第6話 少女

 僕を乗せたラリティオは風を切るように、この世の全てを置いていってしまうような速さで並木道を颯爽と駆け抜ける……、なんて事ができたら良かったのに。

 あいにくラリティオは常歩なみあし、時々速歩はやあしで駆けている。常歩だと移り変わる景色を楽しむのには丁度いいかも知れないが、かっこよくはない。

 覚えていないので分からないけれど、恐らく乗馬経験のまったくない僕は、速歩ですらかなり速く感じる。一応村で何度か練習したけど、気を抜いたら落馬してしまいそうだ。

 ちなみに他には駈歩かけあし襲歩しゅうほという歩法がある。速くていかにも馬に乗っている風ではあるが、如何せん持久力が持たないので使うことはあまりない。だから今の速度が馬にとっても僕にとってもベストなのである。

「プロッフ森まであと少しだ。前にも言ったと思うけど、プロッフ森は人の立ち入りが少なくて、魔獣狩りで後回しにされやすい。だからノアと遭遇する確率が高くなる。俺が警戒しておくけど、ユイトも出来るだけ気をつけてくれ」

「わ、分かった!」

 僕たちは現在、村を出発してからずっと北に直進している。どこに向かっているのかと言えば、プロッフ森を抜けた後に方向を変え、しばらく北西に進んだところにあるフライン村である。

 エリックの持っている情報によると、ノアの増加はフライン村の近くまで顕著に広がっているらしい。だからコトハ村から一番近い現地である、フライン村におもむき、そこに出現するノアがどのようなものかを確かめようとしているのだ。

「森に入ったぞ。なるべく早く通過したい、少しスピードをあげよう」

「……オッケー」

 エリックの指示通り、僕は足でラリティオに合図を送る。正確に合図を送れたか少し不安だったが、常歩から、少し速めの速歩に変わった。僕の意図を汲み取ってくれたのか、ラリティオは僕がついていける最大限の速度ぎりぎりをキープする。賢い子だ。

 エリックの馬の後ろに僕の馬が並び、鬱蒼とした森を駆け抜ける。陽の光は、青々とした木の葉のカーテンによって遮られている。薄暗く、妙な静けさが漂うこの場所はどこか禍々しい感じがする。

 どうかノアに出会いませんように……!!

 僕は心のなかで強くそう祈った。


 しかし、現実とはそう上手く行かないのが常である。

 森に入ってから五分も経たずに、その奇妙な生き物……と呼べるのか怪しいものの群れは僕たちの前に立ちはだかった。

「ユイト、止まれ!」

 エリックはそう叫んで、素早く剣を引き抜く。

 これがノアか……。

 ノアはじっと動かず、響くような低音を出して威嚇している。その様子は森の薄暗い雰囲気に溶け込んでいた。

 エリックの言っていた通り、ノアは見ただけで吐き気を催すほどに不気味な姿をしていた。その見た目は「闇」と例えるのが一番似つかわしいと思う。眼が一つしかなかったり、四つもあるノアが居るのが分かる。

 五、いや六体か。しかし体はそこまで大きくない。どれも僕の体より小さく見える。それに、脚の数が五本以上あるようなノアは居なかった。

 不幸中の幸いというべきか、恐らくこのノアはそこまで強力な部類のものではないだろう。恐れすぎるのも良くない。

「僕はどうすればいい?」

 エリックの後方で静かに指示を待つ。

「近くの奴を殺ってくれ。俺は遠くの奴を殺る」

 そう言うと、エリックは剣を片手に持った状態で、もう片方の手からカノン魔法弾を放った。

 一直線に鋭く伸びたカノンは避ける間もなく、一番奥に構えていたノアに直撃する。ノアは勢いよく空中に弾かれ、後ろに生えていた木に激突した。

 相手が小さいというのもあるだろうけど、すごい威力だ。分かっていたことだけど、エリックの強さは伊達じゃない。

 カノンの勢いが強すぎてしばらく木にへばり付いていたノアは、ズルっと地面に落ちた。べたりと地面に這いつくばったかと思うと、体が黒い粒に分解、分散されて空中に消える。

 それはほんの数秒の出来事だった。一瞬にして、存在していたものが「無」に変わった。木の周りに残ったものは、激突の衝撃で剥がれた樹皮くらいだろう。

 話には聞いていたけれど、実際に自分の目で見てみるとかなり異様な光景である。この世のものとは思えない。

 そして一体のノアが消滅したのを機に、残りのノアが一斉に動き出す。そのスピードはかなり速い。目で追うのも一苦労だ。

 たどたどしている僕を横目にエリックは狙いを定めてカノンを連発する。ノアはむやみには突っ込んで来ず、間合いを取ってヒットアンドアウェイの姿勢を取っている。しかしエリックのカノンは精度がよく、早々に二体のノアを消滅させた。

 僕もエリックにならって援護射撃を行う。

 ……あれ? おかしいな、全然当たる気配がない。

 練習と実戦がほとんど別物であることを実感する。高速で動く物体に狙いを定めるのはかなり難しい。何度も何度もかわされる。

 しかし、そんなことを思っていると偶然か必然か、僕の撃ったカノンがエリックに飛びかかったノアに直撃した。下手なカノンも数撃ちゃ当たる。威力が弱いせいで倒せはしなかったものの、ノアはエリックの近くに墜ち、一瞬ではあるが動きを止めることが出来た。その隙にエリックは素早く馬を降り、転がったノアを剣で斬りつける。

 ノアは先程と同じように、黒い粒になって空中に消える。

 初めてにしては上手くアシストできたんじゃないだろうか。

「いいぞ! その調子だ」

 エリックは剣を両手で握る。

 僕はその言葉で少し自信がついた。練習の成果が少しは発揮されたんじゃないかと思う。

 よし、残りも狙いを定めて……と思っている間に、エリックが驚異的なスピードで残りの二体を始末した。

 …………え?

 一瞬何が起こったのか分からなかった。エリックの姿が消えたと思った次の瞬間、二体のノアは真っ二つだった。こんなの常人の出せる速度じゃない。瞬発力ってこんなにも鍛えられるものなのか、と素直に感心する。

 立ちはだかっていたノアは全滅し、一時いっときの安全は確保された。

「どうやったらあんなに速く動けるようになるの?」

 特殊なトレーニング法があるのだろうか。あるなら少し聞いてみたい。

「あれはエアロ追風って言って、ただの魔法。最初に四元素に変換できるって話をしただろ? その中の風を使ってるだけだよ」

 ああ……なるほど、魔法か。言われてみればそりゃそうだ。

 エリックは剣を鞘に戻し、馬に乗り直す。

「さ、行くぞ」

 休む暇なく、僕とエリックは再び馬を走らせた。



 そこからしばらくノアと遭遇することはなく、順調に森の中を進んでいった。ただ気分的には、木々ばかりの風景に変化がないせいで、あまり進んでいない感じがする。

 あと少しで森を抜けられる、そんな時だった。僕たちはまたしても足止めをくらってしまう。

 本日二度目のノアとの遭遇である。現れたのは四体の群れだ。

 先程の戦闘に鑑みると、苦戦することはないはずだ。時間と体力、魔力を少し削られるくらいか。

 

 予想通りと言うか、予想以上と言うか、やはり戦闘はあっけなく終わった。

 今回は僕も頑張って、自力で一体のノアを倒すことに成功した。……いや、少し語弊があった。先にエリックに三体倒してもらって、僕用に一体だけ残したのを倒したと言うほうが正しい。言い方は悪いが練習用だ。

 相手は一体だけなので焦る気持ちがあまりなかった。他のノアに気を取られることがなかった。だから、相手の動きを細かく観察できた。相手をしっかりと見た状態でカノンを撃ったら案外命中したので、戦いの中では落ち着いていることが大事なんだと思う。

 基本的なことなのかも知れないが、僕にとっては難しい。今日初めて戦って、まだノアに慣れていないから仕方がないとは思うけれど。

「いい感じだな! 相手の動きをしっかり見れてたぞ」

「そう? そう言ってもらえると嬉しい」

 エリックは、僕が意識していたことに気づいて褒めてくれる。魔法を練習し始めた頃から思っていたけど、エリックは人を褒めて伸ばすのが上手だ。やる気を引き出すのが上手い。

「もう少し走ったら森を抜けるはずだ。そしたらそこで休憩しよう」

「そうだね。この子も疲れてるだろうし」

 僕はラリティオの首を撫でる。サラサラの毛並みに手が滑るように流れていく。

 コトハ村からフライン村までは馬で一日かかる。もうお昼は過ぎているが、プロッフ森を抜ければ半分は越したことになるので、少し長めの休憩をとっても日が落ちるまでには着くだろう。

「ん? 何だあれ?」

 馬を走らせようとした時、エリックは後ろ、僕たちが通ってきた道の方を向いて言った。

 僕も振り返ってそちらを見る。

「人……かな? 一人っぽいけど、大丈夫なのかな?」

 僕たちがノアを倒しつつ進んできたから、安全だったのだろうか。

「いや、結構危ないと思うけどな……。一応、森を出るまではあの人を保護したほうがいいか」

 そう言ってエリックは馬を引き返す。僕もそれに続く。

「あ、よく見たらあの人、すごい剣持ってんな。なら、同業者かもしれない」

 本当だ。さっきは遠くて見えなかったけど、近づくにつれ、大剣を背負っているのが分かる。それにガタイがかなりいい。僕より頭二つ分くらい身長が高く見える。二メートルはゆうに超えているだろう。

「こんにちはー!」

 エリックは近づきながら声をかける。

 …………。返事がない。結構近いと思うんだけど、聞こえなかったのかな。

 そのままトコトコ走り、五メートルくらいの距離まで近づいた時だった。

 男は背負っていた大剣に手をかけた。

 え? なんだ?

 男が何をしようとしているのか、理解が出来なかった。そして、次の瞬間には、僕の体は宙に浮いていた。

 前を走っていたエリックは突然馬から飛び降りると、僕のことをがっしり掴んでそのまま引きずり降ろしたのだ。僕は地面に体を強く打ち付けるが、茂っていた雑草によって衝撃が少しは軽減された。あまり整備されていない道路で良かった。

「急になにすんの!?」

 僕はエリックの不可解な行動に文句を垂れる。

「逃げるぞ!!」

 は?

 何事かと、僕は男の方をしかと見る。

 ……!?

 数秒前まで僕を乗せて走っていたはずのラリティオは、首から上が無かった。

「ラリティオ……?」

 ラリティオは首から勢いよく血を吹き出し、ズサッと勢いよく崩れ落ちる。それはエリックの乗っていた馬も同じだった。ベトベトベトッ、と文字通り血の雨が降り注ぎ、緑が赤に染まっていく。

 一気に襲いくる嘔吐感。

「ヴォエエッ……」

 口の中が苦酸っぱい液体で満たされる。気持ち悪くて、僕はそれを道端に吐き捨てる。

 僕が呆然としている間に、エリックは男に向かって強烈なカノンを撃ち込んだ。耳をつんざくような轟音と、爆風が同時に襲ってくる。

「立て! 走るぞ!!」

 エリックに腕を引かれて走りながら、後方を振り返る。砂埃の中にはしっかりと人影があった。

 意味が分からない。どうしてあいつが僕たちのことを襲うのか分からないし、あのカノンを受けてなお立っていられるなんて理解不能だ。

 なんでこんな状況になってるんだよ……。

 そう思っているのは僕だけでは無かった。

「何なんだあいつは! くそっ、とにかく今は逃げることだけに集中しろ」

 エリックの足が急に速くなった。僕を引っ張っているせいか、さっき見たのより遅いけど、エアロを発動したんだろう。僕はついて行けず、ほとんど引きずられている。

 人影は大剣を振り払い、舞っている砂埃を吹き飛ばす。凄い風圧だ。そしてそのまま僕たちを追って走ってくる。だが、それは僕たちに追いつける速度ではない。

 僕たちは森の出口を目指して走り続ける。

 男との距離は次第に開いていく。しばらく走ると、男の姿はもうほとんど見えなかった。

 ようやく出口らしき場所が見えてきた……。このままなら逃げ切れるか?

「くっそ! こんな時に」

 突然、エリックが立ち止まった。

 ああ……。

 そこには居たのは七体のノアだった。しかも、今まで出会ったノアより大きい。

「時間がない……。避けていくぞ!」

 そう言ってエリックはまた走り出した……が、ノアは先回りして行く先を拒む。他のルートを探して周囲を見渡した。

「あ……」

 いつの間にか僕たちは囲まれていた。さらに、後ろを振り返ると男が再び目に見える距離まで迫ってきていた。

 終わった……。こんなの、もう無理だ……。

「俺はあいつを狙いながら、近づいて来たノアを倒す。ユイトはあいつを無視して、ノアを倒すことだけに集中してくれ!」

 …………。

「ユイト? ユイト聞いてるか!?」

 僕はもう、動けなかった。絶望に打ちひしがれていた。歩く気力、立っている気力さえ失っていた。

 協力するなんて言わなければよかった。魔法が使えるって言われて少し浮かれていたのか? だとしたら僕は馬鹿だ。コトハ村で誰かに頼み込んで、働かせて貰えばよかった。一人くらいは僕を雇ってもいいという人は居ただろう。記憶の手がかりが見つからなくたって、記憶が戻らなくたって、どれも死ぬよりはマシだったのに。そんな思いだけが残っていた。

 エリックはそんな僕を見て閉口する。呆れられてしまったかも知れない。しかし、すぐにまなじりを決して剣を引き抜くと、果敢にノアに立ち向かって行った。

 僕はそれをただ呆然と見ている。何もしない。何も、出来ない。

 僕たちを囲んでいたノアは次々と黒い粒になって消えていく。

「あ……」

 ノアと戦っている最中に、エリックは別のノアに突進されて遠くに飛ばされた。骨が折れてしまったんじゃないかと思うほどの勢いだ。ゴロゴロと転がり、木にぶつかってようやく止まる。

 エリックは顔面から多量の血を流していた。それはまるであかねの髪と肌が同化してしまったかのようだった。しかし、それを拭うとすぐに立ち上がり、ぶつかってきたノアに高速で近づき叩き斬る。それが最後の一体だった。

 ふとエリックはこちらを見る。その途端、血相を変えて僕の方に跳んだ。

 ……なんだ?

「ユイト、避けろ!!」

 その声に僕は後ろを振り返る。視界の真ん中に映ったのは、大剣を振り上げる男の姿だった。筋肉だけで固められた体は野蛮な兵士のようだ。

 もうこんなところまで来ていたのか。案外早かったな。ああ、僕に明日が訪れることはないんだろう。心のなかでそう思う僕は、他人事のようにこの状況を俯瞰ふかんしていた。

 僕は恐怖を通り越してもはや冷静だった。

 男が大剣を振り下ろすのが見えた。光るのは血に濡れたやいば。……ラリティオの血だ。僕が乗ったばっかりにこんな事になってしまった。申し訳ないという思いだけがつのる。

 なんだか時間がゆっくりと流れるように感じる。そう言えば、死ぬ直前は景色がスローモーションのように見えると聞いたことがある気がする。本当だったんだな…………。

 ははっ、と乾いた笑いが出る。

「――ト!!」

 僕に向かって叫ぶ声が聞こえた気がした。突然、名前を呼ばれたような気がした。その次の瞬間、目の前に迫る大剣の軌道が変わった。

 隣を見ると僕から数センチ、数ミリほどズレた地面が深く切り裂かれていた。

 どこからか飛んできたカノンが大剣に当たって横にれたのだ。

 冷たく、温度の感じない刃に僕の背筋が凍る。

 一瞬の沈黙。

 その隙にエリックは僕を掴んで男から引き離す。腕をがっちり掴まれ、少し離れた木の陰に引きずられる。

 僕は呆然としていたが、ふとさっきの声を思い出す。急に心臓の鼓動が速くなる。全身が波打っている。ゆっくりと流れていた時間と思考が、一気に加速する。

 あれは……誰の声だ?

 その答えはすぐ近くにある。カノンを撃った人物はそこにいるはずだ。僕はカノンが飛んできた方向に急いで目を向ける。

「……誰だ?」

 僕を救ってくれたのは名も知らない一人の少女だった。

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