第11話  クソガキはカブトムシが好き

 1


 立派な角。黒々と輝くボディに堂々としたフォルム。


 夏の子供たちの憧れの的。


 甲虫王者カブトムシである。


 飼育ケースを横から覗き込みながら、さやかが言う。


「あらー、すごいわねぇ。これ、未夜ちゃんが捕まえたの?」


「うん。さっき捕まえたの。昨日森に罠を作ってー、お父さんと一緒に朝早く起きてー、いっぱい見つけた」


「そうなの、すごいすごい」


「おばさんも触ってみたい?」


「ふぇっ!? え、ええっとおばさんよりも、勇に、そう先に勇に見せてあげたら? あの子、昔よくカブトムシ捕まえてたから」


「そうか、勇にぃにも見せてあげようっと」



 2



「あっちぃ」


 俺の部屋にはエアコンがなく、常に窓全開である。蒸し暑い風をかき混ぜながら、扇風機がむなしく首を振っている。


 さっきまでやっていたテレビゲームも、暑さで頭が働かず、放り出してしまった。


 どたどたと階段を駆け上がる足音が聞こえる。ああ、またうるさいのがやってきたな。

 


「おらぁ、勇にぃ、生きてるか?」


「生きとるわ。何の確認だ……ってお前、それ」


「すごいでしょ、さっき捕まえてきたんだ」


 言いながら、未夜は手に持ったケースを掲げた。


「ぇぅ……」


 一瞬にして体温が下がる。にじんだ汗は冷や汗に変わり、体が硬直する。


「……」



 有月勇、虫触れない系男子。

 いや正確に言えば「今は」虫触れない系男子である。


 子供の頃は、カブトムシやクワガタを捕獲しに山へ繰り出し、草むらでバッタやカマキリを見つければ素手で捕まえたものだ。

 セミがいれば網を振りかぶり、トンボを追いかけ回した。


 小学四年生の時には自由研究として捕獲した虫たちで標本を作り、昆虫採集王ムシキングと呼ばれたこともあった。


 それがいつからだろうか。


 カブトムシの裏側おなかを気持ち悪いと感じるようになったのは。


 大人になるにつれて、虫が触れなくなることはそう不思議なことではない。

 子供だから目につかなかったところに、大人になって気づき始め、不快に感じてしまうのだろう。


「かっこいいでしょ」


「え? ああ、うん」


 それにしてもこいつ、女の子なのにカブトムシ好きなのか。


 未夜はちょこんと座り、ケージのふたを開ける。


「ほら」


 無造作に小さい方の角をつまみ、カブトムシを取り出す。


 やめろ、裏側を見せるな。


 うねる足に黒光りする表面。しかもなんか毛みたいのがふさふさ生えて、なんというか、そう、キモイ。


 突然取り上げられて、カブトムシも激しく抵抗している。うねうねと激しく足を動かす様は、もうゴキブリと変わらん。


 ああ、そう。特にこの足の付け根辺りが……


「勇にぃにも触らせてあげる」


「え? いやいいよ」


「遠慮しないでー」


「いや、マジで大丈夫だから……俺、カブトムシアレルギーだから。裏側を近づけんな」


「昔カブトムシいっぱい捕まえてたっておばさんが言ってたよ」


 あのババア。


「ほい」と未夜はカブトムシを俺の膝に乗せる。


「おひぃ」


 ちくちくとした感触が直に伝わった。瞬時に肌が粟立つ。


「うおおおおお」


「ん? もしかして勇にぃ、怖いの?」


 にまにましながら俺を見上げる未夜。


 ま、まずい。


 虫ごときにビビってることがバレたら、またこいつに舐められてしまう。



『勇にぃって大人なのに虫が怖いんだ。弱っちぃの』



 そう言って笑う未夜が容易に想像できる。



「はっ!」


 いつのまにか、カブトムシは服を登って俺の肩の辺りまで到達していた。

 無機質な目と視線がぶつかる。


 ぶぉん、という音とともに、やつの背中が割れ、薄い羽が広がっていく。


「うわー、すごーい、かっこいい」


 未夜の黄色い声援を受けながらカブトムシは飛び立ち、部屋の中をはばたき回る。そして再び俺の方へと飛んでくると、そのまま俺の顔面に着陸した。


「ぴょ」



 それからのことはよく覚えていない。人生で生まれて初めて気絶というものを経験した、ある夏の午前のことである。



 *



「いいか、絶対に眞昼と朝華には言うなよ」


「カブトムシに負けたザコにぃ」


「あれはだな、突然飛んだから――」


「ざぁこ、ざぁこ。あはははは」


 階下に降りると、母が台所から声を投げる。


「未夜ちゃん、お昼食べてきなー」


「うんー。あのね、おばさん、さっきねー勇にぃ、いや、ザコにぃがねー」


「るせぇこら。ったく。お、茹でエビじゃん」


 テーブルにはそうめんと酢の物、そして丸ごと茹でたエビが並んでいた。


 エビは俺の大好物である。


 背中のところを割り、頭をもぎ取る。そして束になった足のところを剥いで身を取り出す。


 うん、ぷりぷりで旨そうだ。


「ん? どうした未夜?」



 急に静かになりやがって。


 青ざめた顔でこちらを見ている。


「勇にぃ、すごい」



「?」



「それさ、ほぼ虫じゃん」



「……?」


 よく分からないが、ザコにぃとは呼ばれなくなった。



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