第126話 「頑張った」という言葉

 この国に来た初日には、サンドバッグをパンチ一撃で破壊したのに、今の俺の拳ではサンドバッグを叩いても、もうパスパス音を鳴らすだけで、全く揺れない。

 マジカルジャンピングロープ? もう、普通の前飛びだけで眩暈がする。

 マジカルヨーガ? イライラしてジッとすることができねえ。

 筋トレ? ダンベルがこんなに重く感じるとは思わなかった。

 そして今の俺はもう、モトリアージュたちとのスパーリングすらできなくなっちまった。


「ちょっと……もう……見てられないかな」

「あんちゃん……」

「うぅ……」


 今では、たいそうな男前になっちまった俺に、顔を青くしているツクシの姉さん。

 普段は明るいカルイも言葉を失い、あれだけベタベタしてきたアマエも泣きそうになって怯えている。


「アースくん! いい加減にするかな! まずは、水だけでも飲む! ほら、水だよ!」

「……あ……うあ……あ……ッ! い、いい……」

「なっ!?」

「はし……てくる……」

「アースくん!」


 そりゃそうだ。鏡を見た俺だって一瞬、アンデッドが映ったのかと思った。

 

「ど、どうしてこんな……」

「おい、お前、どうしちまったんだよ!」

「そんなになって……何か、あったの?」

「アースくん……」


 スパーリングができないぐらい弱体化し、見るに堪えない俺の変わり果てた姿にモトリアージュたちも狼狽している。

 他の道場の連中も同じ。

 今の俺に誰もが理解不能という様子だ。


「そのままでは……お前は……死ぬぞ? アース!」


 そして、ついにマチョウさんも見ていられなくなったようで、俺の前に立った。


「師範もお前については自己流で任せていたし、何か意味があるのだろうと思って自分も様子を見ていた。だが、このままではいつ死んでもおかしくないぞ?」


 心配してくれているんだ。全員、俺のことを。

 だが、今はこうして止まったり、話をしたり、邪魔をされるだけでも何をしちまうか分からねえ。


「どい……て……く、れよ」

「アース!」


 でも、マチョウさんは俺の肩を掴んで……



「こんな枯れ枝のような体になって、何の力を得る? 何を見ている? 何を目指して……ッ……」


「触ん……ないで……くれ……なぁ……」


「アース?」


「もう……メチャクチャにしち、まう……ちかづ、かないでくれ……だれ、も……」



 俺を気遣ってくれてるのは分かるが、今はいつ何がきっかけで何をしてしまうか分からない。

 それこそ、殺し……まではいかなくとも、もう俺は自分を制御できねえ。


「ひ、は……ぜ……は……」


 死ぬ? 俺は死ぬのか?

 何で死ぬんだ? あ……おれ、どうしてここにいるんだっけ?

 なにしたいんだっけ?

 こんな、つらい思いをしてまで俺は何を?

 汗を流せ? もう、汗も出ねえ。

 出し尽くした。

 出し尽くしたのに何で俺は変わらず苦しんでるんだ?

 出し切るだけじゃダメなのか?


「おい、来てみろよ! ついに、ヨーセイガールズたちが告白だってよ!」

「あの、鈍感ヨーセイもようやく女たちの正面からの告白で、皆の気持ちを知ったとよ」

「ようやくか。じゃあ、ついに誰か一人を選ぶのか?」

「モテる男は羨ましいねぇ」

「つーか、大会もまだだってのに余裕だぜ」

「大会といえば、やっぱあいつは強いんだろ? しかも、本人は目立つの嫌でまだ力の底を見せてないから、誰もヨーセイの本気の力を知らないって」

「マチョウと一体、どっちが強いんだろうな?」


 くそ、だから昼間に走るのは嫌なんだよ。

 人が邪魔だ。声がうるせえ。世界がうるせえ。どいつもこいつも、べちゃくちゃ喋ってんじゃねえ!


「俺は……誰か一人を選ばない。その代わり、皆を選ぶ。それが俺の答えだ! 今度の大会で優勝して、欲しいものがあるんだけど……それを手に入れたら、……皆……その優勝を誓にするというか……俺と結婚してくれるか? それでいいか?」


 俺の視界に入るな。

 俺に道を空けろ。

 誰も一言も喋るんじゃねぇ。


「んもう、ヨーセイったら……ほんっと、こいつは……」

「でもさ~、それっきゃないよね?」

「破廉恥だわ、非常識だわ……でも……仕方ないですね」

「わ、私も、ヨーセイ君と一緒に居られるなら!」

「先輩、私の気持ちは変わりません」


 邪魔だ……邪魔……じゃっ……ま……



「じゃあ、いっせーのっ!」


「「「「「これからも、末永くお願いしまーす♡」」」」」


「じゃあ、さっそくベッドってことで?」


「破廉恥だわ! それは卒業してから……」


「そうだ! じゃあ、ヨーセイくんが、今度の大会に優勝したら、そのご褒美っていうのは?」


「せ、先輩! 私、いっぱい産みます!」


 

 特に……女の能天気な甲高い声は、もはや殺意が……ダメだ……くそ、頭、空になれ。空に……


「え? ベッドで何するの? え? 何か言った? ……って、うわ、足が滑って、うわ、ぶつかる!」

「ちょっ!? きゃああ! いたたたた、尻餅ついちゃ……って?! ヨーセイ! 何、胸触ってんの、それはまだ早いでしょ! んもう、何でいつもいつもこんなエッチハプニング起こすのよー!」


 おい……おい……


「あっ……ね、ねえ! チヨちゃん! 誰か、お尻の下で踏んでるよ!?」

「え……きゃああっ!? ちょ、誰!?」


 俺だよ……


「っていうか……ひっ、うわっ!? お化け!? なに、こいつ……うわぁ……」

「え? だ、誰!?」

「うーっわ……キモ……」

「こわい……なに……この人? ってこの人、確か!」

「き、貴様はあの時の!? そんなところで何をしている! チヨ先輩のお尻に!?」


 まず……あや、まれよ……


「はあ、ぜえ……はあ……はあ……」


 ダメだ。相手なんてしてられるか。

 さっさと立ち去って……


「貴様、待て!」


 さっさと……なのに、また……この斬る斬る女が……


「むっ……随分と風貌が変わって……ふん。何かあったのか? 天罰でも下ったか? それとも呪いにでもあったか?」

「……………」

「破廉恥男にはふさわしいみすぼらしさだ。ヨーセイ先輩に生意気な態度を取る身の程知らずが……」


 さっさと……


「あい、にく……相手を、して……やる気はねえ……どけよ」

「なっ……」


 邪魔な女の肩を軽く押して、道を……


「お前! 俺の大切な人に何をする気だ!」

「ぶほっ!?」

「俺の大切な人に指一本触れることは許さないぞ!」


 あっ……俺……殴られた……分かるのに……動けねえって……


「にしても、なんだ? どういうわけか知らないが、こんなに弱かったのか……クズめ……女の子に乱暴するなんて、最低な奴だ。殴る価値もない」


 どうしてだ!? 

 どうして俺がこんな雑魚に邪魔されなければならない!?

 道を妨げられなければならない!?


「もう、行こう」

「そうね……」


 どうして、俺がこんなクソカス共に見下されなければならない?

 水さえ飲めば、一滴でも飲めば貴様ら全員……全員……全員……グシャグシャにしてやるのに……グシャグシャに!


「あ……あぁ……ああああ!」


 そうだ、グシャグシャにしてやればいい! 殺してやればいい!


「アアアアアアアアアッ!!」 


 殺す! コロス! コロシテヤルアアアアアアアア!!!! 

 だから、水を飲む! 水だ! 水! 水を! 水!

 ミズミズミズミズッ!


「おいおい、なんだ、こいつは。浮浪者か?」

「てか、ちょっと頭もおかしいんじゃねーのか?」

「イーシャ先生を呼ぶか?」


 殺す殺す殺す!!!!

 水水水水水!!!!


「あ゛あ゛あ゛あ゛!!」


 殺す水殺す水殺す水殺す水コロスミズコロスミズコロスミズコロスミズコロスミズ!!!!


「あ、うあ、あ、あああああああああああああ!!」


 あっ! あそこの店の前に水がある!

 打ち水してるんだ! 水だ! あんなにある! 

 あれを飲めば!


「地面に撒かれた水など飲まないでください。一度、教会へ戻りましょう」


 ……だれ? え?


「本当は……私などに声を掛けられるのも嫌そうでしたので……でも、もう流石にこれ以上は……」

「……さ、でぃ……す?」

「申し訳ありません。あなたが私にとってどのような方であったのか……私があなたに何をしてしまったのかをまだ思い出せませんが……それでも、もう今のあなたは見るに堪えません」


 サディスだ。とても切なそうで、今にも泣き出してしまいそうな表情で俺の傍らに立っていた。


「あなたの様子を気にしていました。何日も何日もあなたを……ですが、あなたが何を目指し、何を想い、どうしてこうしているのかは分かりませんでしたが……あなたはもう、『よく頑張りました』。それは、あの教会や道場の方々もそう思っているはずです。どうか、これ以上苦しまないで下さい」


 そう言って、サディスは俺に手を差し出して体を起こそうとしてくる。


「今すぐ教会に戻り、水分を取り、体を休めてください。食事もちゃんと取るのです。お医者さんにも見てもらいましょう」

「ま、て……俺は……まだ」

「もう、十分だと思います。あなたは頑張りました」


 頑張った。そうだよな。俺はもう十分……あれ? 前にも、俺、確かこんな……



――俺は……勝てなかったけど、一生懸命頑張ったね……なんて慰めはいらない! 勝ちたい! 俺が勝つなんて思ってねえ奴らに、見せつけてやりたい!


「……あ」



 そっか……何を忘れてんだよ……俺は。


「……サディス……もう、十分だ……」

「え?」

「だから、まだ大丈夫……だ」

「そんな、何を!?」


 危うく俺は「頑張ったことに満足」なんて情けない野郎になっちまうところだった。

 出来なかったけど、頑張った? 

 違う。頑張りが足りないから、出来ないんだ。

 

「俺が何を……頑張っ……るか……分か……ねえのに……かん、たん、に……言うな」

「あ……」

「しん、ぱい、い……らねえ。まだ……がんばっ……途中だ」


 頑張り通して結果を出して、初めて頑張ったって言えるんだ。

 だから、皮肉なものだ。幸か不幸か、よりにもよってサディスのこの気遣いが、俺に最後の覚悟を決めちまった。

 カラカラに乾き切った身も心も、ほんの少し潤ったような気がした。



「しかし!」


「見ていろよ……見せてやる、から……俺を」


「ま、待って……」


「ひとつ、だけ……礼を言う……」


「え?」


「もうすこ、しで……この世で、もっと、も、裏切りたくない人を……うら、ぎる、ところ……だったから」



 自然と俺はそう口にしていた。

 それは、単純に八つ当たりや不貞腐れて出た言葉じゃない。

 まだ、俺は頑張っている途中。

 結果を出すのはこれから。

 その結果を、サディスにももう一度見せつけてやりたいと思ったんだ。

 たとえ、記憶が無くても、この果てで俺が何を掴み、何をできるようになるかを。

 憎しみじゃねえ。この気持ち。

 そう思うだけで、イライラが何だか収まって、気分が落ち着いてきた。

 そして何よりも、あと少しで自分に負けて、俺を信じて課題を課した師を裏切るところだったから。


『……童……』

「走るよ」


 最初から最後まで黙って見ていたトレイナ。

 俺を止めようとも、戒めようとも、叱ろうともしない。

 どんなことがあろうと、ただ、俺を見届けようとしていた。

 でも、もう大丈夫。


「大丈夫だ」

『そうか……』


 だから、俺は口に出してそう言ってやった。

 そして、今この瞬間だけは、なんか本当に大丈夫だった。

 一度沸点を超えるほど狂いそうになったが、それが急に落ち着いちまった途端、なんだかスッキリした。

 それどころか、空っぽの身体に何かが満たされていくような感覚で、少し元気が――――

 

『ッ!!?? 童ッ!?』

「うおっ!?」


 と、急にトレイナが血相を変えて俺を呼んだ。ビックリした。

 しかし、いきなりどうした?


『童……体に変化を感じるか? 空の器に何かが満たされている感覚が……』

「え? あっ……」


 そうだ。感じる。なんだ? 

 呼吸? いや、普通の呼吸は息を吸って吐くもの。

 しかし、今、俺が感じているこの感覚は、吸ったものが体内に溜まるような……あれ? トレイナ? 笑ってる?


『ふっ……ようやくか……今回ばかりは本当に……よく頑張っ……ではなく!』

「……え?」

『ふ~、これは言わぬつもりだったのに……思わず余も興奮してしまった……やれやれ……』


 急に俺を褒めて……なのに「しまった」みたいな顔をして口を押えて……どうしたんだ?

 大体、俺は今、サディスの「頑張った」という言葉に対して、結果がまだ何も出てないのに言われることを受け入れられなかったというのに、トレイナまで同じことを?

 いや、トレイナはそんなことは言わない。

 もし、言うとしたら……


『童、その感覚を噛み締めろ。覚えろ。今、貴様は体中全ての魔穴と魔力を感覚で感じ取れる』 


 それは、俺が課題を達成したときだけだ。

 ということは?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る