第8話 天気雨

 エリックは魔法を使って傷を治癒しながら、ナルセリカと何やら話をしている。ナルセリカは僕のことをチラチラ見るけど、話しかけては来ない。二人は陽の光を避けて、木の下に並んで座っている。そんな二人をよそに、僕は少し離れた所でただ黙々と青い空を見上げ、物思いにふけっていた。太陽に照らされて、首筋には汗が伝っている。背後から聞こえているのは二人のかすかな声。そして僕はその声に少しだけ意識を向けていた。

「――ところで、君たちは何をしてるの?」

「俺たちはノアが増えた原因を調査してるんだよ。ま、そうは言っても今日出発したばかりなんだけどな。はあ……本当、初日から災難だよ。…………あっ!」

 エリックはふとひらめいたような声を上げた。僕は何事かと耳をそばだてる。

「どしたの?」

「なあ、ナルセリカ。もし君が良かったらの話なんだけど、この調査を手伝ってくれないか? もちろん嫌だったらいいんだけど……」

 ああその話か、と僕は思う。僕の時もそうだったけど、エリックは話が唐突すぎるのだ。恐らくキョトンとしているであろうナルセリカの顔を見ようと、僕は後ろを振り返った。

「あー………。うん! いいよ!」

 ……それは意外すぎる反応だった。返事をする時、ナルセリカは悩む様子を全くもって見せなかった。そんなことを急に言われて、すぐに了承する人なんて居ないと思っていたんだけど、どうやら彼女は違ったらしい。調査がどれだけ危険なものか、彼女がきちんと理解出来ているのか不安になる。

「本当に!? ありがとう!」

 エリックはナルセリカに満面の笑みを向ける。とても爽やかな笑顔だった。

「そういう事だったら別に頼まれなくても、私から手伝わせてって言ってたと思うしね」

「な、なんでなの?」

 それまではずっと黙っていたのに、僕はつい口を挟んでしまう。急に声を出そうとしたので上手く喋れず、一言目で喉が詰まった。

「なんでって……うーん、多分、私の……するべきことだからかな」

「するべき……こと……?」

「今は分からなくていいよ」

 彼女はひひっと笑う。

 僕にはそれがよく分からなかった。ただ、ナルセリカの言葉には強い意思がこもっていた。彼女の言葉通り、何か果たすべき目的を持っているらしかった。


 空を見るのも飽きてきたので僕は立ち上がり、エリックの隣に座った。エリックの顔にさっきまでじわっと滲んでいた血は綺麗さっぱりなくなっている。

「結構時間かかってるけど、治りそう?」

「ああ、もう少しで。俺、ヒール治療波は得意じゃないんだよな」

「……あのさ、一つ聞いていい?」

「なんだ?」

 僕は、エリックに出会ってからずっと抱いてきた疑問をぶつける。森の中でさらに深まった疑問で、僕には理解しがたいエリックの行動について。ノアと戦いたくないと思ってしまった僕の気持ちを変える答えを求めて。

「エリックは……どうして、死ぬかもしれないのにノアに立ち向かえるの?」

 僕がそう聞くとエリックは真顔になった。そして木の葉の隙間から僅かに覗く空を静かに見上げる。風が吹いて、葉っぱが擦れた音を立てる。当たり一面に広がる青草が、砂浜に優しく打ち付ける波のように静かになびいている。

「俺さ……母さんがノアに殺されたんだよ。もう五年以上前のことだけどな」

「えっ……あっ……そう、なんだ」

 僕はなんて返したら良いのか分からず、少し固まってしまった。

「そんな悪いこと聞いたみたいな顔するなよ」

 エリックは笑って言う。そして、少しだけ深い息をつく。

「……で、それがきっかけで俺はノアからみんなを守りたいって思ったんだよ。もう誰かが傷つくのは見たくない、そう思った。だから俺はこの仕事を始めた。もちろん最初は怖かったけど、これが俺に課せられた使命なんじゃないかって今は思う。俺だからこそ出来ることなんじゃないかってな。……だから俺は戦える」

 そう言い切ったエリックの横顔はいつも以上に凛として見えた。

「……かっこいいね」

 ナルセリカがエリックの方を向いてしんみりと言った。

「そんなことないよ……。実際、私怨を晴らしたいだけかも知れないから」

 エリックは草原をまっすぐと見つめる。遠くの空を漂う雲はゆっくりと稜線に消えていく。

「俺はノアが大嫌いだからさ。ノアに殺されそうになったらどうにかして道連れにするし、それができなさそうだったら自分の命をかけて呪いをかけると思う。これはノアに一矢報いたいっていう執念かな」

 エリックは僕とナルセリカに、と言うより、自分自身に語りかけているようだった。自分の信念を確認するかのように、言葉を反芻している。

 穏やかな草原にゆっくりとした時間が流れる。

 結局、僕はノアに対してどういう気持ちで戦えば良いのか、分からないままだった。誰かを守りたいと思い、そしてそれを行動に移せるような強い気持ちを僕は持っていないのだ。

 果たして僕は誰のために戦うのだろうか。記憶のためなのか……? いや……。


 * *


「少し早いかもしれないけど、ご飯食べよっか」

 日が西に傾いてきた頃、ナルセリカは両手にウサギを持って言った。純情可憐な少女と逆さに吊られたウサギのミスマッチ具合に少し笑ってしまう。

「そうだな、特にすることもないし。早く寝て、朝早く出発しよう」

 エリックもどこからか狩ってきたウサギを左手に持っていた。血の付いていた服は狩りのついでに川で洗ってきたのか、少しだけ綺麗になっている。

 草原にぽつぽつと立っている木からかき集めた枝を組んで焚き火を作る。木がパチパチと気持ちいい音を立てて燃える。不規則に舞う火の粉を見ていると、なんだか心が静まる。

 皮を剥いだウサギを焼きながら、僕たちは焚き火を囲んで座る。

「私と場所変わらない?」

 ナルセリカが先に座っていたエリックに向かって言った。

「いいけど、どうして?」

「なんとなくだよ。別に深い意味はないの、ね?」

 ナルセリカは急かすわけでもなく、隣でエリックが移動するのを待っている。

 エリックは巨樹に近い席をナルセリカに譲って、焚き火を挟んだ反対側に座る。ナルセリカはなんとなくと言ったが、草原側に背中を向けたくないという安心感の問題なんじゃないかと思った。草原から何かが飛び出してきたときに背を向けていては気づけないだろう。そういうところは抜かりないなと思う。

 エリックは僕の左側から右側の席へ移り、そしてナルセリカが僕の左側の席に着く。

 ナルセリカはそれで満足そうだった。そして、ふと僕の方を向いて微笑む。左頬に出来た笑窪えくぼがとても愛らしい。

 僕はその時、初めてまじまじとナルセリカの顔を見た。片側だけ耳にかけているボブの髪型、ぱっちりとした二重の大きな瞳、透き通るように白い肌、どれをとってもすごく魅力的だった。

 頭の中がギュッと締め付けられたような感覚に陥る。別にナルセリカに特別な感情を抱いているわけではないと思う。それなのに、なんだか不思議な感じがする。

「どしたの?」

「あ、いや、なんでもない」

 ナルセリカに声をかけられて、僕は視線をずらす。

「――そっか」


 * *


 翌朝、僕は小鳥のさえずる声で目を覚ました。立ち上がって大きな伸びをする。肩と首をゆっくり回すと、ポキポキッという音が聞こえた。

 木の下から出て、涼しい空気の流れる空を見上げた。朝と夜が入り交じる暁の空。東を見ると太陽の光が雲に霞んで、柔らかい空を作り出している。その空を自由に滑空する鳥の影。西に浮かぶのは静かに雲に隠されていく皓々こうこうたる月。その静寂さは夜を恋しく思わせる。昨日感じた煩雑さは見る影もない。ノアと出会ったのは夢なんじゃないかとさえ思う。

「おはよー」

 背後から声がした。少し乱れた髪を掻き上げてナルセリカがふらふらと歩いてくる。

「おはよう。よく眠れた?」

「うん! ここ最近で一番良く眠れたかなっ」

 彼女はひひっと笑う。「それは良かった」と僕もつられて微笑む。

「お、二人共起きてたか、おはよ」

 僕たちが話していると、エリックはどこからともなく現れた。朝からどこかに行って帰ってきたらしい。

「水汲んできたんだけど飲むか?」

 川に行っていたのか。エリックは革製の水筒を僕とナルセリカに渡す。僕はそれを一口飲んだ。乾いていた喉に潤いが戻る。

「さ、準備が出来たら出発しよう。ここからだと六、七時間くらいで着くはずだ」


 剣と鎧を装備して歩くのは結構疲れる。休憩を挟みつつだけど、もう三時間以上は歩いているんじゃないだろうか。しかも二度ほどノアと遭遇し、戦闘になった。最初のうちこそ会話をしながら歩いていたけれど、一時間も経たずして僕は無口になった。ノアと遭遇してからは一度も口を開いていない気がする。エリックとナルセリカはまだ元気が残っているようで、時々会話が聞こえる。エリックは慣れているからだろうし、ナルセリカは剣も鎧も持っていないから、そこまでつらくないのだろう。彼女は魔法石しか持っておらず、かなりの軽装だ。

「あ、雨だ」

 ダラダラと歩いていると、ナルセリカがそう呟いた。その声に僕は空を見上げる。

「ほんとだ……」

 空からは眩しい太陽の光と共に、小さな雨粒が降り注ぐ。天気雨だ。きらきらと光る雨粒が僕の顔を打つ。少しこそばゆくて、気持ちいい。自然と笑みがこぼれてしまう。

 雨に濡れ、陽光に輝く草木は生き生きと、鮮やかな緑を映し出している。世界が一瞬にして活気に満ちる。雨や水が持つ美しさを太陽が引き出している。そんな素敵な光景に僕はつい感嘆してしまう。ノアのことなんて全て忘れてしまえる。

「ねえ! こういう天気のこと、何ていうか知ってる?」

 一番前を歩いていたナルセリカは立ち止まり、ステップを踏んで僕とエリックの方を振り返った。

「天気雨じゃないの?」

 僕は降ってくる雨を手のひらで受け止めながら答えた。

「違う違う。他の言い方があるの。動物が出てくるやつなんだけど」

 求めていた答えではなかったらしい。ナルセリカは人差し指を顔の前でクロスさせる。

 天気雨の他に何かあったっけ、と僕は数少ない記憶を手繰る。どこかで同じようなことを聞かれた気がしなくもないんだけど……。

「あー……何かが結婚するやつだっけ」

 僕が考えている間にエリックが思い出したように言った。

「そうそう!」

 エリックは顎に手を当ててじっくり考える。そして、しばらくしてから口を開いた。

「あっ! 俺、思い出したかも。狼じゃないっけ?」

「ぶっぶー。残念!」

 ナルセリカは口を尖らせる。エリックは「えー、違うのか」と残念そうな顔をする。

「ねえ、ユイトは分かった? この雨が何て言うか」

 ナルセリカは僕の方を向く。

 その時、僕はふと思い出した。何がきっかけになったのかは分からない。水中から何かが浮かび上がってくるかのように、答えがスッと頭の中に浮かんだ。

「…………狐の嫁入り?」

「せいかーい! よく覚えてたね」

 どうして思い出せたのかは謎だ。記憶がなくなっても分かるほどの好きな天気だからだろうか。

 欲しかった答えを聞いて、ナルセリカはニコニコしだす。見るからに上機嫌だ。

 僕も、正解できて嬉しかった。だけど、それと同時にちょっとしたむず痒さを感じた。一瞬、別の記憶も思い出しそうになったのに、すぐに引っ込んでしまったのだ。大事なことを思い出せそうな気がしたのに、もうそれが何かは分からない。記憶の欠片は深い海の底に静かに姿を消した。

「あー、狐か。くっそー、分かんなかったな」

 エリックは唇を噛むが、目元は笑っている。

「惜しかったねー」

 そう言ってナルセリカはエリックに無邪気に笑いかける。ナルセリカの明るさが生み出す平和な時間。暗かったはずの気持ちは少し明るくなっていた。こんな時間だけが続いてくれればいいのにと思う。しかし願いというものは儚いものである。

「あ、もう止んじゃった」

 空を見上げて、ナルセリカが少し残念そうな声で言った。僕らを包んでいた幻は長居することなく空へと帰る。僕は一瞬で現実に引き戻されたような気がして、大きなため息が漏れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます