燃え上がるものと燻るもの

「ミーチャさん、お待たせしました」


 だいぶ薄くなってきた催涙ガスのモヤを掻き分けて、ヘイゼルが扉の前まで戻ってきた。奥で何があったのかは見えてなかったけれども、用は済んだという表情からして残る三人は始末したのだろう。


「ナルエルちゃんも、おつかれさま。問題はありましたか?」

「あると言えば、ある。後で、これを見てほしい」


 ナルエルはヘイゼルに、書類の束を差し出す。収納で受け取ったツインテメイドが首を傾げると、ナルエルは無言で頷いて指を取り自分の額に触れさせた。

 情報交換を自分の記憶から行おうとしているのはわかる。口にしたくないことでもあったのか。ふたりの反応からして、そのようだ。それが何かはわからないが、俺が干渉する問題でもないような気はした。


「なあヘイゼル、奥の三人のなかに黒幕はいた?」

「いいえ、精製作業の管理者と助手でしたが……タキステナで魔薬の精製作業を行えるのは彼らだけですから、当面の問題は解決ですね」


 あまりスッキリした風でもなくそう言って、ヘイゼルは俺とナルエルを外に出るよう促す。

 鉄扉を通り抜ける前に振り返って、ステンガンを壁際の精製用大容器に向ける。数発を発射しただけで内容物が飛沫を上げて噴出し始めた。

 いや、そうするだろうと予想はしていたが。溢れ出る“強撚性の謎液体”は思ってたより大量だった。あっという間に床を広がって、こちらにまで迫ってくる。


「着火します。外まで走ってください」

「お、おう⁉︎」


 彼女は手榴弾グレネードのピンを抜いて放り込み、先行したナルエルを追って走り出す。あっさり抜いていったヘイゼルを追って、俺も階段を駆け上がりエントランスを突っ切る。


「ミーチャさん、急いでください!」


 これが限界だっての。叫びたいが、声にならない。建物の入り口で俺を待つヘイゼルの姿も、声も遠い。ガスマスクで呼吸が苦しい。呼気で目の前が曇ってよく見えない。戦争映画の新兵訓練でガスマスク装着状態のまま走らされるシーンがあったが、まさか自分がやることになるとは思っても見なかった。

 必死で足を動かしても前に進んでいる気がしない。既に背後では階下から吹き上げる真っ赤な火炎が壁を照らし始めていた。マズい。マズいマズいマズい……!


「こっちです!」


 外に飛び出したところで、ヘイゼルが俺を引き寄せながら転がる。危うくけた俺たちの傍らを、扉から外まで凄まじい炎が噴き抜けていった。


「あぶなッ!」

「すみません、燃焼速度が予想以上でした」


 俺の手を引いて立ち上がると、ヘイゼルは楽しそうに笑いながらガスマスクを剥いだ。俺も手探りで剥ぎ取り、新鮮な空気を吸い込む。かろうじて座り込むのは耐えているものの、足が震えてギクシャクとしか動けない。


「戻りましょう。ミーチャさんと……あとハネルさんにも、お伝えしたいことがあります」


◇ ◇


 深夜は回っているが、まだ夜明けには間がある。体感では、午前三時前後か。ひと気のない小道を選んで、俺たちは元来た道を戻る。途中で、駆けてゆく衛兵らしき集団と擦れ違った。物陰に隠れていたこちらに、気付いた様子はない。

 ただ、思ったより反応が早い気はした。


「もしかして、彼らは襲撃を警戒してた?」

「いいえ。魔導技術院は領主の聖域ですから、衛兵と接触自体ないです。単に仕事熱心なんでしょう」

「衛兵は関与していない?」


 俺の問いに、ナルエルが無言で頷く。だとしたら、彼らを殺さなくて正解だった。タキステナの住人に対して義理も思い入れもないが、それでも罪もない公僕を殺したいとは思わない。

 ハネルさんの家の前まで来ると、窓に明かりが灯るところだった。外の騒動に気付いて起き出したのだろう。


「どうぞ、モウダン」


 ノックする前に、なかから声がした。ナルエルも悪びれず扉を開け、手を振って入っていく。


「なんでバレた」

「魔力が特徴的すぎる。君は隠密行動に向かないな」

「問題ない。見付かったら、そのときはそのとき」


 寝起きに巻き込まれたというのに、気を悪くした風でもないのはハネルさんの人柄か、それともふたりの信頼関係か。部外者の俺たちまでそれに甘えるのも筋違いではあるが。俺とヘイゼルはお礼を言って、またハネルさん宅にお邪魔する。


「こんな時間にすみません。用は済んだのですが、少しお聞きしたいことがありまして」

「かまわないよ。どうにも寝付けなくてね。いまお茶を入れよう」


 それでは、ということでお茶の用意はヘイゼルがすることになった。お湯だけもらって、茶葉と茶菓と茶器は自前だ。茶菓子は定番のチョコレートと全粒粉ビスケット。紅茶もティーバッグではなく、ちゃんと茶葉から煎れるものだ。

 本場ブリテンメイドのお手前を、ハネルさんは感心した顔で味わう。


「素晴らしい味だ。これはもう、魔法と言っても良い」

「恐縮です。これまでに積み上げてきたものを、当たり前に扱っただけなのですが」

「それが魔法というものだよ。少なくとも、本来はそうあるべきだ」


 うん。長命種のエルフと長寿国家ブリテンで、奇妙な共感が生まれているっぽい。俺にはイマイチよくわからないが、お茶も茶菓子も美味いのでヨシ。


「この騒ぎで状況は朧げに理解しているけれども、聞きたいことというのは何かな?」

「まず報告。魔導技術院で魔薬フェンティルの生産を始めたのは、わたしの指導教授だったパータム。新領主ハーマイアに話は通してあったようだけど、そちらは黒幕ではなくお飾り」

「だろうな。あの男には悪行を主導するほどの意思も、考える頭も、止める力もない」


 辛辣だな。でもまあ、鉱山都市マカの“賢人会議”で見せた失態を思い返すと、さもありなんという感想しかない。ハネルさんは、ナルエルに先を促す。なんとなく、何を訊かれるかは知っているような印象。


「この件には、王国が関与している?」

「いや。無能街の仲間内では、タキステナ上層部を抱き込んだ王国がしたものだと考えているよ」


 またかよ、とは思うが意外ではない。その“王国勢力”とやらが、どこの何者かまでは俺の理解の外だ。既に王都も王宮も王族も崩壊し、王国自体が滅びに向けて邁進中なのだから。

 ヘイゼルは、ナルエルが上層階で回収してきた書類をテーブルに出す。俺には読めないが、そのいくつかに王国の魔導承認印がされているようだ。召喚直後の俺がエーデルバーデンの冒険者ギルドで結ばされた魔法による契約に似たものだろう。


「なるほど。やはりアイルヘルンと王国、ではないね。タキステナ魔導技術院長パータムと、王国貴族院との直接契約だ。彼らに実体があるのかは不明だが」

「ヘイゼル、貴族院って、前に見た反王家派閥か?」

「そのようですね。まだアイルヘルンに介入するほどの力が残っているとは思いませんでした」


 西端辺境のゲミュートリッヒを相手に惨敗を喫して、俺たちと敵対的な他領と手を結んだのか。しかも兵を送るではなく薬害による侵食を図った。これが戦争で手段を選ばない前提で考えれば、悪くない手法のようにも思える。

 結果は、またも惨敗だけどな。


「ハネルさん。精製作業を指揮していたのは、マイトコルという人間の研究者です。ご存知ですか?」

「ああ。魔道具の納品で魔導技術院に行ったとき、何度か検品に立ち合っていた。聖国でして、タキステナに逃れてきた魔導師だそうだ」

「うん。でもハネルは信じなかった。その根拠は」


 表情でも読んだか断定的なナルエルに、ハネルさんは苦笑する。


「上手く隠していたが、特徴的な剃髪痕があった。彼は聖国の僧兵だね」

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