第23話  ご主人様はクソガキ

 1


「ほら、ポチ。お手」


「わ、わん」


 差し出された朝華の小さな手のひらに、ポチこと俺は握り拳を乗せる。


「いい子いい子、次はおすわり」


「……わん」


 俺はその場に座り込む。


「ポチはえらいねぇ」


 朝華が俺の頭をわしゃわしゃ撫でる。


 十個も年下の女の子に犬扱いされて喜ぶ人間などこの世にはいないだろう。もしそんなやつがいたら、そいつはとんでもない変態野郎だ。


「はっはっは、朝華。これで遊んであげなさい。犬はボール遊びが大好きだからねぇ」


 未夜がゴムボールを手渡す。


「はい、お父さん。よーし行くよ、ポチ。えいっ」


 朝華がへっぴり腰でゴムボールを投げた。狭い俺の部屋の中を、ゴムボールが跳ね回る。


「ほーら、ポチ。取ってこーい」


 俺は四つん這いのままゴムボールを回収し、ご主人様クソガキの下に帰還する。


「えらいねぇ、えらいえらい」


「……」


 なんという屈辱。

 なんという辱め。


 なぜこうなったのか、そこには深い事情があるのだ。



 2



「勇にぃ、今日はおままごとをするぞ」


 来て早々未夜が言った。


「ままごとだぁ?」


 クソガキ三人は大荷物を抱えてやってきた。

 見てみると、おままごとセットのようである。


 プラスチック製の食器や食材に料理道具などが俺の部屋の隅に並べられる。

 なんだか懐かしい光景である。幼稚園時代、よくこういうもので遊んだっけ。そうそう、マジックテープで張り合わせてあるから切る真似事ができるんだよなぁ。


「なんだ、じゃあ俺がお父さん役か」


「違うぞ」と眞昼。


「それじゃあ息子役か?」


「ペットの犬だ」


「ざけんな」


「ちゃんとそれ用のやつも持ってきたんだぞ」


 未夜は犬耳のカチューシャとベルト式の真っ赤な首輪を取り出した。


「ちょっと待て未夜。なんだそれ。そんなもん、どこから持ってきた」


「え? お父さんとお母さんの部屋の――」


「いやいい。それ以上言わなくていい。ともかく、余計犬役なんかやりたくなくなったわ」


「それじゃあじゃんけんで負けた人が犬役にする?」


 朝華が提案する。


「しょうがないなぁ、勇にぃのわがままに付き合ってやるか」


 ここまで俺の意思は一切尊重されてないわけだが。


「じゃーんけんぽん」


「あっ、負けちゃいました」


 朝華が一人負けの結果となった。やれやれ、これで犬役は回避できたわけだが。


「はい、じゃあ、朝華これ」


 未夜は犬耳と首輪を朝華に手渡す。


「うぅ」




 待てよ?




 小学校一年生の女児が犬耳と首輪をつけるって、それはかなり不健全アウトな絵面になるのでは?



「似合うじゃん」と眞昼。


「えへへ」


 犬耳をつけた朝華。艶のある黒髪にふさふさの耳がいいアクセントになっている。まあたしかに可愛いが。


 そしていよいよ首輪に手を伸ばす。


「……」



 犬耳まではセーフとしても、やっぱ首輪はマズい。今のご時世的に非常にマズい。


 そんなことは絶対にさせんぞ!


「待てぃ。や、やっぱり犬役やりてーなー」



「なんだ勇にぃ、そんなにあたしたちの犬になりたいのか」


 癪に障る表現すんな。


「でも朝華の方が可愛いしなぁ」


「いや、俺、犬大好きだから。将来の夢は、犬になることだから」


「そこまで言うなら、朝華、代わってあげてくれる?」


 未夜に問われ、朝華は「しょうがないですねぇ」としぶしぶ犬耳を外す。


 こうして、俺はクソガキ共の犬になったわけだ。



 3



「よーし、ポチ。次はちんちん」


「わん」



「帰ったぞー、はっはっは」


「おかえりなさい、お父さん。ご飯にします? お風呂にします?」


 未夜が父親、眞昼が母親、朝華が子供という設定である。


「はっは、それじゃあ、ご飯にしようかな。お母さんの作るご飯は絶品だからなぁ」


「もう、お父さんったら。はい、じゃあこれ」


 眞昼が料理を差し出す。

 皿の上にあるのは大根とイチゴだ。


「大根とイチゴの煮つけです」


「はっは、旨そうだ」


「なんだその組み合わせ」


「こら、犬はしゃべっちゃだめです!」


 朝華がぴしゃりと言う。


「……わん」


「お母さん、ポチにもご飯あげていい?」


「あらあら、ポチもお腹がすいたのねぇ。でもまだよ? 待て」


 眞昼は手のひらを向けて命じた。


「待て」


 おすわりの姿勢のまま放置される俺。その横で、クソガキ共はカオスなおままごとを続行する。



「さてそろそろ風呂でも入ろうか。はっは」


「あ、お父さん、これはなんです? 浮気ですか?」


 眞昼がピンク色の折り紙で作ったカードを手に持って言う。


「いや違うんだ。社長に誘われて」


 お前ら意味分かってやってるのか?


「あらぁ、あなたが奥さん?」


 朝華が愛人のような役で登場する。いや、お前子供じゃなかったのか。


「この人は私のものよ」


「もう離婚です」


「待ってくれぇ」


 そうして三人は窓からベランダに出る。


「違うんだ、愛してるのはお前だけなんだー」



 一人取り残された俺は、ただ黙って『待て』を続ける。


 ベランダでは未夜と眞昼が抱き合ったり朝華が泣きまねをしたりと、どろどろの展開が続いている。


 その時、ドアが開き、母が入ってきた。



「さ、みんな、おやつあるから降りておい――勇?」



「は?」


 母の顔が蒼白になり、硬直する。



「あ、あんた、何を……い、いやいいの。お母さん、あんたの趣味を否定するわけじゃないのよ」



「何言って……はっ!」


 そうして俺は今の自分の状態クソガキのペットを思い出した。慌てて立ち上がり、犬耳と首輪を外す。



「あとで、お父さんとも一緒に話をしようね。でもね、子供とそういうことは……ね?」


「違うから。これはおままごとの一環で。おい、お前らさっさと戻ってきて説明しろ!」


「なんだよー」


「あっ、何犬のやつ外してんだ」


「勇さん、自分から犬になりたいって言ったのに」




「自分から?」



「いやだからこれにはいろいろ事情があるんだって。おい、待て母さん。話を聞けー」



 事情を説明し、なんとか事なきを得たが、もう二度と犬役はやらないと心に決めた俺だった。














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