金色とは言えない休日 8

 もはや慣れた浮遊感を感じながら、僕は薄く世界を見つめる。

 ぼやけた景色は次第にカタチをはっきりとさせていき、鮮やかな色の海が花々であることを思い出させてくれる。

 頭上に輝く、セピアがかった太陽。

 どこか薄っぺらいそよ風。

 かさりと揺れる足下の花弁。

 ピントが合うように景色が固定化されるころには、足もしっかりと丘の上に着いて。やがて来るノイズと世界の変化を感じながら、ただただそこで俯瞰する。


『――、ザ――』


 ソレは、今日も綺麗な世界のゆがみとして出現した。

 唐突に、必然的に相対する影。視界に入り込んだ異物は周囲を汚染し、感じ取る世界を変えていく。

 風は不自然なほどに足下を吹き抜け、沈黙。鮮やかな花々は目を持たないのに、僕を凝視。浮かんでいた白い雲は消え去り、底なし沼の空がクチをあける。

 静かな緊張感を放ちながら、人型をした影は僕に手を伸ばしていた。


「……」


 ここ数日、ずっと出会っている影だが、会話らしい会話はできたことがない。それでも僕は今日も、名前を呼ぶ。


「しのぎ」

『――、――、』


 やはり、ザリザリとした音は健在だ。今日も会話は成り立たなさそうである。まるで壊れたテレビに話しかけている気分だ。


 ……まだ夢は続きそう。


 僕は周囲を見回して、もう一度しのぎに目を向けた。

 よろよろと一歩にも満たない前進。それに合わせ、僕もゆっくり後退する。

 これまでにも何度か質問はしてみた。その答えは返ってきたことがない。いや、正確にはノイズのせいで聞き取れなかったと言った方がいいか。発した声は水の中よりも聞き取りにくい。

 だから今日も、あまり期待せずに疑問を投げかける。

 内容は――そうだな。



「しのぎは、嫌いな人っていた?」



 一度、吹いた風が花を揺らし、再び静寂をもたらす。


 箇条と墓参りで話したことが頭をよぎり、生前のことを聞いてみた。

 もし嫌いな人がいたのなら、きっとしのぎの未練もハッキリする。そして恐らく、その嫌いな人というのは――彼女を殺してしまった弟に違いない。

 まあ、返事なんてノイズでかき消されて聞こえる訳もないし、影の動きだけで何を言っているのか推察もできないし、無意味なのだけど。

 つまりこれは、一種の確認のようなものだ。

 自分を見捨ててノウノウと生きてるヤツなんて嫌いになるに決まってる。しのぎは死ぬ間際、あの電車の光に包まれる中で、これ以上ない落胆と絶望、そして恨みを抱いたに違いない。強引にしのぎの手を引っ張って踏み切りに侵入した挙げ句、殺してしまったのだから言い訳もできない。わがままで自分勝手で、向こう見ずな愚かな選択によって、姉を殺したのだ。


「まあ……聞くまでもないけどさ」


 別に答えを聞かなくたって、わかりきっ――



「ぐッ!?」



 突然、とんでもない息苦しさに襲われる。

 視界は真っ暗なカーテンのようなものに包まれ、光を反射した二対の赤い瞳が肉薄していた。

 雑音はさらに大きくなり、荒い鼻息が恐怖をかき立てる。


「か――はっ……!」

『ザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザ――』


 しのぎとは思えない力強さの腕が、僕の首をわしづかみにしている。剥がそうとしてもビクともしない。


『ガ、っ……ァ……!』


 空耳と間違うくらいに短い、濁った雑音混じりのうめき声。けれど確かに、妙な懐かしさを含む音がそこにはあった。

 夢の中なのに死を意識しはじめる僕は、掠れる視界で影を凝視した。



 殺される。



 しのぎに、殺される。

 しのぎの影に、殺される。

 しのぎの幽霊に、殺される。


 剥がそうとしていた腕はすでに抵抗を諦めていた。

 足の感覚もない。もしかしたら地から浮いているかも。

 もはや視界は真っ黒なのか真っ白なのか定かではなく、いよいよ見えているものが何なのか判断できなくなってきた。


 ――ああ、だけど。

 これが、僕に与えられた罰なら……。

 もし、それでしのぎが許してくれるなら、こんな最期でもいいかもしれない。



「ご、め……ん、のぎ……」







 振り絞った謝罪を聞いた途端、首を掴んでいた腕がパッと離れた。







「がッ――!?」



 ベッドから落ちた衝撃で、僕は目を覚ます。


 一緒に転がり落ちた携帯は充電コードが抜け、目覚まし代わりの着信を知らせていた。



「い、いったい……」



 生々しい感触が残る首をさすりながら発信元を見る。


 ゴールデンウィーク四日目。

 五月二日。


 箇条ゆらは、今日も僕をストーカーするらしい。

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