第9話 存在証明

 フライン村に着いたのは、日がじりじりと照りつける正午を回った頃だった。

「やっと着いたな」

「私、もうふらふらだよ〜」

 ここにたどり着くまでに何度かノアとの戦闘を交えた。痛手を負うようなことはなかったものの、確実に昨日出会ったノアより強かった。それはエリックが少し苦戦していることからよく分かる。数が増えているだけでなく、北に向かうほどノアは強力になっているのだ。

 だから僕はこれ以上この調査を続けるのが怖い。死ぬのがとても怖い。ノアを見ると、どうしても無残なラリティオの姿が脳裏をよぎってしまう。僕がいつ同じようになってもおかしくないのだ。このまま北に向かえば向かうほど、その可能性は高くなる。

 昨日から僕の心にはずっともやもやが残っている。僕の記憶はこんな危険を犯してまで手に入れる価値があるものなのかと真剣に悩んでいる。そもそも、これを続けたからと言って記憶が戻る保証はどこにもないのだ。

 記憶が無いという事実が僕の心に多大な影響を与えているのは確かである。自分が自分であることを証明するものが何も無いせいで、孤独感はどんな時もひっそりと僕にまとわりついている。でもそんな心の不安定さから解放されるために、命の不安定な状況に身を置くなんてなんとも馬鹿な話だ。

 ナルセリカが加わった今、僕がここにいる必要はないんじゃないかと思う。きっとこの先は今まで以上に危険なことが待ち受けている。そんなのキャパシティオーバーだ。昨日みたく、僕が居たほうが厄介なことになってしまう。僕が一緒にいるだけで二人が動き辛くなる。そんなの、何の意味があるんだ。流れる血の量が増えるだけで、僕が居る意味が全くない。だから僕は手遅れにならないうちに、前を歩いているエリックを呼び止める。

「あのさ、エリック」

「どうした?」

 エリックは村に入る直前で足を止めて振り返る。ナルセリカも同時に立ち止まった。

「悪いんだけどさ、僕をここに置いていってくれない?」

「……は? それってどういう……え?」

 エリックは困惑を隠せない。それでも僕は続ける。

「もちろん今までのことは感謝してるよ。だけど僕はもう無理なんだ。怖くて、仕方がないんだよ。……それに僕が居たって何の役にも立たない。二人に迷惑を掛けるだけだ」

「いや……え?」

「僕が居なくてもナルセリカが居るでしょ? きっと僕の何倍も役に立ってくれるよ……。恐怖で動けなくなる僕なんかより、ずっと強い」

 僕はナルセリカの方を見やる。彼女もエリックと同じように困惑の表情を浮かべていた。何を言って良いのか分からないというような顔をしている。僕は心のなかで、押し付けてごめんと思う。

 エリックは深い溜め息をつく。僕を見て、ナルセリカを見る。そして少し考えてから言った。

「……分かった。……まあ考えてみりゃそうだよな、初日からあんな目にあって、気にせずに続けろなんて言うほうが酷か……。ただ一つ分かっておいてくれ。俺はユイトが役に立たないなんてこと全く思っていない。ただ、これは調査の危険度を見誤った俺のミスなんだよ。ユイトにそんな思いをさせたい訳じゃなかった。だからユイトが協力しようとしてくれただけでも、俺は十分感謝してる」

「本当にごめ――」

「ちょっと待って! それはダメだよ!」

 ナルセリカが僕とエリックの間に割って入ってきた。ナルセリカが僕の方を見る。なにかを言いたげだけど、それはしっかりとした言葉にならず、もごもごと喉に引っかかって出てこない。

 それを見てエリックは再び大きな息を吐いてから言った。

「大丈夫だ、分かってる。ナルセリカも俺と二人で不安なら抜けてもらって構わないから。ユイトもナルセリカもほとんど俺が押しつけて協力してもらったんだ。俺が一人になっても、それは元に戻っただけだ。だから俺のことは気にしなくていい」

「……違うの。そうじゃないの」

「じゃあどういう――」

「ねえユイト、私から提案……いや、お願いがあるの、聞いて。その判断をするのはこの村の調査が終わってからにしてほしい。私が口を出すようなことじゃないかも知れないけど、私はユイトにここで諦めてほしくない。これから起こることでもし、ユイトがもう無理だって思ったら、私を置いて逃げたっていい。だから……ここでやめるなんて言わないでよ」

 ナルセリカはエリックの言葉を遮る。少し震えるような声で、僕のことを見つめる。そんな彼女の瞳は潤んでいた。

「いや――」

「お願い。ユイトが危ないときは私がきっと助けるから……」

 彼女の言葉は真剣そのものだった。彼女自身の身を犠牲にしてでも、本当に助けてくれるような気がした。彼女の透き通った瞳に僕の弱々しい顔が映っている。僕はどこまで弱いのか。一人の女の子にどうしてここまで言わせてしまうのか。ここでこれを断ってしまったら、僕は一生何者にもなれない気がした。ずっと後悔や孤独を抱えて生きていくような気がした。

 だから僕は恐らく最初で最後の勇気をここで使うことに決めた。僕がこれをやらなければいけない理由を無理やり見つけることにした。記憶を取り戻したいからと言う理由はさっき捨ててしまったのでもう使えない。だから僕は心の中を隅から隅まで探した。僕が調査を続けられるような納得できる理由を求めて。

 そして一つだけ見つけた。心の片隅にあった小さな気持ちだ。それは、エリックに恩返しをしなくてはいけないと思っていること。その小さな理由を大きな建前にすることにした。

 僕は嫌だ、と言いかけた口をそのまま笑顔に変える。そのせいで引きつった笑顔になったかも知れない。そして僕は力を振り絞って言った。

「……分かった。じゃあ……そうするよ」

 エリックにせめてもの恩を返して、ナルセリカのお願いを聞いて、それで終わろう。少なくとも、今よりかはいい終わり方になるはずだ。僕はこの村の問題が大きくないことだけを祈った。死なずに終われますように、と小さな僕はそう願った。

 エリックは僕を見て軽く頷くと再び歩き出した。その足取りは心做こころなしか重く見えた。でもきっと僕の足取りはそれよりも重くてにぶくてぎこちない。自分のものじゃなく、誰かの足を借りて無理やり動かしているようだった。


 村に入った僕たちは調査の手始めに村長の話を聞くことにした。しかしこの村のことはよく分からないので、住民に事情を説明し、村長に取り次いでもらうことにする。

 誰かこの村の住民はいないか、と辺りを見回すとこちらに向かって歩いてくる一人の男性を見つけた。エリックはその男性を捕まえて、簡単に事情を説明する。早口ではあるが、聞き取りやすいハキハキとした喋りだった。

 そして彼は「なるほど。では私に付いてきてください」と僕たちを親切に案内してくれることになった。

 男性に連れられて村を歩いた感じ、コトハ村より少し小さいような印象を受けた。活気が足りないのだろうか、静まった雰囲気の村は住民が多いように感じない。実際に比べたらどうなるのか、少し気になった。

 しばらく歩くと、この村の集会所に着いた。かなりの人数が入りそうな大きい石造りの建物だ。外壁は白が基調となっていて、太陽の光をよく反射している。建物の中は温かみのある外壁とは打って変わり、ひんやりとした空気が流れていた。石が熱を遮断しているのか、外よりはいくらか涼しい。内装はいたってシンプルで余計なものは何も置かれていない。何脚かの机と椅子が壁際に寄せて置かれているくらいだ。

 ここで待っていれば村長を呼んできてくれるらしい。ここまで案内してくれた男性はそそくさと扉を閉めて出て行った。広々とした構内に僕たち三人だけがたたずんでいた。


 ややあって男性は白髪の混ざった髭を蓄えた老人を連れて戻ってきた。恐らくこの老人が村長なのだろう。見た目から穏やかな雰囲気が漂っている。

「あなた方が勇者さんの御一行ですかな?」

 老人は丸い眼鏡をクイッと持ち上げた。僕たちに順に視線を配る。

「はい、そうです。コトハ村から来ました、エリックと言います」

「おお、そうでしたか。私はハロルド・グレイと申します。この村の長を務めております」

 ハロルドさんは軽く頭を下げる。物腰の柔らかい人だと思った。

「して、私はどのようなことをすれば良いのでしょうか?」

「この村近くに出現するノアについて聞かせてください。何か変わったことがあれば知りたいです」

「……分かりました。私の知っている限りの情報をお伝えしましょう」

「お願いします」

 ハロルドさんは「立ち話もなんですので」と、壁際にあった椅子を並べた。僕たちはそれに座って、ハロルドさんの話に耳を傾ける。

 ゆっくりとした口調でハロルドさんは語る。

「一週間ほど前のことでしょうか。この村にも勇者と呼ばれる職業の方がおり、その方から報告を受けました。どうやら村の近くに出現するノアの数が増えたらしいのです。まあ、その現象は話に聞いていたことですので、大きな驚きはありませんでした。私は村の安全を守るため、彼一人で対処できないようであれば、助けを要請すると提案しました。しかし彼はそれを断りました。数が増えただけであって、少し忙しくなるだけだと言ったのです。しかし、実際はそうではありませんでした。状況が変わったのは昨日のことです。彼は全身血だらけの状態で私のもとに現れました」

 その言葉に、僕は固唾を呑んだ。上から誰かに引っ張られるようにして背骨が伸びた。

 ハロルドさんは一度息をついてから続ける。

「私の家まで走ってきたようで、息を切らしながら彼は言いました。ノアは私一人の手に負えないほど強くなっている。北の森に七本脚の、それも巨大なノアが隠れている。だから手遅れにならないうちに早く逃げろ、と。彼はそのノアを倒せなかったものの、痛み分けという形で撃退したようです。彼はそう言い残すと、力尽きるようにして倒れました。私は大至急で医者を呼び、治療を受けさせました。彼は今、自分の家で安静にしています」

 ハロルドさんは手の指を組んで、重い表情を浮かべていた。眼鏡越しに見える瞳に光は灯っていなかった。その勇者が負った傷の責任を感じているようだった。

「……そうでしたか」

 エリックは静かな声で相槌を打った。

「彼をあれほどまでに傷つけたノアが次にいつやって来てもおかしくありません。そのため、村を追い出されるのも時間の問題でした。しかしそんな時にあなた方がお見えになったのです。おこがましいお願いとは重々承知ですが、彼のためにもそのノアを狩っていただけませんでしょうか」

 ハロルドさんは深々と頭を下げた。拳を固く握って、膝に押し付けている。見上げるような視線で僕たちを見ていた。

「私達からもお願いします」

 背後から別の声が聞こえた。後ろを振り返ってみると、十数人の住民が不安そうな表情を浮かべて立っていた。僕たちのことを聞きつけてやって来たのだろう。ハロルドさんの話に夢中で気がつかなかった。彼らはこの村最後の希望と言わんばかりに僕たちをじっと見つめている。

「もちろんです。俺たちに任せてください」

 エリックは椅子から立ち上がって言った。堂々とした態度で全員の顔を見回す。そうすることで住民の不安を最小限に留めようとしているのが分かる。しかし、僕はそれどころではない。それで不安になるのは僕の方だ。確か、エリックは以前に六本脚のノアと死闘を繰り広げたという話をしていたはずだ。恐らくそれより強いだろうノアを狩れると言い切れるのか。

「ちょっと待っ――」

 エリックの独断に僕は慌てて訂正を入れようとするが、手で素早く口を抑えられた。その指の隙間から漏れる空気の音だけが聞こえる。そしてエリックは鋭い視線を僕に突き刺した。黙っていてくれ、ということなのだろう。

 僕は勢いで浮いた腰を椅子に戻した。叱られた子供のように、僕は俯いて石の床を見つめる。伸びていた背骨がそのまま抜き取られたように、力なく項垂うなだれる。エリックは僕に喋る意思がないことを確認すると、再びハロルドさんの方を向いて言った。

「俺たちがきっと解決してみせます。だから安心してください」

「おお、そうまで言っていただけるととは……。ありがとうございます。頼もしい限りです」

 ハロルドさんだけでなく、住民からの感謝の声も聞こえた。しかしその声色から察するに、その不安は拭いきれていないようだった。

「他に何か情報はありませんか? 勇者が言っていたことはそれだけでしたか?」

「それだけです。……いや、そう言えばノアと戦っている時に女を見たと言っていましたね。一瞬だったので見間違いかも知れないとも言っていましたが。初めに聞いたときはこの村の女性が巻き込まれたのかと思いましたが、行方不明者やそういった類の報告はありませんでした。なので恐らくは見間違いでしょう。気にするほどのことではないと思われます」

 僕はふと顔を上げてナルセリカを見た。一瞬何か関係があるんじゃないかと思ったが、流石にそんなことないだろうとすぐに考えを改めた。ナルセリカのことを気にするあまりか、根拠なく色々な情報を結びつけてしまいがちになっている。でも彼女の目的が明かされないうちは、自然とそうなってしまうと思う。こればかりは仕方ない。

「そうですか。分かりました、ありがとうございます。残りは俺たちに任せてください」

 エリックが淡々と告げると、ハロルドさんは住民を引き連れて集会所から出ていった。残ったのは僕たち三人と、しんとした冷たい静寂だった。

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モラトリアム勇者 谷内直希 @naoki_clear

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