も、不思議でならないもの。


 シャルル様の言葉に傷ついた訳じゃないのに、なぜか泣きそうになっているから。

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