第130話 言ったそばから
1
「あ、暑ぃ……」
今日はミステリ研究会の会誌の発行日。
絶え間なく照り付ける朝の日射しに炙られながら、私は学校へ向かっていた。
「うぅー」
髪で首周りが蒸れ、アスファルトの照り返しが足を襲う。
通学路の途中にコンビニがある。そこでスポーツドリンクを買い、水分を補給しよう。そして冷房で体を冷却するんだ!
オアシスが見えてきた。
無駄に広い駐車場を小走りで駆け抜け、コンビニに突撃する。
「ふぅ」
強烈な冷房により、体が芯から冷えていく。汗はすっと引き、むしろ肌寒いくらいである。
極楽、極楽。
だがまだ道半ば。
再びあの灼熱のロードに戻らなくてはいけないのだ。スポーツドリンクで喉を潤し、ガ〇ガリ君コーラ味で体をさらに冷やす。そして私は意を決して外へ出た。
「うへぇ」
冷却されたはずの体はあっという間に太陽の熱を吸収し、補給したはずの水分は汗となって体外へ排出される。
自然の猛威の前では人間の小細工など通用しないということか。
坂を上り詰め、校門をくぐる。もう汗びっしょりだ。
テニスコートで他校との練習試合が行われているようで、大勢の人が集まっていた。敷地を東西に貫く長い並木道の路肩には、西高のジャージを来た男子生徒が座り込んでだべっていた。
南側のグラウンドではサッカー部が活動しており、この地獄のような猛暑の中で走り回っていた。
なんというスタミナだろうか。
私なんて学校に来るだけでへとへとなのに。
これは帰りに〈ムーンナイトテラス〉に寄って冷たいものを飲みながら会誌でも読もう。
校舎内に入り、ミス研の部室へ急ぐ。
「おまたせー」
「遅いよ、春山さん」
もう皆集まっていた。
「ごめんごめん、
眼鏡をかけた線の細い副部長――藤野
「はい、春山さんの分ね」
「ありがとう」
「未夜、汗すごいわよ?」
星奈がウォーターサーバーから水を注いでくれた。
「ありがとう。いやぁ、暑くって暑くって」
「春山さんは暑いのに弱いからね」
藤野が呆れた目を向ける。
「それがこの子、寒いのにも弱いのよ」
「う、うるさいな」
その後、次回の会誌のテーマと締め切りが伝えられ、場は解散となった。
2
「さて、帰ろっと」
部室を後にし、昇降口へ向かう。
その時、
「あら、未夜先輩じゃないですか」
聞きなれた声がし、私は振り返った。
「あー、夕陽ちゃん」
煌めく金色の髪に雪のように白い肌。青い瞳はサファイアを思わせ、その背丈の低さはまるで妖精のようだ。目測、140後半くらいかな。
私や眞昼と同じ鉄壁聖女――誰が付けたんだ、こんな変なあだ名――の一人で、この学校のアイドル的存在、外神夕陽。
「どうしたんですかぁ? こんな早くから」
「ちょっと部活でね、会誌を貰ってきたの」
「へぇ」
「夕陽ちゃんは?」
「私は夏期講習です」
「えらいねぇ」
「ところで汗すごいですよ」
「あー、暑くって」
「使います?」
そう言って、夕陽はポケットからハンカチを取り出す。
「いいよぉ、悪いし。タオルなら持ってるから」
「そうですか。それは残念」
何がだ?
「おい、鉄壁聖女の二人だ」
「補習にきてよかった」
「かわえぇ」
「夏休みに春山先輩に会えるなんて」
「夕陽ちゃん、こっち向いてー」
どこから湧いて来たのか、ぞろぞろと男子が集まって来た。
「ちょっとここだと目立ちますね。未夜先輩、まだ時間いいですか?」
「へ? うん」
「じゃあちょっと付き合ってください。話したいことがあるので」
「話?」
そう言って夕陽は私の手を引く。
この時期、ほとんどの教室が空き教室になる。私は三階の一室に連れ込まれた。窓の外から運動部の掛け声が聞こえてくる。
「ここでいいでしょう」
「な、なに?」
夕陽は神妙な目を向けて、
「いえ、ちょっと確認したいことがあるんです」
「?」
「未夜先輩、最近、変な男に付きまとわれたりしてませんか?」
「へ? いや?」
なんでいきなりそんなことを聞くのだろう。
「例えばどこかお店に入って、そこの店員にナンパされたりとか、無理やり連絡先を交換させられたとか」
街を歩いていればナンパなんてのは、まあしょっちゅうある――なんか自慢っぽいけど――が、さすがにお仕事中の店員さんからってのはないかな。
「んー、そういうのはないかな」
「そうですか、ならいいです」
夕陽は満足そうに微笑む。
「未夜先輩は可愛いから、男はすぐ勘違いしちゃいますからねぇ。気を付けてくださいよ」
「えへへ、それほどでも」
「いやいや、本当に。世の中の男どもは、だいたいが女子高生が好きで好きでたまらないやつばっかりなんですから」
「そうかな?」
「そうですよ。だいたい、大人と女子高生が付き合うなんて犯罪的です」
夕陽はきっぱり言い切った。
「ま、なんにもないならいいです。お時間ありがとうございました」
「ううん、全然」
夕陽と別れ、校舎から出る。
体育館を覗くと、女子バレー部が練習していた。
「おっ、未夜」
柔軟をしていた眞昼がこっちに気づき、駆け寄ってきた。
「どうした? 未夜も部活か?」
「うん、ちょっとミス研の用事があって。でも終わったよ」
「あたしは今日は一日中練習だよー」
白い練習着はバレーボールでも詰め込んでいるのではないかと思うほど膨らんでいる。相変わらずの大きさだ。
「何時に終わりそう?」
「んー、五時か、六時くらいかな」
「じゃあさ、終わったらみんなでご飯行こうよ」
「おっけー」
「勇にぃと朝華には私から言っておくから。それじゃあ頑張ってね!」
「おう」
眞昼を見送り、私は帰路につく。
歩きながら私は考える。
勇にぃもやっぱり女子高生が好きなのかな。
世間一般的に社会人と未成年の交際は犯罪……とまではいかなくても風当たりが強いのは事実だ。
別に勇にぃと私はまだそういう関係ではないけれど、周りからそうだと誤解されたら勇にぃの社会的な地位に影響するって朝華にも言われたばかりだっけ。
私は勇にぃが好きだし……でもなあ、勇にぃが犯罪者扱いされるのは嫌だ。報道番組でも未成年淫行のニュースを目にする機会があるもんね。
よし、そういう誤解を生む行動はできる限り慎むことにしよう。
そうこうしているうちに〈ムーンナイトテラス〉に着いた。
「おう、未夜」
「わぁ、混んでるねぇ」
表のテラス席も含め、席はほとんど埋まっていた。
「わりぃな、店の方は空きがないから、上でもいいか?」
「いいよ。クリームソーダね」
「おう」
私は二階に上がり、勇にぃの部屋に入った。タオルで汗を拭い、デオドラントシートでケアをする。
「ふう、すっきり」
扇風機を回し、勇にぃのベッドに横になってさっそく会誌を読むことにする。
「ふんふん……おっ、こいつが犯人っぽいぞ」
横になったせいか、それとも猛暑の中歩き疲れたせいか、強烈な睡魔がやって来た。
「うぅん」
ベッドから勇にぃの匂いがする。
昔から知っている匂い。落ち着く、いい匂い。
そのまま意識は薄れ、私は夢の中へ旅立った。
3
「悪いな、遅くなって。クリームソーダ持ってきた……未夜?」
部屋に入ると、未夜は俺のベッドの上で眠っていた。仰向けになった彼女は、気持ちよさそうに寝息を立てている。豊かな胸がゆっくり上下運動を繰り返していた。
「おい、未夜」
俺はテーブルの上にクリームソーダとスプーンを置くと、ベッドの前に寄る。
「起きろって」
未夜の制服姿なんて見慣れているはずなのに、なぜか妙な色っぽさを感じた。
汗で張り付いた前髪。暑さで少し赤くなった頬。扇風機の風でみだれたスカートから覗く白い生足。そして制服のブラウスは大きな盛り上がりを見せ、そこにはうっすらと水色の下着が透けて……
俺はすかさず目を逸らす。
な、なんだこいつ、仮にも男の部屋でこんな無防備な格好で寝やがるとは。
全身の血液が下半身に集中しかけたので、俺はボディビル大会の光景を思い浮かべ、昂ぶりを相殺する。
ふと先日夕陽に言われたことが頭をよぎった。
『おっさんが女子高生に手を出すのって犯罪なんだからね』
そうだ、俺は妹分に不純な気持ちを抱いてはいけないんだ。別に大人と高校生だからってわけじゃない。
それもあるけれど、なにより、小さい頃を知っている娘に劣情を催すなんて、こいつらの信頼を裏切る行為だ。
向こうはただ、昔遊んでくれた知り合いのお兄ちゃんとして俺を見ているだけなのだから。
「未夜、起きろって」
俺は冷えたおしぼりを未夜の顔に当てる。
「ひゃっ」
やっと起きたか。
「クリームソーダ持ってきたぞ」
「あ、ありがと」
気だるげに体を起こすと、未夜は体を伸ばす。
「来て速攻寝るか?」
「なんか眠くなっちゃって。いただきまーす。んー、美味しい」
未夜はクリームソーダを食べ始めた。
こっちの気も知らずに呑気なもんだ。
「じゃあ俺は戻るぞ」
「うん。あっ、そうだ」
「なんだ?」
「今日みんなで晩御飯食べ行こうよ」
「あー、いいぞ」
「眞昼にはもう言ってあるから、朝華にも連絡しなきゃ」
未夜はスマホを取り出す。
「店は適当に選んどいてくれ。俺は仕事に戻るからな」
「うん」
未夜を残し、俺は部屋を後にする。
女子高生三人と一緒に食事、か。
考えてみれば、これも世間一般には普通ではないんだよな。
あいつらに彼氏ができて、俺の下から巣立つのもきっと時間の問題なのだろう。未夜も眞昼も朝華も、彼氏ができない方が不自然なほどの美少女だ。その時が来るまで、あとどれくらいだろうか。
そんなことを考えると、ちょっぴり胸の奥が痛んだ。
……この気持ちはなんなのだろう。
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