第1章 なんでも屋のお仕事

第8話 発作

 翌朝、僕はベッドからゆらりと起き上がる。

 体調は最悪だ。


 壁に掛けられている鏡を見たが、青白い顔をした少年が半開きの口を開けてこちらを見つめていた。その犬歯は普通の人より、ほんの少しだけ鋭くなっている。


 吸血鬼病――

 ミトコンドリアがウイルスによって変性し、異常な再生能力を得る代わりに、人の生き血を吸いたいという衝動に襲われる奇病。伝説上の吸血鬼の特徴といくつかの点で似ているため、さらに誤解を生むこととなっている。ひょっとしたら、過去に吸血鬼と呼ばれた人達が、この病気だったのかもしれない。が、その真偽について僕が知るよしもない。


 アレが、アレが欲しい……。

 どうしようもない喉の強い渇きを覚え、僕は目的の物を求めてさまよい始める。


 ドアを開け、カリーナの家のダイニングキッチンへと入る。そこではカリーナが朝食の支度なのか、竈の隣でまな板と包丁を使って何かの料理を作っていた。彼女は上機嫌で鼻歌などを歌っていて、僕が侵入してきたことにはまるで気づいていない。


 ポニーテールにまとめた赤毛の下に覗く少女の健康的なうなじが目に入った。僕は吸い寄せられるように、彼女の背後からゆっくりと近づく。


「あ……あ……あ……」


 かさつく喉が求める先、そこには甘ったるい匂いを放つ液体が収まっている。

 僕は手を伸ばした。


「きゃあっ、マモル!? ちょ、ちょっと止めなさい」


 抵抗するカリーナ。だが、もう僕の理性はぶっ飛んでいる。

 仕方ないのだ。

 それに抗うことなどできようはずもない。

 僕はぷっくりと膨らんだ革の乳袋を乱暴にがしりと掴んだ。その甘美な味わいを再び吸い尽くさんとして。


「ぎゅ、牛乳……」


「ダメよ」


 カリーナが僕の手から、さっと牛乳の袋を取り上げてしまう。


「あう、飲ませて……」


「あれだけお腹を壊しておいて、我慢しなさいよ。どうせあと三日は飲まなくて良いんでしょ」


「それは、そうだけど、喉がかわいて……」


「はい、お水。なんか凄い顔してるわよ。ホントに大丈夫?」


 受け取った木のコップの水を仕方なく飲み干してから僕は言う。


「ああ。元々低血圧気味だからね。朝はちょっとテンションが上がらないんだ」


「そう。じゃ、座ってて良いわ。もうすぐ、朝食ができるから」


「へえ。カリーナって料理、ちゃんとできるんだ」


「当たり前でしょ? 一人暮らししてるんだし」


 カリーナはフライパンの縁で卵を軽く叩き、片手で器用に割って入れた。どうやら野菜の具入り卵焼きを作ってくれるようだ。母さんや妹以外の人が台所で料理をしているのを見ると、なんだか不思議な感じがしてくる。


「はい、できた。アタシの得意料理、野菜の卵包み焼きのできあがり!」


「おおー」


 木の皿にふんわりレモン色のオムレツが載せられたが、香ばしい湯気のオーラを纏っており、僕の食欲と期待を否応なく高めてくれる。


「スープはお代わりがあるからね」


 お椀に注がれた野菜入りの透明なスープも何味なのかちょっと楽しみだ。


「では「頂きます!」」


 二人で手を合わせ、それから箸で食べ始める。未来でも箸を使っているらしく、ちょっと感動だ。


「ハフハフ、おお、これ美味しいよ、カリーナ! 料理、上手なんだねぇ」


 僕はちょっとした驚きの興奮と共に彼女を賞賛する。カリーナは家庭的とは真逆の人だと思っていた。料理ができるとは。


「トーゼン! 『何でも屋』が料理ができなくてどうするのよ」


「ああ、ごめん、僕は簡単なのしか作れないや」


「構わないわよ。料理の依頼なんて滅多に来ないし、それは私がやるから。その代わり、昨日煮込んだポーション、運ぶのを手伝ってね」


「もちろん」


 卵焼きの味がうちと少し違うのが新鮮だったが、なるほど、これが家庭の味というものか。

 この辺にはコンビニなどという便利なものは無いはずだから、家それぞれで少しずつ料理法や味が違い、誰しもそこに手作り料理の真心を感じ取ることができるのだろう。

 いや、普段何気なく食べていては、きっとそれも気づかないに違いない。僕は改めて母さんの美味しかった料理をありがたいなと思った。


「ごちそうさまでした」


「はい、お粗末様でした」


「皿は全部僕が洗うよ」


「そう? じゃ、頼んじゃおうかしら」


 皿を洗い終わり、支度をして靴を履き、ポーションをたくさん入れた袋を持って、家を出る。


「カリーナ、鍵はいいの?」


「鍵?」


「家の鍵だけど」


 僕は家のドアを見る。


「ああ、別に良いわ。そんな盗まれて困るようなご大層な物は置いてないし」


「そう」


 カリーナはそんなことを言ったが、きっとこの街は治安が良いのだろう。それは良いことだ。




 スカイウォーカーで街の路地を軽快に移動したが、朝のラッシュアワーというものはどうもこの街には無さそうだ。道は空いていてスカイウォーカーもカリーナが乗っている分しか見かけない。他の人は全員、徒歩だ。


「ねえ、カリーナ、スカイウォーカーってあんまり流行ってないの?」


 そこが疑問だったので僕はちょっと聞いてみた。


「ああ、この街では私しか持ってないわね。旧世界の掘り出し物だから、そんなに数は無いのよ」


「へえ」


 思ったより貴重な品だったようだ。それなら、あの悪者三人組、バッカー達が触ったときにカリーナが激怒したのもうなずける。


 僕らはいったん道具屋に寄り、ポーションを半分ほど売ってから、次の場所へ向かった。


「さあ、ここが冒険者ギルドよ。マモルは初めてだよね?」

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