第176話 けじめと応援
時間は少しだけ遡り、土曜日の夕刻。
1
熊本エンプレスの見学を終え、あたしは富士宮に帰りついた。
夕暮れの富士宮駅のホーム。階段へ向かっていく人波から抜け出し、自販機でコーラを買ってからベンチに腰を下ろした。
去っていく電車を見送りながら、コーラを一口飲む。
しゅわしゅわとした炭酸の刺激と甘みが心地いい。
「ふぅ」
今までずっと悩んでいたのが嘘のように、気分はすっきりしていた。
夕陽ちゃんや小春さんに話を聞いてもらって、いかに自分が子供じみたことをしていたかが身に沁みたのだ。
特に今日の小春さんの話は目から鱗というか、そういう考え方もあるのか、と驚いたほどだった。
恋というのは一度告白をして、その可否で全てが決まるものだと思っていた。
フラれたら終わり。
それが念頭にあったから、あたしはあそこまで意固地になっていたんだろうな。勇にぃとずっと一緒にいたいというのがあたしの正直な気持ち。だからあたしは自分の気持ちを隠してきたけれど、何度もリトライできるのなら……
一回きりの人生なのだから、妥協はしない。
振り向いてもらえるまで諦めずにアタックし続けることが、あたしにできる唯一のことなのだから。
勇にぃのそばにいられない人生に意味なんてあるのか?
いや、ない。
胸元のロケットペンダントを手で包む。勇にぃに誕生日プレゼントとして貰ったものだ。中を開くと、自分で入れた勇にぃの写真があたしを見つめていた。
「勇にぃ……」
今日か明日にでも勇にぃに会って、告白の話をしなくちゃいけないけれど、その前にやらなくてはいけないことが一つだけある。
あたしはスマホを取り出して電話をかけた。
ややあって、通話が繋がる。
「もしもし、眞昼ちゃん?」
2
その日の午後九時。
あたしは徒歩で源道寺家を訪れた。
今夜二人きりで会いたい、というあたしの頼みを受け、朝華は「じゃあうちで」、と誘ってくれた。
「ごめんね、遅くに」
「いいよ」
朝華の部屋に通される。
「なにか飲む?」
「ああ、じゃあ、コーラ」
「うん、待ってて」
朝華の部屋はいつ来ても変わらないな。
家具の配置や置かれている物――小物すら――、そして漂う香りまでもが、子供の頃のままだ。あの大きなベッドの上でプロレスごっこをしたり、このテーブルでお菓子パーティーをしたり……たくさんの思い出の残り香がこの部屋には満ちている。
朝華はお盆にコーラとアイスティーの入ったグラスを載せて戻ってきた。
「お待たせ」
「ありがと」
コーラに口をつける。
朝華もあたしの横に座ってアイスティーを飲んだ。
「最近、ずっと会えてなかったから寂しかったよ?」
「いやぁ、部活が忙しくってさ」
「眞昼ちゃん、今日は静岡に行ってたんだってね」
「うん、スカウトのチームが遠征に来るとかでさ。色々勉強になったよ」
「そこにチームに行くことにしたの?」
「いや、そういうわけでもないんだけどなぁ」
朝華は今日も勇にぃの所に行っていたのかと思ったら、どうやら違うらしい。なんでも、有月家は親戚の家に行っていたそうだ。
「だから今日は未夜ちゃんとデートしてたの。買い物したり、カラオケ行ったり」
「あいつ、勉強はいいのか……」
「うふふ、平日に頑張ってるもん、だって」
朝華は未夜の口調を真似て見せる。
「今の未夜に似てたな」
「ふふ、そう?」
それからしばらくの間、あたしたちは近況報告を交えた雑談に花を咲かせた。
「あのさ、朝華」
「なぁに?」
あたしは正座をして朝華に向き直る。心臓が鼓動を強め、暑くもないのに体が火照った。
「……あたし、朝華に謝らなきゃいけないことがあって」
「……えっ?」
あたしたちの間に沈黙が流れる。チクタク、と無機質な秒針の音がやけに大きく聞こえた。
意を決して、あたしは口を開いた。
「実は、別荘で、電話したの……あたしなんだ」
*
それだけで朝華は全てを理解したようだった。
「あの時、朝華の邪魔をしたのはあたしなんだ。本当にごめん」
あたしは頭を下げた。
「……そうだったんだ」
怒鳴りつけられたり、殴られたりしても文句は言えないと思っていたけれど、朝華の反応は予想外のものだった。
顔を赤らめ、頬に手を当てて視線を逸らす。
「そっか、そうなんだ。へぇ、そう」
頬に当てていた手で口元を覆い、照れ臭そうにじっと斜め下を見続けている。
「見てたんだ、眞昼ちゃん……」
「うん、ごめん」
「……どこから見てたの?」
「ベランダから。カーテンに隙間があってさ」
「あぁ」
湘南旅行の夜、勇にぃに相談をしに行こうとしたこと、勇にぃの部屋に鍵がかかっていたこと、そして朝華の部屋の扉が開いていたことなどなど、勇にぃの部屋を覗き見るに至った過程を説明した。
「あのタイミングで非通知の電話がかかってくるなんて、おかしいと思ったんだ。ああ、そうかぁ。なるほどなぁ。眞昼ちゃんなら勇にぃが着信音にトラウマがあることを知ってるもんね」
「朝華。あたしもね、勇にぃのことが好きなんだ」
あたしがそう言うと、朝華はあたしの方へ視線を戻した。両手を膝の上で重ね、じっとあたしを見つめる。口元には笑みを湛えているが、眼差しは真剣そのものだった。
「あたし、勇にぃに告白したんだ」
朝華の口元から笑みが消えた。
「勇にぃはなんて?」
「……分からない。まだ返事は聞いてないから」
「……? どういうこと?」
そしてあたしは一週間前の告白の経緯についても説明をした。
「――それで、本当は告白する気なんかなかったのに、頭の中がぐちゃぐちゃになって、ついポロっと好きって言っちゃったんだ。でも返事を聞くのが怖くなって、告白って、こんなに怖いことなんだって分かって」
あたしはぎゅっとこぶしを握り締めた。
「……朝華にひどいことをしちゃったって」
「私に?」
「朝華は勇気を出して勇にぃに告白をしたのに、あたしがそれを台無しにしちゃった」
自分が当事者になって初めて、どれだけ残酷なことをしたのかが理解できたのだ。朝華は逃げ回らずに勇にぃに自分の気持ちを伝えたのに、それをあたしが自分勝手な気持ちで壊してしまったのだ。
「ごめん、朝華」
あたしは再び頭を下げた。
「眞昼ちゃん、頭を上げてよ」
「朝華」
朝華は笑顔に戻っていた。
「私はね、別に怒ってないよ」
「……嘘だよ」
一世一代の告白を台無しにされて怒らない人なんかいない。
「本当。だって私と眞昼ちゃんの立場が逆だったら、きっと眞昼ちゃんと同じことをしてたと思う。言い方はよくないけど、恋愛って結局のところ、自分が幸せになれなくちゃ意味ないから」
「うん、そこは同感かな」
「だから、どんな手を使ってでも勇にぃを落とす。私はずっとそうしてきたし、これからもそうするつもり。だから眞昼ちゃんも私に遠慮することはないよ」
口調は優しいが、強い信念が込められているのがよく分かった。
「……ありがと」
「明日は勇にぃに会うの?」
「うん。でもその前に朝華に謝るのがけじめだと思ったから」
「眞昼ちゃん、真面目だね」
「あはは」
そう。朝華への謝罪こそ、あたしのやるべきことだった。
陰から朝華の邪魔をしてしまったあたしが、それについてなんの謝罪もせずに勇にぃに想いの丈を伝えるのは筋が通らない。
「もう遅いし、泊まってく?」
「いいの?」
時計を見ると、もう十一時を過ぎていた。
「うん」
「じゃあ、お言葉に甘えるよ」
それから朝華と一緒にお風呂に入り、着替えは朝華のものを借りた。ベッドに入ると、朝華は手を繋いできた。
「眞昼ちゃん、勇にぃのどういうところが好きなの?」
「えっと、優しいところ、とか」
「ふふ、一緒」
小さい頃からずっと一緒で、ただの友達ではない姉妹のような関係だった。
でも、これからは恋敵になる。
今日が、最後の夜……
3
窓の向こうに見える夜景。座席から伝わる振動。
神奈川への帰路は、いつも憂鬱だ。次の休みの日まで、勇にぃに会えなくなるのだから。
それにしても、昨日はびっくりしたなぁ。
ここ最近、勇にぃの様子が変だったのはそういうことだったのか。眞昼ちゃん絡みで何かあったんだろうとは思っていたけれど、まさか告白してたなんて。
強力なライバルになるなぁ。
でも勇にぃの堅物さは普通じゃない。
「ふふふ。応援してるよ、眞昼ちゃん」
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