第13話

 目が覚めた。視線の先に天井がある。俺は部屋の中にいる。久々に熟睡出来た。体の疲れはまだ残っているけれど、心は晴れやかだ。俺はベッドからゆっくりと体を起こして、大きく伸びをする。これが人間の生活だよな……。

 部屋の中を見回す。テーブルの上に、水の入ったガラス瓶とコップが置いてある。俺は水を一杯もらって飲んだ。部屋には小さなガラス窓があって、俺はそこから外を覗いた。夜明け前でまだ薄暗い。……部屋の中にいるってのは、本当にありがたいものだな。

 小さくノックの音がして、部屋のドアが開いた。


「おはよう」

 紗季さんが笑顔で現れた。片手にポットを持っている。

「おかげさまでよく寝られました」

 俺は小さく頭を下げて言った。

 紗季さんがテーブルの上に、お皿とスプーンを置いた。ポットからオレンジ色のスープが注がれる。白い湯気がたっていて、旨そうな匂い……。

 どうぞ、と言われて俺は椅子に座った。スープをスプーンですくって、ゆっくりと飲む。コンソメスープだ。美味い……。体の隅々に温かさと塩気が染みわたって行く。朝飯があるってのも幸せなことだな……。スープを飲み終えたあと、紗季さんと俺は再びこの世界について話を始めた。


 紗季さんは俺より少し早く、一ヶ月前くらいにこの世界に来た。スタート地点が教会だったので、最初から比較的生活に余裕があった。日常的にスラムの住人と交流がある。だから少しだけ情報収集ができている、と紗季さんが言った。この世界のあらましについて、紗季さんが得た情報を俺は教えてもらった。


 今からだいぶ昔に、と言っても俺たちにとっては未来だけど、日本全土で大規模な地震があった。そのために日本は荒廃して、人口もかなり減っている。経済的なダメージも大きかったので復興はほとんど進んでいない。

 現在、東京の中央区のあたりに都市部と呼ばれる地域があって、権力者や金持ちはそこで豊かに暮らしている。外部の人間の立ち入りは厳しく制限されている。基本的に貧乏人は入る事が出来ない。

 俺たちが今いる新宿のスラムは、都市部のゴミ捨て場として機能している。スラムの住人はゴミをリサイクルして、使えそうなものを都市部に還元をする。その対価として食料や生活品を分けてもらっている。


「とりあえず、分かっているのはそれくらいかな」

 紗季さんが言った。

「あのゴミ山はそういう事か……」

 俺はつぶやいて言った。

「あとね、東京の西の方に発電所があるそうなの。ただ、地震の影響でそこから放射能が漏れていて、発電所周辺はかなり汚染されてる。だから普通の人はそこへは近づかない。放射能の影響で、巨大化したゴキブリがたくさんいるらしい」

「マジですか。巨大ゴキブリはそのせいだったのか」

「でもね、発電所にはお金になるものがたくさんあるらしいの。それを目指して、発電所に向かう人もいる。スラムで餓死するくらいなら、ということで無茶をする人も多いらしいの。だけど生きて帰ってきた人はほとんどいない。たとえ帰ってきても、後遺症ですぐに死んでしまう。という、うわさみたいな話なんだけど。でもこの話は、タクヤ君には有用だと思う」

 紗季さんが真面目な顔で言った。

「確かに。スキルがまともに作用するなら、俺は発電所に行けるかもしれないですね……」

「確かな事はまだ分からないけどね」

「うわ……貴重な情報を頂きました。少しだけ希望が出てきました」

 胸が熱くなって来た。

「希望は大切だよね、生きていくには」

 紗季さんがしみじみとして言った。自殺した人が言うと重みがある言葉だ。

「そういえば……高円寺には1メートルのゴキブリがいるらしいですよ」

 俺は言った。

「うん。スラムの中まで入ってくることもあるらしいよ。人が殺されることもあるって」

 紗季さんが眉をひそめて言った。

「人間とゴキブリの、生存競争になっているんですかね……」

「都市部には対ゴキブリの兵器があるらしい。その一方でスラムの人は、柑橘系の木を植えたり、煙を焚いたり、薬剤を撒いたり。昔ながらの方法で、なんとかしのいでいるみたい。最終的には逃げるしかないんだけど」

「マジでベリーハードですね、この世界は……」

 俺はそう言って紗季さんと深く頷きあった。


「紗季さんはこの先、どうやって暮らしていくつもりですか? もう食うには困らないですよね」

「うん……食うには困らないね」

 紗季さんがニヤッと笑った。

「あ、いや違います! そういう意味で言ったんじゃないですよ! 紗季さんはすでに、生活が安定しているって意味で……」

 俺は焦って言った。紗季さんが笑った。

「教会のシスターに、学校の先生をやって欲しいって言われてるの。スラムには学校に通えない子がたくさんいてね。その子たちに、教会で簡単な読み書きと、計算を教えてるの。とりあえずはその仕事をしようと思ってる」

「あー、紗季さんならいい先生になりそうだ。俺も教わりたいかも」

「あくまでも小学校レベルの話だから。それに、実際は学校と呼べるほどの物じゃないかも。子供もみんな、ゴミ山で働いているから出席率も悪くて。でもたまに学校に来て、足し算とか漢字を勉強できたらいいよね」

 紗季さんが微笑んで言った。

「そうですね……」

 俺は、マイの笑顔とやせっぽちの姿を思い出した。みんなギリギリで生きてるんだよな。俺もなんとか、自分の食い扶持を見つけなければいけない。


 紗季さんとたくさん話が出来て嬉しかった。転生してきた人間同士の、絆のようなものを感じるようになった。本当に有り難い。だからこそ俺は、これ以上紗季さんに迷惑をかけたくない。そろそろここを出て行くべきだろう。俺は紗季さんに外に出て行く事を告げた。

 紗季さんが俺の顔をじっと見た。

「教会で一緒に暮らせたらいいんだけど。でも今の私にはその権限がないの、本当にごめんなさい」

「いえ、一晩泊めてもらって本当にありがたかったです。紗季さんに出会えて、俺は前向きになれました。なんとか生きていけそうです」

「お金は持ってる? ジャンクヤードで、ほとんど盗まれたんだよね?」

「あ、そうだった。110円しか残ってないんだった。あの……もしできればですけど、お金を貸していただけたらありがたいです……」

 かっこ悪!

「喜んで貸すよ。私もあまり持ってないけど」

 紗季さんが笑って言った。そして100円玉で20枚、2000円を俺に貸してくれた。教会のシスターが、毎日100円をお小遣いとして紗季さんにくれるそうだ。他にも仕事をしたときに、お駄賃をもらうことがあるという。……スゲーよな。紗季さんの場合は、スキルの効果もあるんだろうけど。


「いつでも会いに来て。困った事があったら何でも相談してね、私もそうするから。定期的に会って情報交換をしよう」

 紗季さんが優しい笑顔で言った。女神だ。

「お互い、頑張りましょう」

 そう言って俺は紗季さんと固い握手を交わした。

 教会の外に出て、俺はごちゃごちゃしたスラムの街に戻った。紗季さんに出会う前までは、絶望感を持ってこの景色を眺めていた。でも今は少し違って見える。これがゲームだとしたら、やっとチュートリアルが終わった感じだよな。

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