第34話

 スラムの現在の状況について、サツキさんが俺に説明をしてくれた。

 ゴキブリの襲撃でスラムは多大な被害を被っており、復興には相当時間がかかると考えられている。状況を打開しようとして、サツキさんはスラムの有力者と何度か会議をしたそうだ。つまり、復興のためにそれぞれがどれだけお金を出すか、という話し合いをした。

 過去にも、ゴキブリの襲撃などでスラムが破壊されたことは何度もあった。そのたびにサツキさんが中心となって、この街を立て直してきたそうだ。しかし今回は風向きがおかしい。話がうまく前に進まない。街を捨てて他の地域に行く、という有力者も多いという。


「スラムの規模が大きくなり過ぎているの。復興の費用は莫大だし、大金を投じて街を復興させたところで、いつまたゴキブリの襲撃があるか分からないでしょう? 個人でお金を出すのはおかしい、と言う人が増えてきた。確かに、それも一理あるわよね」

「でも、普通の住人はお金を出せないですよね……」

 俺はつぶやくようにして言った。

「という訳でね、この街は今、財政破綻の一歩手前なのよ。マフィアのボスって言っても私はまあ、町内会長に毛が生えたみたいなものだから。住民から搾り取ろうなんて思ったこともないし。だから私も資金力はあまり無いのよね」

 サツキさんが苦笑して言った。

「さらに悪いことにね、どうやら伝染病が流行りそうなの。街の一角にゴキブリが大量の排泄物を残していったんだけど、そこに病原菌が潜んでることが判明してる。その場所はすぐに私が立ち入り禁止にしたけど、完全に封鎖は出来ていない。だから近いうちに病人が出るでしょうね。そうなったら、あっという間に病気は広がる。というわけでね……私もここが潮時かな、と思ってるの」

「潮時って……どういうことですか?」

「他の有力者と同じく、ここを見捨てる決断をしたってこと」

 サツキさんがにこやかな表情のまま、俺の顔を見つめて言った。なんてこった。この街は終わりが近いのか?

「でも、なんでそんな話を俺にしてくださったんですか? 事情が知れてありがたいですけど、なんで俺に?」

 頭が混乱してきた。寄付のお金を受け取るために、俺はここに来たんだけど。

「伝染病対策には凄いお金がかかるのよ。今回発見された病原菌はゴキブリペストと呼ばれているものでね。これのワクチンがとりあえず1000人分。予防注射が3000人分。ゴキブリの排泄物の処理も、早急にやる必要がある。全部で200万円くらいは必要かな。同時に、破壊された街の復興と整備の為に300万円くらいは欲しいわね。合計で500万円。こちらでそれぐらい用意できれば、有力者たちも寄付金を出す気になるはず」

「あのサツキさん、街を見捨てるって言ってませんでしたっけ?」

 さらに混乱して俺は訊いた。

「言ったわよ? それで金持ちが街を去った後、大量の死人が出るでしょうね。いまスラムには約一万人の住人がいるけど、病気が流行れば半分以上は死ぬでしょう。全滅の可能性もある。だからタクヤ、あなたも早めに逃げ出したほうがいいわよ」

 なぜか微笑んだまま、サツキさんが言った。

「……そうするしかないんですかね。どうしようもないんでしょうか?」

「今のままだとね。ところでタクヤ、そんな状況で教会はどうすると思う? 私はシスターたちと付き合いが長いから、あの人達の考え方はよく知ってるけど。病気が流行るから逃げ出せって言われて、その通りにする人たちだと思う?」

 サツキさんが小さくため息をついて言った。

「スラムに人がいるなら絶対、教会に残るでしょうね、シスター達は」

 俺は言った。その場合、紗季さんも残ると言いそうな気がする。そうなったら俺はどうすればいいだろうか。マイを連れてスラムから逃げ出すのか。そのために、紗季さんを見捨てるという選択が出来るだろうか。


 困惑しまくっている俺を見て、サツキさんが笑った。

「だから私も困っちゃってねー。街を見捨てると言ったのはまあウソで、結局私も最後まで残ることになると思う。もう十分長生きもしたしね。ただ、500万あればなんとかなるかも、と思うと心残りで。それでタクヤ君にね、一縷いちるの望みをかけて相談してみようって思ったの」

「え! 俺ですか? それは、どういう……」

「うん。あなた、なにか秘密があるでしょ。最近、発電所で大金を稼いだということは調査済みなのよ。一応私は仮説を立てたんだけどね。あなたは放射能耐性のある新型アンドロイドで、なんらかの理由で記憶を失って、都市部から逃げてきたの。そしてスラムで愛する人を見つけて、なんとか生き延びようとして頑張っている。いろいろ考えたけどそういう落とし所になったのよね。 ちょっとね、バカみたいな話でしょ?」

 サツキさんが微笑んで言った。この人はスゲー。伊達にマフィアのボスじゃないな。

「あの、大筋でサツキさんの仮説で合ってます。最初にお話しした通り、俺は自分のことをよく分かってないんです。ただ、放射能に耐性があるというのは本当みたいです。あと、俺はアンドロイドではないです。いや……どうなんだろうな。案外、サツキさんの話が本当だったりして」

 転生っていう記憶を植え付けられてるだけで、俺は都市部のアンドロイドなのかもしれない。そもそも転生ってなんだよ。よっぽど嘘くさい気がしてきた。

「まあまあ、落ち着いて。要はあなたに放射能耐性があるってことよ。それでね? もし私に協力してくれるなら、発電所で500万円を一発で稼ぐ方法を教えるわ。500万どころか、もっと稼げる可能性もある。ただしもちろん、それなりの危険は伴うけど。じっくり考えて決めて頂戴、と言いたいところだけど、伝染病の件があるから、できればこの場で答えが欲しい。どうする?」

 サツキさんがなんだか楽しげに、ノリノリになって言った。突然過ぎて考えがまとまらない。まあ、500万稼げたら凄いけどな。それで街も救えれば一件落着だ。俺に他の選択肢は残されていないような気がする。

「やります。やらせてください。だけどあの、一つだけ条件をつけてもいいですか?」

「うん、聞くわよ」

「俺、恋人がいて。その子の存在が、俺の生きる支えになってるんです。なのでサツキさんが、その子の今後の生活と、将来の事を保証して下さったら非常に有り難いんですが。そしたら俺は、安心して仕事が出来ます」

 俺は頭をフル回転させながら言った。

「分かった。間違いなく保証する」

 サツキさんが真面目な顔で頷いた。

「その……俺が失敗して死んで、金も得られなくて。街が壊滅した場合はどうなりますか」

「それでもちゃんとその子の面倒を見て、私が悪いようにはしない。信用して頂戴。そういう契約にしましょう。文書にもする」

 サツキさんがきっぱりと言った。

「ありがとうございます。じゃあ次は……500万ですよね? 疑うわけじゃないですけど、本当にそんなに稼げるんですかね?」

 笑って言ったけど、急に不安になって来た。

「放射能耐性なんてものがこの世に本当にあるならね、たぶん稼げるわよ」

 サツキさんが不敵に笑って言った。


 八王子の発電所の地下10階に、核融合炉が10基ある。そのうち8基は現在も稼働中で、関東地域に電力を供給し続けている。残り2基は大地震が起きた時に何らかの理由で自動停止して、再起動がされていない。この停止している核融合炉が今回の目標だ。

 核融合炉は非常に小さくて、両腕で抱えられるほどのサイズだ。重量は一つ10キロ。これを1基でも持ち帰ることが出来れば、裏ルートで売りさばいても、恐らく500万円から一千万円以上の値段がつくだろう。可能ならば2基持って帰りたい。そうすればかなりの儲けになる。

 サツキさんは60歳になるまで、30年間ぐらい汚染地域で金を稼いでいたそうだ。だから発電所に関してかなり詳しい。そして、核融合炉を手に入れることはサツキさんの長年の夢だった。しかし放射能の問題がどうしてもクリアできずに、あきらめざるを得なかった。汚染地域の仕事を引退した後、サツキさんはスラムで人材派遣業を始めて成功し、いつのまにかマフィアのボスになっていた。長年汚染地域で働いていた為に体はボロボロだったが、稼いだお金で体のパーツを人工物と取り替え続けて、ここまで生き延びてきた。その間も融合路のことは頭から片時も離れなかった。いつの日にか手に入れたいと考えていて、情報も収集し続けていたという。

 すごい人生だ。サツキさんの話し方も上手くて、引き込まれてしまった。もっと詳しく聞きたいけど、今は仕事の話をしなければならない。サツキさんが長年狙ってきたという夢の核融合炉を、今回、俺が取りに行くことなるわけだ。


「地下10階へはエレベーターでダイレクトに行けるはずなの。そこに至るまでのルートと、セキュリティの問題はすべて解決してる。だけど放射能のせいでそこに行ける人がいない、ということだったのよ。アンドロイドも、機械も使えない。でもタクヤ、あなたなら行けるわね」

 サツキさんが頷いて言った。

「当然ゴキブリは出ますよね? 地下10階でも」

 俺は訊いた。

「可能性は高いわね。一般に、下へ潜るほど変異種のサイズも上がっていくと言われてるの。地下5階で3メートル級が出たという記録もあるから、地下10階はして知るべしというところね。でもね、まったくゴキブリが出ないという時も結構あるのよ、なぜだか」

 サツキさんが笑って言った。

「俺の運次第ってことですね……。ちなみに3メートルのに出くわしたら、どうすればいいんでしょう」

「戦っても勝てるわけがないから。餌を投げて逃げるか、相手が入って来れない場所に身を隠してじっと待つか。ただ、急に襲われたらオシマイかな。確かに運は必要よね」

「……わかりました。それじゃあ、なるべく早く出発します。教会のみんなに説明をしてから、明日の朝にでも発電所に向かおうと思います」

 俺は覚悟を決めて言った。ここで細かいことを悩んでも、あまり役にはたたないだろう。勢いで行くしかない。

「よし。それじゃあ私は必要な情報と道具を揃えるわ。出発前にもう一度ここに来て頂戴。あなたの恋人に関する書類も、その時に渡せるように用意をしておく」

 サツキさんがきっぱりと言った。それから教会への寄付金、10万円を封筒に入れて手渡してくれた。俺は丁寧にお礼を言ってサツキさんの部屋をあとにした。

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