ブラディ・ヘル
「町の向こう側は、魔物の群れでいっぱいにゃ。人間たち、半分は町から逃げ始めてるにゃ」
斥候に出てくれたネコ耳のお姉さんが、俺たちに状況を報告してくれた。
「あと半分は?」
「建物にこもってるけど、魔物に入り込まれて、ずいぶん食われてるみたいにゃ」
彼女に同行したネコ科獣人の男性が頷く。
「逃げてる方も無理だな。どこに逃げ込む気か知らんが、最寄りの町まででも半日は掛かる。町を出るまでは算段を考えてたようが、その先はない。フォレストウルフの群れがいるんじゃ、途中で喰いつかれて終わりだ」
「算段って?」
「餌を、撒いてたにゃ」
「え」
「人間の、冒険者の連中が……誘き寄せる餌に、されてたにゃ。教会と、領主の命令だって、言ってたみたいにゃ」
そいつらも防衛戦じゃ亜人たちを餌にしてきたみたいなんだけど。それでも、イラッとはした。
「商業ギルドの会館は、入れそう?」
「大丈夫、だけど……ちっこいのが籠城してたにゃ」
「ちっこいのって何だ。そっちにも亜人がいるのか?」
「違うにゃ。ちいさい……子供が、立てこもってたのにゃ」
「「「あ⁉︎」」」
俺とエルミとヘイゼルの低い声が重なって、斥候のネコ獣人女性はビクッと怯えた顔になる。
「ごめん、君が悪いわけじゃない。わかってるけど、つい」
「わかるにゃ。わたしも、やり切れなかったにゃ。それで、報告は済んだから、もういいにゃ?」
立ち去ろうとしたネコ獣人女性が外に出ようとしてるのを呼び止める。
「名前を、教えてくれるかな。俺はミーチャ」
「……スーリャにゃ」
「おっけー、スーリャ。帰ってきてすぐに申し訳ないんだけど、そこまで案内を頼めないかな」
「ウチも行くニャ」
今度はエルミも同行する気だ。負傷者がいた場合を考えて、俺も彼女を止めない。
「なんで」
スーリャは不思議そうな顔で見るが、独断で助けに行くことなんてバレバレだ。
なんだよ、ネコ獣人チームってば、みんな外で待ってるんじゃん。
総勢四名。みんな覚悟を決めたのか、俺たちを見て穏やかに笑う。
「ちょっと待ってくれ、今度は斥候じゃなく救出だ。それなりの備えが欲しい」
「備え? みんなで行くにゃ?」
いま冒険者ギルドにいる亜人戦力はゴブリン程度なら対処可能だというけど、報告によれば魔物の群れは百を超える。だったら、本隊はこの場で篭城していてもらった方が動きやすい。
「ヘイゼル、サポートを頼めるかな。あと、予算内で出せる車両を調達してほしい。可能なら……」
「ええ、支援火力もですね」
目の前に現れた車輌を見て、俺は苦笑する。
……うん、やっぱりこれになるのね。
◇ ◇
商業ギルド会館のフロアに立て籠もるシスター・オークルは自らの行いを悔いていた。
こんなことになるなら、孤児院の子たちに全ての保存食を食べさせてあげれば良かった。いつまで続くかわからない非常事態のために、ずっと我慢を強いてきたんだから。
せめて死ぬときくらい、飢えから解放されても良かったんだと。
「しすたー」
「なんです、マルクル」
「ぼくら、しぬの?」
孤児院はオークに潰されて、ゴブリンの群れに攻め込まれた。子供たちを逃すのが精いっぱいで、食料など持つ余裕はなかった。
とっておきだった干し肉も干し果物も糖蜜も、みんな魔物が食べてしまったんだろう。それだけでゴブリンに対する殺意が沸いた。
「……そうですね」
見え見えの嘘をつくのはやめようと、シスターはマルクルに笑う。誰がどう見たって、死は目の前にある。
「エーデルバーデンは、もうお終いです。ここも、長くはないでしょう」
「そっか。でも、よかった」
「はい?」
「みんな、いっしょだし。めがみさまの、もとで、せいじゅの、したで、しぬなら」
「ええ、天の国で永遠の幸せを得られますよ」
シスター・オークルは天の国を信じてなかった。女神の加護も、聖樹の恵みも。
そんなものがあるのなら、貧しさと苦しみの呪縛が延々と続いたりはしないと思っていた。
女神の像は、フロアの奥で下品な装飾品で飾られ、商品棚の飾りの一部にされていた。聖樹は裏庭で井戸の横に打ち捨てられ、枯れかけて萎れていた。
この場所はもともと亜人の居住区で、この建物は礼拝堂だったと聞いてる。法外なお布施も取らず、種族も出自も貧富の差も気にしない、誰でも受け入れる町の交流の場だったと。
町の中心部に近く、わずかな高台になっていてよく目立ち、見晴らしもいい。町の発展とともに、目障りに思う者が増えたのも当然の流れだ。
犯人不明の放火で亜人の居住区が焼け野原になった後、石と煉瓦でできた礼拝堂だけが焼けずに残った。そして、カネとコネにものを言わせて、商業ギルドが我がものにした。教会も、異端者どもの礼拝堂が消えたとほくそ笑んだことだろう。
そうだ。神なんていない。天の国なんてない。
ゴブリンたちが石や棍棒をぶつけるたびに、扉は歪んで、いまにも壊れそうだ。
もうダメなんだろうと、誰もが思った。
「しすたー!」
「祈りましょう。女神様に、聖樹に」
あまり苦しまずに死ねるように。
扉が破られ、外の様子が見える。路上を埋め尽くすゴブリンは十や二十ではない。勝てるとか逃げられるとか、考えることさえ愚かだ。
「きゃあああああぁ……!」
「助けてえええぇ……!」
「待ってろ、いま行く!」
どこにも届くはずのない子供たちの悲鳴に、応える声があった。
「え?」
百を超えるゴブリンの群れが、いきなり横ざまに吹き飛ばされる。すさまじい勢いと量で叩き付けられた何かが、魔物の肉を千切り頭蓋を砕き血飛沫を路上にブチ撒けた。
少し遅れて聞こえてきた弾けるような連続音が、鳴り響くたびにゴブリンが弾け飛んで崩れ落ちる。
「な……なに? 何が起きたの⁉︎」
ゴロゴロいう音に目をやると、それは奇妙な箱馬車のような乗り物だった。
スイスイと動いているのに、馬はいない。その代わりに、鼻先から小さな火を吹いていた。屋根の上に乗った獣人の女性が持つ小さな杖のようなものからも、同じように光と連続音が発せられていた。
チカチカ瞬くそれがゴブリンを屠った何らかの攻撃なんだろうとは思うけれども、魔道具のように見えるそれから魔力は感じられない。
降りてきたひとたちが生き残りのゴブリンを殺してゆく。十数体しかいないそれも負傷しているのか動きは鈍く、獣人やエルフやドワーフの攻撃を受けて呆気なく崩れ落ちた。
「しすたー、あれ、なに?」
「……わかりません。わたしたちを、助けにきてくれた……ように、見えますが」
「なぜ?」
マルクルの問いは、彼女自身の疑問でもある。
この町の冒険者も衛兵も、貧民に手を差し伸べたりしない。カネを積み頭を床に擦り付けて、ようやく嫌そうに動く程度のことだ。
まして、獣人や亜人なんて。
貧民だろうと何だろうと、人間すべてに恨みと憎しみを抱いている彼らは、ギルドの強制なしにはこちらに近付くことさえしない。
その、はずなのに。
「おーい!」
乗り物から顔を出した男性が、窓から顔を出していたマルクルに声を掛ける。穏やかそうな笑顔で、楽しげに手を振りながら。
「よく頑張ったな、坊主! 俺たちとメシ喰わねえか?」
なにひとつ、わからない。あのひとがどこの誰で、何が目的なのかも。
それでも、シスター・オークルは信じた。心から、感じた。
女神の加護を。聖樹の恵みを。
この世界の、希望を。
「食うー! おなかへったぁーッ!」
安心したのか大きな泣き声を上げるマルクルに、乗り物から降りてきたひとたちが笑顔で駆け寄ってきた。
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