第33話 歩

 

 ペストマスクを持ったいばら達は流海の病室へ来ていた。もしも中に涙がいた場合、笑顔でも無表情でも事故を起こすと朔夜が言ったのだ。盲点だったと口にした永愛といばらは朔夜と共に道具室へ向かい、三人は病室の前でペストマスクを被る。私服姿にペストマスクとは周囲から見れば異端であるが、それを指摘する者などパナケイアにはいなかった。


 いばらは、涙がいれば上着を返し、話をしてみたいと頭の中を整理してから扉をノックする。


 返ってきた声は、流海のものだった。


「どうぞ」


 ペストマスクをつけた三人は頷いて扉を開ける。


 そこに――普通の病室とは言い難い光景が広がっているとも思わずに。


 ベッドに腰掛けている流海と、その膝に頭を乗せて眠る涙。少女は血だらけの白い上着姿のまま、床にはアルアミラと帽子、砕けたペストマスクが転がっていた。


 一枚の見慣れない上着はアテナの戦闘員のものであると朔夜は気づく。灰色の少年は転がる全てが血塗れの部屋を観察した。


 いばらは最初の一言を失い、永愛もすぐには理解が追いつかない。


 流海は片手でハンドグリップを握り、もう片手は涙の頭を一定の速度で撫でていた。


「こんにちは、朝凪さん、伊吹君、竜胆君」


 柔和に微笑む流海の姿は、涙が何年も見ていないものだ。いばら達は涙と似ていない少年を見つめ、一拍置いてから挨拶をする。


「流海君、こんにちは」


「こんにちは、急にごめんなさい……」


「いいよ。それ、涙の上着だよね。受け取っておくよ」


 流海の視線がいばらの腕に向かう。彼女は少し慌てながら上着を渡し、眠る涙を見下ろした。黒髪の彼女は死んだように瞼を閉じており、その顔色は悪い。目元には微かに泣き跡が残っていた。


 彼女の姿にいばらは心臓を痛めてしまう。どうして泣いたのか、何があったのか、またアテナへ行ってしまったのか。いばらの中には答えを貰えない問いだけが蓄積された。


 血だらけの戦闘服を着たままの涙。その血の量はおびただしく、一人や二人のものではないと朔夜は予想した。足元にはウォー・ハンマーが転がっており、そこにも固まった赤黒い跡がある。


「……何があった?」


 いばらが聞けない問いを朔夜が口にする。流海の瞳はペストマスクに向かい、顔には笑みが浮かび続けた。


「何がって?」


「お前の片割れの様子見て、何も無かったなんて言えねぇだろ?」


「何かあったとして、それを伊吹君に話す義理はないよね」


 流海は微笑み続けている。しかし言葉は確実な拒否を示し、永愛といばらは仮面の下で目を見開いてしまった。


 彼らと流海はまだ数度しか言葉を交わしたことが無い。そのため、永愛達の中にある流海の像は涙が時折口にするものが強かった。流海という少年は穏やかで儚げ。そう思っていたからこそ、今の流海には大きなズレを感じた。


 流海は視線をいばらに向け、穏やかに微笑み続ける。


「まだ何か用がある?」


「ぁ……その、涙さんに上着をお借りしてたので、お礼にお菓子も持って来たんです。良かったら、一緒に食べられないかなぁって。それで……」


 いばらはマスクを少し浮かせて言葉を選ぶ。永愛はその姿を見つめ、流海は口角を上げ続けた。涙と似た面影を残しながら、それでも違う姿で少年は笑っている。


 朔夜はマスクの下で目を細め、いばらは差し入れの袋を握り締めた。


「涙さんと、お話が出来たらなって……思ったんです」


「それはやめて欲しいな」


 いばらが息を詰める。心臓も背筋も凍りつく。予想外の相手からの明確な拒絶は、少女の感情を強く殴りつけた。


 微笑む流海は涙の髪に指を通し、片割れの目の縁を撫でる。その指先は壊れ物を扱うように優しく、しかし瞳は鋭く冷たい。


 永愛からいばらの顔色はうかがえないが、力が込められた肩は今にも震えそうだ。


 流海は目を細めていばらを見つめる。その目には優しさも、温かさも浮かんでいない。あるのは明確な――拒絶だけだ。


 永愛はいばらの手を引いて後ろに下がらせ、彼女を背に隠すように流海と対峙した。その行動に対し、流海は賞賛の言葉を口にする。


「それがいいね、竜胆君。大事な者は隠すのが良いよ。沢山のものに触れさせて、関わらせて、傷つけられるなんて御免だもん」


 涙を撫でる流海の指はゆっくりと片割れの瞼を隠していく。少女の目を塞ぐように押さえた少年は、片手でハンドグリップを握り締めた。持ち手が完全に合わさった器具は彼にとって軽い部類になってしまったのだろう。


「もう出て行ってくれる? 僕は涙と二人でいたい。今日の涙はもう、誰とも会わない方が良い。いや、今日以降かな」


「流海さん、それは」


「涙は朝凪さんを拒絶したでしょう?」


 笑う流海は、決して心地いい空気を纏ってはいなかった。それは酷く閉鎖的で、誰も近づかせないような雰囲気で囲われている。


 いばらは払われた手を思い出し、言葉は何も出なかった。


 流海はハンドグリップと上着を置き、涙の耳と目を塞いでいる。


「涙は望んでないよ。誰かに優しくされることなんて」


 流海の脳裏に笑顔だらけの周囲が浮かんだ。誰もが笑っている異常な空間。笑って、笑って、底の見えない笑顔で流海を観察している。


 その異様な空気がどれだけ少年を圧迫したかなど周囲は知らない。自分達の手を引いてくれた蓮と柘榴でさえも流海の前では笑顔でなければいけない。


 本当の感情が見えない者達に囲まれて、笑顔だけに見つめられて、流海は呼吸の仕方を忘れた。喉が締まって眩暈がし、嫌悪と恐怖が募っていく。


 その中で、流海が唯一呼吸できたのが涙の傍であった。彼女だけは――笑いながら泣いたから。なみだしながらも笑顔に努める片割れの隣でしか、少年は息が出来なかったのだ。


 不器用で器用な彼女の表情を見る度に、流海は自分のヤマイを呪った。自分のヤマイが彼女を傷つけ、弱い自分が彼女から安心を奪っているから。


 同時に流海は周囲も呪った。涙は優しい人が嫌いだと知っているから。自分勝手にヤマイを下に見るヘルスならば心を痛めないのに、優しい人が傷つくことを涙は嫌っているから。


 優しい人を巻き込みたくない涙は、いばら達を遠ざけた。いつか自分から離れて行ってしまうと思って。得てしまう前に捨てておきたいと思って。


 それでも入り込んでくる優しさは涙の中に染みを作る。染みて、染みて、相反する感情たちが彼女の中で暴れ回る。


 遠ざけたいのに離し難いと思って、どうでもいいのに目で追ってしまって、放っておきたいのに害があれば手を伸ばしてしまう。


 前に進みたがる感情と後ろに進みたがる感情は、涙の体も心も引き裂いてしまうのに。


 耐えがたい感情が彼女をバラバラにする様を流海は見たからこそ、永愛達を遠ざけていたかった。涙を困らせて酸欠にさせる者達を。自分と涙の間に入り込もうとする者達を。自分から――涙を奪ってしまうかもしれない者達を。


 流海は決して、認めない。


「僕達に優しくしないで。僕達に入り込まないで。涙にこれ以上、近づかないで」


 笑顔で吐かれる拒絶の棘。いばらは口を開閉させてから顎を引き、永愛は少女の手を握り締めた。


 涙と流海という双子。いばら達はてっきり涙が流海に強く執着しているのだと思っていた。彼女はいつも「弟の為」だと口にし、行動しているから。その身を投げ打って、周囲の心配すら押しのけて傷付くから。


 しかしそれは間違いであったとここで知る。


 執着しているのは流海の方だ。涙が彼を離さないのではない。彼が涙を離さないのだ。


 涙に近づく者を許さない。彼女を傷つける者を許さない。彼女に優しくする者も許さない。


 流海は涙の世界を自分だけで埋めていたいのだと伝えてくる。自分達の間に割って入るなと明確に線引きをする。


 それは加護であると同時に束縛であり――依存だった。


 永愛の頭には流海を否定する言葉ばかりが浮かんでくる。しかしそれを口にするだけの関係性が彼らの間には築けていない。今の関係で否定をしても流海の壁は厚くなるだけだ。


 少年はそう判断したからこそ迷った。視線がさ迷って口の中が渇き、涙を守る流海の手だけを見つめてしまう。


「――それはお前のエゴだろ」


 不意に、凍った空気を破る声がある。それは固まっていた永愛といばらの背後にいた――朔夜のものだ。


 朔夜は一歩を大きく踏み出して流海の前に立つ。


 双子の片割れは口角を緩やかに上げ続け、灰色髪のペストマスクは低い声を吐いた。


 ずっと双子と話したかった少年が、初めて明確に意見する。


「お前の姉さんが毎日怪我してるのは誰の為だと思ってる。お前の為だろ。お前の中にある毒を緩和して、治したいと思ってるからだろ。正直言って、そんな姉ははたから見れば異常だ。だから心配してる。なのに近づくなって、馬鹿言うのも大概にしろよ」


「その心配するっていう優しさで傷つけてるって気づいてよ」


 そこで初めて流海の顔から笑みが落ちる。黒髪の少年は目を細め、灰色の少年は奥歯を噛んだ。


 流海は涙の言葉を口にする。彼女が何を考えているかなど、少年には直ぐに理解できてしまうから。


「……僕達はヘルスなんてどうでもいい。患わない人達なんて勝手に怪我して勝手に苦しめばいいと思ってる。彼らは僕達の平和や幸せを願ってくれないもん。それなら僕達だってヘルスの幸せなんて願えないね」


 アテナでの涙の吐露を流海は知らない。それでも予想は出来た。実働部隊ワイルドハントに所属するようになり、心が乱されることが多くなった片割れを見ていたから。ヘルスを嫌う涙がヘルスを守る為に動くなど、本人も気づかないうちにストレスにまみれていると知っていた。


「誰も僕達の幸せを、普通を願ってくれないなら、僕達だけは自分の幸せを願っているよ。普通を望むよ。大切な片割れの明日を切望するよ。誰もが僕達を物のように見下して、患わない人の為だと大義名分を抱えた世界では……呼吸の仕方も分からなくなるんだから」


 ヘルスの誰もヤマイの幸せなど願わない。普通など在り得ないと決めつける。だから皆が自分勝手になるのだ。自分のことで手一杯になるのだ。ヘルスが大多数を占めるこの世界は、他者を信用する余裕など許してくれない。


 流海の言葉は、奇しくも涙がアテナで吐き出した思いと同じであった。


 そして残念なことに、永愛やいばら達の代弁にもなっていた。


 流海が言う「誰も」がヘルスを指すと朔夜は直ぐに理解し、永愛といばらは唇を強く噛んだ。


 ヤマイの誰もが口にしない気持ち。ヘルスに対する憎らしさ。ヤマイである自分達を物として、化け物として扱う世界。守られるのはヘルスばかりで、自分達はヘルスを守って、しかしヘルスはヤマイを守らない。


 こんな世界が好きなヤマイなどいなかった。世界を統べるヘルスの誰も、ヤマイの幸せなど願わないのだから。


 ……いや、正しくは一人知っている。ヘルスであってもヤマイの幸せを望む大人を、流海と涙は知っている。自分達を引き取って育ててくれた「先生」を、知っている。


 だからこそ、だからこそ嫌なのだ。知っているから嫌なのだ。知ってしまっているから、二人は無くした時を恐れてしまう。


「でも、優しい人は違うでしょ? だって優しいから。僕らの怪我を心配して、怪我をしない明日を願ってくれる。そんな人を傷つけるなんて耐えられない。ヤマイに巻き込みたくないんだ。そう涙が思ってるって知りもしないくせに」


 いばらの肩が揺れて永愛は口をつぐむ。朔夜は流海を見つめて、双子の少年は憎らし気に顔を歪めていた。


「僕達のヤマイに巻き込んだら? 巻き込んで怪我をさせたら? きっと君達も涙や僕から離れていく。嫌になるに決まってる。でもそうやって離れて行った時、もしも僕達が心を許してしまっていたら? 残された僕達に残るのは寂しさと息苦しさだけだ。だから僕と涙はお互いだけでいい――二人ぼっちで良いんだよ」


 流海はそこで再び笑う。その顔にあるのは、やはりどうして拒絶だけ。


 朔夜は体の横で拳を握り締め、流海の黒い瞳を凝視した。


「お前は二人だけの世界に浸ってたいだけだろ」


「そうすれば涙が傷つかないからね。今だってもう涙はボロボロだよ。ヘルスを守るストレスが溜まって、伊吹君達は優しくして。嫌いな人達をより嫌いになって、優しいと気づいた人達を無くすことに怯えてさ」


 ――そんな、優しい声で呼ばないでください


 いばらの中で再び涙の言葉が浮かんでくる。


 あの時の彼女の拒絶が嫌悪ではなく、恐怖だったとしたら。


 いばらは自分の行動を後悔する。ベンチに座ったまま動けなかった自分が嫌になる。


 もしも本当に涙がいばらを優しいと思い、無くすことを恐れていたならば。


 いばらはあの時、追いかけなければいけなかった。逃げる涙を引き留め、何度振り払われても手を握るべきだった。それで――大丈夫だと伝えなければならなかったのだ。


 永愛の手を固く握り締めたいばら。流海はそんな少女の手を視界に入れてから、眠る片割れに視線を戻した。


「涙は怖がりなんだよ。怖がりで泣き虫で、臆病なんだ。だからこれ以上、傷つけないで」


「そいつを怖がりにさせたのはお前だろ」


 朔夜の手が流海の腕を掴む。頬が痙攣した流海は視線を上げ、朔夜は少年の手を涙から離させた。


 涙の瞼が揺れる。朔夜は少女を見つめて息を吐き、手袋をつけた指先で彼女の頬を撫でた。流海のこめかみに薄く青筋が浮かんだ様を灰色の彼は見逃さない。


「弟のことだけを想って、傷だらけになってもアテナを這う。そんなのおかしいだろ。死ぬことも生きることもお前が一緒なら怖くないなんて病気だろ」


「僕達にとっては正常だよ。僕と涙は二人で一人だ。半身を無くしたら呼吸なんて出来ない。だったら行きつく先も一緒だよ。僕が死んだら涙も死ぬ。涙が死んだら僕も死ぬ。だから僕達は死ぬことを恐れないだけだ」


「……待って、何言ってるの? それ、おかしいでしょ」


 永愛の声が震えてしまう。流海は永愛に視線を向けるが答えはしない。朔夜は呆れたように息を吐き、γの根元に立っていた涙を思い出した。


 ――あの子が生きない明日なんていらない。流海が死ねば私も死にます。同じように、私が死ねば流海も死んでくれる


「この双子は、心中の約束をすることで安心を得てるんだよ」


 朔夜の手に力が籠もる。流海は自分の腕を掴む少年を見つめ、涙は微かに目を開けた。


 微睡みの中で会話を聞きながら、片割れの裾を握り締めて。


 ――だから怪我をすることも、死ぬことも怖くありません。私はどうなっても、どんな結果になっても、流海と共にあれるから。ただやはり生きていて欲しいと言う気持ちが強く訴えるから、私はあの子が治るように、生きられるようにしていたい


 朔夜は気づいていた。涙には生きる選択肢が無いと。ただ弟が生きているから同じように生きているだけだと。もしも「生きていて欲しい気持ち」が彼女の中から無くなった時、この双子は手を繋いで死に飛び込むのだと、朔夜は想像してしまっていた。


「ヘルスが嫌いな事は同意できる。アイツらは俺達の事を物としか見てねぇからな。俺達ヤマイを研究してヘルスの安全を確保しようなんざ反吐がでる。汚れてるのはお前らの方だろって言いたくなる。でも優しい奴を失うのが嫌だから仲良くならないなんてのは納得できねぇぞ。お互いだけを見て、お互いだけを想うなんて、それは依存だ。傷つかない為に逃げてるだけで、優しい奴の心を踏みにじってることに変わりはねぇだろ」


「本当に僕達から離れて行かないなんて言う証明は出来ないでしょ。僕達は相手の表情を制限させる。常に笑えないなんて嫌でしょ、常に笑ってるなんて苦痛でしょ。そうしてペストマスクをしないと僕達の元に来られないのが証拠じゃないか。優しい人に顔を隠させて、笑顔を強要するか制限させないといけない僕達なんて、いつか嫌いになるに決まってるッ」


 流海は朔夜の腕を払いのける。


 黒い少年の目は強く周りを否定し続け、灰色の少年は奥歯を噛んだ。


「嫌いな人に嫌われるのは痛くも痒くもないけどさ、大切だと思った人に嫌われるのは痛くて痛くて、堪らないんだよ」


 流海の手は涙の手を握り締める。もう片手は自分の左胸を引っ掻き、いばらと永愛は息を詰めた。


「事故に巻き込めば怪我をさせる。後遺症が残るかもしれないし、ッ死ぬかもしれない! そんな僕達の傍にいたい人なんているわけない。もしも死なせたら、僕は、涙は、二度と立ち上がれないッ」


「お前は、ッ」


 朔夜が流海の胸倉を掴む。流海も負けじと灰色の少年の手首を掴み、反射的に永愛といばらが止めかけた。


 しかし、それより早く止める者がいる。


 血だらけの上着を着たままの少女が起き上がる。


「――止めてください」


 朔夜の腕を剥がし、流海を抱き締める涙。


 彼女は胸に片割れの顔を埋めさせ、頭と背中に手を回した。流海は肩から力を抜き、ゆっくりと片割れの背中に縋りつく。


 涙の目がいばらを見て、永愛に移り、朔夜で止まる。ペストマスクの奥にある灰色の目を見た少女は、静かに言葉を零していた。


「……これ以上私達を気にかけないでください。放っておいてください。流海には私がいればいい。私にも流海だけがいれば、それでいい」


 涙は瞼を伏せて弟の頭に顔を寄せた。


 いや、正しくは寄せようとした。顔を背けて、見ないようにして。


 しかしそれを許さない手がある。柔らかく少女の頬に手を添えて、自分を見させる少年がいる。


「空穂、俺にはお前が「弟だけいればいい」って言い聞かせてるようにしか聞こえない」


 朔夜は涙の顔を自分に向けさせ、少女は静かに奥歯を噛んだ。


 灰色の少年は、双子が抱える矛盾と葛藤に意見する。


「お前ら、幸せになりてぇんだろ。なら素直にそう望めよ。別にヘルスの幸せを願えとは言わねぇから。俺達を物として見る奴らのことなんて呪っていいし恨んでいい。でも優しい奴を信じずに、二人だけの殻に閉じこもるのは止めろ。お前達はお互いの明日が欲しいのに、どっかで生きることを諦めて、死んだ先に安堵を作って予防してやがる。そんな奴が幸せになれる訳ねぇだろ」


「伊吹、」


「お前達を心配する奴らを見くびるな。離れていくって決めつけて、傷つくに違いないって勝手に逃げるな」


「いいえ、いいえ、離れていくに決まっています。だって私達は、私達のヤマイはそうだから。表情を制限されて、傷つく危険をずっと傍に置いておく人なんて、」


「ゴチャゴチャうるせぇ」


 朔夜の手刀が涙の脳天に叩き込まれる。涙は肩を引きつらせて口を結び、流海は忌々しげに顔を上げた。そうすれば双子の姉は微笑んでしまう。流海はその表情を見て黙り、再び片割れに顔を埋めた。


 二人がお互いを抱き締める強さは変わらない。朔夜はその間に割り込まず、呆れたように肩から力を抜いた。


「ややこしい双子だな……もっと素直に望んでも、誰も怒ったりしねぇよ」


「……死にますよ、いつか、きっと」


 涙の声が微かに震える。朔夜が見たのは眉間に険しい皺を刻んだ少女の姿だ。彼女は固く弟を抱き締めて、逃げ出したいと空気が言っている。


 伊吹は少し間を作って言葉を探す。自分が思っていた以上に、既にこの双子は傷だらけなのだと知りながら。


「――大丈夫ですよ、涙さん」


 そんな、迷った灰色の前に出た少女がいる。


「――俺達は、そう簡単に死なないよ」


 少女と手を繋いだまま歩み出した少年がいる。


 いばらと永愛は双子を見つめ、涙の黒い瞳は微かに見開かれた。


「私と永愛も頑丈に出来てます。易々と死にませんし、怪我しても大丈夫ですし、なんなら、涙さんと流海さんが怪我をする方が大丈夫ではないんです! 二人が離れて行ってしまう方が、ずっと心配で痛いんです!」


「だから放っておいてなんて、二人ぼっちで良いなんて言わないで。涙さんが流海君を治したいってよく分かってるから、一人で頑張らなくていいよ。流海君と二人だけで頑張ったりしなくていいよ。俺達も一緒に頑張るから、ね?」


 涙の肩が震えてしまう。流海はそれを感じて奥歯を噛み、片割れの背中を抱き締め続けた。


「……実働部隊ワイルドハントはメンバーであるけれど、仲間ではない筈です。協力するならば利益がいるのではないですか。私は、貴方達に返せるものなど何もありませんが」


 朔夜は息をついて一歩下がる。永愛は苦笑したくなるのを堪えて肩を竦め、いばらはずっと伝えたかった思いを、言葉にした。


「仲間とか利害関係とかではないんです。涙さん、私は貴方と、貴方達と――友達になりたいんです」


 涙の呼吸が一瞬止まる。


 流海の背中が微かに震える。


 固まる双子は同時に奥歯を噛み締めて、いばらは笑いたくなる気持ちを堪えていた。


「初めて涙さんと会った時、貴方が私を「悪くない」って言ってくれたこと……私、凄く嬉しかったんですよ?」


 真っ白な談話室で向かい合った日を涙は思い出す。


 彼女は泣き出したくなる心地を持って、双子は同時にお互いから手を離した。


 いばらと永愛に後ろを向かせる涙。流海は朔夜の背中を叩くように押し、双子は無理やり三人を病室から追い出した。


「涙さッ」


「流海く、ッ」


 廊下に放り出された三人を無視して、双子は病室の扉を閉める。鍵もかけて、何も言わずに。


 追い出された三人はペストマスクを外し、顔を見合わせ、その場で脱力してしまった。


 三人は病室の扉に背中を預けて天を仰ぐ。


 室内では双子も扉に背中を預けて、座り込んでいるとも知らないまま。


 涙は流海の手を固く握り締める。


 流海は涙の手を固く握り締める。


 双子はお互いの顔を見ないまま、黙って窓の外に広がる空を見つめていた。

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