第108話 クソガキと秋祭り
1
軽快な太鼓の響き、気分が湧きたつような笛の音色。時折、それらの祭り囃子に交じって号砲が大気を振るわせる。
気分が高揚し、火照った体に秋風が心地いい。
秋祭りである。
毎年、十一月三日から五日までの三日間、浅間大社とその周辺で秋祭りが行われる。境内を露店が埋め尽くし、町内ごとに準備した山車を引き回すのだ。
山車に乗って太鼓を叩いたり、笛を奏でたり、ほかの町内の山車と競り合いを行ったりと、その熱気と活気は凄まじい。
俺たちの町内も山車を出しており、母と父も朝から祭りに参加していた。
俺も子供の頃は山車の上に乗って太鼓を叩いたものだが、今では見物人として外から見ている方が気が楽だったりする。
ぶっちゃけて言えば、こういう行事に参加するのは気恥ずかしいのだ。
競り合いの時は声を上げて相手を威嚇しないといけないし、派手な格好を色んな人に見られるし……
まあそれはそれとしてこの祭りの雰囲気は好きなので、今回は応援する側でいよう。
昼過ぎ、露店を冷やかしてからうちの町内の集会所に行くと、参加者たちが山車を囲んでいた。若い連中はほとんどが腹掛に鯉口シャツの大工のような姿で、その上からハッピを着ている。年配の人は黒い着物を着ていた。
母はすでに缶ビールを片手に談笑をしており、父は太一とともに山車の点検を手伝っていた。
「おーい、勇にぃ」
「勇にぃ」
「勇にぃ」
やれやれ、聞き慣れた声が聞こえてきたぞ。
クソガキ共も腹掛と鯉口シャツ、股引き姿で、頭には白い鉢巻きを巻いている。未夜と朝華は長い髪をオールバックにし、後ろで結っている。朝華が髪を上げるのは珍しいので新鮮だ。
「おう、おめーら。似合ってんじゃねーか」
「勇にぃ、私たち太鼓やるんだぞ」
未夜が腰に差したばちを取り出し、中空を叩いた。
「とんとことんとことんとことん、って」
太鼓や笛の演奏は交代制で行われるのだ。
「おめぇらにちゃんとできるのかぁ? 太鼓は難しいんだぜ」
「ちゃんと練習したもん、ねー」
「ねー」
「ねー」
クソガキ共は顔を見合わせる。
「勇にぃ、ちゃんと見てろよな」
眞昼が言う。
「おー、分かった分かった。で、お前らの出番はいつだ?」
俺は母から借りていたスケジュール表を見る。うちの地区の山車の引き回しルートやどの辺りでよその地区と競り合いをするのか、今の内に確認しておこう。
「あたしたちは一番最初だ。ここからここまで」
「ほう、競り合いには出るのか?」
「出ない」
「そうか」
まあ、さすがに小一にはきついだろう。
「勇にぃ、あとで浅間さんのお祭りの方にも行きましょう」
朝華が俺の服を引っ張る。どうやら露店の方も見てみたいようだ。ちなみに、この街の人々は浅間大社のことを浅間さんと呼ぶ。
「ん? お前らずっと引き回しに参加するんじゃないのか?」
「午後に休憩時間が一時間ぐらいありますから」
俺はスケジュール表を確認する。
「あたし、チョコバナナ食べたい」
「分かった分かった」
「勇にぃ、あそこを見ろ」
未夜が山車の上方を指さす。
「あん?」
「あれって本物の人?」
山車の上には着物を着た女の人形が祭られている。
「んなわけねーだろうが」
「おーい、有月くん!」
振り返ると、光が駆け寄ってきていた。服装を見るに、彼女も祭りに参加するようだ。
「下村も出るのか」
「うん、笛を吹くの。有月くんは出ないんだね」
「出ねーよ。あんな目立つところに乗りたくねぇからな」
「小学校の頃は出てたのに」
「あの頃は親に無理やり出させられてただけだ」
「……高いところが怖かったりして」
「は? はぁ!? ちょ、はぁ?」
「あれ? 図星だった?」
「そんなわけねーだろ。おっ、そろそろ始まるみたいだぞ」
車輪にかまされていた木製の板が外され、山車が動き始めた。
2
町内の人々が練り歩く。その後ろに続いて山車がゆっくりと進む。沿道には見物人がひしめき、時折声援が投げられる。
あちらこちらから祭り囃子が聞こえてくる。
豪奢な飾り付けがされた山車だが、日常の風景に溶け込んで見えるのは子供の頃からこの光景を見てきたからだろうか。
長い棒を持った屈強な男が山車の周囲を固めている。あの棒を車輪にかませて山車を止めたり、動かしたりするのだ。
山車の前方にはこれまた腕っぷしに自慢がありそうな男たちの集団があり、山車から延びる綱を引っ張っていた。その中には太一や父の姿もある。
山車の上には光の姿があった。柱に縄を結び付け、その縄に寄りかかるようにして外に体を斜めに乗り出している。というより、あれはもはやぶら下がっていると言った方が的確だ。
楽しそうに笛を吹いているが、怖くないのだろうか。
未夜たちは三人並んで太鼓を叩いている。
未夜は緊張しているようで、眉間に常にしわが寄り、口を結んでいた。眞昼は山車の上という状況を楽しんでいるようで、満天の笑顔だ。朝華は真剣そのもので、きりっとした表情でバチを叩いている。
一度休憩を挟み、演奏係が交代した。
「勇にぃ、どうだったー?」
「勇にぃ、どうだったー?」
「勇にぃ、どうでした?」
クソガキ共が道の端で見物していた俺のもとに駆け寄ってくる。
「ちゃんと見てた?」と未夜。
「見てたぞ。お前ら、ちょっとだけすごいじゃねーか」
「ちょっとだけってなんだ」
眞昼が俺の尻をぺしぺし叩く。
「勇にぃ、ご褒美欲しいです」
朝華が俺の手に絡みつく。
「分かったよ、あとで出店でなんか買ってやるよ」
「わーい」
「わーい」
「わーい」
「ほら、お前ら列に戻れ」
「はーい」
「はいはい」
「はーい」
やがて一同は歩みを止める。
正面の道には別の町内の山車の姿が。
目と目があったら競り合い勝負の始まりだ、というのは昔の話。すでにどこで競り合いを実施するのかは事前に決められているのだ。
昔は道が狭く、偶然かち合った地区同士でどちらが道を譲るか競り合いで決めたという。負けた地区が勝った地区に道を譲り、引き返して別の道を探すという弱肉強食の世界が繰り広げられていたらしいが、どこまで本当なのかは分からない。
山車同士がだんだんと近づいていく。演奏も激しくなり、周りの興奮を煽る。いよいよ双方の距離は一メートルにも満たない。紐でぶら下がっている者は相手を煽るように睨み、山車を囲む男たちが声を上げる。
やがて山車が引き離され、立会人の老人がマイクを持つ。
「えー、今の競り合い、引き分け」
ガクッとうなだれることはない。予定調和である。現代の競り合いは勝ち負けをつけることはない。
それぞれ山車を方向転換させ、それぞれのルートに戻っていく。
3
休憩時間になったので、クソガキ共を連れて境内に向かった。
露店が向かい合わせになって延々と続いている。あちこちからいい匂いが垂れ込めてくる。
「おい、未夜、走るな」
ただでさえ露店に場所を取られ、道が狭まっているところに大勢の人が集まっているのだ。
「はぐれるだろうが」
「そうしたらまた勇にぃを迷子センターで呼び出すもんね」
「それはマジでやめろ」
「勇にぃ、チョコバナナ」
眞昼がチョコバナナの出店の前で立ち止まる。三人分のチョコバナナを買ってやる。
「美味ーい」
「美味い」
「美味しい」
「あっ、勇にぃ、亀さんがいます」
朝華が亀を売っている露店で足を止めた。
「可愛い」
「朝華、亀はすぐにでっかくなるぞ」
眞昼が悟ったような口ぶりで言う。
「え? そうなの?」
「ばあちゃんちの亀は、たった一年であたしの顔より大きくなった」
「えぇ、すごい」
「勇にぃ、あれやりたい」
未夜が巨大な怪獣を模したアトラクションを指さす。
「あー、懐かしいな」
ドーム形状の内部は空気がパンパンに詰まったエアマットが敷かれており、中に入って飛び跳ねて遊ぶことができる遊具だ。こういう祭事には必ずと言っていいほど出店される。
「気を付けてこいよ」
「え? 勇にぃも入ろうよ」
未夜が俺の手を引っ張る。
「あ? いや俺は大人だし」
「大人も入れるよ。料金は五百円ね」
受付のおばさんがにこやかに言う。子供の倍するのか。
仕方ない。俺は五百円を払い、強風が漏れている入り口に突入した。
「おお」
空気で盛り上がった床に、ぽよんぽよんと足が押し返される感覚。
懐かしい。
少し力を入れるだけで一メートルは余裕でジャンプできた。
「はっはっは、楽しいな」
見ると、クソガキ共も地上では体験することのできない浮遊感を楽しんでいた。
「あ、朝華、眼鏡気を付けろよ」
「はーい」
「勇にぃ、食らえ! ラ〇ダーキック」
眞昼のするどいキックが俺の尻をかすめた。
「うおお、危ねぇ」
「ちっ、外したか」
「外したか、じゃね――おわっ」
今度は未夜が飛びついてくる。
「あはははは」
いつの間にか、エアドーム内でクソガキ共との追いかけっこが始まっていた。
4
「勇にぃ、トイレ行きたい」
「あっ、私も」
未夜と朝華が尿意を訴えたので境内の東にあるトイレに向かった。
入り口横で眞昼と待つ。
「眞昼はトイレいいのか?」
「だいじょうぶ」
その時だった。
「あれ? 有月じゃん」
「あん? げっ」
「よう」
「一人ぃ?」
「本当だ、有月だ」
見ると、クラスメイトの集団がいた。
「勇にぃの友達か?」
眞昼が俺を見上げる。
「勇にぃ!? あっはっは、有月、お前、そんなふうに呼ばれてんのか」
「ていうか、妹いたのか」
「かわいー」
「何歳でちゅかー?」
まずった。こんな姿をクラスの連中に見られるとは。知らない大人が怖いのか、眞昼は俺の後ろに隠れる。
「妹じゃねぇ、知り合いの子供だ」
「今日は用事があるから無理って言ってたけど、なるほど、子守だったのか」
「大変だねー」
「勇にぃって、そんなキャラじゃねーだろ」
「せっかくのお祭りがガキ連れとはかわいそうに」
「うるせぇ、さっさと行きやがれ」
「じゃー、また学校でな」
「おう。ったく」
休みの日に学校のやつらと会うのはなんだか調子が狂うから好きじゃない。
眞昼が俺の袖を引っ張る。
「どうした?」
「勇にぃ、もしかして友達とお祭り行きたかった?」
眞昼のものとは思えないほどか細い声でそう言った。
「あ?」
いきなり何を言い出すんだこいつは。
眞昼は俯いて、
「あたしたちと一緒じゃ、迷惑だった?」
「はぁ、馬鹿」
俺はしゃがみ込んで眞昼に目線を合わせる。
「たしかにあいつらに誘われたけどな、あいつらと祭りに行くより、お前らと行きたいからわざわざ断ったんだよ」
「そう……なの?」
「当たり前だろ」
「ほんと?」
「じゃあ聞くけど、俺は今、誰と祭りにいるんだ?」
眞昼は顔を上げる。
「……へへ、あたしたちだ」
「だろ?」
眞昼の頭を撫でると、いつもの笑顔が戻ってきた。
未夜と朝華がトイレから出てくる。
「さーて、あと休憩は三十分しかねぇ。ちゃちゃっと回るぞ」
「うん」
「おう」
「はい」
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