第56話 幕間(女忍者)

 世の表に出ずとも、影から国を、世界を、人類を守るために戦った忍者を、私は心から尊敬し、憧れた。


 名門忍者の家系に生まれた私は、ただの宿命としてではなく、自分の意思でこの道を選んだ。

 名前など残らなくても世界のために。どこか謙虚さを感じる精神も、それは名声や栄誉を求めるためでなく、誰よりも純粋に「何かを守りたい」という意思の表れとすら思っていたわ。


 そして、何よりも純粋にカッコいいと思った。


 忍者とはある種の膨大な学問のようなもの。忍術。武器術。体術。軍略。隠密術。暗殺術。さらには潜入に必要な一般的な知識や、「女忍者」ならではの専門分野もある。

 そう、「忍者とは全てに長けたもの」と私は幼い頃から理解した。

 すなわち、「何でもできる存在」になるのが、私の道だった。


 だから私はその道をとことん進むために幼い頃から修練に身を投じた。

 忍者アカデミーも飛び級で卒業し、私は史上最年少で忍者戦士、そして下忍、中忍、最年少上忍にまでなった。

 でも、そうして辿り着いた忍の道は、私が理想としていたものとはかけ離れていた。



『では次の任務は、お忍びで歓楽街へ行かれるオウゲ・レツ子爵の護衛だ。それが終われば、反政府思想の持ち主であるヤトウを陥れる。奴らのデモに紛れて工作をしろ』


『そうそう王子が仰っていたが、愛読されている本の舞台となった聖地巡礼をしたいとのことだ。護衛も兼ねて、上忍は着ぐるみを着たり、登場人物の姿に変装したりしてもてなすこと』


『暇な下忍を数名貸し出して欲しい。畑の芋掘りをお願いしたい』



 世界が平和である。それは素晴らしいこと。

 でも、皮肉にもその影響で私たち忍に与えられる任務は、あまり滾るものではなかった。

 戦後に生まれて、戦争を経験していない私はまだそれを「現実はこんなもの」と受け入れることができたものの、当時の戦争と忍者たちの秘められた武勇伝を知る兄さんたちは、今の状況に物足りなさを感じていた。


『ふざけるな! なんだ、この忍の扱いは! ただの何でも屋……雑用係ではないか!』


 平和になればなるほど、兄さんや仲間たちの不満は募るばかりだった。


『この間もそうだ。野盗や凶暴モンスター退治は、侍たちに任せ、我ら忍は後方支援という名の待機命令……』

『本来、あの森を誰よりも知り尽くしているのは毎日鍛錬で利用している我ら!』

『我らが誰よりも早く駆けつけ、そして誰よりも早く解決できたはず! それなのに、我らを待機させたばかりに、無駄な被害を生み出した!』


 忍者は影の存在。ゆえに、私たちは表舞台に立つ王国武士である侍たちよりも扱いが下だった。

 そして、平和続きで軍備縮小に伴う煽りも受け、たまにある大きな事件も手柄を立てて存在意義を証明したい王国武士たちが率先して解決するようになり、私たち忍の扱いはどんどん低くなった。


『おい、忍者ども。貴様らに任務を持ってきてやった。やっと予算が下りて、今度、王国武士宿舎を新しく建てることになった。貴様らは掃除と引越しを速やかに行ってもらう。忍者ならばそういうのは得意だろう?』


 そして、かつては戦友・盟友のような間柄であった侍たちにまで小間使いのようにされ、忍たちにも変化が出てきた。


『え……? 転職? どういうことかしら、マクラ。あなた、ようやく卒業して下忍になってこれからっていうときに……』

『ごめんね、シノブちゃん。私の両親が調子悪くて……今の下忍の給料では少し厳しくて……』

『だからって……でも、どうやって? 転職する人は最近では多いけど、それは皆、実績のある人よ? 忍者アカデミーを卒業したばかりで実績の無いあなたが転職をすぐにだなんて……ッ、あなた、まさか!』

『大名のオサナスキ様は王国武士長とも懇意にされているから……お願いをしたの。お願いの仕方は……想像に任せるし、軽蔑してもいいよ』

『マクラ……』

『シノブちゃんは……私みたいにならないでね……ずっと綺麗なままでいてね』


 転職を希望する仲間も多かった。

 しかし、王国武士の就職率も現在厳しく、転職を希望しても席の奪い合い。

 中にはその席を勝ち取るために、あらゆる手段を用いる人も少なくなかった。


 そして、私も仲間も、そして兄さんたちも認めたくなかった事実を認めざるをえなくなった。


 忍の時代はもう終わったのだと。



『仕えるべき主君と国のためにこの身を捧げるのが忍……しかし、もうこの世は忍を必要としていない……』



 ある日、兄さんが悲しそうに呟いた言葉に、誰も反論することができなかった。


『しかし、それでも拙者らが身に着けたこの力は……必ずや世界のどこかで役立てることができるはず。平和が嫌なのではない。ただ、この身につけた力を存分に振るい、何かに役立てたい』


 兄さんの不満と願いに同調した、私を含めて十数人の忍たちはその言葉を受け……


『世界へ出よう。転職ではなく、退職し、そして再就職というような形で……しがらみのないフリーのハンターにでもなり、世界を渡らないか?』


 そして、私たちは世界へ出た。

 忍として身につけた力を存分に振るえるような何かを求めて。

 そんな私は今……


「オラ、逃がさねーぞ、シノブ!」

「くっ、まずいわ、距離を……」

「どこへ行く?」


 少し昔を思い出した私。そんな一瞬の隙に、彼は高速のステップインで私の目の前に。

 感情を殺す訓練をし、常に戦いでは冷静でいることを心がける私たちとは違い、闘志や感情をむき出しにする男の子。

 美しく生命溢れる緑色の光に包まれて、私を追い詰める。


「ジャポーネ流体術……廻し受け!」

「はん、俺のフリッカーを捌けるか?」


 速い! 別に体術に自信がないわけではない。

 でも、この荒々しく、しかしスピーディーで執拗な拳の連打は私の反応速度を遥かに上回る。

 これまで、同年代の子が相手なら、侍にだって私は負けない。

 なのに、この距離での戦いでは彼に勝てない。

 まさか、霧すらも吹き飛ばすあれほど強力な技を使えるとは思わなかったわ。


「オルァァァァ!! とっとと、まいったしろ!!」


 街で戦碁を打ったとき、故郷に居る誰よりも強く、次元の違う領域に存在するような遥かなる高みからの一手を打たれ、私は「すごい」という感情を上回るほど「憧れ」を抱いてしまった。

 もっと、彼と打ちたい。弟子になりたいとすら思った。

 しかし、そんな戦碁とはガラリと変わるほどの実戦での彼の印象。

 強く、魂に溢れ、そして熱い。

 何故彼があのような戦碁の打ち筋をできるかは分からないけれど、きっとこれが本当の彼。


「くっ、うう、つっ! は、速すぎ……るっ!」


 距離を離せない。私が力強く踏み込んでバックステップしようとする前に高速の左が飛んで私の動きを止める。

 鞭のようにしなる拳を私は両手で受け流し続けようとするも、徐々に腕がしびれ、何よりも更に加速する拳に私は追いつけない。


「捉えた!」


 左手一本で私を圧倒し、防御も回避も不可能な状態になってから、右拳をまっすぐ私の顔に……嗚呼……この右を受けたら私は……


「……俺の勝ちだ! そうだろ!」

「……え?」


 敗北を覚悟した私だったが、来るべきはずの衝撃が来なかった。 

 目の前には寸止めされた彼の拳。

 そして、同時に彼の体を覆っていた光が収まる。

 これは……


「……どういうつもり?」

「……あ? これでもう勝負アリでいいだろうが!」


 顔が潰れることを覚悟していたけれど、どういうこと?

 情け? いいえ、違うわ。

 これは……ああ……そういうことね。


「君……強いけれど……さては女を殴ったことがないのね」

「ッ!?」

「……なんだ……とても育ちの良いお坊ちゃんなのね……でも……覚悟を決めた女にとって、それは優しさなんかじゃないわよ! 侮辱よ!」


 屈辱。

 戦場は死と隣り合わせ。任務中の死もまた忍の誇り。

 そんな私に対して女だから殴れない? これほどの強さを持ちながらその程度の甘い精神性。

 さっきまで、ロストヴァージンの相手にしてもいいかもしれないと考えていたけれど、失望したわ。


「もらっ……ッ!?」

「うるせえ、さっさと負けを認めて失せろ!」


 彼の隙を突いて、クナイを喉元に当てようとした私の手首を、彼は一瞬で掴み取った。

 やはり、この距離では……



「いいか? 見えちまえばこっちのもんだ! テメエの視線も息遣いも筋肉の動きも全て見逃さねえ。こっからテメエが何をしようとも、何かをする前にその動きを止めて、カウンターを叩き込む!」


「つっ……」


「さぁ、負けを認めやがれ!」



 野性味溢れる目で私に凄む彼。

 だけれど……


「……でも……実際は殴らないのでしょう? いいえ、殴ったこともないのでしょう?」

「な……にィ?」

「ふざけないで! この私を愚弄する気?」


 私は敗北よりも、この状況での女の子扱いが腹立たしくて仕方なかった。

 自分でも見苦しいと思うような情けない負け惜しみを言っていた。

 生殺与奪が委ねられている勝者の権限に異議を唱えるかのように、私に敗北を与えるなら、いっそ叩きのめして欲しいと訴えた。

 すると、彼は……


「うるせえ! つーか、殴って欲しければテメエももっとブスな顔して出てこいよ! 殴りづらいんだよ! だいたい、テメエら女ってのは、好き放題に言って男を査定したりとか、自分の都合であいつはダメだの、付き合うのはやめた方がいいだの、エロ本を見てりゃ変態だの、人によっては女を傷つけたら最低と言ったり、テメエは侮辱だと言ったり、ウゼーんだよ! さっきまで俺のことがモロタイプとか言ってたくせに、今度は勝手に失望したり、イチイチうるせーんだよ!」


 正に同年代の男の子が感情的になってクラスの女の子と口喧嘩をするような文句をまくし立てた。


「男はな~、女の評価を基準に生きてねーんだよ! 俺のやり方に、出会ったばかりの、ましてや人の話も聞かねえような敵がイチャモンつけてんじゃねえよ!」


 思わず私は呆けてしまうも、すぐにムッとなった。

 手首を捻って返し、反射で彼の手を離させる。少しでいい。ほんの少し距離さえ離せば、まだ勝機がある。


「な、なにが、もっとブスな顔して出てこいって……失礼な人ね! 女も男も……中身でしょ!」

「……なにい?」


 そして、チャンス。散々捲し立てるように怒鳴ったために、彼の反応が遅れた。

 私はバックステップで彼から距離を離せた。この距離ならまだ手はある。


「今こそ、私の最強忍術を喰らいなさい! 水遁! 風遁! 合成忍術・風水大災―――」


 戦闘では常に冷静であるのが基本。

 それを分からないあたり、やはり彼はまだまだ……


「何が中身だ……じゃあ、言うほど大した中身でもあんのかテメエは!! 少なくとも……」


 そのときだった。

 私から距離を再び離された彼は、慌てて追跡するわけでもなく、ただ感情を剥き出しにして叫んでいた。


「少なくとも俺が出会ったばかりの友達は……誰よりも怖い顔をしたイカついオーガのクセに……中身は……誰よりもイカした優しい人だった」


 そう叫ぶ彼は怒りだけでなく、どこか訴えるかのように……

 

「そして、俺が出会った師匠は……最低最悪な呪われた悪名だけが歴史に残るも……だけど中身は……負けず嫌いで、ちょっとガキみたいなところがあって、でも俺の指針となり、そして誰よりも俺を見てくれる奴だ!」


 何? 彼は何のことを言っているの? オーガが誰よりも優しい? 師匠? 

 分からない。

 でも、その瞳は言っている。


「アカさんのことをオーガという種族でしか見れない奴が、人の中身をどうのとほざいてんじゃねえ!!」


 私に、いえ、まるで世界に向かって「どうして分かってくれないんだ?」と叫んでいるように見えた。

 そして、再びその全身が緑色の光に包まれ、その右腕には先程よりはコンパクトなサイズの螺旋が出現する。

 その螺旋は、私が放った最強忍術に向かって真正面からぶつかり、そして風穴を開ける。



「アースインパクト!!」



 術を砕かれ、渦巻く螺旋の衝撃波が私を吹き飛ばす。

 強く、熱く、激しい衝動を一身に受けた。


「あ……つ……」


 地面に仰向けになって倒れる私に、それほどの外傷はない。

 だけれども、心が既に認めていた。

 自分の完全な負けだと。


「わ、たしは……負けたの……?」


 でも、さっきの寸止めよりずっとスッキリし、何よりも……



「この、私が……殴って欲しければブスになれなんて酷いことを言う男なんか……に……ん? あれ? つまり……私を殴れないってことは、私はブスではなくて……あ……」



 胸の高鳴りが止まらなかった。


 私としたことが、もっと人の話をよく聞かないとダメね。


 だから、彼の話をもっとよく聞くべきなのかもしれない。


 いえ、聞かなくてはならないと思った。

 

 そもそも私は……



「ねぇ、……話しを聞く前に……教えて。まず……君の名は?」



 これほどぶつかり合えたのに、彼の名前すら私はまだ知らないのだから。

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