第76話 あっ……
1
東名高速道路を走る一台のシビック。
雲一つない青空の下、富士山ナンバーのシビックは一気呵成に駆け抜けていく。
「ほいよー」
車の流れを読み、適切な車線変更を繰り返しながら混雑を避ける。特に要注意なのが追い越しをふさぐトラックだ。やつらがちょうど左右の車線を埋めてしまうと、大幅なロスとなってしまう。
また、覆面パトカーにも気を付けなくてはならない。
やたら遅いスズキのセダンには特に注意を払わねば。
ブラック企業時代に培った、二車線の道路を最速で走破する走法と勘で予定よりも早く到着できそうだ。
途中、紺色のクーペに絡まれたが、いつの間にかいなくなっていた。追い越された記憶がないので、きっとどこかのICで降りたのだろう。
「そろそろか」
時刻はもうすぐ正午になろうとしている。
俺はステアリングを切り、秦野中井ICで高速から降りる。
市街地へ入り、近くのコンビニに停めた。少し休憩しよう。
「うーん」
車から降り、ぐぐっと体を伸ばすと、いたるところからバキバキと音が鳴った。
「ぐおお、凝ってんなー」
今日は朝からずっと車を走らせていたから背中から腰のあたりがひどく疲れた。
久々に長時間の運転したな。
なんだかブラック企業で働いていた頃を思い出し、俺はしゅんとした。
あの頃は朝から晩まで配達の毎日。帰って趣味に没頭する時間もなければ、そんなことに使う気力もなかった。
食って寝て働いて、食って寝て働いての繰り返し……
終わりの見えない地獄の中で、感覚も次第に鈍っていき、ただ毎日のノルマを達成するために全力を尽くす日々。
いかに叱られないか、ストレスを溜めないか、というところに意識が集中してしまっていた。
クソガキたちとの思い出を糧に頑張ってはきたものの、結局、体を壊し、自分の人生を見つめなおす時間を得たことで、ようやく退職するという選択肢が視界に入ってきた。
辛いことを耐え忍ぶことがやりがいだと勘違いしていた自分は、本当にバカだったなぁ。
本当に、もっと早く辞めればよかった。
……いやいや、これから朝華と会うってのに何を考えているんだ。
「ん?」
マナーモードになっている携帯が着信を伝えているのに気づいた。
「はい、もしもし」
「勇くんかい?」
「あ、どうもどうも」
華吉だった。
「そろそろ着きそうかい?」
「ええ、あと二十分ほどですかね」
「朝華はもう到着しているから、そのまま直接向かってくれ。私も夕方頃に向かう予定だ」
「分かりました」
「朝華はな、絶世の美少女に成長しているから、腰を抜かすんじゃないぞ」
「ははは」
親バカだなぁ。
「それじゃ、また後ほど」
「はい」
朝華にサプライズを仕掛けないか、と華吉から相談があったのは、一昨日のことだった。
神奈川の私立女子高に通っている朝華は、静岡に帰る機会がなかなかないようで、たしかに俺が帰省してからの三か月弱、未夜の誕生日以外に帰ってきた様子はなかった。
向こうが帰ってこれないのなら、こっちから会いに行って驚かせてやろう、といういわばドッキリのようなはからいだった。
ちょうど今週の土日、朝華は湘南にある源道寺家の別荘で過ごす予定らしく、そこに俺がサプライズで登場して驚かせてやるのだ。
「くっくっく」
さて、朝華はどんなふうに成長しているだろうか。
未夜のようにガラッと雰囲気が変わったのか、それとも眞昼のようにクソガキ時代のまんまなのか……
まさか、朝華に限ってギャルやヤンキーになることはないと思うが、いやいや、幼い頃おとなしかった子ほど成長して派手になるという話も聞く。
期待と不安で胸が膨らむ。
コンビニ弁当で昼食を済ませ、カーナビの案内に従って再び車を走らせる。
華吉に聞いた住所まであと少しだ。
そういえば、神奈川県に来るのは今回が初めてだ。
高校生までは静岡、社会人になってからは東京を生活拠点にしていたが、その間に挟まる神奈川を訪れたことは一度もなかったっけ。
移動する際も通過するだけだったし、朝華と再会したら一緒に観光でもしようかな。
窓を開けると潮の香りが入り込んできた。
海を横目に、海岸沿いの道を走る。
夏だなぁ。
窓から差し込む日射しは強烈で、片腕だけ日焼けしてしまいそうだ。
もう海開きが始まったのか、砂浜にはぽつぽつと人影が見えた。赤白のパラソルに水着姿の女の子。
ああ、いつか、あんなスタイルのいいボンキュッボンの女の子と海に行けたら……
浜辺の景色を名残惜しく思いながら、俺は林の方へ折れる。
『まもなく、左方向です。その先、カーブです』
景色は海から山に一転する。
木漏れ日の落ちる細い道。
峠道のようなつづら折れをしばらくだらだらと上る。
源道寺家の別荘は小高い土地の中腹に建っているという。付近を林で囲まれ、その脇にプライベートビーチが併設されているそうだ。
『まもなく、目的地です』
カーナビが無機質な音声で告げる。
やがて両脇の林が途切れ、開けた場所に出た。
ペンション風の二階建ての建物。その横に大きなガレージがあり、高級そうなセダンが一台に軽トラが一台停まっていた。その横にシビックを並べる。
周囲を木に囲まれ、蝉の声が四方から聞こえてくる。それに混じって、波のさざめきがかすかに耳に届いた。
ゆっくりと玄関まで歩き、俺は意を決して呼び鈴に指を向けた。
2
「?」
映画を見ていると、やかましいエンジン音が外から聞こえた。
ややあって、インターホンが鳴る。
窓から外を覗くと、見慣れない白い車がガレージの中に停まっているのが見えた。
誰だろう。
父だろうか。
でも父ならわざわざ呼び鈴なんて鳴らさないだろう。
お手伝いさんたちは買い出しに行くと言ってたから、私が応対するしかない。
客人でも呼んだのかな。でもそんな話は聞いていない。
今日明日は誰にも邪魔されずに一人で過ごしたかったのだけれど。
「はーい」
靴を履き、外へ出る。
そこには――
「よっ」
「あっ……」
勇にぃがいた。
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