第48話  クソガキと台風

 1



「未夜、ハンマー出たから拾え。朝華は足止めして、勇にぃはあと一機しかない。吹っ飛ばしてやれ」


「おう」

「はい」


「待てこら、くそ。あ、ああー」


 90インチの大画面の中で、俺のキャラが彼方へ吹っ飛ばされていく。


「はっはっはー、また勇にぃがビリだ」


 コントローラーを高く掲げて未夜が叫ぶ。


「勇にぃは本当に弱っちぃな」


 眞昼がやれやれといった様子で言う。


「勇にぃ、お菓子食べます?」


 朝華がポッ〇ーを差し出す。


 今日は朝華の家で遊んでいる。相変わらず、広い家の中には朝華とお手伝いさんだけだ。両親は共に仕事で何日も帰っていないそうだ。


「くそ。てめーら、俺ばっか狙いやがって。なんつーチームワークだ。いいか、このゲームは一対三じゃなくてバトルロイヤルだからな?」


「そういうのを負け犬の遠吠えって言うんだぜ?」


 生意気な笑みを浮かべながら眞昼は俺を見上げる。このクソガキ、今すぐ俺の膝の上から突き落としてやろうか。


「もう怒ったぞ、本気の色にしてやるぜ」


「キャラのカラー変えたくらいで何が変わるのさ」と未夜。


「本気でやるときは赤色にするんだよ。いいか、お前らは俺を怒らせた。小一からやりこんでる俺の本気を見るがいい」


 友達の間では『赤狐の勇ちゃん』と恐れられたほどだ。大人の力を生意気なガキ共にわからせてやる。


「あれ、雨降ってきた」


 未夜が窓に飛びつく。


 雨が屋根を打つ音が聞こえ始めた。そういえば先ほどから風も出てきていた。


「あー、お前ら知らねぇのか? 今日は夜から台風だぞ」


「台風?」


「ほれ、眞昼降りろ」


「えー、やだ」


「ったく」


「離せ―、へんたいー」


 眞昼を抱き抱えながら立ち上がり、窓に寄る。庭の様子を窺うと、庭に細い雨が降り注いでいた。びゅうびゅうと空がうごめく音がして、庭の木や植え込みが時折風になぶられる。


「まだそんなに降ってないな。風は強いが。朝華、ちょっとニュースにしてくれ」


「はーい」


 画面が夕方のローカルニュースに切り替わる。ちょうど台風情報を報じているところだった。


「今晩にも日本列島に上陸する台風**号は――予想される進路は――」


 大画面の中でアナウンサーが台風情報を読み上げている。東海地方は直撃のようだが、ピークは今日――金曜日の夜で、土曜日の朝には関東の方へ逸れていくようだ。


「タイフーン」


 未夜がくるくる回る。


「……ひどくなんねーうちに今日は帰るぞ」


「えー、まだ四時半だぞ」


 眞昼が腕の中で暴れる。


「もう四時半だ。元々今日は台風だから早く帰るつもりだったんだ」


「だから傘持ってけって言ってたのか」


「え、もう帰っちゃうんですかぁ?」


 朝華が俺のシャツをつまむ。


「仕方ねぇだろ。雨がひどくなって帰れなくなる前に出ねぇとな。ほれ、未夜、眞昼、片付けと準備しろ」


「へーい」

「ほーい」


 そうこう言っているうちに雨脚はどんどん強くなる。朝華の家を出る頃には、本降りとなってしまった。


「じゃあね、朝華。ばいばーい」

「また明日な、ばいばーい」


「ばいばーい」


「おう、またな」


 朝華の頭を撫で、外に出る。


「さて――」


 あとはこのクソガキ二匹を家に送り届けるだけだ。


「あーめ、あーめ」


「すげぇ、洪水だ」


「あっ、こら眞昼。危ねぇから橋の下覗くな。落ちたら死ぬぞ」


 ぎょっとしながら、眞昼を抱き寄せる。


「洪水!」


 川の水位が上がり、濁っている。


「見て見てー、風で飛べそうー」


 風に煽られ、未夜の傘が大きく揺れる。思わず背筋が凍る。


「ば、馬鹿。未夜、フラフラすんな」


 少しも目を離せない。


 こいつら、危機感ってものが足りなすぎる。


 俺が子供の頃はもうちょっとちゃんとしてたぞ。


「いいか、絶対俺の手を離すなよ」


 未夜と眞昼と手を繋ぎ、傘は首で支える。


「ただの雨なのに、勇にぃってビビりなんだな」


「眞昼、勇にぃは昔、川で溺れたことあるんだって」


「なんだその話。初めて聞くぞ」


「うるせぇ、ほら、さっさと行くぞ」


 そうして普段よりも神経を使いながら未夜と眞昼を送り届け、俺は無事帰宅した。


 はずだった。



 2



「ない、ないぞ」


 スマホがない。


 ま、まさか、この大雨の中で落としてしまったのか……?


 いや、落ち着け。朝華の家に忘れただけかもしれない。


 そうだ、そういえばあいつらにスマホのゲームをやりたいとせがまれたんだ。それでスマホを貸して、そんで飽きて外で遊んでそれも飽きてテレビゲームをして……


 記憶の糸を手繰る。


 そうだそうだ、朝華の家にあるはずだ。


 念のために自宅から俺の番号に電話をかける。ドキドキしながら待っていると、朝華の声が聞こえた。


「はい」


「お、朝華か?」


「勇にぃ? ふふ、スマホ忘れてますよ」


「よかった、それ俺のスマホだよな?」


「はい」


 俺は窓の外を見る。


 もうけっこうな降り具合だが、すぐに帰れば大丈夫だろう。


「ちょっと今から取りに行くわ」


「え? 大丈夫ですか?」


「余裕、余裕。待っててくれ」


 そうして俺は家を飛び出した。



 *



 やっぱりやめればよかった。


 雨は分単位で強まり、朝華の家の傍まで来る頃には、土砂降りとなっていた。右に左に風が吹きつけ、傘は用をなさない。眞昼と見た川も、さっきのが可愛く見えるくらい荒れていた。


 朝華の家は傾斜のある小高い土地の中腹にあり、上りの坂道が続く。

 傾斜はそこそこあり、水が絶えず上から流れてくるため、転んでしまったらそのまま下まで流されてしまいそうだ。


 まるで天然のウォータースライダーだ。


「う、おお」


 ここまで来たらもう引き返せない。


 普段の倍以上の時間をかけ、俺は朝華の家にたどり着く。

「はぁ、はぁ」


 ようやく着いた。


「勇にぃ、大丈夫ですか?」


 朝華が出迎えてくれる。


「びしょびしょですよ?」


「だ、大丈夫」


「はい、スマホです」


「おう、ありがとな。さて、もうひと頑張り――うおおおっ」


 扉の向こうは別世界だった。

 風の強さはもう立っているのがやっとなほどで、雨はバケツをひっくり返したようなありさまである。日も落ち、数メートル先すらろくに視認できない。


 こ、この中を俺は歩いてきたのか。


「勇にぃ、この中を帰るんですか? 危ないですよ」


 不安そうに朝華は顔を強張らせる。


「う、うん。でもしょうがない」


 朝華にスマホを預かっておいてもらって明日取りにくればよかったな、と今になって反省する。

 親に車で迎えに来てもらうしか……いや、この嵐の中を走れるものなのだろうか。

 やっぱり歩いて帰るか?


 雨の風に混じって、無線放送の無機質な声が聞こえてきた。


『――警察署より、行方不明の方のお知らせをいたします――』


「うっ」


 行方不明者も出てるのか。

 恐怖が足元から立ち昇ってくる。

 

 だが帰る以外に選択肢はないし。


 その時だった。


「そうだ」と朝華が威勢よく言った。


「ど、どうした?」





「明日はお休みですし、うちにいいじゃないですか」





「へ?」




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