第90話  お客さん、凝ってますね~

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 夏になり、〈ムーンナイトテラス〉の客入りもそれに伴って増加傾向にあったが、本格的に夏休み期間に入ると、それがいっそう顕著になる。

 学生や子供連れ、県外からの観光客など、様々な客層が絶え間なく店を訪れるのだ。


 しかしながら、今日はそんな事情を抜きにしても普段よりも客足が多く、父も母も、そして俺もてんてこまいな一日だった。


「いらっしゃいませ」


「こちらのテーブルへどうぞ。三名様ですね」


 店のキャパぎりぎりの状況が続く。


「はーい、少々お待ちください」


 父と母はよく二人で切り盛りできてたなぁ。


「ありがとうございました」


 今日も朝からくたくたになるまで働いた。


 繁盛するのはいいことだが、少し疲れてしまった。


 ごろんとベッドにうつぶせになる。


 人間というのは、一度横になるとなかなか起き上がれなくなるものだ。


 ベッドには人を捕らえる魔術的な力があるに違いない。現に、ちょっと休もうと思っただけなのに、俺はもう自力で立ち上がることすらできないぐらい脱力していた。


 いかんいかん、もうすぐあいつらがやってくるというのに。


 立て、立つんだ俺。


「う、ううむ」


 駄目だ。まるで俺の足から見えない根が生え、ベッドに深く埋まってしまっているような感じだ。


 さらには睡魔も同時にやってきやがった。


 なんだかブラックな世界に身を置いていた日々を思い出す。


 会社から帰って、飯も食わずにベッドに直行したあの地獄のような日々が……


 まずい、このままだと眠気とブラック企業の思い出が交じり合い、悪夢へと直行してしまう。


 その時、聞きなれた快活な声が耳に届いた。


「おーす、勇にぃ」


「おう、眞昼か」


 ジャージ姿の眞昼が部屋にやってきた。部活帰りのようで、ミズノのエナメルバッグを肩にかけている。


「まだほかの二人は来てないの?」


「ん、朝華は昼間に店の方に来てたけど、用事があって一回家に戻った。未夜ももうちょいで来るだろ。だから眞昼が実質一番乗りだな」


 今日は四人で夕食を食べに行く予定を立てていた。


 眞昼はベッドの縁に座る。


「今日も暑かったねぇ」


「そうだな……て俺は店の中にいたからあんまりよく分からんが」


「灼熱だよ、灼熱。ちょっと動くだけで汗びっしょりだもん」


「ん、そうか。この部屋暑かったら下で待ってていいぞ」


 俺の部屋では未だに扇風機が主戦力として活躍している。


「大丈夫、風通し最悪の第二体育館よりましだから」


「あー、あそこ暑いよなぁ」


「勇にぃもあそこでやってたの?」


「たまになー。第一が使えなくて、バレー部が休みっていうピンポイントなタイミングだけど……」


 眞昼のおかげで気分が切り替わった。体の疲労は残ったままだが。


「……なんかさ、勇にぃ元気なくない?」


「そうか?」


「夏バテ?」


「ん、ちょっと疲れてるだけだよ。今日はいつも以上に忙しくてな。ちょっとだけ休ませてくれ」


「……だからずっと寝そべってるんだ」


「うるせー」


「ふーん。何かジュースでも飲む? 疲れた時は甘いものを摂るといいんだよ」


「いや、大丈夫」


 甘ったるいもので今の俺の疲労が回復するとは思えない。


 そうだ、今日は肉にしよう。疲労を回復するには、肉しかない。レバーだ。俺の体は今レバーを欲している。


 ふと、足に圧迫感を感じた。


「ん、なにやってんだ」


 見ると、眞昼が体をこちらに向け、俺の足を揉んでいた。


「マッサージしてあげるよ。うわ、足パンパンじゃん」


「そりゃ、今日は休憩もなしでずっと立ちっぱなしだったから」


 眞昼の細い指がふくらはぎからももへ移動する。


「どう? 気持ちいい?」


「ああ、気持ちいい」


 カチカチに固まった疲労が溶けていくような心地だ。


 五分ほどかけて両足のマッサージを終えた眞昼は俺の裏ももにまたがり今度は腰を指で押し始めた。


 ぐっ、ぐっ、と少しずつ上に移動しながら体重をかけていく。


「うおお、ぐぅ、うおおぅ」


「お客さん、凝ってますね~」


 痛い、でも気持ちいい。


 だ、だが、女子高生にこんなことをしてもらうのはなんだか半分犯罪のような気がしてならない。JKリフレなる、本物の女子高生が接客するいかがわしいお店がかつて存在していたようだが、あれはもう今は取り締まりの対象のようだし……


 が、抗えない。


 そんな理性が吹っ飛ぶほどの、とろけるような気持ちよさに俺は抗えない。


 下半身に感じる眞昼の体重と体温。絶妙な力加減に、疲れが引いていく爽快感。


「んしょ、んしょ」


 やがて眞昼の手は背筋、そして肩の辺りまで到達する。


「うわ、ガッチガチだよ。ちょっとここから先は痛いかも」


 そう言って眞昼は一度立ち上がった。


「へ……?」


 それから眞昼は横になり、背後から抱き着くように俺に密着する。柔らかな膨らみの感触が疲れた体に染み渡る。極楽だ……と思いきや、


「んがっ!」


 鈍痛が俺の右肩付近を襲撃した。


「おりゃっ!」


「い、痛い、痛い」


 は、剥がれる。


 何か知らんが、背中が剥がれるような気がする!


「なにやってんだ眞昼! い、いてぇ!」


「我慢してって」


「いたたたたた」


「暴れると余計痛いよ」


「ひぃ」


 抵抗するも、力は眞昼の方が強く、俺はなすすべなくその痛みを受け入れるほかなかった。


「じゃあ次は左ね」


「あががががが」


 それまでの極楽のような気持ちよさとは正反対の地獄のような時間だったが、終わってみると意外にも肩が軽く、羽が生えたような心地だった。


「おお、おお!」


「どう?」


 俺はベッドの上に立ち、体全体の軽さに驚愕していた。先ほどまで俺を縛り付けていた疲労は雲散霧消し、今なら誇張ではなく、なんでもできそうなほどであった。


「気持ちよかったよ、ありがとな、眞昼」


「へへ」


 満面の笑みが返ってくる。


「じゃあ、次は俺がやってやるか」


「へ?」



 2



「い、いや、あたしはいいよ」


「遠慮すんなって」


 眞昼も部活で疲れているだろうに。それにそんな大きなものをぶらさげていたら肩が凝るに決まってる。


「ほれ、向こう向いて座れ」


 半ば強引に眞昼をベッドの上に座らせる。


 こう見えても俺は肩揉みに関してはその道の人間よりも優れたテクを持っていると自負している。


 上司や得意先の肩を揉まされ続けて十年、俺の手に染みついた揉みテクをとくと味わうがいい。


 眞昼の細い肩に触れる。


 ふわりと立ち昇る眞昼の匂いが俺の鼻腔をくすぐる。


「あ……ぁん」


「どうだ?」


 重要なのは肩に合わせた力加減だ。


 眞昼なんかは背が高いといっても女の子だし、あまり強くやらない方がいいと思いがちだが、バレーは肩を酷使するスポーツだ。本気でいかせてもらうぞ。


 親指でぐぐっと押し上げ、残りの四本の指で押し返すようにほぐす。


「気持ちいいか?」


「ん、き、気持ちぃ」


「痛くないか?」


「ぃや……んん、いぃ」


 眞昼の呼吸が荒くなってきた。


 ふふふ、俺の揉みテクに悶絶するがいい。


「はぁ、はぁ……あっ」


 眞昼の声が室内に反響する。


「うぅ、ん……」


 しかしここまで反応がいいとこっちもやりがいがあるな。


 なんだか楽しくなってきたぞ。


「おら、気持ちいいか!」


「あ、気持ちいぃ……あっ」


「ここか? ここがいいのか?」


「いいっ」


「どこがいいんだ、言ってみろ!」


「そこ、そこが……ぁん」


 その時だった。ドアが勢いよく開き、未夜の怒声が聞こえてきた。


「ふ、二人とも、なにやってんのー……あれ?」


 未夜と朝華が戸口に立っていた。


 俺が手を止めると、眞昼は力が抜けたようにベッドに崩れた。


「あぅ」


「おめぇらようやく来たな。っていうか、なに叫んでんだよ」


「へ? あ、いや、なんか変な声聞こえてきたから、変なことをしてるんじゃないかと」


 未夜は顔を赤らめ、うつむく。


「変なことってなんだよ」


「何をしていたんですか?」と朝華。


「肩揉んでやってただけだっての。な?」


「う、うん」


 眞昼が小さな声で言う。


「それよりお前ら、今日は焼肉に行くぞ。俺は今無性に肉が食いたい気分なんだ」


「焼肉? わーい」


 未夜が一瞬にして笑顔になる。


 その横を通り抜け、朝華がこちらにすり寄って、囁いた。


「勇にぃ、よければ私も後で肩を揉んでもらえますか?」


「ん? いいぞ」


「ありがとうございます」


 朝華も凝ってるのか。まあ、朝華のも大きいからな。


「眞昼、早く立って、肉だよ肉」


「ちょ、待って、力が入らない……」


 眞昼の手を引っ張り、未夜が強引に立たせる。


「焼肉ー!」



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