王国軍の火種
「ハイネル男爵だ。カインツ子爵に御目通りを」
兵士の一団が、領主館の中庭で露営の準備を始めていた。黒地に白い十字の紋様はカインツの直属部隊であることを示している。
エーデルバーデン討伐部隊の指揮官カインツは元傭兵の成り上がりで、“筋肉の塊”としか表現のしようがない巨漢だ。戦さ場での勘は獣のように鋭く、武人としての腕と魔力はそこらの魔物をも凌ぐ。
彼の部下として鍛え上げられた傭兵団は、そのまま私兵として子爵領軍に雇い入れられた。実際、気性の荒さと礼儀の酷さを除けば、王国でも最精鋭として名高い最強の部隊だ。
「おう、ハイネルの芋男爵か。犬の死骸は見付かったか」
通された領主の執務室で、カインツは酒杯を掲げながら笑った。
第一声がそれか。ハイネル家の子飼いとはいえ冒険者ギルドの中枢に取り入って王国軍に有用な情報と物資を送り続けていた事務官コタラスを、“犬”呼ばわりとは。
「死体は発見できませんでしたが、複数の目撃者から死亡は確実のようです。事務官コタラス、衛兵隊長マーバル、冒険者ギルドの管理長バーガル、商業ギルドの管理長マーケン。主だった者は全て死んでいます。町の住人の半数以上も死んだか行方不明です」
「それに、領主メルケルデと、“
カインツが顎をしゃくった先では、全身に短剣を刺された老婆が血の海に沈んでいた。
「は?」
「俺がヒヨッ子の頃から戦場を荒らし回ってた、ハーフドワーフの化け物だ。なんでか身体強化の魔道具をぜーんぶ剥がされて、テメエの重甲冑に押し潰されてるとこを捕まえた」
「では、これは閣下が」
「ああ、
カインツが酒杯を振って空なのを示すと、どこから攫われてきたのか怯えた町娘が酒樽を抱えて近付く。
「メルケルデも、奴の護衛に付いた“
町娘の腰を抱えて酒樽ごと引き寄せる。震えながら静かにもがく女の顔を、カインツはべろりと舐め回した。
「ワーシュカのいた傭兵団も、あっという間に擂り潰されたってよ。それも、たった一輌の乗り物のせいでな。お前の部下が言ってた、あれだろ」
「装甲馬車を貫く魔道具、ですか」
「アイルヘルンに出した追撃部隊……伝令さえ戻って来ねえとこ見ると、
「まさか」
精鋭魔導師五名に、二十以上の重装騎兵、馬車に歩兵を三十以上も付けて全滅? ありえない。そんな事態が起きるはずがない。もしそれが現実であれば……
「お前は、もう終わりだな。後のことは、こっちに任せろ。お疲れさん」
カインツは笑いながらひらひらと手を振り、ハイネルに退出を促す。いつの間にか下履きは脱ぎ捨てられ、娘を執務机に後ろから抑え込むと、こちらには目もくれずスカートを捲り上げた。
「ケダモノめ」
ハイネルは小さく呟きながら部屋を出る。すでに個人の進退で済む話ではない。問題は、得体の知れない強大な戦力が王国北東部にいて、それがアイルヘルンに逃げ込んだという事実だ。
この期に及んで自分の手で排除しようなどとは考えるのは、頭の足りない元傭兵くらいだ。
「王都への早馬を用意させろ」
外に出たハイネルは従兵に命じると、北東方向を見てニヤリと笑みを浮かべた。
兵士五十名の死は、個人の責任で終わるかもしれない。だが、そこを超えれば。大き過ぎる数字は、隠しようがない。処罰や責任の及ぶ範囲が広がれば広がるほど、多くの知恵と資産と権力が隠蔽に向けて動き始める。
「泥を被るなら、道連れは多いほど良い」
ハイネルは笑う。王国とアイルヘルンの戦争に持ち込む以外、自分に生き延びる道はないと。
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