第177話  昼夕同盟結成

 1



 朝日の光が目に眩しい。


 冷たい早朝の空気をかき分けながら、自動車が目の前の道路を行き交う。静寂を震わせる排気音がどこか物哀しく感じるのは、今日が月曜日だからだろうか。


 箒を持って、俺はテラス席の掃除を始める。


 あれほどこの街を賑やかした夏の余韻はもうどこにも残っておらず、季節は秋への衣替えを始めたようだ。


 秋は嫌いではないけれどあまり好きでもない。自分の誕生日は秋の真っただ中にあるくせに。


 夏の持つ活気と非日常感。それらが大きければ大きいほど、その夏が楽しければ楽しいほど、祭りの後の静けさのように夏が去った後の寂しさがよりいっそう強まるからだろう。


 何が言いたいかというと、その、なんだ。


 今年の夏は楽しかったなぁ、ということ。


 あいつらと一緒にいろいろなところに遊びに行って、夏を満喫した。


 あの楽しかった日々は、もう戻ってこない。


 少なくとも、以前と同じの日々は……


「勇にぃ」


 聞き慣れた声が耳に届き、俺の心臓がドキンと跳ね打つ。


 見ると、そこにはジャージ姿の眞昼がいた。


「お、おう。眞昼か。おはよう」


「おはよ」


「早いな」


 今の時刻は六時五十分である。


「朝練あるから」


「そ、そっか」


 何を言えばいいのだろうか。


「勇にぃ」


「な、なんだ?」


 眞昼はお腹の辺りで手を組み合わせ、もじもじと動かす。


「あの、昨日言ったことだけど、あたし、本気だからねッ!」


 彼女の顔は林檎のように赤くなった。


「いつまでも、待ってるから」


「いつまでもって……」


「いつまでもは、いつまでもだよ。じゃっ」


 眞昼は駆け足で去っていく。その背中が昨夜の光景と重なり、昨晩のことが脳裏に蘇った。


 俺は眞昼をフるつもりだった。気持ちには応えられない、と大人としての対応を見せるはずだった。


 眞昼だけではない。同じように俺に想いを寄せる朝華にも、二人が俺のせいで仲違いすることのないようにはっきりと断りを告げるつもりだった。 


 しかし、眞昼は俺の想像を遥かに超える言葉を口にしたのだ。


 俺の返事を今は聞きたくない、とまるで俺が何を言うつもりなのかを察し、先回りして釘を指すかのようであった。


 眞昼に俺の気持ちが傾くまで、彼女はいつまでも待つつもりだという。眞昼の覚悟と気迫に、俺はそれ以上何も言うことができなかった。というより、今、俺が何を言っても意味がない。なぜなら、眞昼はずっと、待つつもりなのだから。


 どうしてこんなことになってしまったのか。


 どこかで俺は選択を間違えたのだろうか。


 俺が当初想定していたのとはまた違ったベクトルでまずい方向に話が転がってしまった気がしてならない。


 眞昼と朝華が俺を巡って関係を悪くしないように、というのが最優先事項だったはず。しかし眞昼が今の俺の気持ちに関係なく、ずっと待ち続ける覚悟があるというのなら、それはもはや叶わぬ願いとなる。


 眞昼と朝華がお互いの気持ちに気づくのは時間の問題だ。


 二人は俺にとって可愛い妹分だが、女として意識してしまっているのも事実。これから先、俺たち三人の関係はどうなってしまうのか。


 それを考えると胃がきゅっと痛んだ。



 2



「まっひー、朝から飛ばすねぇ」


「練習なんだから全力を出さないと意味ねーだろ」


「にしても、いつもより気合が入ってる気がするよ」


「そうかな」


「動きもいつもよりキレッキレだし。なんかいいことあった?」


「いやぁ、あはは」


 これまであたしを塞ぎ込ませていた悩みが解決したからか、驚くほど体が軽く感じた。まるで羽でもついているかのようだ。


 朝練を終え、シャワーを浴びて制服に着替える。


 あたしは自分が選んだ道に後悔はしていない。あたしにできることはこれしかないし、勇にぃを諦めるなんて絶対に嫌だ。


 でも一つだけ心残りがあるとすれば、それは朝華のことだ。


 あたしたちは今までずっと姉妹と言っても過言ではない親友だった。でもこれからは一人の男を奪い合うライバルになる。


 恋愛は戦争だ。


 そして、恋の戦争の勝者は一人しかいない。


 例え相手が朝華でも、あたしは絶対に負ける気はない。


 昼休みになり、未夜と昼食を一緒に摂る。


「えぇ、眞昼、そんなに食べるの?」


「こんぐらい普通だろ」


「いつもより多くない? 昨日お蕎麦屋さんであんなに食べてたのに……」


「朝練でエネルギー使ったからいいんだよ」 


 ハンバーグ定食にロコモコ丼大盛に焼きそばパンとデザートのフルーツサンドぐらいで、大騒ぎするほどの量じゃないってのに。


「ハンバーグが被ってる……」


「ハンバーグが一番ガッツが出るの」


 昼食を終え、あたしは席を立った。


「どこ行くの? ま、まさかまだおかわりする気じゃ……」


「違うって。ちょっと用があるからさ」


「ん、分かった」


 未夜と別れ、一年生の教室が並ぶ三階に向かった。


「えっと、たしか……あっ、いた。おーい、夕陽ちゃん」


 あたしは戸口から顔を覗かせて夕陽ちゃんを呼ぶ。もう食事を終えたのか、彼女は窓際の席で友達と談笑をしていた。


「え? あっ、はーい」


 あたしに気づくと、夕陽ちゃんは小走りでやってきた。


「な、なんでしょう」


「先週のことで、お礼が言いたくてさ。ちょっと席外せる?」


「はいっ!」



 *



 先週の金曜日と同じ場所に二人で腰を下ろした。


 午後の日射しはぽかぽかと気持ちがよく、気持ちよさそうに白い雲が空を漂っている。


 のんびりとしたいつものお昼休みだけど、夕陽の心はのどかな青空とはうってかわって重たかった。


 眞昼先輩の話は十中八九、告白のことだろう。


 あの時、眞昼先輩があまりにも子供じみたことを言ったから夕陽は心を鬼にして喝を入れた。けど、結局眞昼先輩の恋がどういう結果になったのかはまだ聞いてない。


 もしダメな結果だったらどうしよう。どうやって励まそう。


「ありがとね、夕陽ちゃん」


「なにがですか?」


「夕陽ちゃんが背中を押してくれたから、あたし、覚悟が決まったんだ」


「いえ、夕陽はそんなたいしたことはしてないです。――というか、ちょっと出しゃばりすぎたかも、なんて思ったり


「あたしね、絶対に諦めない」


「諦めないって……」


 え? もしかしてフラれた感じ?


 まさかダメだったの……?


「ま、眞昼先輩、結果はどうだったんですか?」


 夕陽は思い切って尋ねる。


「実はさ――」


 そして眞昼先輩が語ったことは、夕陽の想像の斜め上を行くものだった。


「――だから、あたしはずっと待ってる。今の気持ちがどうであれ、あの人があたしに振り向いてくれるまで、あたしは諦めないし、いつまでも待ってる」


「……えぇ」


 眞昼先輩の説明を聞き、夕陽は心の中で頭を抱えた。


 いやいやいやいやいやいや。


 清々しい顔をしてるけど、要は自分に振り向いてくれるまでずっと執着しますってことだよね?


 夕陽が背中を押したせいで、変なスイッチが入っちゃったみたい。


 そりゃあ、一度や二度フラれたからってめげずに相手を想う人もいるけど、眞昼先輩のやろうとしてることは、一歩間違えたらストーカーみたいなもの……


 やばいよやばいよ。


 夕陽はそんなつもりじゃなかったんだよ。


 眞昼先輩に今の状況が楽になる方へ逃げるんじゃなくて、相手の気持ちを受け止めるように前を向いてほしくて、それで発破をかけたのに。


 今の眞昼先輩は相手の方だけを向いて、ずっとその背中に張り付いているようなものだよ。眞昼先輩の芯の強さが、歪なベクトルに作用しちゃった感じだ。


「それで、夕陽ちゃんにお願いなんだけど」


 眞昼先輩は横目で夕陽を見る。その目は清らかだけど、殺し屋のように据わっていた。蛇に睨まれた蛙の気持ちはこんな感じだったんだなぁ。


「は、はい。なんでしょう」


「これからもさ、ちょこちょこ恋愛相談に乗ってほしいんだ」


「え、えと、夕陽に、ですか?」


「うん。鉄壁聖女のよしみで。いいかな?」


 夕陽が焚き付けた以上、ノーなんて口が裂けても言えないし、相談相手がいないと眞昼先輩は暴走しちゃうかもしれない。いや、絶対暴走するに決まってる。いつまでも待ってる、なんてイバラの道を選ぶくらいだから、自由にやらせたらいつかヤバイ何かをやらかしそうな気がする。


 しかたない、夕陽も覚悟を決めよう。


 半端に口を出すくらいだったら、最後まで見届けようではないか。


「……は、はい。分かりました」


「本当? ありがと」


 眞昼先輩は夕陽に抱き着いてきた。大きく柔らかい膨らみの感触が、夕陽をとろかせる。それにしてもこんなおっぱいに執着されるなんて、相手の男は前世でどんな徳を積んだのだろうか。


「ちなみに、相手の男の人ってどういう人ですか?」


「え?」


「うちの学校の人ですか?」


「えーっと……それは」


 眞昼先輩は顔を赤らめ、目線を下に向ける。両手で口元を押さえ、か細い声で一言。


「まだ、内緒」


 可愛かわいっ。



 

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