おまけ

 ガタン、と車体を揺らして路面電車が止まる。カンカンと音を響かせながら、長い遮断機が下りる。

 いつもの朝の、いつもの風景。交差するダイヤモンドクロスの手前で、美春たちは今日も郊外線の通過待ちだ。


「もうすぐ夏休みかー」


 今日は珍しく運転席のすぐ後ろを陣取ったので、真っすぐ伸びる道路の先の方が揺らめいているのが見えた。また暑い一日になりそうだ。


「そうだねー。楽しみ」


 美春は隣に立つ洸太を見上げた。そろそろ郊外線の駅舎から乗客が押し出されてくる頃だけれど、もうそちらを見たりはしない。隣を見る約束をしたから、ではない。今美春が見たいのは、頭ひとつ高いところにある幼馴染みの顔だからだ。


「どっか行こうぜ」


 当たり前のように洸太と目が合った。何でもないことなのに、美春の心臓がトクン、と跳ねる。


「うん……」


 何でもないことが嬉しくて、それからちょっと恥ずかしい。赤く染まったに違いない頰を隠したくて美春は俯いた。鳴り続ける遮断機の音と心臓の音が重なって、ますます鼓動が早まる。耳のそばで、どっちが煩いのか分からないくらい響き合って美春を混乱させる。


 ガタン、と揺れた車体が動き始めた。いったい、いつの間に郊外線は通り過ぎていたのだろう。不意を突かれた美春の体が傾ぐ。


「きゃっ」


 後ろに倒れかけた美春の腕を洸太が引いた。お陰で倒れずに済んだけれど。


「大丈夫か?」


 顔を上げられない美春の耳元まで頭を下げて洸太が訊いてくる。腕を掴んでいた手が、守るように背中に添えられる。


「大丈夫じゃないよぅ」


 囁くように美春は言った。だって声が震えて、まともに顔も上げられない。心臓が跳ね回っていて、どうしていいか分からなくなる。

 こんなこと今までに何回もあったのに、なぜだかこれまでと全然違うのだ。色も熱も、全く違って見えて美春を怯ませる。ちょっと怖いのに、ふわふわと擽ったくて困ってしまう。


「どした? どっか打った?」


 心配声の洸太が、様子を確かめようと体を離す。途端にふたりの間に冷たいエアコンの風が流れ込んできて、美春は慌てて洸太のシャツの腰のあたりを握った。


「美春サン」


「……」


「この手は……」


 洸太のセリフが棒読みだ。


「……違うよ?」


「……おう」


 何が違うのか。何がおうなのか。

 可笑しくなって美春は笑った。車内アナウンスが停車駅を告げる。


 長く待たされるダイヤモンドクロスが嫌いだったのだけれど。毎朝の混み合った電車が鬱陶しかったのだけれど。


「ねえ洸太」


「んー?」


 ガタンと揺れて電車が止まる。アナウンスが、下車駅を告げる。


「いいことあったみたい」


 ぞろぞろと降り始めた乗客に混じって、美春と洸太も電停に降りた。狭い電停に、信号待ちの乗客がひしめく。


「え」


 信号が変わって周りが歩き始めた。動く気配の無いふたりを怪訝そうに避けて、人波が流れてゆく。


「私も嬉しくなった」


 長い停車待ちも鬱陶しい満員電車も、洸太といる時間は、好きな人を見上げる時間。いつも必ず目が合うのはきっと。


「マジで?」


「うん」


 信号が点滅して赤になった。電停には、次の電車を待つ人たちが疎らに立っている。


「……サボってみたり」


 真面目顔の洸太が美春を見下ろした。顔とセリフが合っていない。


「なんで?」


 逆回りの電車がやって来て、また電停に人が溢れた。信号待ちの時間を表す目盛が、ひとつずつ減ってゆく。


「ここは学校サボってイチャイチャする流れ……」


「流れません」


「えー」


 美春は笑った。信号が変わって、人波が動く。


「マジメかよ」


 洸太も笑って歩き出した。さり気なく美春の手を引いて。


「マジメだもーん」


 線路が交差するダイヤモンドクロスは珍しいらしい。だけど美春には当たり前の日常で、だから気に留めることがなかった。

 でも。


「夏休み、行きたいとこいっぱいある」


 しっかりと重ねられた手に視線を落とす。それから、見慣れた幼馴染みの顔を仰いだ。


「俺もー」


 当たり前にそこにあった日常が、キラキラと輝き始める。繋いだ手のその先には何が待っているんだろう。夏休み目前の高二の今は、そんなことに夢中だ。

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遮断機の鳴るあいだ 早瀬翠風 @hayase-sui

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