第272話 ふっとぶ

「はわ~……」


 子供の目ってこんなに輝くんだと思った。

 メッチャキラキラしている。


「どーぞ、ほら食えよ」

「へ? あう、え……」


 気にせず食べろと思うも、狼狽えて躊躇っているエスピ。

 

「お、お兄ちゃん……た、食べていいんですか?」

「食べなさい」


 なぜ、敬語になる?

 街のケーキ屋の店内。

 俺の目の前で小さな体を緊張で更に縮こまらせてしまっているエスピ。

 たかがケーキを食わせてやるくらいでここまでとはな……


「ほーら、遠慮するなよ」

「わ、わかった……あ、やわらかい……ふわふわ……う~……あむっ! んんんんんんん!」


 プルプル震えながらフォークでケーキを切って、恐る恐る口の中に入れる。

 次の瞬間、エスピの全身がビクッと跳ねて、その表情に花が咲いた。


「う~……甘いぃ~、おいひい!」


 数日前まで人形みたいだったエスピが、もう頬っぺたが落ちそうなぐらい満面の笑みでイチゴのショートケーキを頬張った。


「お兄ちゃん、これ、すっごいおいしい!」

「おお、好きなだけ食べろ。こっちのチョコも食べるか?」

「え、いいの!? うん!」


 ムシャムシャ、モシャモシャとケーキを食べてジュースを飲んで……歯が痛くなるぞ~? と思いつつも、甘いものを子供らしく幸せそうに食べるエスピの姿に俺はホッとした。

 こいつもちゃんとこうやって笑えるんだと。


「ケーキは食べたことなかったのか?」

「うん! 顎を鍛えるために硬いお肉とか、お薬の入った飲み物ばっかだった」

「そ、そうか……あっ、店員さん。他のも追加で……」

「えっ、もっと食べていいの?」

「いいから好きなだけ食べなさい」

「あぅぅぅ!!」


 不覚にも、そのつらい過去に涙がホロリとなりそうになる。

 するとエスピはケーキの欠片をフォークで突いて、俺に差し出してくる。


「お兄ちゃんも食べようよ!」

「え? ああ、お兄ちゃんは別に……」

「やだ! 私だけじゃない……お兄ちゃんと、一緒に食べたいの! だから、あ~ん!」


 どうやら、自分ばかり食べているのがちょっと気になるようだ。

 そりゃぁ、カリーを食わせたり、安物のリボンをプレゼントしたぐらいで戸惑うエスピだから「自分しか食べてない」という現状を気にするのかもな。


「あ~、ったく……あむ、ん。んまい」

「んふ~! でしょ? 私が今までで食べたものの中で二番目においしい」

「はは、大げさな……って、二番?」

「うん。一番はお兄ちゃんが作ってくれたカリー!」

「そ、そっか……」


 そこまで言ってもらえると照れ臭くなる。

 ちなみに、あの晩に夢の世界でトレイナから俺の初カリーについての総評をもらったが、「貴様はスパイスの神髄を分かっておらぬ」と言われてしまった。

 でも、こんなに喜んでもらえたんだ。

 頑張ってもっとうまく作れるようになろうって思えた。


『そのためには、実践あるのみだ』

『あいよ』

『そして、せっかく軍資金も増えたのだし、ギア……アイテムやキャンプ用品をもっと充実させても良いかもな』

『ああ。でも……それでもメチャクチャ余るな……』

 

 そう、トレイナの言う通り軍資金がメチャクチャ増えてしまったのだ。

 それこそパンパンに詰め込まれた布袋が複数、両手で抱えきれないほどドッサリだ。

 たぶんこれだけあれば、一生遊んで暮らせそうだな……


『全てを持ち運ぶ必要も無かろう。預り所を利用すればよい。ハンターになれば手数料もいらぬ』

『……なるほど……どっちにしろ、登録しねえとってことか……』

『うむ、そうなるな……タピル・バエルくん』

『ッ……ヲイ』

『ん~? どうした? タピル・バエルくん?』

『それはやめええええい!』


 ニヤニヤニタニタしたトレイナがからかってくる。

 くそ、やっぱりあの名前で登録しないとダメなんだろうか? 

 できればもっとカッコイイ名前がいいが……


「おい、聞いたか? 魔王軍のゴウダ軍が撤退したってよ!」

「ああ、流石はソルジャ様だ! ゴウダは討ち取れなかったみたいだが、これでしばらく魔王軍の連中も攻めてこねーだろ!」

「ソルジャ皇子、ヒイロ、マアム、『ライバール』、ベンリナーフ、我が帝国には七勇者のうち、五人も勇者が居るんだからな!」


 っと、そんな俺たちの周りには、この間の戦争の情報が流れて、一気に街中が喜びに包まれて騒がしくなっている。


「…………勝ったんだ……」

「エスピ? 気になるか?」

「……ううん。まったく。お兄ちゃんと旅するからどーでもいい」

「そっか……」


 エスピが不意に見せた顔が、少しだけウソをついているというのが分かった。

 流石に「全然気にならない」というわけではないんだろうな。

 とはいえ、ここから「帰れ」というわけにもいかないからな。


「わーったよ。ほれ、食い終わったんなら、服でも買いに行こうぜ?」

「えっ……服!? ……ぐす……ありがとう……お兄ちゃん……私、生まれてから今が一番幸せ……」

「だーから、大げさに言うなっての」

「おーげさじゃないもん!」

「はいはい、ったく……」


 ったく、かわいいこと言いやがって。

 これが十五年ぐらい経つとこの愛しのお兄ちゃんを「ぶっとばす」とか言ってくるわけだから、時の流れは残酷だな。

 いや、というよりあの「ぶっとばす」って言葉も、この状況を考えるともっと別の意味が――――



「景気イイねぇ、お兄さん。オイラ~羨ましくなっちゃうじゃない」


「「?」」


「おまけに女の子にも優しいじゃないの。天はそういう子に運を与えなさるのかねぇ……」



 誰に? 俺に向けて言ってる? 背後から聞こえた声に俺が振り返ると、ケーキ屋の入り口の前に誰かが立っている。

 全身を外套で覆い、頭には藁でできた仮面?

 そしてその腰元は袋に包まれた棒状の何かを長いのと短いのを二本携えている。


「オイラも馬券買ったんだよ、さっきのレース。そしたら大ハズレよ~……いや~、馬って~のは難しいじゃな~い」


 なかなかいい体格をしている。

 つか、あの袋に入った腰元の……あれ……剣か?



『天蓋……大小の刀……ジャポーネの侍? にしても、この男……歩き方一つをとっても……頭のてっぺんからつま先に至るまで、良い姿勢をしている……それにこの声……』


『?』


 

 おや? なんかトレイナの何かに引っかかった?

 いや、俺もこの怪しいオッサン? 只者じゃないというのは分かるけど……


「……ぁ……」


 そのとき、エスピの表情が曇った。

 そして椅子から降りて俺の背中に隠れて服をギュッと握ってきた。



「オイラにもケーキを奢ってほしいじゃない」


「ん? ぬっ?」


「甘いものは故郷の団子が一番だけど、帝国のケーキも捨てがたいと思っているのよ」



 すると、謎の男はそんなエスピの様子に構うことなく、エスピが立ったことで空いたイスに勝手に座ってきやがった。

 しかも、ケーキを奢れ?

 すると……



「さて……行方不明と聞いたが……とりあえず、無事でよかったじゃないの。エスピ嬢」


「うっ……うゥ……」


「魔王軍に連れ去られていたり……なんか危ない奴に攫われているわけじゃなさそうだけど……な~にしてるじゃな~い? みんな、心配してるじゃない」



 エスピの知り合い? ジャポーネの剣士? 連合軍?

 こいつ、一体……



「かえらない……」


「おやおや……それは困ったじゃないの」



 エスピが怯えて震えながらも口にした言葉に、男もまた困ったように溜息を吐いてきた。


「そう、ほんとに困るじゃないの。もし、オイラがこのことを報告したら……オイラがサボってお忍びで遊びに来てることがバレちゃうじゃない? ミカドのジーさんにも怒られる。でも、行方不明の仲間を見つけて放置していることがバレても怒られる。でも、このことを報告してエスピ嬢が連れ戻されると……嬢は泣いちゃう……お仕置きされる……やだねぇ……嬢がこのまま行くことを望んでいるなら叶えてあげたいじゃな~い……でもねぇ……」


 ブツブツと頭を抱えながら独り言を続けるが、内容から察するに、連合軍の人間であることは間違いない。

 そして、エスピに対するこの態度から、かなり上の位の……



「なっ? 困った状況じゃないの」


「……あ?」


「そして、女に優しいとはいえ、どこの馬の骨かも分からぬ兄さんに世間知らずの嬢が連れまわされている……しかし、嬢は既に大層懐いているので悪い奴では無さそう……それとも騙されているのか……う~ん……こんなに悩むんなら気付くんじゃなかったじゃない」


「……お、おい、別に俺は騙してなんか……」


「そうかい? じゃぁ、どうするか……目を瞑るか? ……って、オイラぁ目ぇ見えないじゃな~い、だはははは!」




 視線を感じる。エスピを見ていた目が、今度は俺に向けられて、俺を見定めようとしているかのように……ん? 目が見えない? 何言ってんだ? 全然普通にしてるように見えるけど……



『あ……』



 そしてトレイナは何かに気付いた様子。

 一体……



「ふっとべええええ!」


「……え?」


「んあ? ちょ、嬢、ま、まっ、ぬぼおおおおおおおお!?」



 次の瞬間、エスピが叫んで手を男に向けてかざした瞬間、強烈な衝撃波のようなものが突如発生し、男は店の壁を突き破って外までふっとばされた。



「う~……」


「ちょ、エスピ、お、おま……な、なんちゅーことを!」


「いこ、お兄ちゃん!」


「いやいや、つか、あいつ死んじまったんじゃ……」


「あいつ、あんなのじゃ死なない。だから早く逃げるの!」



 そう言って、エスピは俺の手を掴み、そしてもう片方の手で俺の足元の荷物に手をかざすとその荷物が「浮いた」。

 

「早く逃げよ! 捕まっちゃう! 私は帰らない! お兄ちゃんと一緒にいるの!」

「あ、え、あ、あ~もう、お前はぁぁ!」


 てか、ふっとばされた男は大丈夫なのか?

 しかしその様子を確認しようとするも、エスピは構わず俺を引っ張る。

 

「だ~、もう! すんませーん! 店の壁はこれで弁償します!」


 とりあえず、エスピが壊した壁は大金の詰まった袋を一個、戸惑っている店員に渡して、俺はエスピに連れられてそのまま走って逃げた。

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