第4幕 収監令嬢は狼と仲良くなりたい
第1話 もう1回ちゃんと調べるわ
ハティと会ってから、一か月が経った。
アイーダ女史と共に、久しぶりに旧フォンティーヌ邸へと向かう。
あー、ぬるっと第4章が始まっちゃったわね。季節は夏真っ盛り、太陽も私もギラギラしてるっていうのに。
何しろあれから、特になーんにもなかったからさあ。
ハティともあれ以来、ちゃんとは会ってない。夜に、たまたま碧色の瞳が光っているのを見かけてギョッとしたことはあったけど、ハティは森の奥にいてそれ以上は近づいてこなかったし。
ここ一か月はね、オルヴィア様の魔物事典を読んでたの。カラフルなイラストも楽しいし、生息域や特徴だけでなく
『ヒスポクリスの毛は弓の弦に向いている』
という豆知識はためになったし、
『インペリアの肉は焼くと美味い』
という予想外のコメントに笑ったりできたし。
魔物食べるんだ、この世界……。
そうして魔物事典も一通り目を通したので、アイーダ女史にお願いして久々にフォンティーヌ邸に来ることにしたの。
とは言っても全部を覚えられてはいないけどね、さすがに……。オルヴィア様、すごいなあ。
まぁ繰り返し読むことにして、一度気分転換、といったところかな。
何しろ、まだ例の隠し部屋の謎は解けていない。
置いてあった本――初代フォンティーヌ公爵の日記はもう読んでしまったけれど、他に何か見つかるかもしれない。それにどこか見落としがあって、そのせいであの壁の奥に進めないのかもしれないし。
以前と同じように、アイーダ女史は玄関ホールで待機。私はもう一度図書室を調べ直した……のだけど。
「うーん、やっぱり駄目だなあ」
くたびれてしまい、ゴロン、と若草色の絨毯に寝転がる。押したり引いたりしてみたけど本棚は動かないし、隠し扉のようなものも見つからない。
「絶対、何か見落としが……」
思わず独り言を呟きながら、白い天井と豪華なシャンデリアを見つめる。
……そうだ。
ひょっとすると、二階から下に降りるのかも。
例の場所の真上は、公爵の寝室。公爵が誰にも見つからないように下に隠し部屋を作った、とかかもしれない。
ゲーマーの私としたことが、平面でしか考えていなかったとは。
私はすっくと立ち上がると、急いで廊下に出た。
端にある階段を昇り、二階の廊下の突き当たりにある公爵の寝室に入る。
マットも布団も天蓋もなく、柱と枠組みだけが残されたキングサイズのベッド。他にチェストやソファなども置かれていたようだけど、跡が残っているだけで他には何もない。
こんな大きなベッドは動かせないだろうから、床のどこかにパカッと開く部分があって、下への階段が現れるかも。
そう考えて床に這いつくばり、絶対に見落とすまいと目を皿のようにして隅から隅まで探したけれど……やっぱり何もなかった。
こうして床と密着していると、嫌でも下から立ち昇ってくる魔精力の気配が感じられる。
なのに、何も見つからないなんて……。
「はぁーあ」
ペタンと床に座り込み、大きな溜息をつく。
ふと北側の大きな窓を見る。填め殺しになっていて、外の景色は見えるけど下を覗き込むことはできない。
つまりはバルコニーもなく、ここから外の階段を下りて一階へ、という訳でも無さそうだ。
でも……そうだ。確か、一階の大広間から外には出れるようになっていた気がする。カーテンがかかってたけど、その向こうは窓があって、バルコニーみたいなものが見えていた。
階段もあって、ちゃんと庭に降りられるようになっていたわよね。きっとガーデンパーティとかもあったんだろうな、と漠然と思ったんだっけ。
猛然と立ち上がると、私は大急ぎで部屋を出て階段を駆け下りた。図書室の前の廊下を走り抜けて玄関ホールに到着すると、私の足音に驚いたらしいアイーダ女史と目が合う。
「マユ様、何事です。いくら身軽な格好をしているとは言え、令嬢が廊下を走るとは!」
「ごめんなさい。ちょっと本を読んでたら疲れちゃって、身体を動かしたくなったというか」
一階の奥に隠し部屋があること、そしてその隠し扉を探していることは、アイーダ女史には内緒にしている。
気づいたのがちょっと後だったし、女史は図書室に入ることにあまりいい顔をしていないのだ。古の魔精力が漂う部屋に長居して、もし私の体調がおかしくなったら、と心配してるんだと思う。
だから「大丈夫だよ」と何回言っても、この屋敷に来るときは必ず同行する。
「もう帰りますか?」
「ううん。あのね、大広間から庭に出てみてもいいかな?」
「庭、ですか? それは構いませんが。ただ庭には全く手を入れていませんから、草が……」
「ちょっと歩き回りたいだけ。草刈りでもしようかな」
「何をバカなことを……」
「あ、アイーダ女史はここにいて大丈夫」
ついて来ようと立ち上がる女史を、左手で制する。
玄関ホールの隅に設置したアイーダ女史用の机には、何やらたくさんの書類が散らばっていた。
もともとこの旧フォンティーヌ邸を含む諸々の管理はアイーダ女史の仕事だった。本邸との連絡や公爵への報告、牧場関係などその仕事内容は多岐に渡る。
そして最近は、ブラジャー製品化企画にも携わってもらっていた。いよいよザイラ様が本格的に始めることになって、発案者である私の利権分の報酬をどうするか、という交渉段階に入っているのだ。
今まで私たちが生活していくうえで必要なものは、すべてフォンティーヌ公爵本邸から送られてきた物資で賄っていた。
アイーダ女史が必要と感じた物を申請して、それが認められればこっちに届けられる仕組みなんだけど、それだととにかく時間がかかるのと、こちらの意向は全く反映されていない物だったりして都合が悪い。
そして現金を全く持っていないというのは、いざというときに本当に困る。
それでアイーダ女史は、このブラジャー販売に関する契約をザイラ様ときちんと結び、現金を得る手段にできないか、と考えたみたい。
ザイラ様も私の名前を一切表に出さずに商売することには罪悪感があったみたいで
「どんな援助でもするわ。何でも言って」
とは言ってくださっていた。
とはいえ、その言葉にどう甘えたらいいか分からないし、曖昧になってたんだけど……。
でも、事業を手掛けているのはザイラ様で、こちらから報酬を要求するなんておこがましいかもしれない。だから事業内容をちゃんと把握しておきたい、とアイーダ女史はザイラ様からいただいた資料を確認しているの。
そんな訳で、女史は今、めちゃくちゃ忙しいのよね。
前から思ってるんだけど、いつまで私の存在を秘密にしておくつもりなのかな。目覚めてもうすぐ2年になる。私の魔精力は完全に安定しているし、存在をオープンにしてもう少し本邸から人を寄越してくれればいいのに。
「お仕事忙しいでしょ? 庭がどうなってるか見たいだけだから、気にしないで」
「あくまでお庭だけですよ? 森には入らないでくださいね?」
「うん、わかってる」
心配そうに私を見るアイーダ女史に「大丈夫だから」ともう一度念を押し、私は大広間の扉を開けた。
えーと、この大広間は後ろに飛び出している形だから、庭に出て東の方にぐるりと戻る道がないかどうかを調べればいいのよね。
自分で描いたマップを頭に思い浮かべながら、一つのカーテンをめくる。白いバルコニーが見える真ん中の窓が、バルコニーに出る扉になっているようだ。
グッと押してみると、思ったよりすんなり開いた。何百年も開けられてなくて錆ついてたらどうしよう、と思ってたんだけど、メンテナンスの時に換気ぐらいはしていたらしい。
白いバルコニーは石でできていて、表面が塗装でザラザラしている。小さい階段を使って庭に降り、くるりと振り返ってお屋敷を見上げた。
裏から見ても立派なお屋敷だなあ。飛び出している大広間の部分は、屋根がドーム状になっていてアジア系の宮殿を思わせる。
……とと、そうだ、例の部屋はどうなってるか見たいんだった。
庭は草ぼうぼうで私の太腿ぐらいまでの高さになっていた。若干歩きにくいけど、サロペットだしどうってことはない。草で汚したりしたら、ヘレンにはまた怒られるかもしれないけど。
「……うーん」
東側に回り込んでみたけど、庭はそこで途切れていた。わたしの身長ぐらいの高さまで石が積み上げられて作られた塀があって、その奥は背の高い樹木がいっぱい生えている。塀と樹が邪魔で、例の部屋辺りは全く見えない。当然、外から入れる扉があるかどうかも分からない。
ゲーム的には、例の部屋に繋がる抜け道とかありそうなんだけどなあ。でも塀を越えてこの樹々を抜けるとなると……アイーダ女史の言い付けには背くことになっちゃうわよねぇ。
うーん、どうしよう……と腕組みをして考え込んでいると。
ふわっと、土埃が混じった風が漂ってきた。
違う、これは魔精力だ。ハティに初めて会った時にかなり近い感じだけど、あのときより活きがいいというか動きが活発だ。
一応抑えようとはしているらしい。だけど思わず漏れちゃいました、みたいな。
「……!」
バッと振り返ると、ガサッと草の音はしたものの何もいなかった。
いや……いる。草の陰で寝そべっている、多分。
「……」
もう一度塀の方に向き直り……と見せかけて、すかさず振り返る。
立ち上がりかけていた魔精力の主が、ビクッとして伏せをした。何だか『だるまさんがころんだ』みたいだなあと思いながら、よく観察する。
私の今いる位置からは10mほど後方。どうやら奥の森から庭に侵入したようだ。草の中を這いつくばって移動していたらしく、緑色の雑草の中から灰色の毛が見え隠れしている。
「隠れても無駄だよ。そこにいるでしょ」
ハティかな。会いに来たのが見つかって恥ずかしいのかな。
そう思いながら話しかけると、灰色の毛がビクッと震えるのが見えた。
「ねぇ、出てきてよ。もう分かってるんだから」
本当に照れ屋さんなんだねぇ、と思いながら再度声をかけると、その灰色の毛玉から大きな耳がひょっこりと顔を出し、狼の顔が現れた。じっと私を見つめる、碧色の瞳。
耳には銀色の3連ピアス……と、まんまハティと同じ姿に見える。
……だけど。
「違うね。ハティじゃない。キミ、誰?」
敵意は感じない。だけど、明らかにハティとは様子が違う。ハティはいつも、どこか怯えたような雰囲気だった。
それにハティの隠蔽は、本当に完璧だったし。こんな風に魔精力を漏らすなんてことは無い。
タダモノじゃない
嫌でも、私の背中に緊張が走った。
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