第134話 夜空の花は
1
『また来年も一緒に見ようね』
夜空に咲く満開の花々を見ながら、私は勇にぃにそう囁いた。
『当たり前だろ』
勇にぃはかき氷を食べながら言った。
これからずっと、この四人で楽しく遊べるんだ、と私は信じていた。毎年、夏が来るたびに、この素晴らしい花火を勇にぃと一緒に眺めることができるんだって、そう信じ切っていた。
しかし、その約束が果たされることはなかった。
勇にぃは上京してから十年もの間、一度も帰ってこなかったのだから。
遠い思い出の一ページ。
あの夜見た花火の輝きは、今も鮮明に思い返すことができる。
2
「あっちぃな」
「勇、これはそっちの方に」
母からクーラーボックスを渡される。
「ほいほい……重いな」
「あなた、くたびれてないで手を動かしてよ」
「う、うむ」
設営が終わったテントの下で、いそいそと出店の準備が始まる。
公園で行われる、町内会の夏祭りである。我らが〈ムーンナイトテラス〉も例年通り――俺の参加は久々だが――出店しており、かき氷やコーヒー系の飲み物を販売する。朝から準備に追われ、てんてこまいだ。
全ての準備が終わる頃には、正午を少し過ぎていた。お客も少しずつだが集まり始めている。腹が減ったので、さっそく出店を巡ろうとしたら、
「勇にぃ」
眞昼がやってきた。黒いキャップをかぶり、白いTシャツにデニムの短パン、そして左手首には黒いリストバンドが。
「おう、眞昼か」
「はい、差し入れ」
眞昼は三人分の焼きそばが入った袋を渡してくれた。龍石家も焼きそば屋台を担当しており、入口付近という最高の立地で店を構えていた。
「ありがとー、眞昼ちゃん」
母が言う。
「サンキューな」
「これ、あたしが焼いたから」
「ほー、そりゃ美味そうだ。よし、これ持ってけ。俺のおごりだ」
俺はかき氷を作って眞昼に手渡す。
「ありがと。今日も暑いねぇ」
うっすらと額に滲む汗を手で拭い、眞昼は太陽を見上げる。ツクツクボウシの声が聞こえてきた。
「未夜と朝華は?」
「未夜の家で浴衣を着てからこっちに来るって言ってたから、もうそろそろ来ると思うけど……」
「眞昼は?」
「あたしは夕方頃に未夜の家に行って、浴衣借りる予定」
「ほー」
その時、
「こんにちはー」
「こんにちはー」
「こんにちはー」
未空、龍姫、芽衣の三人がやってきた。手にはたこ焼きや焼きそば、チョコバナナなど、各々食べ物を持っている。もう一回りしてきたようだ。
「おう」
「こんにちはー。みんな早いねー」
眞昼はそう言って腰をかがめて三人に目線を合わせる。
「眞昼ちゃんのとこの焼きそばも買ったよ」と未空が焼きそばを片手に言う。
「ありがとうね」
「未夜はまだ来ないのか?」
俺が聞くと、未空はやれやれといった調子で、
「おねぇは寝坊だよ。私が出る頃になってようやく起きたの。なんか、昨日興奮しすぎて眠れなかったんだって」
「ガキかあいつは」
「未夜らしいね」
そう言って眞昼はくすくすと笑う。
「じゃ、あたし店に戻るから。後でね」
「おう」
「おねぇはほんとダメなんだから。それはそうと、おばさーん、かき氷くださーい」
「はーい。何味がいい?」
「イチゴ」と未空。
「メロン」と龍姫。
「ブルーハワイ」と芽衣。
実はかき氷のシロップは全部同じ味なんだぞ、というトリビアを披露しようと思ったが、子供の夢を壊すのは忍びないのでやめておこう。
「みんなは浴衣着ないのか?」
三人は普段の私服姿だった。
「浴衣? うーん、別に……いいかな」
「暑いしねー」
「あっ、そう」
「勇さん、これあげます」
芽衣がおずおずとチョコバナナを差し出す。
「いいのか?」
「はい」
「ありがとうな」
「えへへ」
「はーい、お待たせ―」
母が三人分のかき氷を作り終えた。それぞれかき氷を受け取る。
「じゃ、また後でね」
未空たちを見送り、俺もテントの下に戻る。眞昼に貰った焼きそばと芽衣に貰ったチョコバナナでエネルギーを補給した。
3
「はい、ありがとうね」
中学生ぐらいの女の子にイチゴ練乳のかき氷と釣銭を渡す。
「ありがとうございます」
屈託のない笑顔を見せ、少女は駆け足で近くで待っていた男の子の下へ急ぐ。カップルだろうか。それとも兄妹かな? 手を繋いでいるところを見るに、カップルだろうと断定する。
「勇にぃ!」
「勇にぃ」
「ん?」
声が重なって聞こえた。見ると、浴衣姿の未夜と朝華が。
「おう、お前らか」
未夜は黒地に黄色い星が点々と並ぶ浴衣だ。夜空をイメージしたのだろう。黄色い帯の端っこに、黒い三日月が目立っている。髪を高いところで結い、簪を付けていた。
「勇にぃ、どうですか?」
朝華の浴衣は白地に赤い薔薇の花がいくつも描かれている。少し胸元がはだけているのは暑いからだろうか。かき氷のように白い頬に、汗が一筋流れているのがなんとも煽情的だ。
「二人とも似合ってんな」
「へへーん」
未夜は腰に手を当てて胸を反らす。
「ありがとうございます」
「そうだ、聞いたぞ未夜。お前、寝坊したんだってな」
「なっ!? だ、誰に聞いたの?」
「さっき未空ちゃんたちが来てな」
「い、いや別に、寝坊ったってね、そんながっつりってわけじゃ――」
「二時間半も待たされちゃいました。九時に集合って約束だったのに」
朝華は頬に手を当ててため息をつく。
「朝華!? それ裏切りだよ?」
「うふふ」
「お前は全く……」
「違うの、昨日眠れなくってぇ」
「勇、休憩行ってきていいよ」
「おう。よし、行くか」
「聞いてる!?」
三時過ぎ。母の許可が下りたので、二人と一緒に祭りを回ることにした。
*
まず向かったのは龍石家が出している焼きそば店。
「眞昼、行こうよー」
未夜が声をかける。
「ああ、ちょっと待って。これ焼いたら……ほっ」
眞昼は袖を肩が露出するまでまくり、頭にはねじり鉢巻きを巻いている。気風のいい姉御といった雰囲気で、夏祭りにぴったり合っていた。
「ママ、勇にぃたちと行ってきていい?」
「いいよ」
明日香が代わりにヘラを持つ。それにしても、相変わらず大きな人だ。
「よっしゃ行くか」
鉢巻きを外したが、袖はそのままだ。きっと暑いのだろう。
まずはぶらぶらと出店を見て回る。
「あれ? 未空ちゃんたちじゃん」
眞昼が言った。
見ると、ヨーヨー釣りのところに未空、龍姫、芽衣の三人がいた。
「懐かしいなぁ。お前らもああやってヨーヨー釣りやってたな」
「勇にぃ、あれ見て。懐かしくない?」
未夜がある建物を指さす。
「おお、あれか」
それは外部業者によるお化け屋敷だった。町内会の祭りにしては本格的な作りだが、店番の老婆の眼力が一番ホラーな気がしないでもない。
入口に並んだ骸骨やろくろ首、からかさ小僧の人形が、ぎこちなく動いている。古い設備だからだろうが、そのぎこちなさが逆に不気味さを演出するのに一役買っていた。
「お前ら、あの時はよくも俺だけを一人で中に――」
「ははっ、そんなこともあったけ」
「眞昼、忘れたとは言わせんぞ」
「あはは、まあとにかく、入ろうぜ」
「大人四人ね」
老婆に代金を払い、中へ入る。
薄闇に包まれた細い通路。
光源は天井から等間隔で吊るされた赤いランプの光だけ。内部は全くの無音で、俺たちの足音が無機質に反響するばかりである。
「な、なんか昔よりクオリティ上がってねーか?」
「み、未夜、歩きにくいって」
「だって~」
未夜は眞昼の背後に立ち、その腰に手を回している。
「きゃっ」と朝華が声を上げ、俺に抱き着いてきた。
「どどど、どうした?」
「あそこの角に誰かいたような」
朝華は俺にくっついたまま離れようとしない。
「あたしもなんか動いたような気がしたよ」
四人で顔を見合わせ、慎重に歩みを進める。
こういう、来るかも、という心構えを強いるってことは……
日本的なホラーの脅かしってのは、緩急が肝だ。
まさか……
俺は意を決して角を曲がる。
が、やはりそこには何もない。
「どうした、勇にぃ」
「お前ら、ちょっといっせーのーで、で振り返るぞ」
「?」
「?」
「?」
「いっせーのっ」
振り向くと、そこには全身に包帯を巻いた男が無言で立っていた。
「ぎゃあああああああ」
「きゃあああああああ」
「きゃあああああああ」
「きゃあああああああ」
4
「未夜、いつまでひっついてんだよ」
「眞昼ぅ」
半泣き状態の未夜は眞昼の背中にくっついたまま離れない。
「怖かったですねぇ」
朝華も恐怖がまだ残っているのか、俺の腕にしがみついたままだ。
お化け屋敷を出た俺たちは近くの飲食スペースに腰を落ち着けた。
「小腹が空きましたね。なにか食べましょうか」
「そうだな」
近くの店で食事や飲み物を調達する。
「勇にぃ、ビールも売ってましたけど」
「ん、酒は夜になってからでいいよ」
俺はラムネで喉を潤し、ラーメンをすする。こういうイベント事にありがちな、くたくたになった麺とチープなスープのラーメンはなぜかしら美味く感じる。
普段の外食でこんなものを出されたらはらわたが煮えくり返るに違いないが。
「あっ、眞昼。チョコバナナは普通に食えよ?」
眞昼がチョコバナナを持っていたので俺は慌てて忠告する。
「普通じゃない食い方ってなにさ」
「え? いやそれは言えないけど」
「?」
食事を終え、再び四人でぶらついた。そのうち、ひぐらしが鳴き始め、太陽の勢いも弱まっていく。
「じゃ、あたし、そろそろおばさんのとこに行くわ」
浴衣を借りるため、眞昼は祭りを一時抜けて春山家へ向かった。
俺もそろそろ店に戻らねば。
「じゃあ、七時にここでまた集合しようよ」
未夜が提案する。七時といえば、この祭りのメインイベントである花火が打ち上がり始める時間だ。
「そうだな」
そうして俺たちはいったん解散した。
*
「ふう、ぼちぼちか」
午後六時三十分。
花火目当ての客が増えてきた。ただの町内規模の祭りなのに、公園内は人でごった返している。
未夜たちとの約束まであと十分時間はあるが、そろそろ行くとするか。
テントを出ようとした俺の服を、その時誰かが引っ張った。
5
「勇にぃ、来なくない?」
花火まであと五分だというのに。
「そうだね」
「仕事が忙しいんじゃねーの」
「私、呼んでくる」
全く勇にぃは。
私がどれだけこの日を楽しみにしてたと思ってるんだか。
有月家のテントの下にはしかし、おじさんとおばさんしかいなかった。
「あら、未夜ちゃん」
おばさんは缶ビールを片手に焼き鳥を食べていた。
「おばさん、勇にぃは?」
「勇? さっきまでいたけど」
行き違いになってしまったのだろうか。でもここに来るまでに勇にぃとすれ違ってないし……
「ん?」
その時、地面がやけに湿っていることに気づいた。まるでずぶ濡れの状態でそこを歩いたかのような……
不審に思い、私はその水の跡をたどる。その先は木々や植え込みが密集しているエリアで、小さな林のようになっている。
なんだかきゃっきゃと子供の声が聞こえてくる。木の陰からそっと様子を窺う。
「誰かいるの――ぷぎゃっ」
弾力のある何かが私の顔面に直撃した。
「あっ、おねぇ」
この声は未空だ。
「おい、未夜、大丈夫か」
勇にぃもいる。
「ちょっとちょっと、何やってんの」
足元に転がっているのは水の抜けたヨーヨー風船。こいつが私の顔に命中したのか。
「未夜さんもやります?」
ずぶ濡れになった龍姫が聞く。
「へ?」
「水風船合戦です」と芽衣。こちらも頭のてっぺんから足の先までずぶ濡れだ。
「ちなみにさっき当てたのは勇さんだからね」
未空が言う。
「いやぁ、未夜、濡れなかったか?」
「う、うん。大丈夫。じゃなくて、何やってんの勇にぃ。そんなに濡れちゃってもう」
「いやー、未空ちゃんに誘われて、なんか懐かしくなってな」
「もうすぐ七時だよ」
「もうそんな時間か」
「花火始まっちゃうよ」
「悪い悪い」
「ほら、未空たちも」
「私たちはもうちょっと遊んでくからいー」
そう言って次の水風船を準備し始めた。
「ちゃんと片づけるんだよ?」
「へーい」
「はい」
「はぁい」
「おっ、始まったな」
林から出ると、どん、と大きな音が鳴り響いた。
夜空に大輪が描かれる。
「おー、綺麗だ」
「もう始まっちゃったじゃん。急ぐ」
飲食スペースの二人と合流する。
「おーい、勇にぃ」
「おっ、眞昼。浴衣に着替えたか」
「どう?」
「似合ってるぞ」
「へへ」
眞昼の浴衣は赤地に白い金魚が泳ぐ風流な趣だが、胸の辺りがめちゃくちゃ苦しそうなのは私の気のせいか?
「はい、勇にぃおビール」
朝華が缶ビールを勇にぃに手渡す。
「食い物もいっぱいあるぜ」
眞昼が言った。ついさっき、みんなで買い出しに行ったのだ。私たちは腰を下ろす。
「どっこらせっと。こりゃ綺麗な花火だ」
「全く勇にぃは。最初の一発は四人で見たかったのに」
私がそう言うと、勇にぃはニカっと笑って、
「まあまあ落ち着けよ。また来年もあんだからよ」
「……全く勇にぃは」
幾度も夢に見た四人で眺める花火大会。
遠い思い出の花火に、目の前の花火が重なった。
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