ハッシュドパピーズ
「水龍?」
ランドローバー・ウルフの運転席で、俺は南に目を向けた。いくらか植生や起伏はあるものの、見渡す限りの平地だ。ドラゴン的なものなど見えないし、隠れられそうなものもない。
後部座席で子犬獣人たちを介抱していたヘイゼルは、移動に備えてベンチシートに彼らを固定し始めた。
「それって、あの王国とアイルヘルンの間にある大湖にいた……」
「はい、マルテ湖ですね。距離があるので、別の個体でしょう」
だよな。マルテ湖ってのは、直径一キロ越え確実な巨大水源。あんな環境なら、水龍くらい居ても腑に落ちるんだけど。商都サーエルバンから鉱山都市マカの間にあるアイルヘルン中南部域は、以前に上空から眺めている。緑は多かったが、大きな水面を見た記憶はない。サーエルバンにもマカにも、さほど水資源が豊富なイメージはないしな。
「この辺、そんなデカい魔物が棲息できるような湖沼やら河川があるの?」
「わたしの知る限り、ないです。河川はありますが、水深も川幅も
「だよね。それじゃ、小さい水龍……ってこと?」
「わかりません。魔力と気配は水龍ですが、あの魔圧は幼体には思えません」
南から響いていた音は止まっていた。水龍がいるというなら、あれが咆哮だったのだろう。水龍ってのがどういうものかも知らんが、あんな声で暴れてるやつがミニサイズとは俺も思えない。
「……行ってみるか? 他に迂回ルートはないんなら、いつかは対応しなきゃいけないわけだし」
「ですね」
ヘイゼルは、そう言って少し微笑む。
“ほっとけば地元の人間がどうにかすんだろ”、という選択肢もあるが、俺たちはそれを口にしない。サーエルバンもマカも、ゲミュートリッヒの数少ない友邦だ。となれば、その間にある問題を放置するのは不誠実な気がした。
上手く言えないが、それは
「かの
ヘイゼルは俺を見て笑う。
「“
「誰だ、太っちょ。ええと……言いそうなのはチャーチルか」
「
俺はグレイトではないし、そうあろうとしたこともない。でもまあ、そこはヘイゼル的イギリス語での“グレイト”なんだろう。“しょーもない”とか、シニカルな意味の。
「とはいえ、重火器や装甲車輌、
「いや、そうでもないぞ」
手持ちの武器は
そんな話はいまさらだし、必要なら購入すると考えれば、むしろ自由度が上がったとも言える。
「いまなら好きなもんを買って、好きなように戦える。ほら、俺たちってカネ持っても貧乏性だしさ」
「俺、
自分と俺を指してヘイゼルが首を傾げる。いや、あなたも……というか英国的スピリッツとして、無意味な浪費とか嫌がるタイプでしょうよ。
笑いながら話していると、横たわっていた子のひとりが
「うぅ、う……んッ⁉︎」
「あら、目が覚めましたか」
「やめて、離して!」
落っこちないようにとベンチシートに固定していたシートベルトを、
「大丈夫ですよ、すぐ外しますから。ほら、もう動けます」
「きッ、キリエは⁉︎ 弟はどこ⁉︎」
ヘイゼルは身体をずらして、反対側のベンチシートに横たわる子を見えるようにした。
「弟さんは、この子ですか?」
「キリエ!」
「眠っているだけです。
「キリエは、無事なの?」
「はい。暖かくしていれば問題ありませんよ」
ホッとしたのか、最初に目を覚ました子は息を吐いて小さく肩を落とす。怖い目に遭ったのか警戒しているのか寒いのか、小刻みに身体が震えていた。
「少し冷えますね。温かい物でも飲みませんか?」
「え?」
ヘイゼルがひらひらと手を振って、魔法のように……魔法なのかもしれんが、カップとポットの乗ったトレイを取り出す。女の子もそれを見て驚きはしたが、特に尋ねはしない。魔法の類を見聞きしたことはあるのだろう。
「ミーチャさんもどうぞ」
「ああ、ありがと」
優雅に注がれたお茶のカップは女の子に手渡され、後席との仕切りの隙間から運転席の俺にも渡される。女の子がこちらを伺っているところからして、信用させるために俺が口を付ける流れかな。
飲んでみると、少し甘めのミルクティだった。
「うん、いつもながら美味いな」
「光栄です♪」
これは寒さと疲労で弱った女の子を考えてのチョイスか。ふだんの華奢なカップ&ソーサーではなく、厚手で大きめのマグカップなのも気が利いてる。お茶菓子として小皿に入った
「身体をなかから温めると、気持ちが落ち着きますよ。わたしもいただきますから」
「……うん」
三人でビスケットを齧り、お茶を飲む。こんなことしてる場合かどうかは、正直わからん。でも情報源である彼女がこちらを信用してくれないことには身動きが取れない。そもそも問題が何で状況がどうなっているのか不明だ。このまま突っ込んでも碌なことにはならない。
「ありがと、おいしかった」
「いいえ」
いくぶんホッとした顔で、女の子はヘイゼルにカップを返す。
「わたしはヘイゼル、こちらはミーチャさん。あなたのお名前は?」
「……わたし、アリエ。そっちが、弟のキリエ」
お茶を飲み終わっても、獣人弟キリエは目を覚さない。すやすや眠っているだけのようだし、とりあえずの心配はなさそうだ。
そろそろ良いだろう。何が起きたか訊かなくては。場合によっては、手遅れになりかねない。女の子から話を訊くなら女性からの方が良いだろうという俺の視線に、ヘイゼルが小さく頷く。
「何があったのか、教えてくれませんか。あなたがたは、どうしてここで倒れていたんです?」
「……サーエルバンまで、逃げろって、言われて」
彼女が指差すのは南の方角。ふたりが逃げてきた先だ。
「逃げるって、水龍からですか」
「わからない。でも村の大人は、そう言ってた。“ありゃ、みずちだ”って」
彼女は身振り手振りを交えて、自分たちに起きたことを話し始めた。
「昨日の夜から、雨が続いて。地面が揺れて。どんどん激しくなって。村の外れで
その奥に開いた大きな穴から恐ろしい声がして、調べに行った村の大人たちが襲われて大騒ぎになったのだとか。
彼女の住む村の近くに、さほど大きな水源はない。川はあるが、大人なら歩いて渡れる程度の小川だけ。ということは……。
「水龍は、地下水脈に沿って移動してきたってことか?」
「お話からすると、そのようですね。昔から休眠あるいは封印状態だった水龍が目覚めたという可能性もありますが、でしたら村には何かしら伝えられているはずです。祠というのは、
どこからどう来たかは後でも良い。でも、どうするべきかは問題だ。仮に、俺たちが水龍を仕留めるとして。地上に出てこないことには手の出しようがない。
「ミーチャさん」
「……この子たちは、いったんサーエルバンに預けよう。何かあったときに守り切れない」
「待って! 行くなら、わたしも」
「ダメだ。弟のことも考えてくれ。片付いたら、すぐ迎えにくるから」
「いや!」
頑なに拒絶しながら、アリエは後席と運転席の仕切りに縋り付く。俺を見た顔に浮かんでいるのは、怒りと絶望、そして恐怖だ。
「そうやって、わたしを突き放して! 戻ってこない! みんな!」
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