第10話 プリン
夜明けから降り続く雨が、己があちらこちらに作った水溜りに波紋を与えている。
雨雲は最近我が物顔に上空を支配していた太陽に、今日だけは出番を許さないようだった。
「台風が近づいてるのに、あまり出歩かない方がいいですよ」
「あらッ!待ち伏せ?絶対偶然じゃないでしょ?」
大型書店をウロウロしていたジュエリの前に、薄いグレーのスーツの男が
谷口である。
「何をお探しですか?法律関係ですか?政治関係の本ならアチラです」
「なんでそんな本を読まなくちゃいけないのよ?!興味無いわぁ!」
「こんな天気が悪い日にショッピングするってことは、近いうちに何処かに行かれるのですか?」
「アナタには関係無いわぁ」
「時間が有りましたら、少しお話しをしたいのですが」
「お断りだわぁ。忙しいのよ」
「近くに新しいスイーツカフェが出来たのをご存知ですか?勿論わたくしの奢りです」
「ふんッ!私が甘い物に目か無いのを調べているようね。スフレプリンは有るの?」
「はい。一日三十食限定だそうです」
「すぐ行きましょう!!」
二人は小走りで雨の大通りに出ると、傘をさしながら数百メートル先のスイーツカフェまで走った。
途中、目を瞑りながら走っていたジュエリが歩行者と衝突しそうに成ったが、谷口はうまく回避させ、難なくテナントビルの一階に有るカフェに辿り着く。
そのカフェはレトロ調のおしゃれな店作りで、まだ真新しい木の香りが漂う。
店は混んでいたが窓際の席がちょうど空いて、二人は待つことなく席に座る事が出来た。
「限定クリームスフレプリンとアーモンドブラウニークレープ、それと特性抹茶フルーツパフェとキャラメルミルクティー!アンタは?」
ジュエリは走りながらカフェのメニューを頭の中で見ていたので、席に着くなり間髪入れずに注文した。
「ハハ……早いですね。では、わたくしはアイスコーヒーで」
水を飲みながら注文の品をソワソワしながら待つジュエリに谷口が声を掛けた。
「地図や山登りの本を見ていましたが、ハイキングでも行かれるのですか?」
「えっ?!まあ、そんなとこね。あっ!そうだ。谷口!内京大学の研究会とか危ないかな?モルモットにされる?」
「コンタクトして来たのですか?まあ行っても被験者にされるだけですから、無理に会いに行く必要は無いと思います」
「よねー。怪しそうな宗教団体とかも勧誘有るんだけど」
「そういう所は広告塔にされるだけなので、関わらない方がいいでしょう」
「うーん。でもね、そういう宗教団体の霊能者とさあ、超能力対決とかしたら再生回数がアップすると思わない?インチキ宗教団体なら、それで潰せるかも知れないわよ。それなら谷口も助かるでしょ?」
「止めて下さい。これからスパイ活動をしなければならない者が、これ以上有名に成ってどうするんですか」
「だから公務員には成らないって言ってるでしょ!」
「サルマーロって動画配信者からも、コンタクト有りましたよね」
「……調べてたのね」
「ハイ。そのサルマーロ氏の事務所の【オンオン】ですが、あまりよくない噂が有ります」
「どんな?」
「サルマーロ達インフルエンサーを使って、親会社の詐欺まがいなビジネスを、ステルスマーケティングで手助けしていると言われています。サルマーロ氏本人も、日本刀やクロスボウなどを使用したり、法律違反ギリギリの内容を配信してますし――」
「お金持ちなんて、多かれ少なかれ何か悪い事してるんでしょ?心配しなくてもコラボ企画が終わったら縁を切るわぁ」
「その企画の内容は?」
「それはナイショ。どうせ近いうちに配信するわぁ」
「ジュエリさん。その企画は中止するべきです。嫌な予感がします」
「また虫のお知らせ?ゴキブリに知らせてもらってるんじゃ無いでしょうね?」
「?」
「失礼します」
ウエイトレスが現れ、テーブルに次々とスイーツを並べていく。
ジュエリは「ゴッチッ」と言うと、満面の笑顔で食べ始めた。
「良い笑顔で食べますね。プリンはお好きですか?」
「好き?いいえ、愛してるわぁ。毎日主食がプリンでも構わない」
「そんなに好きなんですか?」
「私が超能力者に成れたのは、プリンのおかげよ」
「ほぉ?プリンの?どういうわけです?」
「あれは忘れもしない3ヶ月前の事――」
――それは春の休日の日の事だった。
ジュエリは田舎から届いた高級プリンを、後で食べようと思って包装容器に名前を書き、冷蔵庫に入れておいた。
そのプリンはジュエリの最もお気に入りのプリンで、関東圏では売ってなく、簡単に手に入る代物ではなかった。
すぐに食したかったが、彼女は大切な用事の為に外出した。
帰宅後のモグモグタイムの事を考え、浮かれ気分のまま……
2時間後、帰宅したジュエリは満を持してプリンを食べようと、鼻歌を歌いながら冷蔵庫を開けたが……
無い。
どこを探しても無い。
確かに入れたはずのプリンは無かった。
冷蔵庫の中の物を全て取り出し、隅々まで探したがプリンは見つからない。
その時家に居た母親と弟にプリンの事を聞いたが、二人は知らぬ存ぜねだった。
ジュエリは一気に天国から地獄に落とされた気分だった。
絶望の淵に立たされたまま、居間の机に突っ伏し、頭だけを上げて壁の時計に目をやった。
(どうして私はプリンを置いたまま出掛けてしまったのだろう。あの時すぐに食べていれば……)
後悔の念を込め、心の中で祈った。
一瞬、クロノスタシスを起こしたのか、時計の秒針が、まるで止まっているかのように見えた。
(返して……時を……私を2時間前に戻して……)
ジュエリは時計の針が逆回転するイメージを頭の中に浮かべた。
イメージした時計の針が、2時間前を指す……
すると空間に薄っすら、プリンを冷蔵庫に入れる自分の姿が浮かんだ。
最初は白昼夢だと思った。
目を瞑り、そのまま映像の続きを視た。
自分がキッチンを出て行った後、数分後に弟がキッチンに現れた。
そして弟はプリンを冷蔵庫から取り出し、美味しそうに食べはじめる。
食べ終わると残った包装容器が見つからないよう、隠しているところまでもが映った――
「――弟を張り倒して問い詰めたわぁ。奴は自白した。私が見た映像の通りだと。そう、私はあの日、この能力を手に入れたのよ……」
「……そうなんですか。貴重なお話し、ありがとうございました」
「私さあ、前から思ってたんだけど、プリンってどんなに安いプリンでも、絶対にハズレが無いじゃない。これって他の食べ物ではあり得ない事でしょ?もしかして、プリンって地球上の食べ物じゃなくて、なんかこう、余所の星から手に入れた、スーパーフードな気がするの。だから宇宙の神秘的な力を秘めているんだと思うわぁ。私の力は間違いなくプリンによって引き出されたんだと思うし、これ、大学の研究所に教えてあげた方がいいと思わない?」
「必要無いと思います。一笑に付されるだけです」
谷口はニコッと笑った。
「はあ?何で?ヤッパ、大学教授って頭が硬いから『科学的根拠ガー』とか、言ってくる?はあー、馬鹿よねー。もっとこう、頭柔らかく考えられないのかしらねぇー?」
「プリンだけにですか?」
「アハハハハー、そうね。アッ!ヤッバッ!このミルクティー、
ジュエリは自分の飲んでいたミルクティーを谷口の方に差し出したが――
「あっ、すいません。遠慮しときます」
怪訝そうな顔で断わってきた。
「何で?関節キッスに成るから?アハハハー、谷口けっこうシャイなんだー」
「違いますよ。その中のタピオカが苦手なんですよ。何か蛙の卵みたいで」
「蛙の卵ってこんなんなの?えっ?!まさかこれ、蛙の卵で出来てるの?」
「いえ、本物の蛙の卵では有りませんが――危ない!!ジュエリさん!!伏せて下さい!!」
突然谷口が目を広げて叫んだ。
「ん?!どうしたの?いきなり――」
「早く!!机の下に――」
__パリィーン!!!!
「「「きゃあああぁぁぁあああ…!!」」」
突然ガラスの割れるような大きな音が響き、リラックスムードの店内が悲鳴に包まれた。
音の正体はグラス。
ジュエリの前に有ったミルクティーのグラスコップが、突然弾け割れたのだ。
「ジュエリさん!!大丈夫ですか?!」
ジュエリは何が起こったか理解できず、キョトンとしていた。
「何?何?何が有ったの?」
机上にベージュ色の液体が広がっており、周囲にガラスの破片とタピオカが散らばっているのに気づいて、やっと現状を把握した。
「ウッソッ!!まだ全部飲んで無かったのにーー!!」
「それよりガラスでどこか切っていませんか?」
「大丈夫……ちょっと服が濡れただけ。いったい何がどうなったの?タピオカが爆発したの?」
ウエイトレスがタオルを持って現れ、怪我が無いか気遣った。
周囲の他の客達が、ザワついて不安そうにジュエリ達の方を見ている。
なにせ窓ガラスの一枚に蜘蛛の巣のようなヒビが入り、ヒビの真ん中には小さな穴が開いているからだ。
谷口はその穴と、机上や床を調べるように眺めて、何かを探していた。
「まさか拳銃?」
「分かりません。鑑識が来ないと確証はできませんが、弾が見当たりません。拳銃では無いと思われます」
「〈パストビュー〉」
◀ ◀ ◀
3分前の映像。
グラスコップはまだ割れていない。
谷口が叫んだ後、急にコップが割れた。
映像は巻き戻され、再びコップは元の割れてない姿に戻る。
映像はコップにズームアップされ、超スローで再び再生される。
割れる瞬間がコマ送りにされ、更に停止された。
だが、何もコップにはぶつかっていない。
コップは突然破壊されていた。
場面は切り替り、水滴で曇る窓ガラスが映る。
こちらも同じで、突然穴が空き、ヒビが入っている。
窓も何が衝突して穴が空いたのか全くわからない。
▶ ▶ ▶
「何これ?透明の石か、空気の弾が飛んできたとしか思えないわぁ。もしかしてタピオカの弾?」
「流石にタピオカの弾では窓ガラスは割れないでしょう。お手数ですが、ミルクティーが置いて有った場所と、窓ガラスの穴を直線上で結んだ地点の外の様子もお願い出来ますか?」
「オッケッ」
◀ ◀ ◀
窓ガラスに穴が開く直全の外の様子が映る。
色とりどりの傘を差した通行人が往来していた。
だが、立ち止まってカフェの方角を見ている者は見つからない。
透明の弾だと仮定して、その直線上のビルや横切る車なども視たが、拳銃や武器を持っている者はおろか、何かを投げつけるような者も、ジュエリや谷口を監視しているような人物も見当たらなかった。
▶ ▶ ▶
「ウッソッ!それらしい人物がいないわぁ!コップが割れたのは何かの自然現象?」
「……ウエイトレスさん。警察は呼びました?」
「は、はい。店長が……」
「失礼、警察には何かあったらココに連絡するように言って下さい」
谷口は仮の名刺を渡し、会計を済ませた。
「あーあ。ミルクティーまだ残ってたのに……名残惜しいわぁ」
「ジュエリさん、行きましょう。家までお送りします」
二人は警戒しながら雨が降り続く店の外に出た。
「少し歩きますが、わたくしの車の所まで行きましょう」
そう言われてジュエリは、ジト目で谷口を睨みながら仁王立ちした。
「そのまま秘密警察署に連れて行って、監禁したりしないでしょうね?」
「一応法律を重視する公務員ですから、そんな事はしません」
「怪しいわぁ。そういえばコップが割れるの先に分かってたわよねぇ?ひょっとして自演じゃないの?本当は谷口の超能力で割ったんでしょ?」
「違いますよ。分かりました。お疑いなら電車で最寄りの駅までお送りします。それなら構わないですよね?」
「そうね、それなら――あっ!待って!まだ地図を――んー、まッ、いッ、かッ……」
二人は傘を差し、駅の方まで向かった。
「ねぇ谷口。もし、あれが誰かが狙って撃ったのなら、私と谷口のどっちを狙ったんだと思う?」
「……分かりません。ただコップを狙ったのなら、ただの脅しの可能性も有ります」
「透明の弾を撃つ超能力者に心当たり有る?」
「……何ともいえません。ただ一つ言える事は……」
「言える事は?」
「超自然能力を持つ者は、
「………」
その日の大雨は関東一帯を一日中濡らし続けた。
まるで誰かが大量の水を求めているかのように……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます