第118話 クソガキは不自由
1
「朝華、そろそろ出よう」
「はい」
鏡華と一緒に風呂から出る。
「温まった?」
「はい。喉も乾きました」
「じゃあ、冷たいものを飲もうね」
体はすっかりぽかぽかだ。
姉に髪を乾かしてもらい、キッチンで水分補給をしてからリビングに戻った。
「出たか。朝華、そろそろ寝なさい」
ソファーに座るや否や、華吉が声をかける。
「えぇ、もうちょっとだけ」
「だーめ。時計を見なさい。もう九時じゃないか。子供はもう寝る時間だぞ」
「うう、まだ眠くないです」
湯上がりのほわほわした感覚も手伝い、本当は眠気マックスなのだが、まだ寝たくない気分の朝華だった。
「あーちゃん、一緒に寝てあげようか?」
真っ赤に髪を染めた灯華が抱き着いてくる。
「酒臭い顔で朝華に近づかないで」
鏡華が灯華の耳を引っ張る。
「いたたたた」
「えへへ」
今日は家に母もいるし、珍しいことに二人の姉もいるのだから。大人たちは夜遅くまで楽しく起きている。それなのに、自分ばかり早く寝ないといけないなんて、ずるいではないか。
「ふわぁ」
「ほら、さっきから何回もあくびしてるじゃないか。歯磨きして、おトイレも行って」
「はーい」
仕方なく、朝華はソファーから下りた。歯磨きとトイレを済ませ部屋に向かう。
「ふう」
一人ぼっちでベッドに横たわり、真っ暗な天井を見つめる。
なんで子供は早く寝なくちゃいけないんだろう。
この後、大人たちはお酒を飲みながら、楽しくおしゃべりをしたりテレビを見たりするのに。
なんだか仲間外れにされた気分。
子供は不自由だ。
朝華はそう理解した。
この前のプールの時だって、身長制限のせいでウォータースライダーを滑ることができなかった。
無論、それは安全のためというもっともな理由があるのだが、子供にとっては理不尽に感じてしまうものである。
大人はできるのに子供はできない。
早く大人になりたいな。
不満と睡魔にもぞもぞと体をくねらせる。
「ん、はわぁ」
「朝華」
戸口から光が漏れ、母の声が聞こえた。
「お母さん」
「まだ起きてるのね」
「もう寝ます」
「一緒に寝ましょう」
母はベッドに上がり、朝華の横に寝そべった。
朝華は母の体に身を寄せる。母の匂いとぬくもりが朝華を包む。
「ゆっくりお休みなさい」
「おやすみなさい、お母さん」
意識が次第に薄れていく。
2
――土曜日。
朝華とイ〇ンに遊びに来た。
未夜と眞昼はそれぞれ用事があるので、今日は朝華と二人っきり。
今日の朝華はフリルをあしらった可愛らしいワンピースに身を包み、珍しく髪をポニーテールにしていた。
はぐれないように手を繋ぎ、混みあった店内を散策する。
「昨日はお姉さんとお母さんが帰ってきたんです」
「へぇ、そりゃよかったな。てか、朝華ってお姉さんいたのか」
「はい。二人いるんですけど、もう二人とも大人です。勇にぃより年上ですよ」
「ふーん、そうなのか」
「みんなでゲームしたりして、楽しかったです。今日の朝早くに帰っちゃいましたけど」
朝華はごきげんだ。
「あっ、勇にぃ、アレ食べたいです」
「ん?」
朝華が指さした先を見ると、アイスクリーム店があった。
「どれだ?」
「これです」
メニュー看板の下の方を占領する、大きなパフェの写真。
「これって」
ハート型のチョコレートが乗っていて、イチゴとチョコのソースで彩られている。そして、二本のスプーンが両縁に立てかけられ、カップルと思しき男女が一つのパフェを一緒に食べる絵が添えられている。
「朝華、あれはカップル専用だぞ」
メニューの名前の下にわざとらしく『カップル専用メニュー』という注釈がついていた。
「食べたいです」
「これはな、恋人同士じゃないと頼めないんだよ」
「……恋人」
「ここ見ろ。カップル専用って書いてあるだろ」
「私と勇にぃじゃだめですか?」
「だめだろ」
俺は即答する。
「勇にぃは私と恋人に見られるのが嫌なんですか?」
朝華は潤んだ目で俺を見上げる。
馬鹿、そんな目を向けるな。
「そういうんじゃなくて、子供と大人は恋人にはなれないんだよ」
いくら朝華の頼みといえど、女子小学生と一緒にカップル用のパフェを頼む勇気は俺にはない。
そんな姿をもし知り合いか誰かに見られようものなら、俺は明日からロリコンの烙印を押されるに違いないし、店員さんの引きつった顔が容易に想像できる。
「なんでですか?」
「なんでって、子供はそういうことをする年齢じゃないからって……あっ、今のなし」
ああ、俺の馬鹿。子供相手に何を言いかけたんだ。
「とにかく、朝華のことが嫌ってわけじゃなくて、子供が頼むにはまだ早いってこと」
「むぅ」
朝華は露骨に不満そうな顔を見せる。
「朝華がもう少し大きくなったらな」
「大きくって、どのくらいですか?」
「うーん、少なくともあと十年は待たないと」
「むぅ」
「ほら、こっちのスペシャルパフェなら朝華でも食えるぞ」
「いいです」
ぷいっと朝華は顔を横に向ける。
「こっちのがフルーツとか乗ってて美味そうだぞ?」
「やです」
「うっ」
これは対応を誤ったかな。
でもなぁ、小学一年生の女の子と一緒にカップル専用パフェを食べることを了承するやつなんて、ロリコンぐらいしかいねぇだろ。
朝華は甘えん坊な分、一度拗ねるとなかなか治らないんだよなぁ。
結局、普通のアイスクリームを買って食べた。
*
また子供。
大人ってずるい!
朝華の心は燃え上がる。
一緒にあーんしたりしたかったのに。
さすがの朝華もこれには憤慨。
お酒を飲みたいとか、タバコを吸いたいなんて言っていない。
ただのパフェだ。
ただのパフェですら子供と大人で区別されるなんて。
なんという理不尽だろう。
早く大人になりたいという欲求は、どんどん強くなる。
3
その後、フードコートで食事をし、ゲームセンターで遊んで朝華の機嫌はなんとか直ってきた。
「朝華は本当に音ゲーがうめぇな」
「音に合わせて叩くだけだから、簡単ですよ」
「言うは簡単なんだけどな」
その後、本屋に寄った。
ミステリの文庫を数冊買い、朝華も少女漫画をいくつか手に取っていた。
「……ねぇ、勇にぃ」
「ん?」
「前から気になってたんですけど、あそこの18って書いてあるとこはなんなんですか?」
「は!?」
朝華は十八禁コーナーに指を向ける。 紺色の仕切りカーテンには18という数字がでかでかと描かれている。
「あ、あそこはだな」
「18ってなんの意味があるんですか?」
「十八歳にならないと入っちゃいけませんって意味だよ」
「……ふーん、何があるんですか?」
「えっと、その……俺も知らない、かなぁ」
「でも勇にぃはもう十八歳だから、入れるんですよね」
「いや、その……」
その時、仕切りの奥から人妻系のエロ本を抱えたおっさんが出てきた。
俺は慌てて朝華の目を手で隠す。
「わっ」
「とにかく、子供はだめ。ほら、行くぞ」
「むぅ」
朝華の手を引いてその場から離れる。
あんな不健全な場所に朝華を近づけてはならないという、一種の防衛本能が働いた。
4
〈ムーンナイトテラス〉に戻った時にはもう三時だった。
「そろそろ三時か。朝華、おやつ持ってくから先に上に上がってろ」
有月に言われ、朝華は二階の部屋に向かう。
「はい」
ベッドに腰かけ、買った本のビニール包装を剥がす。
結局あの場所は何だったのか。
何やら危険な香りが漂っていたような気がする。
子供はできることが少なすぎる、と心の中は不満でいっぱいだった。
しかしながら、それは大人でも変わらないということに、まだ朝華は気づかなかった。
人は大人になった時、子供時代がいかに自由だったかに気づく。
子供だから許されることや、子供でないとできないことも世の中にはたくさんあるのだから。
大人はなんでもできるけれど、子供には戻れない。
そしてそのことに気づいた時には、もう遅いのだ。
朝華が気づくのはいつの日か……
「ほれ、朝華」
「勇にぃ、わっ、それ」
有月が持ってきたのは、一つの大きなパフェだった。下のキッチンで作ってきたようだ。
「一緒に食おうぜ」
コーヒーゼリーやコーンフレークの層、とぐろを巻いたソフトクリームにはイチゴのソースがかかっている。チョコチップや小さく切ったフルーツで彩られ、ハートの形をしたチョコレートが乗っていた。そしてパフェ一つに対し、二本のスプーンが両端に立てかけられている。
「うわぁ」
朝華は目を輝かせる。
「これは本当はカップルじゃないと食べちゃいけない裏メニューだからな。誰かに知られたら大変なことになる。だからみんなには内緒だぞ」
「はい」
「しー、だぞ」
有月は人差し指を口に当てる。
「分かりました」
朝華はさっそくスプーンを口に運んだ。
「美味しいです」
「そうかそうか」
「あっ、勇にぃ」
「ん?」
「あーん」
「……あむ」
「私にもしてください」
「……ほれ、あーん」
「あむ、えへへ、美味しいです」
いろいろ不満はあったけれど、上機嫌の朝華であった。
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