第47話
屋台を始めてから2ヶ月が経過した。売上は少ないけど赤字にはなっていない。タケル達にも給料を支給できている。ごみ拾いするよりは少しだけましかも、というぐらいの額だけど。
相変わらず俺は一心不乱に働いている。忙しくしているおかげでなんとか毎日を生きている。そして、心の中にはいつもマイがいる。なるべく考えないようにはしているけど、カレーの鍋をかき混ぜていて、いつの間にか涙を流している時がある。
マイを失って感じているこの悲しみは、飯を食えないとか、寝る場所がない辛さとは質が違う。この世界に来た時は生き延びることで精一杯だった。ごみ捨て場で金を稼いだときは最高に嬉しかったし、その金で食った飯はめちゃくちゃ美味かった。あれは生まれて初めて感じたような喜びだった。そこで俺は満足すべきだったのか?
マイと出会って、そして付き合うようになって世界が変わった。付き合ってる彼女がいる、というだけで、もちろん嬉しかった。だけど二人で生き延びている感じが何より心強かった。これならベリーハードな世界でも、なんとかやっていける。そんな気がした。
俺は最近、『ベリーハード』の意味を改めて考えている。決して幸せになれない、という意味でこの世界はベリーハードなのだろうか。ならば、俺が今後何を頑張っても、必ず不幸が待っているということにならないか? だとしたら、希望を持つ意味が無い。何の為に、俺は生きていることになるんだ。
「不景気な面してるな」
ふいにお客さんに声をかけられた。顔を上げて見たらゴミヤさんだった。
「あ! お久しぶりです」
ぼーっとしていたので俺は慌てて言った。
「カレーライスっていうんだよな、この店の看板は。それをくれ」
ゴミヤさんがムスッとした顔で言った。なんだか機嫌が悪そうだ。
「カレーライスを一つですね。すぐに出来ますので席の方へどうぞ」
俺は言った。ゴミヤさんは頷いてすぐ近くの席に座った。
この2ヶ月で俺は手際が良くなっていて、5秒ぐらいでゴミヤさんのカレーを用意した。今は午後4時で少しだけ店が
「おまたせしました」
俺はゴミヤさんの目の前にカレーライスの皿を置いた。そのまま俺も椅子に座った。
「ずいぶん早いな」
ゴミヤさんがムスッとしたまま言って、スプーン入れからスプーンを取り出して手に取った。そしてそのまま一口、カレーライスをすくって口にいれた。
「……なんだこりゃ! とんでもなくウメーな、これは」
ゴミヤさんが驚いて目を丸くしている。喜んでもらえて良かった。そのまま食べるスピードが加速して、1分ぐらいでゴミヤさんはカレーライスを食べ終えてしまった。スラムの人は早食いの人が多いけど、ここまで速い人はなかなかいない。驚いて俺はちょっと笑ってしまった。
「いや、早食いが習慣になってんだ。もっと味わって食うべきだった、悪いな」
ゴミヤさんがすまなそうにして言った。
「いえ、いいんです。気に入ってもらえたみたいで嬉しいです。お替りはいかがですか? サービスしますよ」
俺は言った。
「いや、いい。俺はタダ飯を食いに来たわけじゃないんだ。ちょっとお前に言いたいことがあってな。……しかし美味かったな。あれだ、ちゃんと金を払うからもう一杯もらおうか。カレーライスを」
ゴミヤさんがもじもじしながら言った。俺はすぐさま、もう一皿カレーライスを用意した。ゴミヤさんはその2杯目もあっという間に平らげてしまった。そして、2杯分のカレーライスの料金を小銭で出して、テーブルの上に勢いよくバチッと置いた。
「一杯分でいいですよ。マジで。お願いします」
俺はゴミヤさんの顔をじっと見て言った。
「そうか。悪いな」
俺の勢いに押された感じで、ゴミヤさんがあっさりと引き下がった。そしてテーブルの上の小銭を、一杯分の料金に調整した。
「俺も工場があるからな、長居は出来ねえ。ただ、お前にひとこと言っておきたいと思って来たんだ」
ゴミヤさんが神妙な顔をして言った。
「……はい」
「礼を言いに来た。遅すぎるとは思うんだが、俺も最近ようやく事情を知ったんだ。おめーがスラムにしてくれたことは、感謝してもしきれねえ。ありがとうよ」
ゴミヤさんがテーブルに
「いや、ゴミヤさん頭をあげてください。えーと、ゴキブリのフンを処理した事ですかね?」
俺は慌てて言った。
「それもそうだし、予防注射と配給と。あとは道路整備までやってるらしいじゃねえか。それにゴキブリの警報システムもか。お前まさか、マフィアに肩入れしてるのか? いや、そうだとしても文句を言うつもりはねえが」
ゴミやさんが鋭い目つきで言った。
「いやいや、まさか。まあ、一応各方面に話は通したし、いろいろありましたけど。基本的にマフィアとは関わりたくないです」
俺は真面目な顔で言った。
「そうか。しかしマフィアのボスが逃げたってうわさがあってな。俺もいろいろ調べてみたんだが、詳しくは分からなかった。ただ、お前が相当金を出してるって事は突き止めたんだ。それで驚いてな……。だけどお前、なんで金を出してることを誰にも言わないんだ?」
ゴミヤさんが困ったような顔で言った。
「……特に理由は無いです。配給とかも、俺個人でやってるわけじゃなくて、教会のみんなでやってるわけだし。まあ、あまり目立ちたくないっていうのもあるかな」
「そうか……。目立ちたく無いっていうのは、お前らしいという感じはするよ。それでまあ、表沙汰になってないから無理もないんだが、誰もお前に礼を言ってないだろう? 俺が言ったところでなんの価値も無いんだが……。とにかくありがとう! 感謝しかねえ。恩に着るぜ」
ゴミヤさんが俺の肩に手をかけて、深くうなずきながら言った。俺はちょっと感動して、笑おうとしたけどなぜか涙が出てしまった。それを見てゴミヤさんが小さく笑って立ち上がった。
「なんにもお返しが出来ねえのがつらいよ。もし俺に出来ることがあったらなんでも言ってくれ。それじゃあな」
ゴミヤさんがそう言って、俺の目の前に片手を差し出した。俺はその手を強く握って頭を下げた。そしてゴミヤさんは店を出ていった。俺はその背中をじっと見つめている。
しみじみとする。空っぽで寒々しい俺の心に、少しだけ明かりが灯ったような喜びがあった。
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