第99話 長い夜の始まり
時間は少し戻る。
ハルヴォニではノブヒトとレイジが海の親父亭に戻ってきた頃、森の奥では人知れず事態が動こうとしていた。
何故自分が他の同種と違ってしまったのか分からない。同じように変わってしまったモノも一匹は残念ながら最近獲物に返り討ちに遭ってしまった。だが、それもどうでもいいことだ。
変わってしまったあの日から自分の中に知らない“何か”が棲んでいて、囁くのだ。
“……壊せぇ……喰らえぇ……”
声の主が誰かは分からない。ただ声とともに湧き上がる沸々と煮える様な昏いものに突き動かされた。
声の命じるままに同種を従え、獲物を襲うのは気持ちよかった。獲物に歯を立てる瞬間、そのことを思い出し
“……まだ足りない……”
「グォォォォォォォォッ! 」
さあ、行こう! 血と肉の宴を始めるために!!
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すっかり日も落ちた街に鐘の音が鳴り響く。
俺とスギミヤさんは慌てて宿を飛び出した。そこでは俺たちと同じように慌てて建物を飛び出したであろう住人たちで溢れ返っていた。皆一様に不安げな表情を浮かべている。
「これは一体……? 」
状況が飲み込めず俺は困惑する。隣ではスギミヤさんも同じような表情を浮かべている。
よくよく見ると人々の間を普段以上の数の衛兵が忙しなく行き交っている。その表情にはどれも緊迫の色が見えた。
「ニシダさんっ! スギミヤさんっ! 」
「えっ? 」
状況が分からず呆然と人々を見ていた俺は、突然名前を呼ばれてそちらを振り返る。見ると人ごみを掻き分ける様にしてギルド職員の男性がこちらへ走ってきていた。
「はぁはぁはぁはぁ。良かった、宿にいてくれて! 」
俺たちのそばまで駆け寄った男性は、乱れた呼吸を整えながら安堵の声を漏らす。
「ええと、何かあったんですか? この状況は一体……? 」
その様子に俺とスギミヤさんはお互いに顔を見合わせると代表して俺が問いかけた。
「現在起こっていることについてギルドからハルヴォニの全冒険者に召集が掛かりました」
「ぜ、全冒険者に召集っ!? 」
俺は驚きの声を上げる。隣を見るとスギミヤさんは一瞬驚いた顔をした後で何やら考え込む様な仕草を見せている。
「はい。詳しいことはギルドで説明しますのでお2人も至急装備を整えて四半刻(約30分)以内に集合をお願いします! 」
「えっ、あっ、ちょっと! 」
男性はそれだけ言うと困惑する俺たちをよそに、「私は次の冒険者のところに行かないといけませんので! 」と言って駆け出してしまった。
「ええと、とりあえず用意してギルドに行ってみましょうか? 」
そう言って俺が顔を向けると、スギミヤさんは聞こえていないのかまだ何か考え込んでいた。
「スギミヤさん? 」
「…ん?ああ、そうだな。すぐ用意しよう」
「えっ? あっ、待ってください! 」
俺が首を傾げていると気付いたスギミヤさんはそう言って宿に入っていく。俺はその後ろを慌てて追い掛けた。
「っ! レイジさんっ! ノブヒトさんっ! 」
「エリー…」
「……」
俺たちが宿に入ると階段の前で俯いていたエリーゼちゃんがパッと顔を上げた。その後ろには心配そうな顔をしたレオナールさんが立っている。彼女はすぐに俺たちへと駆け寄ってくる。
「一体何が? 」
スギミヤさんに駆け寄ったエリーゼちゃんが不安げな表情で彼を見上げる。
「まだ分からない。その件で俺たちはギルドに招集を掛かっているからちょっと行ってくる」
「そんなっ!? 」
スギミヤさんの言葉にエリーゼちゃんが目を見開いて驚きの声を上げる。先日のこともあったので不安なのだろう。スギミヤさんはそんな彼女に視線を合わせる様に腰を落とした。
「すまないな。俺たちは大丈夫だから何かあればレオナールさんの言うことをよく聞くんだ」
スギミヤさんはそう言ってエリーゼちゃんの頭に優しく手を置いた。彼女は一瞬、首を横に振り掛けたが堪えるとコクリっと小さく頷いた。
それを見たスギミヤさんは彼女の頭を撫でながら立ち上がると階段の前に立つレオナールさんに視線を向けた。
「そういうことなので申し訳ないがエリーのことを頼めるか? 」
「ええ、もちろんです。任されました」
申し訳無さそうに言うスギミヤさんにレオナールさんが笑顔で答える。その言葉を聞いたスギミヤさんはもう一度小さな声で「頼む」と呟いた。
「凄い数ですね」
「……ああ」
大急ぎで装備を整えた俺たちがギルド前に着くとそこには数え切れないほどの冒険者で溢れ返っていた。その光景に俺が驚いている隣でスギミヤさんはやはり何かを考え込んでいた。
(さっきのエリーゼちゃんのことかな? でも……)
その様子に俺は一瞬先ほどの宿でのやり取りのことかと思ったのだが、彼がギルドの召集を聞いたときから何か考え込んでいたのを思い出して首を捻る。
「あっ! ニシダさんっ! スギミヤさんっ! こちらですっ!! 」
「へっ? 」
俺がスギミヤさんの様子に首を捻っていると遠くで俺たちを呼ぶ声が聞こえた。思わず間抜けな声を出して辺りをキョロキョロと見回す。すると人ごみの奥、ギルドの入り口で俺たちに向かって大きく手を振る男性が見えた。
「スギミヤさん! 」
「ああ」
俺は隣を見る。スギミヤさんも今度は顔を上げていた様で俺と同じように男性を見ていた。
「行こう」
「はい」
俺は呟かれた彼の言葉に頷いて入り口に向かって人を掻き分けた。
「お待ちしていました! お2人はこちらにどうぞ」
俺たちが目の間に来ると男性は頭を下げてすぐにギルド内へ通そうとした。
「えっ? この人たちは? 」
俺は男性の言葉に驚いてちらっと後ろを見ながら問いかける。
「ああ、彼らは彼らでこれから別の者が説明いたします。それとは別にお2人には別で説明がありますので」
男性は俺の質問にそれだけ答えると、改めて「こちらです」と言って建物の中に入っていく。
「とにかく行こう」
「は、はい」
スギミヤさんは自分を見た俺にそう言うと男性に続いて建物へと入っていった。
「なんだ? お前たちもこっちか? 」
「エルネストさんっ!? 皆さんもっ! 」
俺たちが通されたのは朝も使用した個室だった。中に入ると蒼月の雫と夢幻の爪牙の面々もいて驚く。
「悪いが話は後にしてもらえるか? 」
「えっ? 」
突然低く渋い声が聞こえてきた。驚いた俺は慌ててそちらへ顔を向ける。今は机も椅子も退けられた部屋の奥、ちょうど入り口に立つ俺たちの正面に男性が立っているのが見えた。
身長は190cmくらいだろうか? 肩幅の広いがっしりとした体格をしている。ややくすんだ金髪をきっちりと撫でつけ、太い眉とその下の鋭い眼光。特徴的な大きな鷲鼻の下に髭を蓄えて、口を真一文字に引き結んでいる。
「ノブヒトくん、レイジくん、そんなところに立ってないでもっと奥へ。全員揃いましたね? お願いします」
男性を見ていた俺はその声を聞いて視線を男性の横に移す。今気付いたが男性の隣には一歩下がる様にしてカレヴァ副ギルド長が立っていた。副ギルド長は俺たちを見回すと隣の鷲鼻の男性へ小さく頭を下げた。男性は「うむ」と小さく頷くと一歩前に出る。
「さて、集まってもらってすまない。はじめての者もいるだろうから最初に自己紹介しておく。私がこのハルヴォニ冒険者ギルドのギルド長ステファン・アールストレームだ」
そこ鷲鼻の男性、ステファンギルド長は一度言葉を切ると全体を見回した。ギルド長は全員が自分を見ていることを確認すると「すでに知っていると思うが」と言って話を続ける。
「現在街では大変な騒ぎが起きている。冒険者諸君に集まってもらったのはその解決に協力をしてもらいたいからだ」
「一体あの騒ぎは何なんですか? 」
全員を代表するようにアルバンさんが問いかける。ギルド長は「カレヴァ」と隣の副ギルド長を見た。副ギルド長は「はい」と頷くとギルド長の前へ出る。
「現在、この街にクリーチャーの大群が迫っています! 」
「なっ!? 」「嘘だろッ!? 」「マジかよ……」「そんなっ!? 」「どうして……」
副ギルド長の衝撃の発言に部屋が一気にざわつく。
「スギミヤさんッ! 」
「……」
俺も慌てて隣のスギミヤさんを見るがやはり彼は何か考え込んでいた。
「静かに! 説明します! 」
ざわつく俺たちに副ギルド長の声が飛ぶ。俺たちは慌てて口を噤む。
「報告があったのは一刻ほど前。すでにかなりの数のクリーチャーが森から溢れてこの街を目指しているそうです。予想到達時刻は今から一刻後。もう時間がありません」
あまりにも短い時間に俺たちは言葉も出ない。
「それでどうするんだ? 」
俺たちが静まり返る中、スギミヤさんが呟く様に声を発した。
「もちろん迎撃します! クリーチャーを街の中に入れる訳にはいきません。今、この街の戦力は衛兵が約500、冒険者が約2500の合計3000です。衛兵には防壁の守りと空からの襲撃に備えて弩を担当してもらいます。冒険者の諸君には街の外で迎撃をお願いする予定です」
当然そうなるだろう。だが、それだと俺たちだけがここに呼ばれた理由が分からない。
「俺たちがここに呼ばれたのは? 」
俺が疑問に思っているとちょうどアルバンさんが同じことを確認してくれた。
「皆さんには別の任務をお願いしたいんです」
「別の任務? 」
アルバンさんの問いに副ギルド長は静かに答えた。その答えにエルネストさんが首を捻る。
「変異種の討伐です」
「「「「「「「「「「「なっ!? 」」」」」」」」」」」
副ギルド長の言葉に全員が一斉に驚きの声を上げる。
「この危機的状況を打開するにはそれしか方法がありません」
「しかし……」
副ギルド長の言葉にアルバンさんが言葉を詰まらせる。
「何故……俺たちなんだ? 」
「何故とは? 」
スギミヤさんが上げた疑問の声に今度はギルド長が反応する。
「俺たちはエメラルドに昇格したばかり、しかも今は謹慎中だ。そんな俺たちに任せるような内容じゃないと思うが? 」
スギミヤさんが自分の問いに反応したギルド長を見据えて言う。2人の視線が交錯する。
「確かに謹慎中ではある。が、実際に変異種と相対したのは君たちだけだ。違うか? 」
「それはそうだが……」
確かにそうなのだが、ギルド長の言葉にスギミヤさんは言葉を詰まらせる。
「もちろん君たちよりも高ランクの冒険者はいる。しかし、君たちが彼らに情報を伝えている時間はあるかね? 私も君たちの報告には目を通した。その上で一度戦ったことのある君たちならば変異種に対応出来ると判断した。それ以上に説明は必要か? 」
ギルド長の鋭い視線がスギミヤさんを見据える。
「……分かった」
スギミヤさんが引き下がった。いや、どちらにしてもあの変異種は俺たちが倒さなければならないのだ。これは好機と捉えるべきなのだろう。
「……話は纏まりましたね。今のところ大群の中に件の変異種は確認されておりません。森から出てくるつもりがないのか、それとも機会を窺っているのかは分かりませんが、皆さんには極力戦闘は避けて森へ向かってもらい変異種を発見次第殲滅してもらいたい」
不安は残るものの副ギルド長の言葉に全員が頷いた。
「……」
チラリと見るとまだスギミヤさんは考え込んでいた。
(どうなるんだろうか……)
こうしてそれぞれが不安を抱えながら後に『ハルヴォニ史上最悪の夜』と言われる長い夜の幕は上がったのだった。
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