第94話 譲れないもの

「ゴンッ」という音とともに斧の柄で打ち上げられた。俺は後方宙返りの要領で空中で体を回転させて着地する。


(ギリギリだった……)


 掌底を耐え切ったスヴェアさんが振り上げた柄が顎を捉えようとした瞬間、俺はギリギリのところで腕を滑り込ませていた。それがなければ今頃は顎を砕かれていたかもしれない。


「痛ってぇ……」


 顎に代わって柄を受け止めた腕を振る。カトリナさんのグローブじゃなければ腕を持っていかれるところだった。


「へぇー。あれを防いだか」


 スヴェアさんは着地した俺を見て意外そうに目を細める。


「だけどどうする? あんたの小細工はあたいには通用しなかったけどまだ続けるのか? 」


「ええ、俺はまだ負けた訳じゃないですから」


 そうは言ったが次の手が思い付かない。ユキとの立ち合いを除いて俺は今まで足りない実力を機転でなんとか補ってきた。しかし、目の前にいる彼女にはそれが通用しない。俺の2回の不意打ちはいずれも彼女のありえない反応速度と斧捌きにより阻まれてしまった。


 俺はチラリと彼女の後方を見る。そこには先ほど彼女に弾かれた剣が転がっている。拾うタイミングがあるだろうか?


「じゃあ続きを始めようか」


 俺があれこれ考えている間に彼女は改めて斧を構える。

 俺ももう一本の剣を抜くと今度は柄を両手で持って正眼の構えをとる。だが、攻めのイメージが湧かない。


「来ないのか? じゃあ今度はあたいから行くよッ! 」


 言うが早いか彼女は跳ぶ様に軽く前方へと踏み出す。瞬時に俺との間合いを詰めて左上段から斧を振り下ろす。


「ッ!! 」


 俺は咄嗟に一歩下がる。なんとか躱したが顔に当たる風圧がその威力を物語っている。

 彼女は振り下ろした勢いに逆らわず回転し俺に背を向けた。


「ガハッ!? 」


 俺が前に出ようとしたところへ彼女はこちらに背を向けたまま後ろに柄を突き出した。柄の先端が俺の腹に突き刺さる。更に振り上げられた柄が顎に直撃する。


「んぐっ!? 」


「ほらほら、どうしたッ! 」


 彼女は攻撃の手を緩めない。

 体を回転させると左から横薙ぎ。

 咄嗟に躱すと斧を縦に半回転させて柄を打ち下ろす。

 剣で受け止めるとすぐさま先端での突き、からの腕を返す様にして右から柄での打ち払い。

 更に柄を回して下から刃による切り上げ――動きがどんどんと速くなっていく。


 俺は攻撃を躱すのがやっとで反撃に転じることが出来ない。

 彼女は連撃の流れのまま腰を回転させて斧腹をフルスイング。

 俺は咄嗟に腕で防御するが体ごと弾き飛ばされる。


「グハッ!!! 」


 視界が何度も変わり、土煙を上げながら体が何度か地面を跳ねたところで漸く止まる。


「ゴホッ! ゴホッ! 」


 咳き込むと口の中に鉄臭い味が広がる。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」


 未だに視界は揺れ、頭が痛むが強引に立ち上がる。吐いた唾に血が混じる。


「くッ! 」


 折れてはいない様だが防御に使った左手は痺れているしそれ以外も体のあちこちが軋んで悲鳴を上げている。


「ほう、まだ立つか。でも、もうボロボロだな。どうだー? そろそろ自分が間違えてたって認める気になったか? 」


 スヴェアさんは立ち上がった俺に関心しながらも降参を促してくる。


「お、俺…は、間違…て…ない…」


「おいおい、強情な奴だなぁ。冒険者ならあの場面で依頼を優先するのは当然だぞ? ましてやギルドの通達を無視した奴なんてパーティーメンバーの命と比べるまでもない。あたいはリーダーとして自分の判断が間違ってたとはこれっぽっちも思っちゃいないね」


「それ…で、も……救…える、いの…ち、は、見……て、ない…」


「はぁー、そうかい。もういいや。終わらせてやるよ」


 彼女は後頭部をガリガリ掻くと、「拾いな」と言って顎をしゃくった。いつの間に落としたのか俺の剣が転がっている。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」


 重い体を引き摺る様にして剣を拾って正眼に構える。


 彼女は俺が剣を構えたのを見て斧を構え直した。


 目が霞んで彼女の姿がぼやけている。

 もう立っているのもツラい。

 このまま倒れこんで眠ってしまいたい。

 でも…まだ倒れる訳にはいかない。


 俺はまだ彼女に一矢を報いてもいない。

 ここで倒れてしまったら、あのときの自分が間違っていたと認めてしまったら、俺はもう立ち上がれない。勇者候補たちの戦いを止めることなんて出来るはずがない。


(何かないか? 何か……)


 そのとき俺の脳裏に対峙したときのユキの姿が過ぎった。


 普段の彼女はどこにでもいる普通の女子中学生だった。だけど、剣を持って対峙した瞬間の圧力は今まで感じたことがないものだった。


 それは例えるなら水。水面の様に静かで、相手に合わせて形を変え、その流れは時に穏やかに、時に濁流となって全てを飲み込む。


(クノウスメイリュウ、だったっけ? )


 さすがに動きをマネすることは出来ない。だけど、あの水面の様な佇まいは今の俺でもマネ出来るかもしれない。


「ふぅぅぅぅぅ」


 俺は一度構えを解くと、長く、肺の中の空気を全て吐き出すつもりで息を吐く。全身から力が抜けていく。


 全ての息を吐き切ると自分の中に渦巻いていた様々なものが見えてきた。緊張、焦り、怒り、不安、信念……、今はその全てを振り払い、自分の心を穏やかな水面へと変えていく。


(明鏡止水って言うんだっけ? うーん、やっぱり難しいな。こんな感じでいいのか? )


 見よう見まねでやってみたが、自分ではいまいち上手く出来ているか分からなくてなんだか笑えてきた。そんな俺をスヴェアさんが怪訝そうな表情で見ている。


「あっ、すみません。お待たせしました。始めましょうか? 」


 出来ているかは分からないけど、なんとなく肩の力は抜けた気はする。俺は改めて剣を正眼に構えた。何故かスヴェアさんが息を呑んだ気がした。が、それも一瞬、再び彼女は地面を蹴ると地を這う様にして一息で俺との距離をゼロにする。


 左下段からの逆袈裟を体を半身にして躱す。

 続く右からの横薙ぎに対し、俺は一歩前に出ることで柄の部分を剣で受け止める。

 俺は剣と柄を合わせたまま彼女の懐へと素早く入り込もうとするが、その前に彼女は斧を引く。

 後ろから迫る斧の刃をしゃがんで躱すと、正面からの蹴りを腕を交差させて受け止め軸足へ足払い、彼女が体勢を崩したところへ下から剣を突き上げる。

 顔に迫る切っ先を、彼女は敢えて体勢を崩したまま後ろに転がることで避けた。


「……」


「……」


 再び互いの間に距離が出来るがどちらも無言。しかし、俺は彼女に見えるように自分の頬を指で突く仕草をする。


「ッ!! 」


 俺がした仕草の意味を理解した彼女は慌てて自分の右頬に触れる。恐らくは先ほどの俺と同じく指先にぬるりとした感触がしたことだろう。先ほど俺が放った突きは僅かだが彼女の頬を掠めていたのだから。


 自分の指先に着いた血を見て、俺に意趣返しをされたと気付いた彼女の表情が驚愕から怒りへと変わる。


 それまでの余裕の笑みを消した彼女は斧を構え直すといきなり俺に向かって飛び込んでくる。今度は俺も彼女へ向かって駆け出す。


「「はぁぁぁぁぁぁぁッ!!!! 」」


 互いに振り被った剣と斧が交錯する。

 剣で言えば鍔迫り合い、互いが互いを押し込もうと力を込める。


 ことここに至ってはもう小細工など意味がない。

 これは矜持と矜持、信念と信念、互いの譲れないもののための戦いだったのだ。


 スヴェアさんが圧力を強めた瞬間、俺はフッと力を抜いた。

 つんのめる彼女の顎へ下から肘をカチ上げる。彼女の手が斧から離れる。


「ごふッ!! 」


 声が漏れたのはどちらだったのか。

 彼女の顎を打ち抜いた俺は、しかし、直後腹に膝をめり込まされた。剣を取り落とす。


 ―ドスッ―


 腹を抑えて前のめりになる俺の背中に上から衝撃が来る。だが、俺は倒れず彼女の腹に肩から突っ込んだ。


「このヤロウォォォォッ!! 」


「負けるかァァァァッ! 」


 お互いに顔を上げて吼える。


 彼女は兜を脱ぎ捨てる。短く切り揃えられた青髪が零れる。ガントレットも外すと放り投げた。


 俺もグローブを外す。


「オラッ! 」


「このッ! 」


 最早技術など関係ない。

 拳、蹴り、頭突き、体当たりが互いの間を行き交い、周囲には肉を打つ音と骨がぶつかる音が響く。顔は腫れ上がり、切れた唇から血が滴る。次第に視界が狭くなっていき、やがて暗転した。




 そして、気が付くと俺は知らない天井を見上げていた。

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