幕間 狂乱の夜
深夜、真っ黒な鎧を身に着けた集団が大河の森を奥へ奥へと進んでいた。月が出ているとはいえ木々の生い茂る森の中では光が届かないところも多く、視界は極端に悪い。
「この辺でいいだろう。止まれっ! 」
森を暫く奥に進んだところで先頭を歩いていた黒鎧が全体に止まるよう指示を出すと他の黒鎧たちがピタリと動きを止めた。
「チェスター副騎士団長、それともう1人は荷物を持ってこちらへ。他の者はこの場で戦闘準備をしつつ待機ッ! 」
先頭の黒鎧――ニクラウス帝国騎士団長に呼ばれたチェスターともう1人の騎士団員が集団から少し離れた位置へと移動する。
「このくらい離れれば問題ないだろう。チェスター副騎士団長、心の準備はいいか? 」
集団から20mほど離れた位置で立ち止まったニクラウスが振り返り、改めてチェスターへ確認をする。
「はい、問題ありません。いつでも行けます! 」
「分かった。おい、準備を始めろ」
チェスターの返事を確認するとニクラウスは一緒に着いてきた騎士に指示を出した。指示された騎士は「はっ! 」と敬礼すると持っていたバッグから香炉の様なものを取り出す。それを地面に置いて【
暫くすると周囲に熟し過ぎた果物の様な、甘ったるく、体に纏わり付く様な匂いが広がり始める。
香炉の中にはクリーチャーを引き寄せるための特殊な薬が入っており、それが熱せられて彼らが好む匂いを発しているのだ。
「暫くすれば化け物どもが集まってくるはずだ。俺たちはあちらへ戻る。チェスター…死ぬなよ? 」
「分かっております。自分は大丈夫です! 」
チェスターは力強く頷いてみせる。
ニクラウスはそれを確認すると傍らの騎士に「行くぞ」と告げ、他の騎士たちが待機する位置まで戻っていった。
「ははっ♪ 」
独りその場に残ったチェスターの口から笑いが漏れた。体が熱くなり、気持ちが高ぶっていく。今までもクリーチャーを間引くために森に入ることはあった。しかし、今のように気分が高揚したことなど一度もない。
「ふぅぅぅ」
体に溜まった熱を逃がす様にチェスターは一つ息を吐いたが、あまり効果があったとは思えない。
チェスターが気を落ち着かせようとしているうちに周りにはクリーチャーと思われる気配が集まってきた。こちらの様子を窺うもの、今にも飛び掛かってきそうなもの、そのどれもが濃厚な“死の臭い”を放っている。
「ははっ、あははははっ」
気分を落ち着けようとしていたはずのチェスターの口から笑い声が漏れ出す。その声は次第に大きくなっていく。彼はスラリと腰から剣を抜く。しかし、構えはせずにダラリと両手を下げたまま。
「ふはははははっ、あはははははははははっ! 」
笑い声が更に大きくなる。「もう我慢出来ない! 」とばかりにチェスターが飛び掛ろうと腰を沈めた、その時――
「ギャーッ! 」
森を切り裂く様な声を上げて地を這う様にして飛び出してきた影があった。
太く丸太の様な四肢に鋭い爪、黒光りする鱗は普通の剣ならば切り裂くことも出来ず、どれほど硬い物でも穿つという牙と顎を持つ2つの頭部を持つクリーチャー『
茂みから飛び出してきた
一方のチェスターも
一瞬で
「グギャァァァァァァァッ!!!! 」
片方の顎を切り裂かれた
そのまま
先頭にいた2匹を横薙ぎに斬り付け、返す刀で手前の1匹の首を上段から斬り落とす。首からは噴水に血が噴き出して周囲やチェスターへと降り注ぐ。彼はそれを気にも留めない。
上から圧し掛かる様に飛び込んできた
根元まで突き刺さった
次第に刀身には血や脂がこべりつき斬ることも難しくなってきたが「関係ない」と言わんばかりに力任せに叩きつけ、引き裂いていく。
周囲には無残に引き裂かれた死体が転がり、血が、肉が、臓物が、糞尿が辺り一面に飛び散った。
最後の1匹を仕留めた後も「まだ足りない」と言わんばかりに獲物の腹へと手を突っ込み、『グチャグチャ』と掻き混ぜながら「ぎゃははははっ」と笑う声が森に響いている。
そうした状況がどれくらい続いただろうか?
屈強であるはずの後方の騎士の中からもあまりの光景に「カチカチ」と歯を打ち鳴らす音や身を震わせ「カチャカチャ」鎧が鳴る音、その場にヘタリ込み嘔吐する「オェェェ」という声が響いた。
そんな異様な状況が続いていたが突然笑うのを止めたチェスターはすくりっと立ち上がるとその場に立ち尽くし動かなくなった。
その後、近付いたニクラウスの呼び掛けで彼は漸く理性を取り戻したのだった。
「ニクラウス騎士団長、自分は……自分は……」
自分が起こした惨状に言葉を失うチェスター。帝国騎士にあるまじき殺戮に酔った自分を思い出し、顔を覆う兜の内側は蒼白となる。
「心配するな。初めて“
ニクラウスはチェスターにそう声を掛けると周囲に待機していた騎士団員に撤収するの指示を出す。チェスターの横を通り過ぎるとき肩に手を置くと「試験は成功だ。気にするな」と声を掛けて自分も撤収準備に移った。
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ガルド帝国帝都ガルデニウム、その帝城の敷地内にある『帝国技術院』には限られた者しか入ることを許されていない地下施設があった。
四方を石の壁に囲まれたそこには2台の寝台が並べられており、片方には全身を包帯でぐるぐる巻きにされた小柄な人物が四肢を革のベルトで寝台に固定され寝かされている。
その脇には2人の人物が立っていた。
1人は豊かな白髪を後ろで結び、深い皺の刻まれた顔に豊かな髭を蓄えた人物。帝国宰相バルタザール・ベッテンドルフである。
その傍ら、後ろに控える様に立つ黒ローブの男、彼は今回の計画の責任者である。
「して、首尾はどうじゃ? 」
バルタザールが問い掛けると、黒ローブの男は「こちらをご覧ください」と言って資料を差し出した。バルタザールはそれを受け取るとさっと目を通す。
「ふむ、それではこの2名以外の者への移植は難しいということかの? 」
「申し訳ありません。閣下からご提供頂きました資料で“欠片”を結晶化することには成功しました。しかし、実験の結果、やはりこの世界の人間に完全な物を移植するのは難しく……出来たとしましても移植に耐えうるかは個人の資質に因るところが大きい様でして……」
資料から目を離したバルタザールの問いに黒ローブの男は慌てて弁明する。
「それでこの者はどうなのじゃ? 」
黒ローブの男の弁明を一瞥したバルタザールは話を目の前の人物のことへと移した。男はそのことに内心で安堵しながら包帯の人物の状況を説明し始める。
「はっ! 精神的にはかなり壊れてしまいましたが【
口から漏れる「ひゅー、ひゅー」という呼吸音で辛うじて生きていることが確認出来るその人物が大河の森で帝国騎士団に保護されたのは1ヶ月ほど前のことだった。
帝国へと連れてこられたその人物は帝国騎士団の事情聴取を受けた後、名目上は“保護”という扱いでここ、帝国技術院へと預けられた。以来、検証と研究のためさまざまな実験―その中には人体実験などの非人道的な内容も含む―へ協力させられてきたのだった。
中でも特に注目されたのが“擬似勇者創造計画”である。
その人物が言った神から『与えられたという“勇者の欠片”』、『それを取り込むことでジョブを得た』ということ、『現地人が取り込むと暴走して化け物になってしまう』という内容を検証、軍事転用することを目的としたこの計画は、勇者候補の中に埋め込まれている“勇者の欠片”の一部を抽出し、結晶化することで他者への移植を可能としたことで一応の成功を見た。
ただし、移植する人物には強靭な肉体と精神力が求められることも分かり、その過程で多くの騎士団員が暴走、その命を散らしていった。
「分かった。詳細を報告書にまとめ、後でワシのところへ持ってくる様に」
「はっ! かしこまりました」
ローブの男にそう告げると寝台で眠る人物を一瞥したバルタザールは踵を返した。その口元が笑みを浮かべていたことに黒ローブの男が気付くことはなかった。
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