第95話 緊

 

「柘榴先生は?」


 問いかけて、答えない職員は不必要である。


「猫先生は?」


 働きかけに、応えない大人は不要である。


「「どこだ」」


 メリケンサックを赤く染める。


 流海の拳の皮膚が剥ける。


 私は片割れ君と背中を合わせ、蟻のように湧いて出る抑制員達と対峙していた。


 流海と空き部屋から出る前、伊吹には連絡を入れた。流海を見つけたと伝えれば伊吹の声は明るくなったので、相手の人の良さが垣間見えたな。嫌になる。


 伊吹と話す間、流海は私の腰に腕を回して頭に頬を寄せていた。無表情の流海は何か言いたげだったので、私は片割れの頬を撫でて伊吹との通話を直ぐに切ったっけ。


 その後、息を整えて廊下に出れば抑制員の増員が来るわ来るわ、笑えてくる。殴りながら流海も私も問いかけているが、誰も答えをくれない現状だ。


「ねぇ、なんで猫先生だったの? 猫先生って抑制部署長でしょ? 同僚であり上司じゃないの?」


 流海が黒い服を纏った相手の胸倉を掴む。額の切れた相手は脱力気味に流海を見つめ、片割れは相手の顔は見ていなかった。


「おれ、達が……ヤマイに従う訳、なぃだろ」


「なら、どうして肩書きなんて与えていたのさ」


「……監視、だよ」


 抑制部署の奴が流海の手首を掴む。私は片割れに迫った別の職員を殴り飛ばし、背後で流海の声に棘が増えた。


「はぁ?」


「上に立つ、者、は……孤独に、なる。パナケイア、に、残ることを、選んだヤマイ、が、俺達に混、ざるなら……最も、こ、どくな、立ち位置で、抑制、し……ぉれ達は、有用な、ヤ、マイを、観察する……あれは、飾りの長、だ。従えてぃ、た、のは、アイツじゃない……俺たち、だ」


 骨の折れる音がする。


 私は後ろを確認することなく、流海の荒くなった呼吸を聞いていた。


 上は孤独。実働部隊ワイルドハントを抜けたにも関わらず、パナケイアに居続けた一人のヤマイ。


 猫先生、貴方は何を思ってそこに立っていましたか。

 自分を実験台にしか見ていない同僚なんて、部下なんて、息苦しくはありませんでしたか。

 味方のいない場所で、貴方は毎日戦っていたのでしょうか。


 そんな素振りなかったのに。そんな顔しなかったのに。


 あぁ、大人って凄いね、先生。隠すのが上手だ。隠し事があることだって気づかせないんだから。


 流海以上に上手。子どもなんて比にならない。


 私もそんな大人になれるだろうか。心を貫ける人になれるのだろうか。……大人になることが出来るのだろうか。


 分からないから教えてよ、猫先生、柘榴先生。だって先生達は「先生」なんだから。


 私と流海の親になってくれないなら、私達の先生で居続けてよ。


 私はメリケンサックの血振りを行い、笑わない職員の喉を掴んだ。鳩尾にいい一発が入ったが話せはするだろ。話せよ。


「霧崎柘榴先生はどこですか。彼女は貴方達と同じヘルスでしょ。なぜ傷つけたんですか」


 憎らし気な抑制員の瞳を見つめる。奇遇だな、私も同じ目をしているだろう、害悪共が。


 眉間に皺を刻んだ大人は、静かに瞼を閉じていった。


「……裏切り者は、罰を、うけるもの、だ……」


 体温がじわりと引いていく。


「きりさき、柘榴は……ヘルスで、ありながら、ヤマイに近づきすぎ、た。あれは、きっといつか、ヤマイに……魅入られる。あれの心は、既に、ヤマイと同じ、場所に……ある」


「物みたいに言ってんじゃねぇぞ」


 気づけば拳が飛んでおり、私が掴んでいた大人から力が抜ける。私の心臓は早鐘を刻み、血液を洪水を起こしそうな勢いで全身へ回していた。


 熱い感情で指先が揺れる。

 喉が震えて痛くなる。


 開いた指先から大人は滑り落ち、床に重たく倒れ込んだ。


 皮膚が熱くなって汗が滲む。私は、周囲に立っている抑制員がいないことを確認し、無意識の内に後方へ手を伸ばした。


 そうすれば指先に温もりが触れる。少し硬くなった指を握れば、流海が深く息を吐く音を聞いた。


「探そう、涙。先生達を」


「あぁ、探そう……見つけよう」


 たとえ、どんな状態になっていたとしても。


 私は流海と揃って顔を上げ、後ろの角から足音がすることに気が付いた。


 流海が手を引き、私達は角から見えない死角に入る。メリケンサックを握り直し、流海は擦りむけた拳を振った。


 足音からして、相手は三人。初撃で決めるか、捕まえて先生達の場所を吐かせるか……。


 私は微笑んで流海と目配せする。片割れは小さく頷き、鎖の音が微かに響いた。


 捕まえて先生達の居場所を吐かせた方が効率的。


 言葉なくして意思を決める。一人いれば十分、残り二人は潰す。


 近付く足音を聞き、私は凪いだ感情でタイミングを見計らっていた。


 あと数m、あと数秒。


 ご……よん……さん……に……


 いち


 息を止めて死角から飛び出す。相手のタイミングをずらし、襲撃には成功しただろう。


 拳を叩きつける行動に出る。一人目は潰そうと決めて。


 そんな私の視界には、灰色の柔らかい髪が映った。


 あ、


「おまッ」


 止められない体勢だったので、そのままメリケンサックで殴りかかる。私が殴ろうとした相手――伊吹は冷や汗を落としながらトンファーで受け止め、私の腕には痺れが走った。


 躊躇ためらったけど、受け止められるとは思わなかったな。これは悔しい案件。


 視界の端には流海が映る。二人目を潰す気でいたから。


 片割れは小さく「あ、」と零しながら、伊吹の隣にいた黒髪――竜胆に殴りかかっていた。


「る、か、くッ!?」


 抜き身のサーベルを持っていた竜胆は目を丸くし、流海の拳が頬を掠めていく。蜂蜜色の瞳は零れんばかりに見開かれ、流海はサーベルの軌道を追っていた。


 片割れは後方に跳び、私の背後で踵を返す。背中合わせになった私達に対し、肩で息をする伊吹の声が飛んだ。


「お、まえら双子はアサシンか忍者か!? なに目指してんだよ!! 気配どこに落としてきた!!」


「いや、敵だと思ったので」


「一人残して二人は潰そうと思ったんだ」


「びっくりしたぁ……」


 肩を脱力させる竜胆を横目に、伊吹に頬を掴まれる。五指でギリギリと頬を挟まれているせいで変顔の完成だ。手袋越しでも伊吹の手は冷たい気がした。いやそれはどうでもいいか、離せよ灰色。


「い、伊吹さん、涙さんの顔が……」


 伊吹と竜胆の間から紫の髪――朝凪が顔を覗かせる。私は目を瞬かせて、伊吹の手首を流海と一緒に叩き落とした。何やら痛そうな素振りをしているが無視である。


「ほんと、お前らの息が合わねぇ時とかないのかよ」


「あると思ってるんですか?」


「あると思ってるの?」


 流海と声を揃えて首を傾けておく。顔を上げない流海は再び私の背後に回り、慣れ親しんだ背中合わせになった。


 私の視線は、呆れている伊吹から眉を下げている朝凪へ向かう。彼女の手にはロング・ボウと職員のIDカードが握られていた。……。


 朝凪は私の視線に気づいたようで、IDカードを両手で持って見せてくれる。


「じ、実は、先に永愛が持っていまして……」


「いばらちゃん、IDカードが必要って言ってたから。合流できて良かった」


 竜胆が朝凪に対して笑いかける。私に向いていない笑顔を見た後、自然と目線は彼の持つサーベルに向かった。


 血振りはされているが、赤く汚れた二本の刀。竜胆の靴にも血痕は残っており、酷く笑顔が不釣り合いな格好だと感じてしまった。


 お前、アテナではそんな血だらけにならないだろ。


「殺してないよ」


 竜胆の声がして、私は視線を上げない。たぶん、今のコイツは微笑を我慢できないだろうと予想できたから。


 人当たりの良い声で放たれた言葉は、私を安心なんてさせなかった。


「永愛、顔」


「ぇ、あ、ごめ、」


「平気です。見てませんから」


 気遣った伊吹を静止し、私は朝凪に視線を戻す。彼女は真剣な顔でそこにいるから、私は何も言葉を選べなかった。


 ――裏切り者は、罰を、うけるもの、だ


 抑制員の言葉が頭をよぎる。


 私は薬の入った小さな鞄を撫でて、その手を流海が握ってくれた。


 ……何も言わないよ、何も伝えない。


 私は何も、間違ってないから。


 私は流海の手を握り返し、片割れの声に耳を傾けた。


「ここに伊吹君達が来たってことは、先生達は上にいなかったってこと?」


「あぁ、それらしき部屋も無かったしな……流海、お前は平気なのか」


「平気だよ。鎖は邪魔だけど、怪我も大したことないし」


 流海が背中越しに手を振る。軽く揺れた鎖に指を触れさせれば、冷たい金属に熱を奪われる気がした。


 私の耳には、安堵に染まった竜胆の声がする。


「無事で良かった。まさか、パナケイアに地下があるなんてね」


「そうだね。調べれば面白いさびがたくさん出てきそう」


「錆、と言いますと……?」


 朝凪が不思議そうに首を傾げる。周囲を確認する彼女は、ヒビの入っている壁や壊れた照明器具を気にしているらしい。


 私は壁に手をついて、まだ耐えてくれるかと予想した。


「話は後にしましょう。私と流海のヤマイで、建物に結構な損傷を作ってしまいました。先生達が上にいないなら地下にいる可能性が高いですし、崩れる前に」


「だな。俺達が来た方向から二人も来たのか?」


「はい。なのでまだ、この奥の部屋は見ていません」


 パナケイアが広いと言っても、カタカナのロの造りをしている以上探す範囲は限られている。私は地下出入口から右回りに進行し、既に二回角を曲がった。伊吹達も同じ方向から来た以上、見るべきは残り一辺と半分と言った所だ。


 私達は流海を先頭に進み始める。微笑んで片割れを見れば、流海の視線は一瞬だけ竜胆達の方を見た。


 あぁ、そうだね。


「伊吹」


「竜胆君」


「「さっきはごめんね」」


 襲撃を謝ってから走り始める。伊吹達がどんな顔をしているかは知らないが、悪いと思った事は謝っておくさ。そう思うから。そう、育てられたから。


「ほんと……憎めない双子だよ、流海と空穂は」


「だね。こんな状況だし、二人の対応は正しかったと思うよ」


「そう言われますと、」


「なんだからちょっと、」


「「謝り損な気分」」


「なんでだよ」


 後頭部を軽く伊吹に叩かれる。私は口を結んで視線を逸らし、前を走る流海が「伊吹君」と低い声を出していた。


「涙にちょっかいかけないで。怒るよ」


「もう怒ってんじゃねぇか……」


「怒ってる流海もかぁいいなぁ」


「涙の方が可愛い」


「わぁい」


「砂糖煮詰めたみたいな会話やめろ頼むから」


 伊吹に嘆息され、何故だか肩から力が抜ける。


 隣を見れば灰色の目と視線が合い、彼は何も言わずにこちらを見つめていた。


 ……落ち着かねぇな。


「涙、前」


 流海の声に呼ばれ、速度を上げて片割れと並ぶ。つい数分前に倒したと思った大人が起きかけていたので、流海と一緒に顎を蹴り飛ばしておいた。


 あ、前歯飛んだ。


 まぁいいか。歯の一本くらい、命に比べたら軽いだろうよ。


 私と流海は互いを見ずに手を打ちあわせ、走ることは止めなかった。


「うわぁ……なんか、いつも通りの二人だね」


「心強いわ、とても、ほんと」


 竜胆と朝凪の声を何となく拾う。


 いつも通り。いつも通りか。


 私のいつも通りは、隣に流海がいることだけだったのに。


 柘榴先生も猫先生も近付けたくなくて、朝凪達と仲良くなりたくないと願っていたのに。


 朝凪達にとっては既に、私と流海が先頭を走ることが当たり前なのか。


 ……私達に着いて来てくれるのが、当たり前なのか。


 倒れた大人の横を駆けて、IDカードがなければ開かなかった部屋を見ていく。


 そこに誰もいないことに落胆して、同時に、誰もいないことに安堵もした。


 だって、もしもそこに白い布をかけられた柘榴先生がいたら、血だらけの猫先生がいたら……耐えられないかもしれないから。


 私は資料だけが散らばった部屋を見て、着いてきた朝凪の方は向かなかった。


「霧崎さんも猫柳さんも、おられませんね……」


「ですね」


 資料を拾おうとした時、肩にかけている鞄が前に垂れる。私は蓋に触れて、中にある二つの薬について考えた。


 理性決壊薬と、アレスの空気を緩和する薬。


 これを柘榴先生に渡せれば、猫先生に報告できれば、流海を救う道が見つかると思ったのに。


 その為に私は、嘉音の手を取ったのに。


「朝凪」


 部屋を出ようとしていたらしい朝凪を、振り返らないまま呼び止める。彼女の足音は止まり、私は鞄の紐を胸の前で握り締めた。


 耳の奥で、脈が異常に早くなる気がする。よく分からない息苦しさが、胸に溜まった。


「……着いて来なくて、良かったんですよ。貴方は綺麗だから。伊吹も、竜胆も……綺麗ですから」


 掌に汗が滲む。こんな時に何を口走っているのか自分でも分からなかったので、朝凪にとっては本当に意味が分からないだろう。


 暫し黙った彼女に何を言うべきか迷ってしまう。会話の見切り発車はこれだから駄目なんだ。気持ちだけで口走れば、失敗するんだ。


 私が唇を軽く舐めた時、酷く優しい声が背中に投げられた。


「涙さんだって、綺麗ですよ」


 それは、私でも受け取れる速度で投げられた言葉。キャッチボールではなく、紙飛行機を飛ばすような穏やかさ。


 足元に紙飛行機が滑り込む錯覚が生まれる。私はそれを、拾えないのに。


「流海さんの為に走る涙さんは、脆くて、強くて、綺麗なんです」


 紙飛行機が背中に当たる。当たって、止まって、落ちていく。


 鞄を握り締めている私では受け取れない。拾えない。


 拾ってしまえば、私は綺麗な紙飛行機を握り潰してしまう気がした。


「そう、見えているだけかもしれませんよ」


 振り返って、弱く紙飛行機を投げ返す。そうすれば朝凪は驚いた顔をするから、彼女も飛行機を受け取ることは出来なかったようだ。


「涙さん……?」


 眉が下がっている自覚がある。頬が弱く上がっているのも分かる。


 苦笑を浮かべた私は、喉の付け根に溜まった息苦しさを飲み込んだ。


 朝凪の唇が動きかける。


 それより早く――扉の壊れる音がしたから。


 私達は弾かれるように廊下を確認し、一拍遅れて部屋を飛び出す。


 見えたのは、瓦礫の向こうに立った黒。


 血の固まった服は重そうで、背中から生えた刃は痛そうで、荒い呼吸は、苦しそう、だから……。


「流海、空穂」


 私の前に伊吹が立つ。彼はトンファーを構え、竜胆はサーベルを立てていた。


 流海は唇を噛んで前だけ見ている。


 私はメリケンサックを握ることが出来ず、隣で朝凪が矢を持つ素振りをした。


 いつもしているヘアバンドは破れてる。

 大きな体を大きな刃が埋めている。


 その腕には、点滴の繋がった女の人――柘榴先生が、抱えられていた。


「「――猫先生」」


 流海と声が揃う。


 私達の視線の先には、泪を流しながら柘榴先生を抱えた――猫先生がいた。

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