満水の時

古川 奏

ある午後、社内にて


 内藤は、認めざるを得ない。


 それは不意にやってきた。通常なら段階を経て感知されるそれが、なぜか今、何段かを乗り越える形で到達した。あまりにも奇襲じみていて、自身の体内から湧き上がっているものなのだという事実すら疑いたくなるほどだった。

 迫り来るそれの猛烈な勢いに、半ば思考が停止するかのような感覚すら覚えつつ、内藤はそれを受け入れる。抵抗の余地などないのだと結論付けることはもはやある種の敗北を意味していたが、ひとまずそれを認めないことには、己が人間という一個体であると断言することすらままならないような気がするのだった。

 よって内藤は、認めざるを得ないそれの存在を、ほとんど諦観の念と共に認めるに至った。


 尿意である。


 それの訪れに対し、決して鈍感になっていたわけではない。油断や慢心が微塵もなかったかと問われればいくらかの迷いは生じたかもしれないが、身体的な感度になんら問題はないはずであると、少なくとも自分の認識としては自信を持って主張することができた。

 なにより、と内藤は強く思うのだが、ここに来る前に、それを滞りなく解放してきたところなのである。時間にして、40分ほど前、男子トイレにて、つつがなく用を足し終えてきたのである。「溜まる、故に放出を必要とする」という性質を持つそれに対し、個体主である内藤が果たすべき責務は十分に果たしているわけである。


 であるにもかかわらず、再びの尿意である。


 現在の内藤における喫緊の問題とは、迫り来るそれそのものの大きさと同時に、物理的な場の中にもあった。今がその場でないのなら、このような脅迫的な現象になんら揺さぶりをかけられることもなかっただろう。今内藤がいる場とは、抱えてしまっているそれの開放が、即座に許容される空間ではないのである。


 会議中の尿意なのである。


 通常そうした場におけるこの類の要求は、然るべきタイミングを見計らい、踏むべき手順を踏んだ上で決行されるならばなんら問題はない。自身の一時的な不在がその場に与える影響が最も少ないとされるタイミングと、場の進行を邪魔しない所作での申告方法でありさえすれば、大抵の場合は一時的な退室が許されるものである。それは短くはない社会人経験を経てきた内藤にとっては、特別負荷のかかる作業ではなかった。

 しかしこの場が、そうした通常の域を逸している場合はこの限りではない。そして不運なことに、今はまさにそのさなかなのである。


 深刻系会議における尿意なのである。


 それは重要な案件が議題であるという類の深刻さではない。取り扱っているテーマ自体は普段定期的に行われているそれと変わらない。唯一違う部分と言えば、上に立つ人間の機嫌である。

 権力を誇示するために傲慢さや横暴さを振りかざす種類の人間が存在するが、今社員数十名の前に立つその上司もそれに類する人間であった。特段責めるべき点もないはずの案件を、ほとんど悪意とも受け取れるような圧でもって糾弾しているのである。

 愛情ある激励に見せかけたその叱責は、ここにおける空気を子鼠のように萎縮させた。いかなる弛緩も許されない緊張状態である。

 この場において挙手をし、緊急事態ゆえの退室の申請をするなど到底無理と思われる。下腹部から催されるほぼ暴力的ですらあるその訴えを、現時点での内藤が、正しく処理することはほとんど不可能なのであった。


 八方塞がりの尿意である。


 自身が窮地に立たされていることを自覚した内藤は、意識の流れに抗う必要があると判断する。なぜなら、意識のたどり着く先は感情であり、今それを脳内において展開させることは非常に危険であると、本能の部分で察知したからである。

 事態の緊急性が増していくに従って、感情も悪い方向へと加速していくに違いない。それを避けるために、内藤は意識の矛先をより論理的なそれへと切り替える。つまり、事態を客観的に観測し、原因を究明しようという思考方針へと移行させる。


 尿意の謎解きである。


 まず、この会議が行われる前の昼食時間において、自分が口にした物を思い起こす。蕎麦である。今朝方コンビニにて昼食用の海苔巻きなどを購入済みであったのだが、予定外のミーティングが差し込まれたことにより、急遽社外での昼食へと変更されたのである。

 実績や能力の有無によらず、勤務年数の経過によって自動的に役職を上げてきたに過ぎない内藤にとって、ミーティングと名を借りたほとんど愚痴で構成されている部下からの相談事は、どちらかと言えば面倒事であった。しかしそれもまた仕事のうちだと割り切れる程には、社会に対して身を滅ぼさない程度の諦念を持ち合わせている。部下を前に、必要な相槌と、当たり障りのない助言を繰り返しながら、冷やしおろし蕎麦をすすったのである。

 人の感情が絡む問題さえ事務的に処理してしまえることが果たして能力と言えるのか。そこにあるのは社会への従属と見せかけた単なる降伏であり、意志の停止による思考の鈍麻こそが己の精神を守る最後の砦であるとすら思える瞬間もある。それは所謂本音と建前であり、夢と現実であり、希望と諦めであった。社会で生きていくこととは、人間としてある部分で死んでいくことと同じであると、内藤は思う。

 生きるために死んでいく、という相反する二つの潮流の同時存在。その乖離はしかし、内藤の体を引き裂くことはない。まるで二本の足のように機能して、内藤を社会的に二足歩行可能な人間たらしめているのである。そのようにして日々を進みながら、澱みなく形式的に部下を諭す一社会人として、冷やしおろし蕎麦に一味唐辛子を振りかけたのである。

 それを辛いと知覚する段になって初めて入れ過ぎたことに気付いたが、覆水が盆に返らぬように、一味も瓶には戻らぬのである。火を噴くように熱い舌をなだめるため、内藤は何度も冷水を口へ運んだのである。


 水の過飲による尿意と判明した。


 さぁ、原因を解明できたからと言ってその水源を塞げるかと言えば全くそんなことはない。むしろ時間の経過とともに事態はより切迫したものとなる。汗が吹き出し、鳥肌が立ち、凄まじい悪寒に根幹から震える。まさに、限界水位の頂点である。

 朦朧とする意識の中、ここまでかもしれない、と内藤は思う。全てを諦め、溢れ出る流れに身を任せてしまいたい衝動に駆られる。


 尿意の解放欲求である。


 おそらくその解放は、一瞬の決壊ののち、流れ落ちる滝のようにその場を濡らすだろう。スーツのズボンは灰色の生地を黒へと変え、地図上に刻まれる新大陸のように、浸透するそれの存在を色濃く浮かび上がらせるだろう。体内に保持してきた時間の長さの分だけ、その広がりには温もりがあるに違いない。

 それはある側面では天災であると言える。不運の巡り合わせが遭遇させた驟雨であり、運命の悪戯が引き起こした落雷である。しかしここは、風の吹き荒ぶ砂漠の上でもなければ、大波が押し寄せる海原の上でもない。現代社会における、とあるビル内の会議室である。ここにおいてその天災は、どのような理由を抱えていたとしても、一社員の失態という結果しか生まない。それは、あらゆるものを薙ぎ倒して進む竜巻のように、地平をまるごと焼き尽くす猛火のように、人一人の人生を一瞬にして羞恥の底へと墜落させ得るだけの破壊力を持った、命にかかわる失態である。

 無論、現代社会に生きる内藤にとって、その失態は死と同義である。別段、この社会において成し遂げたいことがあるわけではないが、このような死に様を遂げ、下半身を濡らした屍になることを望んでいるわけでは当然ない。


 今望むのは、日々の継続である。いつも通りに出社し、特別大きなミスもなければ褒め称えられるような成果もなく、尊敬を得ることもなければ疎まれることもない、静穏で無難で凡庸な日々。そうした日常が、つつがなく進行していくこと。内藤は今、たったひとつ、それだけを望んでいる。失われるかもしれないという段になって初めて、日常の尊さを知ったのである。

 それさえ叶うのなら、上司の不機嫌も、部下の愚痴も、その他のいかなる不条理さえ甘んじて受け入れるだろう。納得し難い事態を前にしても、自身の感情を殺すのではなく、ただ圧倒的な受諾として、肯定的にそれを甘受するだろう。

 それは内藤における、全く新しい決意だった。そして同時に、確かな覚悟となって屹立する。それを貫くために、意志を強く持たなければならない。怯むことなく、挑むのだ。


 尿意との、真正面からの対峙である。

 

 意志さえ捨てなければ、望みがついえることはない。強度のある意志を保持するために、内藤は体勢を微調整する。床に対しおよそ70度の角度を保った前傾姿勢が、下腹部にある満水感への圧力を最も小さく感じさせることが判明する。背筋と腹筋を使うことにより、その角度を維持する。また、呼吸による上下すら決壊への刺激となり得るため、可能な限り静かに息を吸って吐き、横隔膜の伸縮範囲を最小限に抑える。

 そのようにして内藤は、静かに望みの灯火を掲げ続けたのである。砂漠で風に吹かれながらも、海原で波に揺さぶられながらも、己の内に輝く炎を、一人守り続けたのである。


 生死を懸けた、尿意との戦いであった。


 ――そして訪れた終焉により、内藤の望みは成就へと向かい出す。会議が終了したのである。

 室内の空気が一気に弛緩する。その中で内藤は、前傾姿勢を保ったまま椅子から立ち上がり、表面張力に震える満タンのコップを手にしている時の慎重さで会議室を出る。現時点での最高速度で廊下を進み、目的地へと到達する。そして、放つのである。


 尿意に勝利した瞬間である。


 戦い終えた内藤の胸は、得も言われぬ爽快感で満たされていた。あまりの体の軽さに、空を飛べるのではないかとすら思った。

 そうした感覚を、そのまま生きる喜びと定義付けるのはいささか安直な気もしたが、今は軽率に、そうした自分の心を祝福したいと思えるのだった。


 人生は素晴らしい。

 ただの言葉としてでなく、実感として、そう思う。そんなふうに思える自分が、どこか可笑しい。


 全てを終え、内藤はドアを開ける。心なしか、踏み出す一歩がいつもよりも大きい。ふと目をやった窓の外には、青い空が広がっている。

 満水の時を経て、新しく芽生えたいくつかの確信を胸に、内藤はまた歩みを進めていく。どこまでも行けるような気がして、思わずステップを踏みそうになる足を押し留める。一人苦笑を噛み殺し、この後のスケジュールを脳内で確認する作業に入った。

 透き通るような夏の、とある午後のことである。


〈了〉

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