デザイナー、小田信光
明菜はスタジオにいた。洋品店の店主の腕はたしかで、ブレのないコーディネートを施された明菜。カメラマンもノリノリで撮影を終えた。
「昼食がてら、スケジューリングしよう」
「はい。でしたら、ぜひ行きたいお店があるんです!」
明菜がそう言ってリクエストした店のことは、松田も知っていた。松田は直ぐに電話を入れた。
「12時半からの予約ができたよ。ゆっくり歩けばちょうどいいかな」
「そんな方法があったんですね。松田さん、さすがです!」
パチパチと手を叩きながら、明菜が言った。
明菜は松田に歩きながら自身の夢を語った。小学生の頃から明菜が大切にしている夢。そのためにピアノやバレエを頑張ったこと。高校生になってからはジャズダンスも習っていること。ときどきこうしてこの街を歩くこと。
どれもストレートな明菜の情熱と捉えられなくもない。だが、オーディションに応募したというはなしは皆無だった。そこに松田は違和感を覚える。だが、インスピレーションを優先し、吟味せずにはなしを続けた。
「明菜くんなら、声をかけてくる同業者は他にもいたんじゃない?」
「はい。この街へ来る度に4・5回はスカウトされます」
努力のはなしから一転、明菜の自慢ばなしがはじまった。
「じゃあ、どうして今まで応じなかったの?」
「モデルばかりで。アイドルって言ってくださったのは松田さんが初!」
ピアノのストラップ。松田は明菜が言うのを聞いてそれを思い出した。
「そうだね。俺も最初はモデルにって思ってたんだ」
「どうしてですか? 身長ですか? アイドルは小さい方がいい?」
「それはあるかもしれないね。でも俺、見ちゃったんだ!」
「なっ、何を、ですか」
「ストラップ、ピアノの。だからきっと音楽が好きなんだって思った」
「はい。私、演奏するのも歌うのも、どっちも大好きです」
そんなはなしをしているうちに、古びた喫茶店にたどり着いた。
とある洋品店。少し前まで明菜がいた。今は桜子がいる。その目の前にいるのは、松田をタジタジにした男。小田信光という、高校2年生にして新進気鋭のデザイナーだ。小田のことを先生と呼んだのは芝田。
「その辺で着替えて。俺はヘーキだから」
「私は平気じゃないわよ」
「俺、デザイナーやってて。裏で女体ばっか見てっから」
「何よそれ」
桜子は文句を言いながらも、従うしかなかった。桜子が着替えはじめるのを見計らい、小田は別の部屋へ服を取りに行った。桜子が着替え終わった頃、小田は服を手に桜子がいる部屋へと戻った。その靴音に桜子は顔を赤らめた。
桜子は、小田が携えている服に見覚えがあった。明菜と見た、着る人を選びそうなワンピースだ。小田にどうぞと言って差し出された瞬間には、下着姿なのも忘れて晴れやかな顔になっていた。そして直ぐ様その服を着て見せるのだった。
爽やかな笑顔でくるくると周る、ワンピース姿の桜子。小田の予想をはるかに超えてよく似合っていた。それで今度は、小田が赤面してしまう。神々し過ぎて圧倒されてしまうが、震えた声を振り絞った。
「おっ、思った通りだ。よっ、よく似合ってる……。」
「何? 顔真っ赤じゃない! エロいこと考えてんでしょう」
桜子にそう言われて、小田ははっとした。正直、エロいことを考えていた。女体慣れしているといっても見る専門。仕事以外では女体に触れたことさえない。そんな小田は、立派な童貞なのだ。ときどき裏返る声で一生懸命に言い訳した。
「そっ、そそ。そんなことないさ。俺、女体慣れ? してっからさ」
「そう。ま、何でもいいけど。ありがとう。すごく着心地いいわ」
桜子はそう言いながら社交パーティーで一国の姫が参加者に挨拶をするように頭を垂れた。小田は声を出すこともできずに立ち尽くしてしまった。
時刻は12時30分。店のアンティークの古い時計がボーンと1回、重い音を響かせた。
「いっ、いかん。もう時間がない」
2人は慌てて店を出た。
桜子は、車まで小田を見送りに出ると、手を振って別れた。
そのあとの桜子は、何だってできるという錯覚に陥っていた。主におっぱいを締め付けていた下着を変えたのが大きい。ワンピースも機能的だった。だから桜子は身体が自由になり力がみなぎるのを感じずにはいられなかった。
もし柔道部員が通りかかったら、問答無用で投げ飛ばしていたことだろう。
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