第10話 今までで一番痛いデコピン
静の目の前から氷央が消えている。
「氷央ちゃん!?」
氷央は……いない。
人を死なすまではしないという選択をしたのだろうか。静を死なせないために。
静がポロポロと涙をながす。
地面にいくつも、静かの涙の後ができる。
しかし……、静がふと自分の手に目を落とすと赤い糸が巻き付いている。
氷央の声がする。
「ここに、いるんだけどッ!」
手のひらに乗る程に小さくなった氷央が、叫んでいる。
そっと氷央を手にのせ、ただ静は氷央を見つめる。
「何よ!? 顔!? この姿じゃ不満なわけ!?」
静は大きく首を横に振る。
氷央がいる! 生きている! 静はさらにボロボロと、涙を流す。
「ううん……、全然いい! 可愛い! だって俺のために、その姿なんでしょ?」
「別に、あんたのためじゃないわよ……」
「俺のために……! 氷央ちゃんはどんなんでも、めちゃくちゃ可愛い!!!」
あまりに、真っ直ぐな言葉の数々に、氷央は、戸惑ってしまう。
「それに、長生きの氷央ちゃんに比べて、俺の方がすぐオッサンになって、おじいちゃんに、なっちゃうから……。俺の方が、すぐに、こんなに可愛くなくなっちゃうと思うんだ!」
「……。自分で可愛いとか、引くわ! オッサンになったらイヤよ。いらない」
「ひどくない!? 氷央ちゃんが嫌でも、俺、一生、氷央ちゃんといるから!」
また、飛び出してくる真っ直ぐな言葉。
氷央は耐えられず、少し静から目をそらす。
「あ! 今、少し照れた!?」
「照れてないわよ! うるさい! オッサンになったら、若い子にすぐ乗り換えるから!」
「ひどい!」
そこへ、聞き慣れた声が、静の耳に入る。
「静ッ! その鬼女をこっちへ渡せ」
紅子が鬼の形相で、手をこちらへ向けている。
静は怯え、さっと隠すように、守るように、氷央を優しく手で覆う。
「本物のオニババだッ!」
静の言葉に紅子がギョッとする。怒り心頭で、紅子が叫ぶ!
「黙れ、静! なんて口をきく!!!」
「怖いーー!!! 氷央ちゃんは絶対に渡しませんからね!」
静が氷央を大事そうに包み隠すようにしながら、ふらふらと逃げていく。
紅子が中腰になって立ち上がろうとする。
「紅子! その体じゃ無理だよ」
静と氷央を追いかけようとする紅子をトラ子が止める。
去っていく静をじっとりと、見つめている紅子。
思いつめたような、苦しそうな紅子の横顔……。
届かない想いを秘めたような、その横顔。
トラ子は、何かに勘付く。というか、真珠男子にそんな描写があった! 正に、そのものな気がする! ドキドキしながら、思わず紅子に聞いてしまう。
「紅子…もしかして?」
「なんだ?」
「静のこと……えーっと、好きだったりするだか?」
「……」
紅子の顔が少し、ドキッとしたように強ばる。
「何を言ってる。鬼女を捕まえる命令が出ているだけだ。私は私の仕事を遂行しようとしただけだ」
いつもの冷静な紅子だと思い、トラ子は自分の勘違いだったと思う。やはり、真珠男子は所詮物語。現実と混同してはいけない……。フフッと笑いながら、トラ子は紅子に詫びる。
「そうだか。そうだよ。静はないだよ。美人でクールな紅子が、静なんてことは! 抜けてる静なんてことは! あははは! 勘違い、勘違い、ごめ」
紅子がトラ子の言葉に食入り気味に反論する。
「そんなっ! そんなことはないッ!!!」
大きな声に驚き、トラ子は紅子の顔を見る。
トラ子に見られている紅子。やがて紅子の顔が気まずそうに、どんどん赤くなる。
やはり、紅子は、そうなのか。真珠男子はすごい! そして、トラ子の頭の中で、あらゆることが一致してくる。
「そうか、そうか…。
円先生と仲いいってのもあるだろうけど、そもそも部下の兄の家にしょっちゅう来るのもなんか変だし……。
あー、なるほど!
厳しい態度をとるのも、可愛さ余って? 照れ隠し?
あー、繋がる、繋がる……。あー、そういえば、あの時……」
スラスラと繰り出されるトラ子の推理。恥ずかしさに耐えきれなくなった、紅子が、トラ子の額に、思い切りデコピンする。
『ゴツン』と、鈍い良い音がしたあとトラ子が額を手でおさえて、うずくまる。
「イッデッ!!! 今までで、一番痛いのくらっただよ! デコピンうますぎるだよ〜」
トラ子の異変にガマ吉が気付く。人の姿のガマ吉が、さっとトラ子を守るように、紅子の前に立つ。
「トラ子に何にするんだ!」
ガマ吉に指をさして、紅子が苛立ち叫ぶ。
「黙れ! 過保護妖怪!」
片手を額にあてたトラ子が、紅子を気遣い、仲裁にはいる。
「ガマ吉、オラは大丈夫だ! い、いろいろあるだよ。紅子は…しつれ…」
トラ子が真相を言いそうになるのを、紅子が叫んで防ぐ。
「黙れ! マセガキ!」
急に、紅子が取り乱し始めたので、円が困惑する。
「なに、なにッ!? 何事!? どうしたの? 紅ちゃん」
「黙れ!………うっ」
何か言おうとするが、悪口も思い浮かばず、紅子がため息をつく。
うなだれた紅子は、空を見上げる。
自分のざわついた心とは正反対に、雲一つないキレイな、青空。
そして呟く。
「……とりあえず、医者に行く」
少し落ち着いた紅子に、トラ子は安心する。
「そ、それが、いいだな!」
ガマ吉と円は、紅子の変わりように、まだ困惑している。
「えー! どうしたの!?」
「さっぱり分からない……」
ふらふらと歩きだす紅子を追いかけるトラ子が、振り返っていう。
「もう! 二人とも、真珠男子をもう一度、ちゃんと一巻から読みたまえ!」
ーーー
数日後、紅子は、署内の会議室に呼ばれる。
十名程の幹部達がずらりと丸テーブルを囲む。
静と氷央の消息は分からない。いや……、本当は分かっている。分かりきっている。
出勤してこない静のことも、うまく処理してある。
自分が甘く、匿っている奴ら含め、そこを読んできているのだろうなと、紅子はため息をつく。
腕に包帯を巻いた紅子が、姿勢を正す。
気を取り直し、一連の事件を報告する。
一人の男性幹部が紅子の報告を聞き、紅子に告げる。
「君も聞いていると思うが、鬼女は検討違いだった。ある団体が自分達の仕業だとご丁寧に声明文を送ってきた。鬼女作戦時と思わしき時間にも、遺体が出てきている。この遺体は鬼女とは結びつけがたい。つまり、この声明文は真実。鬼女の犯行ではない」
紅子が深く頭を下げる。
「申し訳ありません」
男性幹部が続ける。
「撤退体制の確保等、作戦としては十分だった。犯行が鬼女であるとの判断は我々。加えて、鬼女の力の把握が弱かったことも、こちらの責任といえる。
鬼女の力が、これ程とは……。
傀儡は手に入れるべき。それに比べ鬼女の力は時代遅れだと判断したいた。
だが、文明の世においても、鬼女は使える。鬼女も確保したい」
「はい」
「傀儡の目撃情報があった。何か情報は?」
紅子は少しの迷いもなく答える。
「ありません。少しでも何かあれば報告します」
「傀儡は少女を連れているかもしれない。生きていれば年は13歳。名は『
「……椿。了解しました。その少女と傀儡の関係性を把握しておきたいのですが」
「それは君が知らなくていいことだ」
「はい……。失礼しました」
『椿』という名に紅子は混乱する。傀儡と一緒にいる少女の名は『トラ子』だ。しかし、年齢は一致している……。どういうことだろう。が、それらの考えを、悟られないよう、紅子はひとまず聞き流す。
「君の処分だが」
「はい。降格も覚悟しています」
「今回は無しとすることで決まった。君をその若さで今の地位につけているのは、君の学力、身体能力の高さだけではない。妖怪への執念に期待しているところが大きい。そこには、今、君の置かれている境遇も入っている」
「……はい。ご容赦頂き、感謝いたします」
紅子はまた頭を下げる。床を見つめる紅子の沈んだ瞳には、深い覚悟が見える。
第2章
「鬼女 氷央」おわり
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