第7話 正体

 僕はその少女に目を奪われる。木洩れ日に輝く艷やかな黒髪に、細くて華奢な身体、胸元には真紅の魔法石が輝いていた。しかし、顔に浮かべているのは暗い不安の表情だった。

 僕は見惚れていた。まるで時間の感覚がなくなってしまったかのように、その一瞬は永遠に感じられた。時間の枠に収まりきらないほどの感情が、走馬灯のように僕の中を駆け巡る。

 しかし、彼女を見ていたのは僕だけではなかった。呆気にとられていた男は地面に刺さった大剣を引き抜きくと、彼女に向かって蹴り出した。彼女は怖気を震って、動けないでいる。怯んでしまうような殺気放ちながら、男は彼女に斬りかかった。

 しかし、エリックがそれを許さない。

「お前の相手は俺だ!! よそ見してんじゃねえ!」

 大剣が彼女に届く前に、エリックは男の左腕を真っ二つに斬り上げる。一瞬の間を置いて、彼女はハッと意識が戻ったように足を動かした。

 勢いを失った大剣は振り下ろされることなく、スッと地面に落ちた。

 その数秒後、斬られた勢いで頭上に跳ね上がっていた左腕が、ボトッと地面に落ちる音がした。質量のある嫌な音だ。

「――なっ!?」

 エリックはその左腕を見て愕然がくぜんとする。それは僕も全く同じ気持ちだった。

「どういうことなんだよ……」

 ポツリと僕の口から漏れる。感じたことがそのまま言葉になって現れる。

 切り落とされた左腕から出ていたのは血液なんかではなく、もっとおぞましいものだった。

「こんなの……ノアと同じじゃないか」

 地面に落ちた左腕は黒い粒を出して消えていくのだ。風に舞われた灰のように、サラサラと形が失われていく。

 もう、訳が分からなかった。僕の情緒は掻き乱されてぐちゃぐちゃだった。

 右腕だけになった男は、まるで何事もなかったかのように大剣を握り直した。かなり重量がありそうなのに、それを軽々と持ち上げる。男はほとんど弱っていないようだった。

 エリックはすかさず追撃の姿勢をとった。

 甲高い金属音が森中に何度も響く。勢いよくぶつかりあった剣は火花を散らす。

 右腕しか無いはずなのに、まるでハンディキャップになっていない。互角の勝負と言っていい。そんな状況を、僕はただ手をつかねて見ていることしか出来なかった。

 僕の役目はエリックの手助けをすることなのに。一歩たりとも動けなかった。

 だけど、少女は僕の代わりに動いた。死の恐怖に打ち克ち、この状況を変えるだけの冷静な判断力を持っていた。

 彼女はカノンを放つ。エリックに当たる可能性もあるのに、彼女に迷いはなかった。それは速くて正確な一弾だった。

 カノンが男の頭部に炸裂する。そのカノンには男を倒せるほどの威力は無かった。だけど、それは男の視界を揺らすのに十分な力だった。

 男が一瞬ふらつく。

 そしてその一瞬を見逃すエリックではない。

 エリックは間合いを一気に詰め、男の首を一振りで刎ねた。まるで空気を斬り裂くかのように、やいばはなんの淀みもなく男の肉体を通過する。

 頭と体が完全に分離する。

 支えのなくなった頭は、木からりんごが落ちるように、普遍的に地面へと吸い寄せられる。何度この嫌な音を聞けばいいのだろう。僕は、もう聞きたくない。

 男は膝から崩れ落ちる。バタリと体を地面に打ち付ける。

 頭も体も、左腕と同じようにして消えていく。黒い粒になって跡形もなく消える。

 異常な光景、としか言いようがなかった。目の前で起きた現象が信じ難かった。はっきりと目に焼き付いているのに、僕はそれを受け入れたくなかった。

 もう、分かるのだ。僕たちが立ち向かおうとしている問題の大きさが、困難さが、ありえないほど大きなものだと分かるのだ。ノアの異常発生には絶対にこれが関わっている。

「ユイト、大丈夫か!?」

 エリックは心配そうに僕の方に走ってくる。だけど、僕は返事をせずにうつむいた。

「とりあえず怪我は無さそうだな……。どうして、戦ってくれなかったんだ?」

 エリックはいつもより低いトーンで僕に尋ねた。

「どうして、って話が違うからだよ! ……こんなのが居るなんて聞いてない。僕はエリックみたいに強くないんだよ、分かるだろ? やっぱり僕には無理だったんだよ」

 僕の口から最初に出てきたのは責任転嫁の言葉だった。僕は悪くない、そう主張するように叫んでしまった。

 エリックはそれを聞いて黙る。何か言おうとして、またそれを飲み込む。

 今エリックはどんな顔をしているのだろう。呆れているのか、怒っているのか、はたまた蔑んでいるのだろうか。もしくはその全てだろうか。エリックの顔を見るのが怖い。僕はただただ地面とにらめっこをするだけだった。

 現状から逃げることしかできない。この嫌な時間が早く過ぎ去ってくれればいいのに、なんてことしか考えていない。逃げたらダメだと分かっているのに、どうしても立ち向かえない。一言でもいいから謝るべきだと心では分かっているのに、何故か出来ないのだ。

 どうして僕はこんなに弱いんだろう。エリックと何が違うんだろう。何も考えられないのに、自分を嫌いになっていくことだけがはっきりと分かった。

 気まずい空気の中、少女は茂った草を踏み分けてこちらに歩いて来た。そんな彼女の表情にはどこか陰りがある。

「あ……。さっきはありがとう、本当に助かった。怪我はなかった?」

「私は大丈夫だけど……君こそ、大丈夫なの? 顔から血が出てる」

 彼女は心配そうな顔でエリックを見る。エリックの足元には、血でできた水玉模様があった。

「ああ、痛いけど、こんくらいの傷なら大丈夫だ。心配ない。それより、ここを早く離れよう。何があってもおかしくない」

 エリックはベットリと血の付いた手をマントで拭った。

「ユイト、立ち上がれるか?」

 エリックは僕の方を振り向き、手を差し伸べる。こんな僕を置いて行ったって誰も文句は言わないのに。

 僕はエリックに顔も向けず、その手だけを掴んで弱々しく立ち上がる。何も話す気になれない。

「馬に積んでいた荷物は諦めた方がいいな……。とりあえず、どこか休める場所を見つけよう。今日中に村に着くのは無理だ」

「……大丈夫、私に付いて来て」


 僕たちは森を出てから二十分程歩いた。フライン村に向かう道からは少し逸れている。

 森の外はほとんど木が生えていない草原で見晴らしがよく、ノアが居たらすぐに分かるだろう。

 陽の光は明るく、爽やかな風が吹いているのに、僕の気持ちは暗いまま変わらない。ずっと薄暗い森に閉じ込められて居るようだった。

「ほら、着いたよ」

 彼女に案内されて着いたのは、草原の中でも一際目立つ巨大な木だった。枝張りが大きく、しっかりと雨を防ぐことが出来そうだ。

 木の下に入って上を見上げると、そこには沢山の先客がいた。迷路のような枝に、小さな鳥たちが仲良く並んで歌っている。

「はー、すごいな。君はなんでこんな場所を知ってたんだ?」

 エリックは、木の根っこに座って伸びをしている彼女に向かって聞いた。

「ここで寝泊まりしてたの。ここは良い場所だよ。綺麗な川が近く……というか、歩ける距離にあるから水に困らないし、ずっと一人でも鳥さんたちが居るおかげであんまり寂しくないの」

 ずっと一人……まるで何日もここで過ごしていたかような口調だ。

「君の目的は何なんだ? どこかに向かう途中って訳じゃ無さそうだけど」

 エリックは続けて質問をする。彼女は少し首を捻り、僕を一瞥いちべつしてから言った。

「うーん、今は……言えないかな……。でも、安心して。私は君たちの味方だよ」

「そうか……。危ないところを助けてくれたんだ、敵だなんて全く思ってないさ。な、ユイト?」

 エリックは黙って突っ立っている僕にも話を振る。

「あ……うん。さっきは……ありがとう」

 喋り方を忘れてしまったかのように、細々ほそぼそとした声しか出なかった。

「あのな、ユイト。さっきのことはあんまり気にするなよ? あれは動けなくても、まあ仕方なかった。お前は悪くない。だから元気出せって」

 バシッと背中を叩かれる。その気遣いが余計に痛い。「お前は役に立たない」なんて言って罵って欲しかった。そっちの方が楽なのに。僕の可能性を諦めて欲しいのに。

「あ、そう言えば名前をまだ言ってなかったな。俺の名前はエリック・ラッセルだ。エリックって呼んでくれ。で、こいつが……」

 エリックは僕に視線を送る。僕は仕方なく口を開く。

「僕は……ユイト。ほとんど記憶が無くて、覚えてるのは名前だけなんだ……」

「……なるほどね。記憶喪失か、そっかそっか」

 彼女は一人で納得したような顔をした後に、少しだけ複雑そうな様子を見せた。その表情が何を意味しているのか、僕には知る由もない。

「君の名前は?」

 僕は彼女にそう問うた。当たり前のような質問を当たり前のような流れで。

「え? あー、あはは……」

 何故か苦笑いをする彼女。

 彼女は少し考えた後、静かに「ナルセリカ」とだけ名乗った。それ以上は何も言わず、黙って僕を見た。じっと見つめた。どうしたんだろうと思っていると、彼女は突然テンションを上げてエリックに話しかける。

「昨日獲ったウサギがいるから、夜はそれを食べよっか! 鶏肉みたいな味がするんだよねー」

「お、そうなのか。悪いな。飯は馬に積んでたから、どうしようかと思ってたんだよ」

 ――なんだか様子が変だ。僕とどう会話して良いか困っているように見える。僕から滲み出る暗いオーラがそうさせるのだろうか。自己嫌悪に陥っている僕は、気づかないうちにぶっきらぼうになっていたのかも知れない。だとしたら申し訳ないと思う。命の恩人に対して取るような態度ではない。

 でも僕はそんな様子の彼女に何か秘密があるんじゃないかと思った。彼女の目的とは一体何なのだろうか。ナルセリカに対して抱いた印象は「不思議な少女」だった。

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