第66話 仮

 

 漫画とかでよくある「豪邸」を見ると、必ず思う事がある。


 まず、どうして庭に噴水があるのか。庭に噴水があっても水質管理とか掃除が面倒そうだと思わずにはいられないのだが。次に、塀にある監視カメラに不審者が映ったことはあるのか。歩道で寝ころぶ猫の映像とか録れてそう。あったら貰えないかな。無理か。


 他にも色々思う。四階建てにする必要性あったのか、てか部屋数どうなってんだ。掃除ってどこからするんですか、絶対使ってない部屋とか日常的には開かれない部屋とかあるだろ。等々、庶民の私は考えてしまう。貧乏性ではないと思うんだけどな。掃除機何台で掃除するんですか? 口が裂けても聞けねぇわ。


 列挙すればキリが無い問いの数々。それらをなぜ悶々と考えているかと言えば、目の前に正しく豪邸と呼べる建物――桜小梅の自宅が威風堂々と構えているからだ。


 高い塀に囲まれ、出入り口は黒い鉄製の柵。奥にはシンメトリーの庭が広がり、中央には円形の噴水。奥には豪奢な四階建ての建物が存在し、私の第一の感想は「ホテルですか?」だ。飲み込んだけどな。


 ぐだぐだと考えてしまうのは止められないから仕方ない。そして一つは言わせて欲しい。いつも絶対に思うことがあるから。


 私は隣に立つ柊葉介を見上げ、常々思っていた感想を口にした。


「豪邸って心休まらないと思うんですけど、偏見でしょうか」


「不敬」


 雪がちらつく寒空に渇いた音が響く。


 私は脳天を柊に叩かれ、痺れる痛みを感じていた。


 ……せない。


 後ろから伊吹の噴き出す声がしたのは無視しておいた。


 ――現在、私と伊吹、竜胆、朝凪の四人は桜の自宅に来ている。案内人は柊だ。


 本日の柊の身体年齢は十九歳。昨日はメディシンを投与したらしく、実年齢との差がほぼ見られない状況だった。私の後ろに立っている三人は、柊が独断で声をかけたらしい。


 本当ならば可愛い流海も一緒に来る予定だったのだが、急遽パナケイアにいる柘榴先生に呼ばれたので今日は別行動をしている。パナケイアからではなく柘榴先生個人の呼び出しだったので、朝思いっきりハグして送り出してやった。先生の研究に何か兆しが見えたのであれば嬉しいのだが、電話に出た流海の表情は不思議そうだったので微妙な所だ。


 私は自分の隣が寂しい気がして腕を摩ってしまう。柊は私の前に立つと、険しい顔つきで仁王立ちした。


「いいか空穂姉、ここから先は不要な言動を慎め。思っても喋る前に一呼吸置け、というよりこの場にいる面子とお嬢以外には喋るな。苛立っても手は出さないし、そこにある物を武器にしないし、礼儀は弁えて最低限の人間の行動をしろ。なんならもう呼吸だけに専念してくれ頼むから」


「私、別に猛獣でも怪獣でもないんですけど」


 よく分からないが激しくけなされた気がする。この男は私を見知らぬ土地で暴れる珍獣か何かと勘違いしてないか。失敬な。


 背後ではまた誰かが噴き出して笑いやがった。いや、今度は全員笑ってやがるな。見てないし私の想像だからヤマイは起こさせないが、取り敢えず竜胆と伊吹は脳内で膝裏を蹴り飛ばしておいた。朝凪は恐らく自分で自分を律しているので許す。


 柊は既に疲れ切った面持ちで大きな門の隣へ行く。そこには歩行者用の門があり、インターホンの下には暗証番号の入力板が設置されていた。柊は慣れた動作で操作を行い、私は隣に立った伊吹に聞いてみる。


「桜の家は一体、どういった所なんですか?」


「あー……なんか、ヤマイ研究とか医療研究に力を入れてる財閥らしいぞ。パナケイアへの投資もデカいとか聞くけど、本当かどうかは知らねぇ」


 何となく小声で確認してしまい、そうすれば伊吹も小声で答えてくれる。耳を寄せ合って確認する姿は無様だろうな。そんな私と伊吹の間で、朝凪が少し背伸びをして耳打ちしてくれた。


「全国のパナケイアの研究資金や設備の八割は小梅さんの家とその連帯企業からの出資だそうです。小梅さんのご両親もパナケイアで研究者として働かれているようで、色々な所を飛び回っているそうですよ」


「そんな凄い家だとは知りませんでした。ありがとうございます、朝凪」


 私は今日も綺麗な朝凪に会釈する。彼女は照れたように眉を下げており、震えた口角はマフラーに隠してくれた。私はついでに銀髪を横目に見てしまう。


「では、柊もその関係の家なんですかね」


「葉介君はたしか、桜家を昔から補助してる家の人だよ。俗に言う執事一家みたいな、雇用主と労働者の関係に当たるって葉介君は言ってたかな」


「あぁ……だからですか」


 思わずため息が出てしまう。桜に対する「お嬢」呼びの合点がいったせいだ。


 私達の会話に「聞こえてるぞ」と釘を刺した柊は、扉を静かに開けていた。


「俺は既に、いるがな」


「……へぇ?」


「無駄話はいらないだろ。入るぞ」


 背筋を伸ばす柊が庭を歩き始める。私達は何となく顔を見合わせた後、銀色の彼に続いて非日常に踏み入った。


「それで、涙さんは葉介君と何の話をしてたの? パナケイアでは話せないようなことなんだよね……?」


 テレビでしか見たことのないような庭を縦断していれば、竜胆がどこか心配そうに聞いてくる。蜂蜜色の目を揺らしている男は、大人しい大型犬に見えた。


 私は今日の内容を表す言葉を探し、抽象的な返答をする。


「信じるべきものが何か、って話ですよ」


「……うん?」


 竜胆の頭上に疑問符が飛んだ気がする。そんな錯覚を抱いた私は、伊吹と朝凪も同じ反応をしたと横目に知った。言葉選び間違えたかな。


 私はどう説明しようかと思考を巡らせたが、邸宅の扉が開いたことで一時中断をした。


「皆様! ようこそお越しくださいました! お待ちしておりましたわ!」


 玄関先で、温かみのある茶色のワンピースを着た桜が出迎えてくれる。顔にはペストマスクをつけており、私に対する配慮が垣間見えた。


 私の視線は、裾が柔らかくレースもあしらわれた服装に向かう。街中で見れば一種のコスプレとも判断されそうな域のお嬢様スタイルであるが、桜小梅が身に纏えば「可愛らしい」の感想しか出てこないのだから不可思議である。ペストマスクつけてても可愛さが滲むって、やはり桜は魔法使いかしら。


 桜然り、朝凪然り、どうして私の周りには美人しかいないんだろうか。恵まれたもんだ。


 ペストマスクをつけている桜は扉を押さえながら跳ねており、体全体から喜々とした空気が漏れていた。そんな少女を否めるのは決まって柊だ。


「お嬢、落ち着いて下さい」


「これが落ち着いていられますか! お客様ですのよ! お客様! とっておきのお茶菓子も準備いたしましたし、紅茶だって皆様がどんな好みを言われてもご準備できるようありとあらゆる種類を揃えて――!」


「分かりましたから、取り敢えず中へ。外は冷えますから」


 ため息交じりの柊は桜に歩くことを促す。彼女の代わりに扉を押さえた男の姿勢は今日も今日とて無駄が無いので、正直に申せば苛立った。それが身に染みている事であっても、私は苛立ったぞ


 私は少しだけ朝凪を振り返る。彼女は軽く髪型を整え、その視線は銀髪の男から自身の足元へと移っていた。


 ……呻きたくなるな。


「それで、どういうことだ空穂、葉介」


 桜に部屋を案内される中、会話の続きを促したのは伊吹だった。私は一瞬だけ柊と視線を合わせ、青い瞳が頷いた。


「別に、ただ気になる仮定を立ててしまったので、その確認を柊に依頼していただけですよ」


「仮定って?」


「マッキを引き起こしているのがアテナの戦闘員である、というものです」


「……は?」


 伊吹の肩に緊張が走る。彼の喉からは今まで聞いたことが無いほど低い声を溢れ、隣に並ぶ竜胆と朝凪は肩を引きつらせていた。


 凍えるような雰囲気の伊吹は、珍しく顔から感情が抜け落ちている。


「お前それ本気で言ってんのか。ヤマイは事象だぞ。原因も治療法も分からねぇそれを、なんでアテナの奴らと結び付けやがった」


「誘発させられたと自分が感じたからです。私がマッキ状態から回復した後、アテナの戦闘員に言われたんですよね。私は理性を捨てても戻ってきたと」


 脳裏に黒いペストマスクがチラついて鬱陶しい。映像を払う気持ちで目頭に力を込めれば、伊吹はどう受け取ったのか。彼は刺すような冷たさを宿した空気で私に質問を続けた。


「そんな仮定立ててどうする、知ってどうする。それがお前の何を解決させる」


「さぁ。この仮定を立証した所で得られるものは無いかもしれません」


「ならッ」


「それでも、何か得られる可能性もあるんですよ」


 声を荒げそうな伊吹に言葉を被せる。手袋をつけた拳を震えさせる男は、どういった感情に動かされているのか。私には判断しかねてしまったよ。


「私達はアテナを知らなさ過ぎる。黒いペストマスク達を知らなさ過ぎる。ただパナケイアから与えられた情報と武器と手段を使って、一向に変わらない冷戦を続けていたって進歩はありません」


「……涙さんは、どこを目指しているの?」


 始終黙っていた竜胆に問いかけられる。その声はいつも通り穏やかで、人を労わるような温度であった。


「私は流海を治して、流海と一緒に幸せになる。その志を叶える為には、知らないことが多すぎるというだけです。言うなれば、知らないを潰していく地道な作業をしている状態ですかね。思わぬ所から解決策が出て来るかもしれませんし、何事も探求です」


 伝えれば竜胆の眉は下がり続ける。私は緩く首を傾け、苛立ったような伊吹を視界に入れた。


「お前は、また一人でそんなことばっか……」


「一人ではありませんよ。今回は柊にも尽力を願い出ましたので」


「無茶ぶりと言うんだ」


「それでも応えてくださってありがとうございます」


 柊に感謝すれば、隣で伊吹が唸っている。柔らかそうな灰色の前髪を掻いた男は口の中で何やら呟いていた。


「どうして、そんな仮説を立てられたんですか」


 控えめに袖を引かれて視線を移動させる。私の袖を掴んだ朝凪は、揺れる瞳で私を見上げていた。


「猫先生曰く、実働部隊ワイルドハントを辞める理由はマッキになるのを恐れてだと聞きました。柘榴先生からも、マッキになったヤマイを全員は救い切れていないと教わりました。そこにアテナの戦闘員の台詞を加えた時、酷く嫌な想像をしてしまったんです」


 ――実働部隊ワイルドハントも努力はしている。それでもやはり、手の届かない場所はあるんだ


 ――パナケイアの情報網も万能でなければ、実働部隊ワイルドハントも最強と言うわけではないし、年中人員不足であることは否めない。それに伴って、救えない範囲、間に合わなかった事例は、鎮静できた例以上に多いだろうね


 ヤマイと名付けられた事象に喰われた時、理性が決壊した時、私達は周囲を破壊する化け物に成り果てる。周りを巻き込む悪鬼になる。


 ――少しずつでも世界を浄化していくべきだ


 あぁ、黙れよ嘉音。お前の言葉はいつも私の中に溜まるばかりして、嫌になるんだから。


 私は表情が厳しくならないように努めて、朝凪に答えてみせた。


「私がマッキになったのは、アテナの戦闘員と戦いすぎて、怪我を多く負ったことが関係しているのではないかと思ったんです。私より先に実働部隊ワイルドハントとして活動していた朝凪や竜胆、伊吹との差異を考えた結果から」


 朝凪の紫色の瞳を見下ろす。彼女の顔色は微かに白くなっているが、私は言葉を止めなかった。


「だから答え合わせをしたいんですよね。マッキになった一般のヤマイや実働部隊ワイルドハントのメンバーが、過去にアテナの戦闘員に襲われていないか。どれだけ傷ついて来たか。マッキを誘発する方法は戦闘員が武器に薬を仕込んでいるのではないか、と」


 私の声を最後に静寂が落ちる。それは長いようで短く、唾を飲んだ竜胆が詰まる言葉を向けてきた。


「そ、れを解明したとして、何になるの?」


「何になるかと言われれば、誰を信用すればいいかの知識になる、と言った所でしょうか」


「信用……」


「想像してください、竜胆。アテナの戦闘員が私達をマッキにして殺そうとしていた場合、まず駆り出されるのは誰ですか? 私達、実働部隊ワイルドハントですよね」


「ぇ、う、うん」


「次に、桜、私が使っているナイフはアテナの戦闘員から回収した物ですが、パナケイアは問題なしと回答して処分しようとしていたんですよね」


「はい、確かに」


 桜は凛とした声色で返事をくれる。それは自分の返事に自信と責任を持っているように聞こえた私は、仮定を口から零し続けた。


「それはとても、おかしな話です。問題ない筈がないものを問題なしとするなんて。と、柊から助言を頂きましてね」


「だから今日はお嬢のお屋敷にて検討することにしたんだ」


「人払いは済んでおりますのでご安心を。両親も本日は戻りませんわ」


 桜が一つの大きな客間に通してくれる。そこには高価なアンティークショップに売られているような家具が並べられており、一つだけある豪奢ごうしゃな長机には資料が揃えられていた。


 桜と柊、私は客間に足を踏み入れる。朝凪と竜胆、伊吹は入室の手前で立ち止まり、私は出来上がった仮定を伝えておいた。


「考えてみてください、朝凪、竜胆、伊吹。パナケイアはヘルスしか守りません。ヘルスの安全が守れたら良いんです。ならばその安全を脅かす原因は?」


「……アテナの戦闘員」


「それもあるでしょうね。では、原因であるアテナの戦闘員が来る元凶は?」


 伊吹が奥歯を噛んで私を見つめる。悔し気な顔を凝視していれば、朝凪が胸を掻いていた。


「元凶は――私達ヤマイです」


 悲愴な面持ちの朝凪に視線を向けた私は、彼女を肯定する。


「そうですね。では、ヘルスを守りたくて堪らないパナケイアは私達をどう思っているでしょうか」


「……いなくなればいいと、思うよね」


 腕を摩った竜胆が顎を引く。私は頷き、繋げるべき仮定を言葉にした。


「パナケイアは、ヤマイがいなくなればいいと思いながらヤマイ研究をしているとしたら? パナケイアの研究は全てヤマイの為ではなくヘルスの為の研究です。これは皆さんご存じの通り。けれどもその研究は一向に進展しません。ならばどうすればいいでしょう。ヘルスを守りたいのに、ヤマイにも人権があるが故に排除なんて出来ません」


 ――ヤマイの検査は誰の為のものか。それは、ヘルスの為のものだ。


 最後に定期健診を受けた時、私は思っていた。ずっと考えていた。パナケイアが私達を見る目は化け物なのだと。


 けれども化け物にだって人権があり、法がある。


 しかしそれが適用されなくなる場面が、一つだけあるんだ。


「ヤマイを排除してもいいのは、マッキになって鎮静できなかった時だけです」


「ッ、空穂」


「伊吹」


 灰色の瞳を見つめて、私は度し難い仮定を口にした。


「逆に言えば、マッキになった私達は。ヘルスの為に。社会の為に。パナケイアの為に。だってマッキは化け物だから。そんな大義名分を、私達が化け物マッキになれば掲げることが出来るとしたら」


 朝凪達の喉が震える。


「伊吹、竜胆、朝凪。貴方達は――誰を信じますか?」


 息を呑んだ三人に問いかける。


「私は自分を信じて検証に来ました。それはきっと流海の為になるし、流海を守る知識になるから」


 守りたい流海が今はパナケイアにいるのが不安だけど、それは柘榴先生が呼んだから信じていよう。


 知ればそれだけ力になる。何もかもを知っている嘉音に主導権を握らせない為の知識になる。


 だから私は知りに来た。自分の知らないを無くしに来た。


 口を結んだ三人が、私を見ながら扉をくぐる。


 柊は黙って扉を閉め、桜は私の腕を引いた。


 さぁ、それでは酷い話をしよう。


 醜い世界を、知りに行こう。

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