第39話 闇は踊る
嬉しそうに、本当に嬉しそうに笑う女性に呆気に取られた。
黒髪を腰まで真っ直ぐに伸ばし、前髪は眉の辺りで切り揃えている。見た目は20代中頃くらいだろうか?日本人形の様な整った容姿をしていた。目の下にははっきりと隈が出来ていて笑っているはずなのにその瞳には光が無い。肌は病的に白く、今は興奮しているのか赤みが差している。
全身は黒づくめで魔女か危ない魔法使いといった風貌だ。
「初めまぁしてぇ勇ぅ者候ぉ補ぉさん♪ わたぁしぃはぁ小林 美波ぃとぉ言いまぁすっ♪ 」
それまでの「くふふ」という少し気持ち悪い笑いを引っ込めて、彼女は自己紹介をしてスカートを摘むとぺこりもお辞儀をした。ただ、語尾が跳ねているあたり喜びを隠しきれないようだ。
スギミヤさんは怪訝な表情を浮かぶている。呆気に取られていた俺も彼女の様子に不気味さを感じた。衛兵たちも状況が掴めず固まっている。
そんな周囲の様子に構わずに彼女は続ける。
「こぉちらのぉ男性はぁ私のぉフィアンセのぉ梶川 有輝也さぁんでぇすっ♪ 」
言うと自分とスギミヤさんの間にいる大きいほうの影をうっとりとした表情で見つめる。先程まで光がなかった瞳に光が戻り、頬は更に赤みを増す。
「勇ぅ者候ぉ補さんっ♪ お名前ぇをぉ伺ってもぉいいでぇすかぁ? 」
どこか浮世離れした様な雰囲気を漂わせながら彼女はスギミヤさんに名前を尋ねる。
「…………杉宮、玲司だ」
スギミヤさんは様子を窺っているのか慎重に名乗る。距離があるためか、俺は勇者候補と思われていないか気付かれていないらしい。
「スゥギミヤさぁん、でぇすねぇっ♪ そぉれでぇはぁ申ぉし訳ぇありまぁせんがぁ、私とぉ彼のたぁめにぃこぉろさぁれてぇくださぁ~い♪ 」
コバヤシ ミナミと名乗った彼女は瞳からまたスっと光が消えると両手を広げて言った。
その言葉を合図にカジカワ ユキヤと紹介された大きな影が勢いよくスギミヤさん目掛けて斬り掛る。
槍では対応出来ないと考えたのか、スギミヤさんは咄嗟に槍を投げ捨ると腰の剣を抜いて頭上で横に構えて大剣を受け止めた。だが、相手の重たい攻撃に押し潰されそうになってそのまま後ろへと転がる。そのまま後転する勢いを利用して跳ね起きると今度は自分から相手に突っ込んでいく。
剣を振り下ろした無防備な相手に対し、一気に肉薄すると左から横薙ぎを一閃。
しかし、相手も大剣を持っているとは思えない速さで後ろへ飛び退くことで躱す。スギミヤさんはそれに構うことなく勢いを生かして再度肉薄、上下左右から無数の斬撃を繰り出すが相手はそれを最小限の剣の動きだけで防ぐ。
そんな2人の剣戟を横目に再び動き出したアンデッドたちと衛兵隊の戦闘も再開されている。
俺も魔法銃を撃ちつつ女性の様子を窺うが、彼女は特にカジカワさんをフォローをする訳でもなく相変わらず光のない瞳で笑顔を浮かべたまま2人の戦闘を見つめている。
「コバヤシさんっ! こんな事止めませんかっ! 」
今なら彼女を説得出来るかもしれないと思い、俺は彼女へ話し掛ける。そこで初めて彼女の視線が俺を捉えた。
「あらぁ? 貴方もぉ勇ぅ者候ぉ補さぁんでぇすかぁ~? 一度にぃふたぁりも出会ぁえるぅなぁんてぇ私はぁなぁぁんてぇ幸ぅぅ運なぁんでぇしょぉぉぉかぁぁぁぁっ! 」
どうやら俺のことも勇者候補と認識したらしい彼女は、余程嬉しいのか両手を広げてくるくると踊る様に回り出す。
「くふふふふ。失礼ぇしまぁしたぁ~♪ 先程もぉ名乗ぉぉりぃまぁしたがぁ~、わーたぁしはぁ小林 美波ぃですぅ~♪ 貴方のぉお名前ぇもぉぉ、教えーてくぅぅださぁい~♪ 」
彼女はどこか俺とは違う世界にいるようなテンションで名前を聞いてきた。
「俺は西田 信人と言います。同じ勇者候補ならこんな戦いは止めて話し合いませんか? 」
俺は名乗って再度そう提案する。すると彼女は不思議そうに「コテン」と音が出そうな勢いで首を傾げて、
「なぁぜぇでぇすかぁ~? 私はぁ願いをぉ叶えたぁいのぉでぇぇぇすっ♪ ニィシダァさぁんはぁ欠片をぉぉ譲ってくぅれるぅのでぇぇすかぁ~? 」
どこか調子ハズレな口調でそんなことを聞かれた。
「貴女が戦いを止めて他の人とも協力して魔王を倒すと約束してくれるなら考えます! 」
「うーん、そぉでぇすねぇ……」
彼女は指先を口許に当てて考える素振りをした。今の状況にも彼女の年齢にもそぐわない少し子供っぽい仕草だ。
「そぉれでもぉぉ私はぁ構ぁいまぁせぇんけどぉ~、他ぁぁの人はぁなーっとくぅしてぇぇくぅれるんでぇすかぁ~? 」
彼女が当然の疑問を口にする。スギミヤさんを含め他の人が説得に応じてくれるかは自信がない。でも、ここは彼女の説得を優先する。
「俺も説得しますし何なら皆の願いを叶えることを願えばいいじゃないですか! 」
「確かぁにそぉぉでぇすねぇ~♪ 私はぁ自分のねーがいが叶ぁえば~、そぉれでいぃでぇすしぃ~? 」
「じゃあこの戦いを止めてくれますか? 」
よし! 何とか説得出来そうだ。
「分ぁかりぃまぁしたぁ~♪ そぉぉれではー先にぃニィシダさぁんのぉ欠片ぁをぉ、私にぃ渡してぇくーださぁい~♪ 」
「いや、それは……」
説得出来たと思ったのも束の間、彼女は今すぐに欠片を渡せと言ってきた。確かに欠片を渡すと言った以上はそれでも構わないのだが今後、他の勇者候補を説得する際に危険はないだろうか?
この欠片の力は分からないが、ギルドのランクアップのペースを考えても俺たちの戦闘能力や成長速度に影響を与えている可能性は高い。もしかするとジョブにすら影響を与えている可能性もある。今、渡してしまうと戦闘力が著しく低下してしまう可能性もあるのだ。
「それは今すぐでないとダメですか? 今後他の勇者候補を説得するときに戦闘力が落ちてしまう危険もあるのでもう少し賛同者が増えてからにしたいんですが……」
「くふふふふ♪ そぉんなぁしーぱぁいは要ぃりませぇんよぉ~? 死ぃぃんじゃったらぁ~、わーたしがぁアーンデェッドとしてぇ生ーき返らせてぇあーげまぁすぅからぁ~♪ そぉしたらーもぅ死ぃぃぬのぉなぁんてぇ怖ーくなぁくなーりまぁすよぉ~? 」
俺がもう少し待ってもらうようにお願いすると彼女は何でもないことの様にそう言った。
「いや、冗談……ですよ…ね? 」
「??? 」
俺が恐る恐る聞くと、今度こそ本当に「意味が分からない」という様子で彼女は首を傾げる。
「いやいやいやいや、死んじゃったら元の世界に帰れないじゃないですかっ! 」
俺は慌ててそう付け加える。勇者候補同士の戦いは止めたいが俺だって死ぬ気はない。生きてあちらの世界に帰るのだ!
「でぇもぉ、そーれじゃあぁほーんとぉうにぃ約束ぅを守ぉってくーれるぅか分ーからなぁいじゃぁなーいでぇすぅかぁ~? 」
「それはちゃんと守りますよ! それに今のままだとコバヤシさんかカジカワさんのどちらかの願いしか叶えられないじゃないですか? 」
どういった経緯かは分からないが婚約者と一緒にこちらに来ているのだ。同じ願いかもしれないが、今のままではどちらかの願いしか叶えられない。
「有ー輝也ぁさーんはぁ、勇ぅ者候ぉ補でぇはなーいでぇすぅよぉ~? 」
すると彼女はそんなことを言う。
「すでにコバヤシさんに欠片を譲られているということですか? 」
そういうことならば欠片を譲っても戦えるかもしれない。何せ今も欠片を持つ勇者候補のスギミヤさんと互角に戦っているのだから。
「いーえぇ? 有ー輝ぃ也さぁんはぁ、最初かぁら勇ぅ者候ぉぉ補でぇはあーりまぁせぇんよぉ~? 」
しかし、彼女はそれを否定する。
勇者候補じゃない? それならば何故この世界に来てあれ程の戦闘力を持っているのだろう?
ちょうどその時、スギミヤさんがカジカワさんを下から斬り上げた。カジカワさんはスウェーして躱したが剣先が兜のスリットを引っ掛けてそのまま兜を弾き飛ばす。
「なっ!? 」
そこでスギミヤさんが驚愕の声を上げる。俺もそれを見て一瞬どういう事なのか理解出来なかった。
そこもはあるべきはずの頭髪はもちろん皮膚も肉もない、ただ白い頭蓋骨だけがあった。
「ア、アンデッド……? 」
それはどう見てもスケルトン―実際の強さを考えるとスケルトン系の上位種だろう―だった。
「か、彼は一体……? 」
俺は恐る恐るコバヤシさんの方を見る。
「え? 有ー輝ぃ也さぁんでぇすぅよぉ~? 」
彼女はやはり光のない瞳に笑顔を貼り付けたまま小首を傾げる。俺は何かおかしなものを見せられているのか? 彼女の得体の知れなさに恐怖しか感じない。
「彼はアンデッドだろう? 」
スギミヤさんがそれをはっきりと指摘する。
恐らく彼女が現実を直視出来ていないと思ったのだろう。俺も正直、今まで彼女にどこか浮世離れした不気味な雰囲気を感じていたがカジカワさんの姿を見て納得出来てしまった。
「そーでぇすぅよぉ~? 彼はぁ、あちらぁの世ー界でぇ死ぃんでぇしまぁいまーしたぁ……いーまぁのぉ彼ぇはぁ、こーちらぁに来ぃたぁとぉきにぃ私がぁ持ぉぉっていたぁ遺骨の一ぃ部かーらぁ能力でぇ作ったぁんでぇす」
彼女は口調こそ変わらないものの語尾が少し真剣なものに変わった。彼女の言葉を信じるならば、彼女はカジカワさんの遺骨の一部を持ち歩いていたらしい。
「つまりアンタの願いは彼を生き返らせることか? 」
スギミヤさんが恐らくはそうであろう彼女の願いを確認する。
「もーちろぉんそーでぇすよぉ~♪ そぉのたぁめにーお2ー人のぉ欠ー片ぁをぉぉ、私にぃぃくださぁーいぃぃっ! ダーァメだぁとぉ言ーわれぇてぇもぉ殺ーしてぇかーらぁもらぁ~いまぁすけぇどぉねぇぇぇ♪あはははははーっ♪ 」
言いながら彼女はどんどん感情を高ぶらせる。恐らく彼女の瞳には本当の意味では俺たちは映っていないのだろう。
両手を広げ、スカートを翻らせ、彼女は回る。
くるくる、くるくる、と。
闇の中に彼女の狂笑だけが響いていた。
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